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慈悲深く残酷な神々の箱庭 序奏  作者: M
第1部 第1章 仏国の少年Eにまつわる挿話(姉ユディット視点)
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最終話 死者の願い 生者の祈り

 暗闇のなか、私が手にしている洋燈(ランプ)の明かりが、立ち並ぶ石像たちを照らし出している。

 甲冑をまとったもの、剣をたずさえたものなど勇ましい立ち姿のものもあれば、座して膝の上に本を広げているもの、楽器を手にしているものなど、その形状はさまざまだ。


 ここは屋敷の裏手にある先祖代々の墓地。故人をかたどった石像が、墓標として建てられている。

 先祖たちが棺に納められ葬られているこの場所を、不思議と怖いとは感じない。石像のどれもが、芸術品のように見事なせいだろう。実際、美術館の彫像でも眺めている気分になる。


 石像群をすり抜け、私は兄の生母アリエノール様の墓所へと辿り着く。

 彼女の像は足を崩した座位姿勢で、そばに(はべ)る愛犬に手を差し伸べた姿をとっている。愛犬を見つめるその表情は穏やかで、生前のアリエノール様の温和な人柄が(しの)ばれるようだ。


 アリエノール様は、私の母が仕えていた主人(あるじ)だった。自身の懐妊中に夫と通じた侍女を、彼女は責めることなく、生まれた私を実子の兄と等しく可愛がってくれた。私を嫌悪する兄をたしなめることさえあったほどだ。

 幼くして生母を(うしな)った弟も、アリエノール様にはよくなついていた。私にとって母といえばアリエノール様が真っ先に思い浮かぶけれど、弟も同じように彼女を慕っていたに違いない。


 そんなアリエノール様が、父をかばって凶弾に(たお)れたのは、もう七年ほど前のことになる。


「お母様」


 差し伸べられている手に、そっと触れる。

 屋敷にいたころ、弟はよくここを訪れて、像を花でいっぱいにしていたらしい。私は兄の手前、ここに来ることはあまりなかった。


 洋燈を地面に置いて(かが)み込み、像の台座のそばを少しばかり掘り起こし、そこへ兄の遺髪を(うず)める。

 本来ならば、アリエノール様の隣の区画に埋葬されるはずだった兄の亡骸は、遠い異国の地に葬られた。弟の配慮で、髪の一部だけでも母親のそばに帰れたことを、兄は喜んでいるだろうか。


 地面に置いておいた洋燈を拾い上げ、私は別の墓所へと足を向ける。


 アリエノール様の像から少し離れたところに、ドーム状に組まれたアーチがある。全体をつる薔薇に覆われ、四季を問わずに色とりどりの薔薇が咲きこぼれるその中央に、何の変哲もない四角い墓石が据えられている。弟の生母エレイン様の墓所だ。


 エレイン様の姿をかたどった石像を、父はつくらせなかった。代わりに、この飾り気のない石碑が置かれている。

 洋燈の明かりに浮かび上がるその墓標を見つめながら、私は夕刻に父と対面した時のことを思い返していた。




 パリに帰り着いてすぐに、私は父に面会を求めた。弟を連れ帰れなかったことを報告し、謝罪するためだった。

 父がよこしたあの男が役に立たなかったことを差し引いても、(とが)められるだろうと覚悟はしていた。けれど父にとっては、すべて想定内のことだったようだ。


「しかしおまえの説得にも応じなかったか。おまえはもうすこしあれを篭絡(ろうらく)できているものと思っていたが。どうやら買いかぶりだったようだ」


 父の言いように、ずきりと胸が痛む。私自身、自惚(うぬぼ)れていた。あの子を縛り付ける兄さえいなくなれば、あの子は私のものになると、そう思っていたのだから。


「それで。あれは、人捜しのためにここには戻らないと?」


 私がうなずきを返すと、父は形の良い顎に手をやり、せめて名でもわかればな、とつぶやく。

 同姓同名の人物はいるにしても、名前だけでもわかれば対象はだいぶ絞り込めるはずだ。相手が父よりも上位の階級であれば、居所まで調べるのは難しいかもしれないけれど、それでも顔と声だけを頼りに世界中を捜すよりよほど早いに違いない。


「呼べば来るというのであれば、まあ良い。好きにさせよう」


 そう言って父は、手ぶりで私に退室を促してくる。会釈をし、父に背を向けかけたとき、ちいさく漏れたそれが聞こえた。

 間に合えばよいが、という父の言葉が。


 父は知っているのだ。弟に残された時間がもうあまりないことを。そして、兄の日記に書かれていたことは、事実なのだと確信する。


「お父様、あの子は」


 立ち止まり、父を振り返る。聞いてはいけない気がした。聞きたくない気もする。けれど。


「あの子は、死ぬのですか」


 言葉を継いでしまった。父の目が(すが)められる。私は息をのんで、返答を待った。父が口を開く。


「そうだな。準成人まで、もてば良いが」


 あっさりと肯定する父の言葉に、血の気が引いた。


「知っていたのか」


 父の問いかけに、かぶりを振る。

 知っていたわけではなかった。知ってしまったのだ。弟本人も、父も、私には教えてくれなかった。きっとこの先も、ふたりから知らされることはなかったのだろうと思うと、涙がこぼれる。


 ふたりの近侍を(ともな)って去っていく、弟の後ろ姿が目に浮かぶ。背中で揺れる長い髪。半分以上が(あか)く染まった、あの髪。


「わたくし、あの子の紅い髪を」


 弟の髪が紅くなったのは、二年前の夏、D.C.の別邸で暗殺未遂があったあとのことだった。

 もとが見事な金髪だから、それを染めてしまうのがもったいなく思えて、弟になぜ染めるのかと何度か聞いたことがあった。そのたびに弟には、笑ってはぐらかされた。

 そんな弟の様子に、もしや私の問いかけは批判めいて聞こえるのかと、不安になった。弟が好きで染めているなら、それを肯定してあげなくてはと思った。だから、言ったのだ。『でも、綺麗な色ね』と。


「わたくし、なんてことを」


 私の言葉に、弟はほんのすこしだけ目をみはって、けれどすぐにいつもの笑顔を向けて、ありがとうと言ってくれた。


「あの紅い髪は、呪いを受けた(あかし)だったのに」


 こらえきれずに、顔を覆う。


 兄の日記を読んだときは、信じられなかった。心を病んだ兄の妄想が混ざり込んでいるのではとさえ、思ったほどだ。けれど現実に弟の髪は()()()から紅くなり、それは少しずつ、広がっている。


 二年前、兄が弟の暗殺を目論(もくろ)んで、決行されたあの日。

 弟が刺客の手にかかればそれでよし、万が一、あの子が()()()()()()生き延びたとき、それは執行されるよう、仕組まれていたのだ。


 兄は願ったのだ。弟が人を殺めるようなことがあれば、その行為によって、弟の命が削られていくようにと。

 弟が人を手にかけるたび、美しかった金髪は紅く変化していく。殺した相手の鮮血で染め上げられるがごとく。そしてあの髪が最後の一本まで紅く変わったその時に、弟の命も尽きる。そういう呪いだったのだ。


「お願いですお父様。あの子にもうこれ以上、人を殺めさせないでください」


 この二年で、今や弟の髪は半分以上が紅く変化している。それはそのまま、すでにあの子の寿命の半分以上が失われたことを意味している。

 このままでは確かに、上層階級基準の準成人、つまり十六歳まで、弟は生きられないだろう。

 それでもこの先、誰ひとり手にかけずに呪いの進行を食い止めることができたなら、弟は残された寿命を生きることができるはずだ。


 けれど父は、首を横に振る。


「あれは、おまえと同じように使っていくつもりだった。それをあの()れ者が、顔と体に消えない傷をつけて台無しにした。ならばあれの使い道はひとつしかなかろう」


 兄はわざと、弟の体に痕に残る傷をつけていたのだ。これ以上父に利用させないために。けれども父は、弟のもうひとつの資質に気づいてしまった。


 父は人を殺すことに、躊躇も葛藤も、ましてや高揚も(いだ)かない。そして外見はまったく父に似ていないあの弟は、父のその性質を、そっくりそのまま受け継いていたのだ。


「二年前、あれ自身が選んだことだ。この先わたしの役に立つ働きをするのか、しないのか。あれは前者を選んだ」


 父は自分の役に立たない人間をそばには置かない。利用できない人間の価値を認めない。もしも弟が後者を選んでいたなら、父はその場で弟を手にかけていただろう。


 二年前、まだ弟は十二歳だった。そんな子どもに父は、数年を生きながらえるか、今すぐ死ぬかを選ばせたのだ。


「ならばあれには死ぬ瞬間まで役に立ってもらう。これまで通り、一人でも多くの敵対者を(ほふ)らせる」


 役に立たなければ生きている価値もない。父のもとで生きるというのは、そういうことなのだから。

 そして兄は、その父から弟を守るために、呪いをかけたのだ。死という救済をもたらすために。




 風が吹いた。こぼれ落ちた薔薇の花びらが数枚、石碑に降りかかる。

 エレイン様もかつて、父から逃れるために死を選んだ人だった。自らをというよりは、胎内に宿った娘を守るために。


 彼女はどうしてか知ってしまったのだ。父と私の関係を。そしていつか成長した自分の娘が、私のように父によって手折(たお)られ利用されることを恐れて、共に逝くことを選んだのだ。

 そうする以外に、彼女が娘を守る(すべ)はなかったから。


 弟を道連れにしなかったのは、兄と私を信じたからだろう。

 まだ彼女が生きていたころ、庭の四阿(ガゼボ)で、アリエノール様がみなを招いて茶会を開いたことがあった。その場にはエレイン様と弟と、兄もいた。五人が揃ったのは、あの時が最初で最後だった。


 そこでエレイン様は言ったのだ。兄と私に。乳母に抱かれている弟の、小さなその手に触れながら「この子を守ってくださいますか?」と。

 唐突な問いかけだった。けれども兄は「もちろんです」と即答した。「必ずぼくがこの子を守ります」と、そう言って、乳母から受け取った弟をその腕にしっかりと抱いた。

 まだ小さな弟に頬をすり合わせて、愛しげにしている兄を、エレイン様が優しく微笑んで見つめていたのを思い出す。


 エレイン様が自死したのは、その数日後のことだった。


 私もあの時、兄と同じようにエレイン様に約束したはずだった。弟を守ると。けれど私は、その誓いを破ったのだ。父とともに、まだ十歳になったばかりの無垢だった弟を(けが)したのだから。


 兄はあの時の約束を、忘れてはいなかったのだ。自らの命が死に瀕した状態で、兄は兄なりに、あの子を守り続けていたのだ。死んだ今でさえ。

 この家から、父から、私から、弟を守り通してみせると、そう願ったのだ。それが当の弟本人を死なせる結果になろうとも。


 あの茶会にいた人はみな、いなくなってしまった。弟も遠からず、母たちと兄のもとへ逝くのだろう。そしていずれは私もまた、その列に加わるのだ。父のために。


 父は昔、大切ななにかを失ったらしい。そしてそれをふたたび取り戻すために、世界に通用する地位を得ようと、一代でここまでのし上がってきた。

 今や仏国(フランス)では上位に位置する父でさえ、手に入れられないものがなんなのか、私も弟も知らされてはいない。この先もきっと、それを知ることはないまま、私たちは父に利用され、使い捨てられていくのだ。


 ふと、弟が捜しに行ったものは、本当に「ひと」なのだろうか、という思いがよぎった。顔と声しか知らない誰かを、この世界で捜し回るなんて途方もない話だ。

 あるいは、弟がさがしているのは自らの死に場所なのではないかと、そんなことを思う。


 いずれにせよ、弟に残された時間が、もうあまりないのは事実なのだ。ならばせめて、弟が得たいものが、生きているあいだに見つかることを祈ろう。心から。


 私があの子のためにしてあげられることは、もう他になにもないのだから。

ユディット視点はここで一区切りとなります。ここまでお読みいただきありがとうございました。


この後、視点を別の人物にかえていくつかのエピソードを書いていきます。

ユディットには見えていなかったもの、あえて語られなかった部分などが、別の人物視点で明かされ、補完される場合があります。

ややこしい構成ですみません。今後もお読みいただけますと幸いです。

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