(下) 私は第三王子の従者 ~キルク視点~
聖獣のミカ様は、両手を組み合わせて祈るような姿をしていたかと思うと、一瞬でぽんと姿が変わり、小さなガラス瓶に入ったピンク色の錠剤の姿に変わった。
聞かされていたこととはいえ、驚かされる。
私が、脱ぎ捨てられたように床に落ちているミカ様の衣服の間の、落ちている錠剤の瓶を取り上げると、第三王子のフェルト様はすぐに手を差し出した。
「こちらへ」
すぐにその手に、ミカ様を……ピンクの錠剤の入った瓶を手渡す。
フェルト様はその瓶を大切そうに胸に抱きしめていた。
「大神官は、この姿に化身している時のミカには、僕の声は聞こえないって話していた」
「そうですか」
だから、日頃隠しているような、そんな昏い目をしてミカ様のガラス瓶を抱きしめているんですね。
「このまま飲まないでいたら、ミカはどうなるのかな。それもいいと思わない? 僕のことを想い、祈りながら、化身したこの姿のままのミカを抱いて生きていくのも素敵だよね」
うっとりと、その碧い瞳でガラス瓶を見つめている。
第三王子フェルト様が、その身体だけではなく、心まで病んでいることを知っているのは、王宮内でも数名だった。
彼は病んでいた。そうヤンデレだった。
もちろん、対象は愛しい聖獣のミカ様に対してだ。
対するミカ様は、そんなヤンデレな殿下の心の内など全く知らない。殿下はそれを見事に隠し通している。
だけど、ミカ様のいない場所では、彼は頻繁にミカ様へのどこか歪んだ愛情を口にしていた。
長い間病床にいたせいで、彼は心が歪んでしまったのだろうか。
優しく健やかに育ったミカ様を眩しそうに見つめ、そして枯れ枝のように細い自分の腕を暗く見遣る彼の姿を見ていると、時に胸が痛くなった。
「殿下……」
私がそう言うと、第三王子フェルトは微笑んだ。
「わかっているよ。僕は、ミカが好きだ。愛している。彼女を抱きしめたい。この冷たいガラス瓶は彼女の仮の姿だものね。抱きしめることができない。温かくて柔らかな彼女を抱きしめたいもの」
フェルト様は、ガラス瓶の蓋を開けた。
そしてピンクの錠剤を掌に出すと、しばらくそれをじっと見つめ後に、口に含んだ。
「……ちょっと甘いな」
口の中でミカ様の錠剤を転がしているようだ。
ミカ様は、殿下の口の中で転がされていることを知ったら、きっと彼女は絶叫するだろうと思った。
普通に飲み込めと!!
実際、私もそう思った。
ずいと、水の入ったグラスを差し出すと、彼は微笑んで、それを手で押しとどめた。
「薬は、飲まないで口の中で溶かすよ。飲み込むのはなんだかもったいないから」
ヒーーーーーーーーーーーーーーーーッ
ミカ様の代わりに、内心、私が絶叫しました。
錠剤は十分程度で、口の中で溶けて消えてしまったらしい。
フェルト様はひどく残念そうな顔をしていたけれど、こうも言っていた。
「ミカが、これで僕と一緒になっているのか。ああ、嬉しいな。このままずっと、僕の体内にいてくれるといいのに」
いえ、そんなことをしたら、消化吸収されて、最後は排泄されて……
ミカ様が恐れ慄いていた光景になります。
「……そんな目で見ないでよ。わかっているよ。ちゃんと三時間以内に吐き出せばいいんでしょう? 吐き薬は用意してある? ああ、キルク、君は準備がいいね」
私が液体状の吐き気薬を差し出すと、フェルト様はうなずいた。
そして、彼は目を伏せ、両手を胸に置いて横になった。
「三時間経つ前に起こしてね」
「わかりました」
横になって眠るのだろう。
その時、私はふと思った。
吐き出されたミカ様は、ゲロまみれになるのではないかと。
あまり下から出されるのと変わらないような気もしたけれど、それは言ったらいけないような気がしたので、大人しく口を噤んでいた。
二時間ほど経った時、フェルト様は吐き気薬を口にして、浴室でミカ様を吐き出した。
すぐに湯をかける。ミカ様は裸体だったが、それが気にならない位、錯乱したような状態で現れて、半泣きだった。
「えぐっえぐっえぐ」
ずっと泣いている。吐き出されたミカ様の身体を綺麗に洗い流すと、すかさず殿下はタオルでミカ様を包みこみ、彼女を抱きしめた。
「ミカ、落ち着いた?」
「う、うう、もうお嫁にいけない」
「ミカは僕のお嫁さんになるんだから」
何気に、言い切っている殿下が怖い。
用意していたワンピースを着て、ミカ様はしゃくりあげながら、部屋に入ってきた。
目は泣きぬれて真っ赤になっている。
しばらくして落ち着いたミカ様は、殿下に言った。
「御加減はいかがですか?」
そうだ。ミカ様が薬に化身したのはそのためだったのだ。
そう言われて、初めて殿下は気が付いたように、自分の喉元に手をやった。
「……咳が……止まっている?」
ミカ様は、それを聞いて、本当に本当に嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。フェルト様」
そう言って微笑む彼女は、私の目から見てもとてもかわいらしくて、殿下はミカ様を強く抱きしめていた。
少し、目元を潤ませている。泣いているようだ。
「ありがとう、ありがとう、ミカ」
そうして、ミカ様の献身もあり、殿下はミカ様の化身した薬を飲む度に、健康になっていった。
あの枯れ枝のような手足は、逞しい若者のものになり、咳き込むことは一切無くなった。床につくのは就寝の時しかない。
走る足は誰よりも早く、剣を握る腕は誰よりも太く、四肢はムキムキに……
ムキムキ?
ミカ様は少し困ったような顔をしていた。
「もう、フェルト様には私の薬は必要ないのだけど……」
「そうですね。すっかり健康を取り戻されましたね。それどころか」
今では、その剣の腕を見込まれ、騎士団に所属している。あまりにも剣の腕が立つものだから、剣聖の称号も得るのではないかとも言われている。
若干、十五の少年がである。
それはたぶん、ミカ様の薬の影響だろう。彼女の化身たる錠剤を口にすれば、身体は健やかに、鍛えられ、より何者にも負けない鋼の肉体となった。
もう必要ないのではと、何度も言うミカ様に、第三王子のフェルトは首を振って言った。
「まだ、ミカが足りない」と。
病んでるね
うん、病んでる
たぶん、一生治らないよ。殿下は身体は治っても、心は治らないね。
ずっとミカ様が、薬として彼を手当しないといけないだろうね。
それは、一生。
ミカ様は困ったような顔をしているが、彼女も愛しい若者のためにはその身を捧げるのだろう。
神様もよくお考えで。
殿下に、本当にふさわしい聖獣を差し出された。
王国の第三王子フェルトは、王立騎士団の騎士団長であり、かつ剣聖の称号を持つ若者であった。その兄で、翼ある獅子に乗る第一王子と共に、王国に襲いかかる、天災級の大型魔獣を幾度となく退ける。
第二王子の聖獣は、水の加護を得た水竜で、王国は海運で財を成す。二人の武人と富をもたらす聖獣のおかげで、かつてないほど、この時代の王国は繁栄を誇ることとなった。
そして第三王子フェルトは、一生手放せない薬を手にしていた。
彼を癒し、そして愛してくれたその薬は、茶色の髪に緑の瞳のとてもかわいらしい聖獣の化身だという。
その話が信じられないという者達は多くいたが、事実であることを一部の学者達は証言している。