クズどもの宴
ごろつきどもに捕らえられた少女たちは、牧場主の旦那に突き出されることとなる。
奴隷の反乱の企てを知った暴君は、怒り狂った。
「このっ! 恩知らずどもがっ!」
夜中に起こされ、ごろつきたちから証拠の品である短剣と火打石を見せられた牧場主の旦那は、主犯だと言い張るフェミを殴り踏みつけ、疲れればさんざんに家畜用の鞭で打ち据えた。
体中に鞭の切傷を作り、痛みで意識を失ったフェミは部屋に転がされ、さらに収まるところを知らない暴君の怒りは別の少女へと向かう。
「貴様らをっ! 誰が! 食わせてやったと思ってる!」
もう一人の少女はと言えば、傷だらけのフェミを抱きながら次は己と震え涙を流していた。
振るわれる暴力。部屋に響く悲鳴と泣き声。
ニーナはそんな様子をぼんやりと眺めていた。もう夜中に近い。夜更かしするとシスターに叱られてしまう。だが、かつてニーナを優しくたしなめた声は無い。
「父をっ! 刺して! 焼き殺そうなどとっ! よくも思えたなぁっ!」
父親代わりのトマスは、本当に自分を見限ったのだろうか。売ったのだろうか。
頑張りなさいよ、と別れ際にかけられた言葉が甦る。頑張りなさいとは、どういうことか。
しばらく経てど何の連絡もないのが事実だろうが、今まで受けた恩を忘れたわけではない。
「旦那、そろそろやめといた方がいい。俺たちも楽しませてくれる約束だろ?」
部屋にいるごろつき三人のうち、フェミを締め上げた男が旦那へと声をかける。
「はぁっ、はぁっ。そうか。くそっ!」
牧場主の旦那は荒い息を吐きながら少女を痛め付ける手を止める。
ニーナは震える体を抱き締めた。次は自分だろうかと覚悟はしたが、その恐れは心を蝕む。
旦那はニーナを見つめると、荒い息を整えて猫なで声を出してにじり寄ってくる。汗だくの顔とだらしない体は、まさに醜悪な豚を思わせた。
「あぁ、可愛いニーナ。お前は違うだろう? 父さんを殺そうなど思ってもいない、優しい子だろう? そうと言ってくれ」
ニーナは恐怖で動けなかった。
そして、心のどこかでこれは悪い夢だと思い込もうとしていた。起きたらトマスに泣きついて、怖い夢を見たと言うのだ。そんなことをぼんやりと考えるが、体の震えは止まらない。
黙って震えるニーナの様子が気に入らないのか、旦那は声を張り上げる。
「なぜ、なぜ黙っている! どいつもこいつも恩を忘れおって! 餓死するところを拾ってやった!」
旦那は部屋の隅で少女に抱き抱えられてぐったりとしているフェミを指す。
「孤児院で変態神父の食い物にされるところを救ってやった!」
そしてごろつき二人に連れて行かれる傷だらけの少女を指す。
「お前もそうだ、可愛いニーナ。お前は将来美人になるだろう。そうしたらすぐに孤児院の伝で貴族の慰み物だ! だから救ってやったのに! ここから逃げてどうする! 貧民街なんぞに行ったら翌日にはさらわれて売られているぞっ! そんなに慰み物にされたいのか!」
旦那は激昂し、ニーナを乱暴に掴み部屋のベッドへと投げ倒した。
「きゃっ!」
「あぁ。本当は何年も待つつもりだった。だが悪い子にはお仕置きが必要だ……。わしの可愛いニーナ、おぉ!」
旦那は鼻息荒く肌脱ぎになると、ニーナを押し倒して顔を近づける。
肉の塊のような顔が迫るも、ニーナは既に他人事のように事態を冷静に見ていた。
あぁ。唇を奪われるのか。はじめては好きな人ととって決めていたのに。こんな豚野郎に、汚されるのだろうか。
ニーナの脳裏にふと、ここ一年ほどの間によく孤児院へやってくる兄の顔が浮かぶ。
アーロ兄さん。元気かな。
それはおそらく、恋と呼べるほどの物では無いだろう。たまたまよく見る年上の異性に惹かれただけかもしれない。
だが、同じ年頃の少女が勇者ギルの本を見て顔を赤らめている時には、既にニーナはアーロの姿を追っていた。
養子に出されると聞いたとき、孤児院の皆やアーロと離れてしまうのは嫌だった。だが、家族ができるという嬉しさが勝ったのだ。しかしあのとき、泣いて嫌だと駄々をこねれば、自分はここにはいなかっただろう。
豚のような旦那の唇が視界いっぱいに迫る。
ニーナはただ、あーあ、と思った。
もしも絵本や物語だったら、ここでアーロ兄さんが助けに来てくれるのに。
もしくは神がいたのなら、奇跡が起こり、神の使いや精霊が表れて事態を解決してくれるのに。
今まで熱心に祈ってきたのに、結果がこれか。何の救いも無いではないか。と。
「神さまなんて……糞喰らえ」
ニーナが神を罵り、己の舌を噛みきろうとした時だ。
夜の屋敷に、男の絶叫が響く。
「な、なんだっ!」
牧場主の旦那は慌てた様子で辺りを見回すが、部屋には特に変わった様子はない。
絶叫は、廊下からだ。そして、なにやら争うような怒鳴り声。
ニーナ、倒れているフェミとそれを抱く少女、ごろつきの男一人、そして牧場主の旦那の意識が廊下へと向いた時。
一つの黒い影が、窓を突き破って飛び込んできた。
ガラスや粉砕された窓枠が部屋に飛び散り、牧場主の旦那は甲高い悲鳴を上げた。
「ひぃ! 今度はなんだ!」
窓から飛び込んできた影が立ち上がると、その顔が薄暗い部屋のランプに照らされて露になる。
体格のいい男だ。思わず身構えたごろつきが誰何の声を上げる。
「何もんだ。てめぇ」
「名乗るほどの者でもない。ただの……兄貴だ」
黒い革のスーツに身を包む、銀髪長躯の男。
いつもならばにこやかな笑みか眠そうな表情を浮かべるその顔には、今は一切の甘さが無かった。
「糞なんて、そんな汚い言葉を使うんじゃない。ニーナ?」
ニーナへ向けてようやく微笑むのは、アマデウス救済院の兄、アーロだ。
「あ、アーロ兄さん!」
「よく戦ったな! 偉いぞ!」
アーロはニーナに声をかけつつ素早く駆け、今にも少女へ覆い被さろうとしていた牧場主の旦那の腹へと強烈な蹴りを見舞った。
「どけ豚野郎!」
「ふごっ!」
剥き出しの腹部に靴先は埋まり、肋骨をへし折り内臓を傷つけてその体を吹きとばす。
壁まで撥ね飛ばされ転がり、痛みに悲鳴を絞り出す牧場主の旦那には眼もくれず、アーロはベッドへ押し倒されていたニーナを引き起こした。
「う、うぁあ! 兄さぁん!」
「よしよし、もう大丈夫だ」
ニーナの諦めて冷めきっていた心に、希望の色が宿る。待ち望んだ助けが来たのだ。彼女は急に震えが来た体をなんとか動かし、アーロへとすがり付いた。
その肩を抱き、アーロは落ち着かせるため背中をぽんぽんと叩く。
しかし、まだ状況は終わっていない。
「ちっ! てめぇその服装、異端審問官かよ!」
部屋にはごろつきの男が一人残っているのだ。
男は手慰みに弄んでいた、少女たちから没収した短剣を手に逃げる隙を窺っていた。
アーロはニーナをかばいながら、ごろつきの男に相対する。
異端審問官。
漆黒のスーツに身を包み、闇夜に紛れて異端を討つ教会の暗部である。
だが、アーロは首を振って否定した。
「いんや。この格好いいスーツは借り物で、俺はただの手伝いだ。だが本物の異端審問官なら、すぐに拝めるぜ」
「なん──」
ぎぃ、という床が軋む音が、やけに大きく響いた。
先ほどはごろつきの怒号や悲鳴が聞こえてきたが、今は不気味に静まり返っている廊下からだ。
不穏な気配に、ごろつきの男はたらりと冷や汗を流した。
「臭い、臭いですねぇ……」
床の軋みに、男の呟きが混ざる。
「主を嘲り唾を吐きつける、屑の臭いです」
開け放たれた部屋の扉から、一人の老人がぬっと姿を表した。
返り血を浴びて白髪のまじった金髪と顔を赤く染めながら、歯を剥き出して壮絶な笑みを浮かべるのは、アーロと同じく漆黒のスーツに身を包んだ老人である。
手にはぬらりと鈍く光る聖銀のメイスと、涙型の大盾を持っており、そのどちらもがぬめる血に濡れていた。
「この嘘つきの屑どもめ。生きて帰れると思うなよ」
現れたのは、第三十六区教会を治める司祭。
そしてアマデウス救済院の父。
元一級異端審問官。
トマス・アマデウスである。
◆◆◆◆◆
「動くな!」
ごろつきの男の決断は早かった。
窓と扉、退路を絶たれたと見るや、床に転がっていた少女フェミを吊し上げ、手にした短剣を抜いて突きつけたのだ。
フェミを抱いていた無事であった少女を選ばないのは、反抗を懸念してのことだろう。こちらは足で蹴り飛ばし、男は距離を取った。
「道を開けろ! 従わねぇとこいつの命はねぇぞ!」
「う……ぐ……」
片手で吊られた痛みで、眼帯の少女フェミが意識を取り戻す。だが覚醒とはいかないようで、周りの状況をぼんやりと眺め、吊り上げられた痛みに顔をしかめていた。
「動くなと言ったり道を開けろと言ったり、屑は頭まで屑のようですねぇ」
司祭トマスはその手に持つメイスをびゅんと一振りして盾と共に構えた。
「諦めなさい。その少女を離して投降するのです。人生の最後に善行を積むいい機会ですよ」
そして一歩、距離を詰める。
「来るんじゃねぇ!」
フェミの喉元に短剣が向けられ、切っ先が軽く肌に食い込む。
たちまち白い肌に赤い血の珠が生まれ、その首輪と首元を一筋の血が伝った。
さすがにそれを見て、トマスは足を止める。
「ようよう、お前らガキを助けに来たんだろ? 悪いのは全てその──」
男は部屋の隅で丸まって腹部の痛みにあえいでいる牧場主の旦那を顎で指す。
「──その豚野郎だ。俺はただの雇われ者。さすがにガキを殺すのは忍びないからな。大人しく道を開けろ」
おら、とさらに短剣をフェミの喉に食い込ませる男。
アーロは背後にニーナを庇いつつ、ちらりとトマスと目配せをした。
油断なく武器を構えたまま、トマスは軽く頷く。
「お前、この少女たちに危害を加える気はあったか?」
「ないね。雇われって言っただろ。全て雇用主の指示さ。あんたらが俺を襲おうとしないなら、武器だって下ろすさ」
話しかけたアーロに対して話が通じる感触を得たのか、ごろつきの男は問いにすらすらと答える。
その答えを聞き、アーロは男の背後に位置するトマスへと視線をやった。
トマスはふんと鼻を鳴らし、顔を歪め、首を横に振る。
「なるほど、ね」
つぶやきながらじりっと摺り足で一歩、距離を詰めるアーロ。
「最後の通告だ。武器を捨てて投降しろ。そうすれば命は取らん」
「あぁ、そうか。わかった」
「うぁっ」
短剣を引き、フェミの首を持つ手をだらりと下げる男。
引き下ろされたフェミが痛みで小さく声をあげる。
「そいつぁ……聞けねぇなっ!」
男はそのままフェミを背後から迫るトマスに向けて放り投げ、窓際に向かって突進した。
「子供を投げるなどとっ!」
投げられたフェミはそのままトマスに受け止められる。
そしてアーロは、男の進路を塞ぐように立ちはだかった。
「行かせん」
「邪魔だっ!」
男は走る勢いも利用して、手にした短剣を横薙ぎに振るった。
アーロを無手と見て刃物を振るえば有利と思ったのだろう。
だが勢いよく振るわれた短剣は、アーロの左手の平に軽く食い込んだだけで、その手に纏う燐光に阻まれた。
そのままアーロは短剣を握り込み、驚愕する男の体をぐいと引き寄せる。
「なにぃっ!」
「おらっ!」
左腕で掴んだ短剣をむしり取り、引き寄せたところに右拳の一撃。顔面に直撃した拳は男の鼻を叩き壊す。
脳にも衝撃が伝わったのか、くらりとたたらを踏んだ男の首をアーロは抱え込み、その筋肉質な腕で首をがっちりと締め上げた。
「ぐっ……がっ!」
首を絞められる男は腕を振り回しじたばたともがくが、組み絞めは外れない。
暴れる男の手に眼や口を刺されないようにアーロは注意しつつ、ぎりぎりと首を絞め続けた。
「ぅがっ! ぁ……」
やがて窒息により意識を失ったのか、男は暴れることをやめ、振り回された両腕がだらりと投げ出される。
そして。
ごきり、とアーロは男の首をへし折った。




