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ピートが人差し指を出してスッと上に引き上げると、女性警官はそのピートの指に紐が付いているかのように立ち上がった。
ピートの人差し指は、くるっと円を描くと、女性警官は俺の方を向く。
俺は下がっている動きを止めた。
ピートが女性警官の首筋に牙を立てる。
赤い血の跡が二つ並んで記される。ドラキュラ・ヴァンパイア病は、血液感染するのだから、相手の血中にウィルスが入りさえすればいいのだろう。
女性警官は、スイッチが切り替わったように、黒い虹彩が赤く変わった。
「カゲヤマを抑えろ。俺が直接やる」
「ハイ」
女性警官が、俺を指さす。
すると三島優子が今までに見せたことのないような機敏さで、俺の方へ駆けてくる。
「!」
俺は慌てて三島優子に向けて霊弾を撃つが、まるで当たらない。
俺の撃つ弾をかわしながら、間合いを詰めてくる。
ぐるっと回った時、背後から羽交い絞めされる。
「しまった!」
背中の女性警官を振り払おうとすると、正面の三島優子が拳を固めて……
「ぐはぁ……」
腹に全力の拳を振り込まれ、体が『く』の字に折れ曲がった。
俺は腕を絞られ、ぐるっと向きを変えさせられた。
「こんなやり方は趣味ではないが、しかたない。じきじきに俺の眷属にしてやろう」
そう言うと、ピートが俺の顎のしたに指をあて、上を向かせた。
ピートの顔が近づいてくる。
鼻が、唇が触れるかというとき、ピートは言う。
「痛いのがいいか、痛くないのがいいか、決めろ」
「……」
俺は何も言わずにピートを睨みつけていると、あごにあてていた指を外した。
そして、その手がそのまま俺の頬に振り下ろされた。
大きな音がすると同時に、頬に衝撃と痛みが走った。
「決めろ。すぐにだ」
口の中に体液が溜まっていて、喋れる状態ではなかった。
しかしどのみちこの口の中のものを吐き出すなら……
「ほら、顔を上げろ」
ピートは俺のあごをすくうように持ち上げた。
俺は口の中に溜まっていた体液を一気に噴き出した。
ピートの金髪と真っ白い肌が、鮮血で真っ赤になる。
ピートの顎から、ポタポタと血が垂れている。
舌をだして、口の周りの血をなめとった。
「……なぶり殺してやる」
ピートはそう言うと、今度は袖で顔を拭った。
そして俺のシャツに手をかけ、左右に引き裂いた。
「この国の漫画で見た通り、ゆっくり殺してやる」
「……」
ピートは人差し指を立てると、言った。
「絢美、ほら、もっと腕を引っ張れ」
俺は弓を引くように絞られ、胸を前に突き出した。
ピートが伸ばした指を俺の胸に真っすぐ突き立てる。
「があっ」
ピートの指は、高熱の金属のように俺の胸を焼いて突き刺さった。
「ひとつ……」
第一関節…… まで入っただろうか…… ピートの指を伝い、血がゆっくりと地面に垂れていく。同時に、焼けた肉の匂いがした。
「さあ、どこまで気を失わずに耐えられるかな? お前が気を失わないなら、漫画と同じように七つの傷の男にしてやる」
「あっ…… あっ……」
胸に開いた穴のせいで、呼吸するときにさらに激しい痛みが走る。息をするたびに声が出てしまう。
「これは、単純に殺すだけの目的じゃない。この胸の傷を通して、お前はドラキュラ・ヴァンパイア病にかかるだろう」
突き立てた人差し指を俺の顔の方に持ってくる。
「死のうが死ぬまいが、どう転んでも俺の勝ちだ」
このままでは死んでしまう。
俺は時間を稼ぐことを考えた。
「ちょっと待ってくれ…… ピート、なぜおまえはこっちの言葉が話せる?」
くッ、と口元だけが開いた。目は一つも笑っていない。
「俺はドラキュラ・ヴァンパイア病に感染させるためにこの国の人間に近づく必要があるのさ。そのためにはどうしたらいいと思う?」
「……」
ピートは俺の胸にまた指を立てた。
「ほら、答えろよ……」
その指がまた急速に熱を帯びてくる。
「ブッブー。時間切れ」
ピートの指が、俺の胸に穴をあける。激しい痛み、流れ出る血、焦げた匂い……
女性警官に掴まれている腕、GLPのあたりに違和感を感じた。
またこのGLPが何かを検知したのだろうか。そうだ、あの時のように冴島さんに伝えてくれ。
「ほう。耐えたな。いいぞ。七つの傷を持つ男の話のように、お前も同じ七つまでは耐えて見せろよ」
息が…… 息をするたび胸にさらに痛みが走る。苦しい。
「簡単なことさ。この国の人間に近づくために覚えた。それだけの話だ。さあ、どうだ? もうお前も俺の眷属になったか? 答えろ」
嘘でもいいから、眷属になったふりをすれば……
「ピー、ト、さ…… ま」
俺が力を振り絞りながらそう言うと、ピートは目を丸くした。
そして、目を伏せて、笑い始めた。
「……小芝居は見せてもらったよ。それはさっき、絢美が言った通りをまねしたんだな。教えてやる。眷属とはそんな簡単なものじゃない」
ピートは、三島優子の方を見た。
「見せてやる。本当に眷属ならこんなこともさせられる」
ピートが睨むと、三島優子がピートに近づいてきて、ピートのポケットから小さなナイフを取り出した。
三島優子はナイフを自らの首に突き付ける。
「俺はこの女の直接の眷属ではない。だが、絢美を通じてでもこのくらいはさせられる。直接声ではない対話もある」
そうか、そういうことか。奴らは喋らずともお互いに情報を交換できるのか。
顔の前に右手を出した。
ピートは人差し指だけではなく、中指も伸ばした。
「次は一度に『二つ』行くぞ…… 耐えられるかな?」
二つ横につけた傷の下に、指をあてた。
もう胸の近くで指が熱くなるのを感じただけで、さっき受けた痛みが頭によみがえり、息をのんでしまう。
「があっ、うぁあああああ」
同時に、二つの指が胸に沈められる。
上の傷口から流れる血と、今開けられた傷から流れる血。焦げる肉と血液。
「……ああああぁぁぁぁ」
もうだめだ…… 体が受け入れる痛みを超え、気持ちが飛びそうだった。
『ここで気を失ってはだめ……』
「!」
俺は声がした方向を探した。
周りの反応を見ると、ピートにも、三島優子にもその声は聞こえていないようだった。
その声は聞き覚えのあるものだった。けれど、誰の声なのか思い出せない。
『ここで気を失ったら、殺されてしまう』
けど…… 頭が回らない。高熱に浮かされたような状態だった。
俺の中で、何かが変わっているのを感じた。
おそらくこれがドラキュラ・ヴァンパイア病なのだ。
「耐えるか…… じゃあ、一気に七つの傷にしてやろう」




