002
職員室を後にした誠と愛望は、創志に指示された通りに生徒達を教室に待機させるべく教室棟へと向かう。まずは生徒達の安否確認し行動を制限する、と言うのは確かに理に適った指示で、創志の判断能力の高さと冷静さには感服する。取り敢えず友人を頼って校舎を走った誠と比べるのも烏滸がましいレベルだ。例えるなら、困難にぶつかった瞬間にドラえもんを頼るのび太君だ。
のび太君を悪く言うつもりはないが、別行動をするのであるから汚名返上を目指し、頼まれ事をしっかりとこなさなければならないだろう。なんともレベルの低い決意だが。
と、一人気合を入れていると、渡り廊下を此方へと歩いて来る三人組を見つける。どうやらこの異常事態に教師を頼ろうと言う判断なのだろう。青色の名札という事は二年生だ。障害物の無い渡り廊下である。当然のように向こうも誠達に気が付く。
「君達」
と、最初にコンタクトを取ったのは誠の隣を歩く愛望。凛とした硬質な声が中庭に響く。
「あ。伊吹先輩」「大変です! 学校の周りに森が!」「何が起きているんですか」
誠にとっては小うるさい同級生でしかない愛望ではあるが、下級生には慕われているようで、誠を警戒しながら走り寄って来た三人組は口々に異常事態を知らせる。
愛望はそれに一個ずつゆっくりと頷きながら「わかってる」「大丈夫よ」と嘘を重ねて行く。そうこうしている内に、職員室を目指す生徒が増えて行き、ちょっとした人だかりが渡り廊下に出来上がる。
それは増えるばかりで減る様子はなく、短い髪の毛をかき混ぜながら誠は大きなため息を吐いた。明らかに不機嫌そうなそのしぐさに、一気に場の空気が凍りつく。例え下級生であっても誠が『殺人者』だと言う噂を知らない人間はいないようで、例え素手であろうとも、人数で勝っていようとも、『人を殺した』と言う存在への忌避感は揺らがないようだ。
「おい。伊吹。サイン会でもするつもりか?」
すっかりと慣れてしまった周囲の対応を無視して、誠は愛望に訊ねる。彼女は少しだけ慌てたように「わかってる!」と答え、咳払いをした後に後輩達を見渡して言った。
「悪いけど、教室に戻ってくれる? 先生から点呼を取るように言われているの」
その台詞に、誠は感心したように目を見開いた。創志の名前ではなく、教師からの命令だと言い張るのは美味い手だろう。兎に角、創志の名前はタブー視されている。関わりたくない人間、堂々のナンバーワンであるのだ。
同時に、教師がいないと言う最大の不安点も取り敢えず先送りにしているのも大きい。この状況が何事なのかは不明だが、大人と言う頼れる存在がいないことに対する不安は無視できない。それを一時的とはいえ誤魔化し、尚且つ後から『創志からそう言うように命令された』と責任を擦り付けることまでできるのだから最高だろう。
「先生方は会議室で話し合いしているみたいだから、ね」
そんな愛望の説得と話術の甲斐もあって、男子生徒達は不承不承と言った風ではあるが話を聞き入れてくれた。知らぬ所でヘイトを集めていることを知って、あの友人は何を思うだろうか? まあ、特に気にはしないだろうが。
去って行く下級生の背中を見送りながら、誠は自分が一切なんの役にも立っていない事実に気が付く。まあ、そう言うこともある。深く考えることを誠は辞めた。自分の持ち味を生かすような事態と言うのは、あまり想像したいものではない。
もっとも、それも時間の問題だと言うのが誠の今の所の見解だが。
「北沢君。私達も生きましょう」
「その前に、下駄箱寄って良いか?」
「通り道だから構わないけど、何? ラ、ラブレターのチェックでもするの?」
「残念ながら、靴がデカ過ぎて他の物が入る余地がないんだ」
馬鹿なやり取りをしながら下駄箱へと向かうと、誠の言葉通り彼の下駄箱は靴でパンパンだった。と言うか、踵の分が大きくはみ出している。学校指定ではない、底の厚い運動用の白いシューズ。これは校則違反と言うか、誠サイズの靴を学校側が用意できなかったことで起きた悲しい事故である。巨体から想像するよりも、更に誠の足は大きく、更に横に広い。日本国内では彼の足に合った靴は見つからず、わざわざ合衆国にまで足を延ばして見繕い、購入した物である。
「私の靴が入るんじゃあないか?」
とは愛望の感想だ。小人が暮らすことも出来るかもしれない。
そんなサイズの靴を無造作に三和土に投げ落とすと、誠は上履き代わりのサンダル(こちらは妥協した。かなり窮屈な物だ)からそれに履き替えた。
「よし。行くか」
そしてそのまま廊下へと戻り、階上を目指す。
「ちょっと! 何土足で上がろうとしてるわけ!」
が、当然の如く愛望がその背中に突っ込みを入れる。当然だが校内は土足厳禁。靴を履くなど言語道断であり、極めて常識的な物良いだろう。
「これから何が起こるかわからんからな。お前も下靴に変えた方が多分良いぞ」
が、誠の言い分も正論であった。歩くなら、靴を履いた方が良い。人間というのは軟弱な物で、小石の一つでも踏めば歩みを止めてしまう。長年剣道を学んで来た、足の皮の厚い誠ですら、動きが一瞬鈍ってしまうのは避けられない。
「何が起きるかわからないって、何を想定しているわけ?」
「現実的な所では、ガラスが割れるとかか? 興奮した生徒達が喧嘩を始めるとかもあるな。サンダルじゃあ、何かあった時に動きづらい。緊急事態だ、許せ」
誠の台詞は愛望にとって盲点だったらしく、彼女は不承不承といった様子を隠さずに誠の靴を許した。まあ、許されなくとも誠は靴を履いて動く気でいたのだが。
そして結局、三十分程をかけて生徒達を教室に押し込む間に、誠のその配慮が役に立つことはなかった。愛望は混乱していると言ったが、誠の姿を見ると気の弱い生徒は逃げる様に教室へと返って行き、残った物見高い生徒達も割と素直に教室に戻ってくれた。
先の見えないこの状況で『誰かの指示』と言う明確な目標はそれなりに効果があるものだったようだ。
各学級委員長に点呼を取らせた所、三十人程度の人間が行方不明となり、十二名の生徒が体調の不良を訴えていた。特に重症そうな者はおらず、申し訳ないが教室でゆっくりとして貰うように頼んだ。当然の様に保健室を使えないかと尋ねられたが、既に一杯の人で埋まっていると言うそれらしい理由で却下をしておく。
確認はしていないが、保険医も恐らくは姿を消しているだろう。
そしてそれから更に十分後。生徒会議室へと数人の生徒が集められていた。
創志が集めるように言った委員長達の中でも、『創志が集合をかけている』と言って出席してくれたつわもの達が四名と、男子部長達が五人。一学年三〇〇人程度がいるとは言え、誠も流石に顔と名前くらいは一致する。
会議室に用意された楕円状の円卓手前から時計回りに、
『風紀委員超』伊吹愛望。ちょくちょく突っかかって来る。ツンデレと思って耐えよう。
『文化委員長』馬場双葉。控えめな性格だが胸がでかい。悲しいかな、怯えられている。
『保険委員長』島原楓。おっとりとした子。泣き黒子が色っぽい。包帯を巻いて欲しい。
『図書委員長』横山哉太。インテリ眼鏡。
『体育委員長』最上深夜。名前とは裏腹にテンション高い奴。
『野球部部長』二階堂宣。『のぼる』だから野球部なのか?
『サッカー部部長』宮尾進。二年の時に他校の女子に刺されかけたイケメン。
『陸上部部長』高坂長谷雄。個人主義の寡黙な男。
『剣道部部長』佐竹裕次郎。神経質な奴。
『水泳部部長』木下未来。日焼け野郎。
と、なっている。もっとも、スポーツ特待生として教室が三年間一緒のクラスである長谷雄、裕次郎、未来以外の三人についてすら、得意な教科も好きなサックス演奏者も誠は知らない。よって、一言情報は全て誠の独断と偏見である。
円卓に座るべきなのか、それともホワイトボードの横にでも立っているべきなのか、判断のつかない誠は取り敢えず、各クラスの委員長が纏めてくれた現在の出席表をホワイトボードに書き込んで行く。誠の字は、意外と綺麗だ。
簡単に私立豊夕大学付属鹿子木高校のクラス割を説明しておこう。
まず、『A組』。創志が所属する『特別進学科』である。生徒数は男女合わせて二〇人程度。他のクラスの半分であり、少数精鋭だと言えるだろう。
次に『国際進学科』の『B組』。愛望所属のクラスであり、ここも男女二〇人程度となっている。これは教師や、定期的な合衆国の姉妹校との交流も関係しているようだ。
『C・D組』はスポーツ特待生達が所属するクラスで、一クラス四〇人。C組は野球部とサッカー部のみで構成され、女子生徒はいない。D組はその他の部活動の生徒、主に個人競技の選手が集まっていて、特待生がいるのならば、部長はここから選ばれるのが普通だ。誠も剣道の選手として表向きは所属している。
残りのクラスは『普通科』として統一されている。二年時には文系理系で別れるが、特別に名前が付けられることはない。こちらも四〇名クラスだ。
最後の『J組』は『特別学習科』と、名前だけは特進に似ているが、実際は成績や素行不良者への救済処置である。地元のどうしようもない連中を集めて、何とか再教育をしようと言う科で、四〇名の枠が取られている。が、三年にもなると半分は自主的に退学をしている。
以上、AからJの一〇クラスが三年生まで存在し、合計で九〇一人が在校生となっている。ただし、現在は八八二名――つまりは十九名が行方不明。全員が男子だ。それも、J組の連中が大半で、残りはスポーツ特待生。行動力のある人間ばかりとなっている。
対照的に、集まった一〇人のメンバーは落ち着いている。誠を無視して円卓で話しあう姿には貫禄の様な物がある。このまま、自分も教室に帰ってしまおうかと誠が真剣に悩み始めた頃、
「おまたせ」
通学用の鞄を持った創志が会議室に現れた。
瞬間。委員長と部長達の会話は途切れ、冷たい静謐とした緊張感が会議室を支配する。双葉などは震えを止めるように自分の肩を抱いている。誠は双葉の不釣り合いに大きな胸が潰れる様を横眼でしっかりと見た後に「遅いぞ」と静寂を壊した。
「ごめんよ。誠ちゃん。順調に人を集めてくれたみたいだね」
創志は会議室の扉を静かに閉めると、そこが自分の定位置だと言わんばかりに、円卓とホワイトボードの間に置かれた教卓に鞄を置き、その前に立つ。良く見ると土足だ。誠は少し嬉しくなる。
そして創志は全員の注目を集めるようなことをせず、何時も通りの声で言った。
「さて。最初に質問からで悪いんだけど、この状況に心当たりがある人はいるかな? 『女神転生IFで見た』とか『ライトノベルのテンプレだ』みたいな話は止めてね。皆が納得できる説明が出来るんなら、教えて欲しい。そして、ドラマの再放送を見たいから僕だけでも返して欲しいんだけど」
返事は沈黙だった。実際に知らないのだろうし、創志と言う人間との距離感を掴みかねてもいるようであった。仕方なしに誠が会話の相方を勤める。
「誰も、わからないようだ。期待していた答えと違って残念だけどな」
「うん。僕もそう思うよ、誠ちゃん。この状況を意味することを誰も知らない。ロビンソン漂流記だったっけ? 『自分の置かれた状況の本当の状態を、その逆の状態によって示されるまで決して見ない』。多分きっと、僕達がこの状況を理解するには、次のアクションが起きてからだろうよ。困ったことにね」
「……何が言いたいんだ《人払い》」
苛々とした様子で言ったのは、剣道部部長の佐竹裕次郎。普段は真っ先に発言するような人間ではなく、意外そうに全員が彼を見た。元々神経質な彼はこの異常事態に参ってしまっているようで、その焦りの表れだろうか。
「例えば、外に出ていった人間が戻らなかったとするよね。そこで僕達は初めて知るんだ。『外は危険』『中は安全』ってね。或いは、空から神様が降りて来て、『君達を勇者として召喚したんだ』と言われて、ようやく『召喚されたんだ』『戦わされるんだ』とか考える」
「神様だと? 頭沸いてんのか? 《人払い》さんよ!」
と、野次を飛ばすのは野球部部長の二階堂宣。丸刈りで眉の細い彼は、ひょっとするとJ組の連中よりも不良学生に見えなくもない。
「例えだよ、宣ちゃん。神様なんて勿論とっくの昔に死んでいる。だから、僕達は行動を自分から起こさないと駄目だ」
「まあ、それは賛成だ。『自ら飛び込む方が良い。手をこまねき待つよりも』」
「シェイクスピアだね。引用に面白みがないなぁ」
「ほっとけ。で? 具体的に何をするんだ? 回りの森に入って行くつもりか? それとも、狼煙でも上げてみるか? 単刀直入に教えてくれ」
会議らしき話し合いが始まって三分も経たない内に、すでに剣呑な空気になりはじめたのを感じ、誠が話しの起動を修正する。
「そうだね。それは明日にでもやるつもりだよ。でも、最初に一つ決めておくことがあるだろう? リーダーだ」
誠の頼み通り、創志が短くこの会議の最初の議題を打ち明けた。
「多分だけど、この静けさは、嵐の前のそれだよ。取り敢えず不安から生徒達は従ってくれているけど、直ぐにそれは破られる。皆、馬鹿じゃあない。想像力がある。恐怖がある。希望がある。『何時までこのままなんだろう?』『元の場所に帰れるんだろうか?』『お腹が空いて来たな』『テレビが見たい』『携帯の充電が切れた』『シャワーを浴びたい』『隣の奴が鬱陶しい』『死ぬ前にセックスしたい』それらをどうにかしようと、皆が勝手に動き出す。次に何が起こると思う? パニックだよ。不安が伝播し、思考を縛り、原始的な暴力が横行し始めるだろうね。体力に優れたスポーツ特待組が、支配者になるかもしれない。喧嘩慣れしたJ組の絶対王政が始まるかもしれない。誠ちゃんが気に喰わない人間を切り捨てるかもしれない。一欠片の玉ねぎの為に殺し合いが起きるかもしれない。強者に身体を売って安全を買う女子生徒とかも出るかもね。もしかしたら、病気が流行して一瞬で全滅もあり得る。それを防止する為にも、九〇〇人の手綱を握らないといけない」
用意していたように、創志は最悪のシナリオを羅列する。さりげなく辻斬り扱いされたことに誠は腹を立てるが、他のメンバーはそれらの現実感のない言葉に首を傾げる。そんな世紀末の様な状況が、見知った友人のいる、通い慣れた学校で起こると言うのは想像し難いモノらしい。
しかし創志にとってそのリアクションは想定済みであったようで、やれやれと肩を竦めると、「誠ちゃん。例の物を」と指を鳴らした。
「例の物って何だよ、聴いてないぞ」
まさか、先日貸す約束をしていた元ナースだと言うアイドルの写真集ではないことはわかるが。そう言えば、今日の放課後に渡す予定だった。
「鞄の一番上にあるから、出して見せて上げて」
良く意味がわからないまま、誠は教卓の上のバッグを開ける。
「――っ!」
瞬間、誠は思わず我が目を疑った。アイドルの眩しい水着姿も脳裏からぶっ飛ぶ。が、それは紛れもない現実であり、避けようのない現実であり、疑いようのない現実であった。
舌打ちをして、渋々と言った様子で誠は、コンビニのビニール袋に入ったそれを袋毎取り出す。委員長と部長達は怪訝そうな顔でそれを最初は見るが、誠が中身を取り出して鞄の大部分を占めていたそれの正体が明らかになると、会議室が悲鳴に包まれた。
誠が取り出したのは、彼の掌に収まる程度の大きさをした楕円の球体。黒い髪を生やし、一対の瞳と耳、一つの鼻と口が付いたそれは、毎日鏡の前で見る物にそっくりだ。
異なる点があるとすれば二つ。
「おい。何処で拾ったんだ、こんな物」誠は固唾を飲んで訊ねる。
自分の物ではないこと。
首から下がないこと。
「外でね。取り敢えず、一つだけ持って来た」創志にしては珍しく表情硬く応える。
そう。
それは人の生首だった。
「おのおのがた。状況は理解できたかい? そう。僕達はまだ、生きている。まだ、ね」




