48 死んでちょうだい
「アイス・アロー!」
ズシャーー!
アリスの手のひらから撃ち出された氷の矢は、数ミリの狂いもなく俺の眉間へと迫った。その軌道は、アリスの赤い目が示す俺への殺意を明確にした。
「っ……!」
俺はそれを少し屈んで躱し、一旦アリスから距離を取ろうとミニステージの壇上から飛び降りて噴水の元まで走った。
「おいアリス! どうしたんだ!」
走りながら振り向きアリスに叫び聞いたが、返事はなかった。
整い過ぎにも見えるその幼顔は、ただ黙って長い黒髪を揺らしながら目を赤く光らせていた。
くそっ……どうしたもこうしたも無いか……確実に青鷺火の影響だな……!
俺の全身を包んだ青鷺火の青い炎。それは、強制的に俺へと殺意を抱かせる効果があるのだと考えた。
「突撃であります!」
一旦アリスの氷の矢の射線上から逃れる為、噴水の後ろに回り込んでアリスへの対応を考えていると、チルフィーまでが殺意を示しながら突進して来た。
「お前もかチルフィー! 目が真っ赤っかだぞ!」
俺は突進して来たチルフィーを両手でキャッチし、緑色のポニーテールを掴んでグルグルと回した。
「正気に戻れチルフィー!」
「ひいいい! 目が回るでありますー!」
するとチルフィーは段々と目を元の色に戻し始め、回してから暫くすると完全に俺への殺意を失った。
「もう大丈夫であります~! お助けを~!」
「じゃあ巻き添えを食らわないように、どこか高い場所に避難してろ!」
チルフィーに飛び上がるように促すと、フラフラと俺の手のひらから飛び立った。
チルフィーは目を回して殺意を失った……。
なら、アリスにも殺意を吹き飛ばす程の衝撃を与えれば……。
「アイス・アロー!」
ズシャーー!
作戦を練っていると、真上からアリスの詠唱が聞こえた。
「くそっ……!」
俺は目視もせずに、ただバックスステップを行った。それはアリスの声が上空から聞こえたからという理由だけだったが、上手くアリスの氷の矢を避ける事に成功した。
「風の加護で噴水を飛び越えたのか! 厄介な技ラーニングしやがって!」
だが、フワリと俺の目の前に着地をしたアリスは未熟とも言えた。
まんまと接近してくれた事により、俺はこの上ないチャンスを得た。
「アリス! 正気に戻れ!」
俺はアリスの顔に手を伸ばし、そのまま俺の胸に引き寄せた。
するとアリスは俺へと向けていた左手を下げ、俺の胸の中で呟いた。
「いい臭いだわ……だけれど死んでちょうだい!」
俺を突き飛ばし、再び風の加護で後ろにフワリと飛んだアリスは目に涙を浮かべていた。
その殺意の眼から溢れる涙を拭いもせずに、アリスは俺の頭上に両手を向けた。
「お前泣いてるじゃねーか! それでも殺意消えねーのかよ!」
「うるさいわね! アイス・キューブ!」
その涙に気を取られていた俺は反応が遅れた。
既に上空の氷の塊は乗用車程の大きさになり、天井から射す光を遮っていた。
「落ちなさい!」
「出でよ玄武!」
カメエエエエッ!
上空に向けて使役した玄武の光の甲羅が、俺へと垂直に落とされた巨大な氷の塊を防いだ。
砕け散った氷の欠片が降り注ぐなか、俺は再びアリスから距離を取ろうと方向も定めずに走った。
「アイス・ニードル!」
シュバババババ!
「に、ニードル!? さっきの新魔法か!?」
アリスの手のひらから撃たれた10本程の氷の針が、俺の背中と腕に何本か突き刺さった。
それは氷の矢程の威力では無いようだが、撃ち出された全てを避けるのは難しく思えた。
「痛えっ……! けど致命傷って程じゃねえ……。威力より命中を優先する魔法……って事か?」
鈍い痛みを感じながらも必死に走っていると、もう一度後方からアリスの詠唱が聞こえ、氷の針が俺へと迫った。今度の射出は先程と違い、全てが無駄なく俺の全身を的としていた。
「2回目で使いこなしてんじゃねーよ! このスケスケおパンツ譲!」
俺はその場で立ち止まり、振り向きざまに右手を払った。
「出でよ狐火!」
ボオオォォォ!
狐火の火炎放射はアリスの氷の針を全て空中で溶かし、水分に変えて地面へと落とした。
「どうだアリス、氷には炎だ! 早く負けを認めてその目を元に戻せ!」
「アイス・アロー!」
ズシャーー!
氷の針を俺に破られても尚、アリスは俺への殺意を緩めてはいなかった。
俺は氷の矢を躱し、再びショッピングモールの中庭を走った。
「やっぱ殺意を吹き飛ばす程の衝撃を与えないとか……」
「キスであります! 乙女を正気に戻すにはキスしかないであります!」
上空から俺の頭に着地したチルフィーが、やや興奮しながら言った。
「キッス!? 俺がアリスにキッス!?」
あり得ない行為だが、確かに古来よりキスは魔法を凌ぐ不思議パワーを発揮すると言われている。
なれば、俺のするべき事はアリスの可愛らしい唇を奪う事であろうか。ふむ、確かにそれしかないであろう。
「よし分かった! 分かったからチルフィーは避難してろ! 氷の矢が飛んでくるぞ!」
「了解であります!」
走りながら振り返ってアリスを視認すると、再び俺の背中へと手を向けた。
チルフィーがいる間は狙っていなかったようなので、俺に激しい殺意を抱いているとはいえチルフィーを傷付けるつもりはないらしい。
「かと言ってチルフィーを盾には出来ねえ! ……出でよ木霊!」
――出たで ――そうやで ――チューやでっ
一旦、吹き抜けになっているショッピングモールの2Fに上ってアリスの隙を伺おうと、俺は2Fに向けて木霊の階段を配置した。
「アイス・キューブ!」
「えっ! キューブ!?」
俺が3体目の木霊に跳び乗る瞬間を狙っているらしく、その氷の塊は3体目の上空に作られていた。
「くそっ……これじゃ2Fに上れない!」
上るのを諦め木霊から地面へと飛び降りたのと同時に、アリスは氷の塊をそのまま3体目の木霊目掛け、勢いよく落下させた。
「落ちなさい!」
木霊に激突した氷の塊が砕けながら俺へと降り注いだ。
その氷片を必死に躱し、なんとか致命傷を避けていると、フワリとジャンプをして俺の目の前に立ったアリスが静かに口を開いた。
「……死んでちょうだい」
俺の死を願いながらも、アリスの顔は涙でクシャクシャになっていた。
泣きながら相手に殺意を向けるというのは、いったいどんな気持ちなのだろうか。
きっと辛いに違いない。きっと心も泣いているに違いない。
強くなったなアリス……。俺なんかじゃ、お前の資質の足元にも及ばないんだろうな……。
このまま戦ってたら、いつか俺はお前に殺されるかもな……。
でも、俺はそんな事をお前にさせる訳にはいかない……!
強いながらに未熟なアリスの2度目の油断を、俺は見逃さなかった。
俺は目の前のアリスの頬に両手を添え、顔を近づけた。
「これで殺意を吹き飛ばしてくれ!」
アリスの唇に俺の唇が触れる瞬間、アリスの吐息が俺に唇をくすぐった。
それと同時に、アリスの小さな可愛らしい手が俺の体に触れた。
「アイス・アロー」
ズシャーー!
「ぐっ……ぐうあああああああああ!」
真っ直ぐに撃ち出された氷の矢は俺の腹部を貫いた。
俺はその場で崩れ落ち、激痛を少しでも和らげようと、のた打ち回った。
痛みで視界が歪んだ。仰向けになっている俺の頭部にアリスが手を触れた。
くそっ……まさか俺達の異世界冒険がこんな形で終わるなんて……。
アリス……俺が死んでお前だけになっても……お前大丈夫か? 泣かないか?
こんなだだっ広いショッピングモールに1人で……お前夜寝れるのか?
アリスの触れた手から冷気を感じ、その先にある俺の死と、更にその先にある孤独なアリスを想った。
いや……駄目だ! それだけは絶対駄目だ! アリスにそんな事をさせる訳にはいかない!
こいつは両親が死んだのを自分のせいだと思ってるんだ!
その上、俺まで死んだら……こいつはきっと、もうあの笑顔で笑えない!
俺は、アリスの無限とも思える表情のうちの一つを思い浮かべた。
その大好きなとびっきりの笑顔が脳裏に浮かぶと、俺は最後の力を振り絞り激痛に耐えてその場から逃れようともがいた。
「ご――――!」
アリスが何かを叫んだ。魔法の詠唱とは違う何かだった。
「ごめんなさい! なんで私っ……大丈夫!?」
その言葉を俺が認識し、ぼやける視界の焦点をアリスの顔に合わせると、先程よりも激しく顔をクシャクシャにしていた。
そして仰向けになっている俺の胸に顔をうずめ、泣きながら許しを求めてきた。
「大丈夫!? ごめんなさい! ごめんなさい!」
「正気に……戻ったのか……?」
俺は泣きじゃくっているアリスの頭に手を置き、もう一度呟いた。
「正気に……戻ったんだな……」
アリスはそれでも、泣いて謝るだけだった。
腹部の激痛で気を失う直前、何故アリスが正気に戻ったかを考えた。
殺意を吹き飛ばす程の衝撃……。
きっと、アリスにとっては俺が大ケガをする事がそれだったんだな……。
それも、自分の撃った氷の矢で……。
そのまま俺は、アリスの頭を撫でながら目を閉じた。
「アリス……悪いけどちょっと寝るわ……。今度は猫耳娘の夢を見るから、お前邪魔すんなよ……」
気を失う瞬間、俺の胸に溜まっているアリスの涙が脇を伝って零れ落ちる感触がした。




