208 ヤークト、自分の手をジッと見つめる。
薄霧の中を、角つきがしゃが降下していく。
ヤークトは霧に髪を揺らされながら、眼窩の傍に立ち、自分の手をジッと見つめ
ていた。その瞳には、不思議な熱がこもっている。
二日前のこと――
「「 白詰草っ! 」」
ヤークトは戦闘時の衝撃吸収のために、パーナと一緒に魔法を発動させて、頭蓋内へ蔦のクッションを敷き詰めた。
「あたしたちに、気兼ねせず戦って下さいっ」
「ラクーチ様、これで大丈夫ですっ、行けますっ!」
「ええっ!? 本当に大丈夫なのっ!?」
「「大丈夫ですっ!」」
しかしこれが、全然大丈夫じゃない――
全長、二十メートル越えの巨人楽市。
その一挙手一投足で頭蓋内にいる、ヤークトの意識が一瞬で吹き飛ぶ。
鬼の子を中心として、妖しの子供たちが操る巨人は、その巨体や重量を感じさせない苛烈な動きで、ドラゴンと対峙していく。
ドラゴンの攻撃をかわし、懐に入り、打撃を繰り出す。
その一つ一つの動きで、巨人の頭蓋へ爆発的な重力加速が襲いかかった。
衝撃を吸収する蔦の魔法により、体は保護されても脳がもたないのだ。
上下、左右、前後。
振り幅十メートル越えの、動きから生まれる衝撃は、脳内の微細な血管を容易く引きちぎっていった。
脳を保護する三層の薄い膜が、骨から剥がれてしまい、支えを失った脳が頭蓋内でバウンドしてしまう。
戦闘が開始されてから数秒後には、ヤークトの意識が途絶え、昏睡へおちいり脳死にいたっていた。
しかしその致命的な損傷を、楽市の特濃瘴気が片っ端から修復していく。
微細な血管が引きちぎれていく横で、ちぎれた血管が繋がっていく。
脳を保護する薄い膜が剝がれていく横で、新たな膜が張られて、脳を固定しようとする。
一瞬で途絶えた意識が、数秒後には再起動していく。
ヤークトは自分に何が起きているのか、全く理解していなかった。
当人の感覚で言えば、一瞬暗くなったかと思えばすぐ明るくなるだけで、痛みを覚える暇もない。
むしろ楽市の方が視覚情報を送りそこねて、途絶えているのだと勘違いしていた。
痛覚の無い死はかえって再生するごとに、新たな命を吹き込まれたような、晴れ晴れとした気分を与えヤークトを高揚させる。
「そこですっ! わー危ないっ! ああっ、やったあっ!!」
それに加えてヤークトは、首に繋がる管により、楽市の戦闘時に沸き立つ情動が全て流れ込んでくるのだ。
ヤークトの気持ちへ重なるように、楽市の五感と、そこへ付随する感情が入り込んでくる。
さらに楽市の記憶から再構築される過去のイメージが、がんがんリアルタイムの情動に混じってきた。
それは他者からすると、時系列を無視した不明瞭なイメージだ。
それがリアルタイムの情動に、シームレスで混じってくるので、もう訳が分からなくなる。
ヤークトは現在と過去が入り乱れる、情報の嵐に翻弄され続けた。
楽市から流れ込んでくる感情の、具体的な意味は良く分からなくても、ヤークトの感情が同期していく。
楽市が喜べば喜び。
悲しめば悲しみ。
怒り狂えば、怒り狂った。
物理的な死と再生を何度も繰り返しながら、自分と楽市が重なっていく。
戦闘中、楽市が度々こちらを心配して、声をかけてくれた。
(ねえ、雷とか、そっち大丈夫っ!?)
「大丈夫です、ラクーチ様っ、
あんな壁、ぶっ壊してやりましょうっ!」
楽市がにじり、感情を爆発させたとき、霧乃たちと同じように、悲しみと怒りで胸が締め付けられた。
山頂での六十四重の式は、情報量がケタ違いに跳ね上がり、頭が真っ白になった。
そして顕現した国つ神を見たときは、もう叫ぶしかない。
「なっ、なっ、なあああああーっ!?」
*
ヤークトはこの二日間で体験したことを、振り返りながらジッと手を見る。
この二日でヤークトは楽市のことを、さらに身近へ感じるようになっていた。
ヤークトはそこで首を傾げる。
それは当然、好意から来るものだが、何かもっと別な部分も感じるのだ。
何かこうまるで自分の中に、楽市の一部が入り込んだような……
ヤークトは先ほどから指先が妙に気になって、ジッと見つめている。
「何だろうこの感じ?」
上手く脳内で言語化できない。
ただ感じるままにその感覚を、右手の指先でもてあそんでいた。
すると体内の魔力が、指先だけサラサラとしてくる。
魔力に粘度などないのだが、ヤークトはそう感じとっていた。
未知の感覚を使い、指先に流れる魔力だけ、どんどんサラサラにしていく。
するとある閾値を越えたとき、ヤークトの手首から先が消失して、かわりに新緑色の炎が立ち現れた。
「ええっ!?」
ヤークトは、その突然の変化に目を見張る。
手首から先が炎へ変化したことに驚いたのだが、それと同時にこの炎が、未だ自分の手だと感じることに驚かされた。
揺らぐ新緑の炎。
そこにしっかりと、自分の指先が感じられるのだ。
「これって……もしかして、属性相転移っ!?」
ヤークトは自分から立ち昇る、新緑の炎をまじまじと見つめた――




