トマスとアマデウス救済院
ある朝、アーロは第三十六区教会の聖堂の屋根へ上がり、周囲を見回していた。
そして金具が取れて外れてしまっている雨どいを見つけると、下ではしごを押さえている司祭トマスへと声をかける。
「ありました。雨どいが外れてますね」
「あぁ、やはりそうですか。直せそうですか?」
「金具が壊れているだけなので、直せますよ」
その言葉に、トマスはよかった、と安堵の息を吐く。
第三十六区教会の司祭にしてアマデウス救済院の父、トマスが何やら力仕事を頼みたいようだ、と愛娘のルナから伝えられたアーロは教会を訪れていた。そこで、聖堂の雨どいが壊れているようなので、上がって見てほしいと頼まれたのだ。
第三十六区教会は大きくも小さくもないごく普通の教会だが、聖堂は鐘楼を備えており採光窓にはステンドグラスがはめられるなど、天井が高い造りになっている。まだまだ元気とはいえ、老境の司祭トマスが自ら屋根に上がり修理を行うことは辛いのだろう。
そのため若くて暇をしているアーロが手伝いに呼ばれることは珍しくない。今回のようなちょっとした補修と修繕や、重い荷物の運搬、人手が必要な催事の係員や警備など、内容は多岐にわたる。
娘であるルナの下働き先として、また自らが育った孤児院の役に立てるならとアーロは快諾し、今日も聖堂の修繕を行っているのだ。
アーロは一旦はしごを降り、金具と釘を見繕う。
トマスはにこにこと嬉しそうに控えていた。
「いやぁ、助かります。私も昔ほど体が動かなくてですね」
「お願いですから、歳を考えて無理はしないでくださいよ。高所と重量物を扱う時は必ず呼んでください」
司祭トマスはフットワークが軽く、穏やかな見た目と物腰とは裏腹に活動的であることをアーロは知っていた。だからこそこういった危険な作業をできると考えてやってしまい、怪我などをしてしまうことを危惧している。
「ありがたいですねぇ。教会の資金繰りに余裕があれば、アーロ君もお手伝いさんとして雇いたいくらいですよ」
「今はちゃんと定職に就いてるんで……。金槌はありますか?」
「それはなによりです。はい、これをどうぞ」
はい。とトマスから差し出されたのは、鈍く光るメイスであった。
メイスは言わずがもな、神官や武僧が好んで使用する鈍器である。
司祭であるトマスの持ち物なのか、打撃部分は貴重な聖銀で作られており、柄の部分は総鉄製の重量武器であった。
トマスは片手で軽く差し出したのだが、受け取ってみるとずしりと重い。
こんなものを軽々と持ち上げるあたり、まだこの司祭は相当に元気なのではないか、とアーロは勘ぐった。口にはしなかったが。
「……どうも」
本来メイスとは武器であり、日用大工の道具ではない。打撃部分で釘を打てないわけではないのだが、やや釈然としないものを感じながらはしごを登る。先ほどよりも増加した重量に、年期の入った木製のはしごはぎしぎしと不穏な音を立てた。
再び屋根へと上がったら雨どいを支える金具を付け替え、釘を軽くねじ込んで固定する。そしてメイスを持って釘をへし折らないように細心の注意を払い、打ち込んでいく。
コンコンというよりもガンガンと打ち付けられるメイス。
もしや、孤児院の家計は新しい金槌も買えない程に節約をせねばならないのだろうか、とアーロは首をひねった。
司祭トマスの性格上、私財を溜め込んだりはせず、子供たちへ良いものを食べさせたり、清潔で新しい服を着せることなどに金を使うはずだ。
かつて育てられ、今は娘が世話になっている教会である。異世界調査団の給料が入ったためいくらかの喜捨をして、さらに足りない道具などは買い揃えて置こうか、と思案するのであった。
やがて金具は固定され、雨どいを乗せて修繕は完了である。はしごから降りて報告すると、司祭トマスは微笑み、簡単な感謝の祈りを捧げた。
「助かります。雨が降る前に直してもらえてよかったです」
「いえ。これくらい、いつでもやりますよ」
金槌代わりに使ったメイスを返却すれば、トマスは重量のあるそれをびゅんと一振りして、とんと軽く肩へと乗せた。
「さて、アーロ君。今日はもう少し時間を貰えますか?」
「はぁ。構いませんが、まだなにか?」
アーロの問いにトマスはにぃっと口角を釣り上げ、普段の穏和な表情からはかけ離れた壮絶な笑みを浮かべた。
「なぁに、ちょっとした力仕事ですよ」
◆◆◆◆◆
家に帰りたいな、とニーナは思った。
ニーナ。十二歳。
つい先日、アマデウス救済院から養子として、とある牧場主の夫妻に引き取られた少女である。
だが、書面の上で親子となった今、その牧場主の夫婦の姓は名乗りたくない。
養子に出ると言われた当初は、戸惑いながらも喜んだ。自分を必要としてくれる人がいる。新しい家族が増える。そんな単純なことでも、ニーナにとっては素晴らしいことに思えたのだ。
アマデウス救済院に限らないが、月に一度、孤児院では子供の顔見せ会が開催される。
子を失った者、何らかの理由により子が成せない者、男手や女手に恵まれなかった者など、事情があって養子を迎えたい者が、孤児院の子供たちを見に来るのだ。
顔見せ会では球技大会や歌の合唱、絵や裁縫の作品発表など、色々な面で子供たちの良いところを見せ、これだと言う子がいたら養子に迎えたいとの相談が可能である。
養子として引き取ることを希望した牧場主の夫婦も同じようにしてニーナを見初め、顔見せ会の後の食事会では同席して話をしたほか、司祭トマスによる面接や、試験的に一日家で暮らしてみるなど何重もの審査を抜けて晴れて養子に出されることが決定した。
そのときのニーナは、まさに天にも昇る気持ちだった。毎日のお祈りはより一層熱心にするようになったし、司祭やシスターにはことある度に感謝を伝えた。お手伝いも張り切ってこなしたし、院の年少者たちからは泣いて祝われた。
だがその嬉しさも孤児院の皆に見送られ、迎えにきた夫婦に連れられて馬車で半日ほどの距離にある牧場へ到着した時までしか続かなかった。
「今日からここが、お前の部屋だ」
夕刻にニーナへと割り当てられたのは、牧場主の広い家の中ではなく、農業や畜産の道具が入れられる納屋だった。
試しに家へ行き生活をしてみる機会があったため、牧場に納屋があることも、家畜がいるため世話をする必要があることも理解してはいた。
だが、なぜ自分は家ではなく納屋に入れられなければならないのか。ニーナには理解が及ばなかった。 そして納屋に入れられていたのは、ニーナだけではない。
「あんた、新入りか」
納屋にはニーナと同じような年頃の少女ばかり、三人がいた。しかもその首には首輪がはめられ、鎖に繋がれていたのだ。
「どうしてこんな……。ひどい」
「ひどくないさ。これがこの家の普通らしい。あんたも痛い目に遭いたくなければ、あの夫婦には逆らわないほうがいい」
そう言って力なく笑うのは鎖に繋がれている、片眼に眼帯をはめた少女だ。
すれたような物言いと、残った片方の眼に浮かぶ諦めの色がひどく印象的だった。
「逃げようとすれば鞭で打たれて鎖をかけられる。あんたは従順な振りをするんだ。そうすれば飯も貰えるし酷いことをされない」
「そんな……」
ニーナは涙をぼろぼろとこぼした。
同じような年頃の少女たちの待遇に、信じていた夫婦の本性に、そして待ち受ける自らの境遇に恐れおののいたのだ。
「起きろ! さぁ、働くんだ!」
その日から夜はすきま風の吹く納屋で干し草にくるまって眠り、早朝には牧場主の旦那の怒鳴り声で起こされ、ろくな休憩も与えられずに家畜の世話、菜園の世話を言いつけられる生活が始まった。
ニーナはまだ元気があったのできつい労働をこなせていたが、罰として飯を減らされ栄養状態の良くない少女たちはのろのろと従い、牧場主の旦那に時に怒鳴られ時に家畜用の鞭で打ち据えられる。
「さっさと働きやがれ! なんのためにお前たちを養子にしたと思ってるんだ!」
暴君。
そんな言葉がニーナの脳裏に浮かんだ。
優しかった旦那さんは化け物が人の皮を被っていたのだ。鞭を振るい己の好き勝手に振る舞う王。
その妻も心が壊れているのか、少女たちが怒鳴られて足蹴にされる様を見ても助けようとはせず、むしろけらけらと笑いながら眺めていた。
「主よ……。どうして……」
お試しの生活の時まであれほど優しかった夫婦はいない。
嘘で作られた王国。納屋に隠されていたのは力のない奴隷だ。力のない少女ばかりなのは、反乱を恐れているのだろう。
そして自分もまた少女であり、奴隷だ。家畜の世話をする奴隷。もしくは自分が既に家畜として扱われているのかもしれない。
だが、ニーナは希望を捨ててはいなかった。
あの優しくも厳しい司祭トマスが養子へ出しても良いと言ったのだ、なにか深い理由があるに違いない。もしくは何かの手違いで、助けに来てくれるかもしれないという考えを捨てなかった。
数日の間にニーナがそんなことをさめざめと泣きながらついこぼせば、牧場主の旦那は鼻で笑って言った。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。お前は売られたんだよ!」
「う、嘘です! そんなはずない!」
「現実を見ろ! お前はここにいるだろう! あの神父もきっと、そんな歳になっても貰い手が見つからない愚図にさぞ手を焼いていたんだろうな!」
嘘だ。嘘だ。そんなはずはない。
あの優しい父、トマスが。日頃母と慕うシスターたちが。そんなことを思うなんてあり得ない。
そうだとしても、みんなが頼りにしている兄と姉、アーロとルナがいれば反対してくれるはずだ。
そんなはずはない。言葉を否定しニーナは抗った。思いだけだが、幼い彼女にできる唯一の抵抗だった。
屈しない、認めない、ニーナは意固地になり睨むように牧場主の旦那を見ていた。
その眼が気に入らなかったのだろう。その日からニーナは首輪をはめられ、夜は納屋に繋がれるようになった。
「なんて馬鹿なことをしたんだ」
同じように納屋へ繋がれた眼帯の少女は、名をフェミという。
彼女は夜な夜なすすり泣くニーナへと弱々しく声をかけた。
「従順な振りをしろと言ったじゃないか。そうすればまだ、あんたは娘でいられたのに……」
「フェミは……。フェミは孤児院から売られたの?」
「違う。私は貧民街出身だ。行き倒れていた所を助けられたんだ。はじめは楽園かと思ったけど、ここは地獄だよ」
力なく言うフェミは片方しかない眼から涙を流した。
「私の片眼は傷跡がひどいから、気持ち悪がって手付きにはならなかったが、君は違うぞ。あの豚野郎は遠からず君を閨に呼ぶだろう。そうなる前に逃げよう」
「逃げても、どこにいくの……」
「貧民街に行こう。汚いし腹も空くが、私たちを家畜扱いする糞野郎はいない」
貧民街。
ニーナが孤児院にいた頃は絶対に近寄ってはいけないと言われていた場所だ。
人さらいや犯罪者が隠れ住み、路地は迷路のように入り組んでいて一度迷えば出てこれないと教えられていた。暮らすには安全ではないし衛生的とも言えないだろう。
だが、鎖に繋がれることはない。怒鳴られて足蹴にされ鞭で打たれ、人としての尊厳を踏みにじられることはない。それだけでもニーナには魅力的に思えた。
「ここにいる三人で、もう逃げる算段は付けていたんだ。あんたが来てから、信用できるのかって様子を見ていた」
フェミが同じ納屋の住人である少女二人に視線をやれば、二人は暗闇のなかで大きく頷いた。
「あの豚野郎を襲って殺すか怪我をさせて、家に火を放つの」
「時間がないわ。あいつ、最近疑ってごろつきを雇いだした。牧場を盗賊から守るためとか言ってね」
口々に話す少女たちの眼は、月に照らされてぎらついていた。
フェミも片眼を不気味にぎらつかせ、ニーナの顔を見ていた。
「この納屋の鍵はあってないようなものだ。ごろつきどもが忍び込んで私たちを襲うのも、時間の問題だろう。そうなる前に、みんなで戦うんだ」
「……わかった。やるわ」
今のように不当な扱いを受けていても、教会の書類の上では義理の親子である。いくら相手が憎くとも害すれば罪に問われる。そして自分達が受けた扱いは間違いなく揉み消されるだろうと思われた。
失敗すれば良くて犯罪者、運が悪ければ辱しめを受けた後に殺されるだろう。
牧場には子牛や子羊を屠殺する設備がある。ニーナも、お試し期間中に子牛を食べるため泣きながら潰したことがある。
だがそれでも、ニーナは人としての尊厳を守るために戦うことを決意した。
「ありがとう。決行は明日だ。雨が降る前にやるぞ」
フェミは納屋の隅に積んであった干し草をどかし、床板を外し隠していた短剣、油缶と火打石をちらりと見せた。
そのときだ。
「んなことできるかよ。ばぁーか」
納屋の扉が勢いよく開け放たれ、ごろつきが三人、ずかずかと乗り込んできた。
最近は夜に警備と言う名目の酒盛りをしているごろつきだ。ニーナにも見覚えのある顔だった。
ばれていた。張り込まれていたのだ。今までの会話も聞かれていたのだろう。ニーナは驚きとともに少女たちを見やれば、皆も同じ顔をしていた。
「恩知らずの娘どもの企みなんざ、旦那はとっくにお見通しさ!」
「ひでぇ話だぜ。仮にも義理の親を殺す算段とはな!」
「ま、どーでもいいけどな!」
ごろつきたちは多少酒に酔っているのか、赤ら顔のまま少女たちの鎖をぐいと引っ張った。
「やめろ! 離せ!」
「おおっとぉ! 片眼のお嬢ちゃんは元気だなぁ!」
がしゃがしゃと鎖を引きずり暴れるフェミを、ごろつきの一人が胸ぐらと首を掴んで持ち上げた。
「ぐっ、がっ」
「ばれてないと思ったか? 油缶に火打石、短剣も無くなったとくりゃ疑われるのは当たり前だろうが。新入りを待たずに燃やしちまえばよかったのに、惜しかったな」
息が苦しくなり、首を絞める手を外そうともがくフェミを見て、男は少しだけ眼の色を変えた。
「だが、お嬢ちゃんの度胸と計画性に免じて、今日のことは黙ってやっててもいいぜ」
「ほんとっ!」
「それよりフェミを離しなさいよ!」
同じくごろつきに引き倒された少女たちが口々に言う。
それを聞きながら、己を睨むフェミを見てごろつきは愉快そうに笑った。
「ただし、条件がある。俺たちの契約は一ヶ月更新なもんでな。次の契約更新までの二十日くらいか? 毎晩お嬢ちゃんたちが酒の相手をしてくれるなら、考えてやってもいい。俺たちゃ次の契約は蹴るぜ。その後のことは知らんから、煮るなり焼くなり好きにしな」
酒臭い息を吐きながら、ごろつきはいやらしそうに笑う。
ニーナは唇を切れるほど噛み締めた。間違いなく、酒の酌で済むはずはないだろう。
こいつも、こいつらも自分の尊厳を踏みにじるつもりだ。
「が、げほっ」
「おおっと苦しいか? 悪いな!」
男が首を締めていた手を離せば、フェミは落下してげほげほと乱れた息を整える。
窒息のためか涙が浮かんだその片眼を覗き込み、男は問うた。
「んで、どうするよ?」
フェミは咳き込みながらも、片眼で男を睨み付けた。
「……糞食らえ。お前らと寝るくらいなら、牧場の豚と寝る」
ぱんっ、と乾いた音が納屋に響く。男がフェミを横薙ぎにひっぱたいたのだ。
さほど力を込めたわけでもないそれでも、小柄な少女の体は浮き、壁と床へと叩きつけられた。
「フェミっ! いや!」
「はっはっは! 威勢のいいお嬢ちゃんだ。望み通り豚と交わらせてやるぜ。連れてけ」
倒れたフェミを担ぎ上げ、ごろつきの男は指示を出す。
「やめて! 触らないで!」
「フェミ! ねぇフェミ!」
少女二人も、ニーナも首の鎖を引かれ、ずるずると連行されていく。
真っ暗な牧場。じゃらじゃらと音のなる鎖。痛みのためかしくしくと泣き出すフェミ。
そして、ごろつきの男たちの愉快そうな声。
それらの様子を眺め、音を聞きながら、家に帰りたいな、とニーナはぼんやりとした頭で考えていた。




