4 嫁ぎ先
トリムルト王国とアショーカ王国は隣同士とは言え、王都はそれなりに離れております。本来なら警護のための騎士団が両国でもって形成され、私を送ってくださるはずなのですけれど、危機感がないのか魔王軍の対応のためか、私の警護は五人の騎士と十人の冒険者でした。
私の従者はもう定年を迎えたおじいさんなので、故郷に置いて置きましたわ。きっとまだ私の不在に気づいていませんわよ。何回か説明しましたけれど、なんか最近耳が遠くなったのか、全然違う答えを返してましたもの。あの塔を守るぐらいはできると思いますけれど。
幼少期の思い出の詰まった私の大事な場所ですもの。守る物はまだたくさんありましてよ。
騎士と世話係も、私を引き渡したらさっさと自国に戻って行きました。
残ったのは、同い年のメイド、カリアだけです。
カリアは無表情で何を考えているかわかりませんけれど、可愛い顔と抜群のスタイルで騎士と冒険者に大人気でしたし、鼻が高いですわ。
カリアの誇るべきところは、その容姿だけではありません。夜這いに現れた不届き者を血まみれにするナイスな腕の持ち主ですの。剣も暗器も毒物も掃除も料理も情報収集も円滑に迅速に行うことのできる、完璧メイドなのですわ。
あんまり話しませんけど、これでも十の頃からのお付き合いですのよ。
王国につきましたら、カリアと一緒に古めかしくて埃っぽい部屋に通されました。あちらにピカピカの白い建物が見えます。王城から少し離れたこの宮殿、もしかしなくても、どなたかのお下がりかしら。
私しばらく待っていたのですけれど、この空気に耐え切れず、「この国の衛生状態は、私の国の馬小屋よりひどいのですわね」と苦言を呈してしまいました。
控えていた細い目の召使が、目をむいて慌ててどこかに行ってしまいました。
それを見送って、カリアが魔法と道具を駆使してお掃除します。優秀ですわ。無駄遣いとアルヴィー様が眉を寄せるほど、カリアの魔法は優秀なのです。
私の「旦那様」にお会いしたのは、その翌日のことでした。
謁見の間で、アショーク王国の国王は、この婚姻を形ばかりであると明言してくださいました。大国であるアショーク王国は、当然のごとく魔王軍と対抗する連合軍の主力です。大きく財政をそちらにとられていますから、仮初の婚姻の儀も宣言のみ、とのこと。私安心いたしましたわ。
「魔王が打たれ、勇者帰還の折には、正式に婚姻の儀をとりおこなう。今はまだ耐えてくれ」
そうたった今義父となった王に言われましたが、勇者が凱旋する時には、私この国を去っていると思いますから、いらぬお世話というところ。
自国でつくった純白の衣装で、にこりと微笑むと、王は深く頷いてくださいましたわ。横の王妃様も、唇に柔らかい笑みを浮かべてらっしゃいました。隣の王子に顔を向け、形ばかりの王冠の授与。この国の王子の妻となったのです。
義父たる王の、温和で物分りのよい君主であること。さすが大国の、といったところ。私のお父様にも見せてやりたいですわ。
それに比べて、この、王子。
私が足早にこの場をあとにしたのを、蛇のように音もなく近寄ってきましたの。声を出されて初めて気づきました。
まあ、大国の王子ともあろう者が、希薄な存在感ですこと。
「お前とは、形ばかりの婚姻を薦められた。この意味がわかるか」
そう、私の「旦那様」はおっしゃいましたわ。
こっちのセリフです。
人質だからですわ!
誰が悲しくて妹を愛している人に、貞操を捧げますの。どこのロマンス小説ですの。ちなみにここに一発逆転の機会なんてありませんのよ。マイナスからのスタートは、マイナスで終わりますのよ。
この、妹に心奪われて喜びの舞を踊っちゃうような王子に、なぜ私との婚姻が許されたのか、本当に我が国の王たるお父様の目を疑いますわ。年は八ほど離れてますけれど、ほややんな弟君に代えてくださらないかしら。
せめても、あちらでしたら万一の事態があっても安全ですもの。でも万一があるとしたらこちらの手合のほうが扱いやすいのかもしれませんわ。
ああ、きっとアルヴィー様の采配ね、それなら仕方ないわ。
王子は深い灰色の髪に、濃紺の瞳をお持ちです。肌は滑らかできめ細かく、鋭くなりがちな印象を柔和な笑みとアンシンメトリーな髪型、白と水色を基調とした衣装で見事に緩和していますわ。キラキラして、王としての教育を受けているので所作も美しいのですが、残念ながら、生まれ持った傲慢さというものが、端々ににじみ出てしまっています。
第一、私の前では笑いませんし。
「私、未来の旦那様に会うためにと、流行のドレスを新調いたしましたわ。これが、重くて動けませんの。オーダーメイドで金糸のレースと刺繍をほどこしておりますのよ。」
そう言って袖を広げますけれど、王子は顔をしかめたままですの。無言ですわ。自分さえいれば相手が必死に間を繋いでくれる、自己中心的な人間にありがちな態度ですわね。
ですから私も、間をつなぐために仕方なく旅の様子をお伝えします。
「ただでさえ魔物の影に怯える旅でしたのに、婚礼衣装も携えて、大変でしたわ。
大国のアショークの迎車はそれはもう丁寧ですけれど、いささか機敏さに欠けるようですわね。途中何度も盗賊に襲われましたの」
嘆息混じりに、手に持った扇で嘲笑を隠します。
私が大人の対応をしておりますのに、王子は青筋を立ててこちらを睨みつけます。
未来の王たるそのお姿、私危機感を覚えます。
涼やかな視線で返すと、急に王子はにやり、と笑いましたの。
「それはそれは。この度の責任者に、褒美をとらせねばならないな。
主を憂いてそのような機転をきかせるとは」
むか。
なんですのなんですの。嫌味ですのね。
む、としましたが私も、端くれとは言え王女であるべき嗜みを持っております、
扇を閉じてにこりと笑いました。
「『許します』、と私の可愛いフェアリーテでしたら言うでしょうね。私も同じ気持ですわ。私達は姉妹ですもの」
姉妹、の言葉にニヤと歪んだ唇の奥から、ギリと歯を噛みしめる音が聞こえました。ふふふ。おバカさんですわ。
私は天井を仰ぎ見、大仰に嘆きます。
「ああフェアリーテ、今何をしているのでしょうね。
あの子は優しい子ですもの。自分のせいで私がこんな現状であることを、一番に嘆いてくれていますわ」
そう言うと、王子はぐうの音も言えなかったようです。私が代わりに行ってさしあげてよ?
「ぐう」
「っ」
「では、私そろそろ自室に帰らせていただきます。住めば都といいますもの。ちょうど王城の喧騒と離れて過ごしやすそうな我が家ですわ。
どうやら他の妃たちは、別の建物で暮らしているようですわね。あの塔すべて、私が頂いてもよろしくて?」
「……勝手にするが良い。この城の料理人も、従者も、誰一人としてお前のもとには赴かない。
衛兵くらいはしてやる。それが温情と思え」
「あらよかったわ。私のメイドは優秀ですから、そうしてくださると故郷と同じように生活できますわね。
ご配慮感謝いたします」
私大人ですから、いけ好かない相手であろうとも感謝の言葉は伝えられますの。
礼をして道を急ぐと、後ろから何かを蹴り上げるような音がいたしました。騎士の何人かが、「クロヴィエ王子……!」「しっかりしてください」などと言いながら駆け寄る気配もしましたが、私は何も見ておりませんの。残念ですわ。