289 楽市、鮮やかに暖簾と化す。
フィア・フレイムが、豆福に抱かれた赤子をジッと見つめている。
ドラゴンの赤子が何の恐れも抱かずに、魔女の眷族とじゃれているので、実に複雑な表情であった。
後方で待つ仲間たちを見る。
すると誰も、こちらに注意を向けていなかった。
興味が無いからではない。
興味を向ける、余裕が無いからだ。
ドラゴンの赤子からちょっとでも目を離すと、あちこち歩き回って、円形広場から転がり落ちそうになってしまう。
何体かの赤子は、広場の端に近づくと抱っこしてもらえるので、ワザと広場からダイブしようとしていた。
五体の仲間たちは赤子に振り回されて、とてもではないが、こちらの話を聞く余裕がない。
フィア・フレイムは顔を戻して、深い溜息をつく。
「白狐よ、我々を復活させるとはな……計り知れぬ女め。
貴様が勝ったのだ。
戦闘前の約定通り、この先へ行くがいい」
フィア・フレイムはそう言いながら、顔をしかめて巨大な石段を見る。
先ほどの完全無視より、かなり態度が軟化していた。
しかし楽市は、通れと言われて困り顔となってしまう。
「本当にいいの?」
「そのために来たのだろう?」
「そうだけど……」
踏ん切りの付いたフィア・フレイムとは逆に、楽市の態度がなぜか煮え切らない。
白龍が不思議そうに赤黒い瞳で見つめ、首をコキリと鳴らして割って入る。
「白狐よ、何をためらう?」
「だってこれだけ嫌がっているから、やっぱり無理矢理に、あたしが行くのは違うかなって……」
「無理矢理ではないだろう? 貴様が勝ったのだから」
「それが、無理矢理って言うんだよっ」
「うん?」
白龍が、そこで一つ首を傾げた。
「白狐よ、貴様は石段を登って、何をするつもりなのか言ってみろっ」
「え? それは国つ神様へ山脈を通るご挨拶と、お膝元で北の森を呼んじゃったお詫びだよ。
呼んでも怒られた様子がないから、その事についても、寛大な御心に感謝を述べたいというか……」
「つまり貴様は、そこで頭を下げるわけだ」
「うん」
そこでフィア・フレイムの尻尾が、ピクンと跳ねた。
「それはな……フィア・フレイムからしてみれば、自分たちに勝った者が、自分たちの神域で頭を下げるわけだ。
自分たちの祀る神へ、貴様が自ら下と認めて傅くという事だ」
「うん」
「それは決して、ドラゴンの神域を踏みにじる事にはならない。
貴様は既にカルウィズで、そうしたではないか」
「あっ」
「それは負けた者の誇りを、傷つける事にはならない。
むしろ強者が、自分たちを認めたという“事実”が残るのだ」
「ああっ……」
白龍はフィア・フレイムのことを話すようでいて、自身の白狐に対する心情を、暗に話してくれていた。
そこで白龍は、ぐるると唸ってそっぽを向いてしまう。
楽市は優しく諭してくれた白龍を、熱いまなざしで見つめる。
「白龍……ありがとっ」
白龍は、そんな目で見つめられるのがムズ痒いのか、目を合わせてくれない。
しかし怒ったように、一言付け加えた。
「それに貴様は私に、神殿を見せたかったのではないのか?」
「うん……あたし白龍に見てもらいたくて」
「ならば、それで良いではないかっ」
楽市は一瞬、白龍をポカンと見つめてしまう。
白龍は相変わらずそっぽを向いているが、心なしか頬っぺたが赤い。
私を神殿に、連れてってくれるんでしょ?
だったら早く、連れて行きなさいよねっ!
楽市には先ほどの言葉が、そんな風に聞こえた。
楽市がそのまま見つめ続けていると、白龍の首筋や尖った耳まで赤くなっていく。
白龍は視線に耐えられなくなったのか、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「いつまで見ているっ、この極薄めっ!」
「ふふふ……白龍って、ゴツ可愛いよね」
その一瞬後に、楽市は衿首を掴まれて、暖簾のように揺れていた――




