2
「……思い出すのはやっぱりキツいよ。でも少しは薄れてきてる、かな……六年たったし」
「そう、それならよかった。……もう六年たつんだね……ま、私と大貴は今年もいつも通りお墓参りすればいっか」
「……今年は私も行こうかな……」
そう呟くと、朱那がにこりと微笑んだ。
「うん、お母さんたちも喜ぶわ」
「でも……邪魔だったりしない? 大貴と家族水入らずで行きたいとか……」
「なぁんで。菜月ちゃんも家族みたいなものじゃない。というかもう家族でしょ。私のバージンロードも菜月ちゃんのお父さんと歩くんだし」
朱那がケラケラ笑い、菜月は決まり悪そうに肩をすくめた。
「うちのお父さんホントはりきっちゃってるよ……メンズエステにでも行こうかなとか言ってるしさ。お父さんが主役じゃないっての」
「あの後そんなこと言ったのおじさん。相変わらずおもしろい人ね」
先月の中旬、朱那と佐々木が菜月の家を訪れ、婚約したことや結婚式のことを改めて報告した――佐々木を見て菜月の両親が驚いていたことは言うまでもない。
披露宴では新婦の家族席に座って欲しいという旨も話した。披露宴だけでなく、様々な席で父母として、家族として出席してほしいと。
菜月の両親は快く引き受け、菜月ももちろん喜んだ。
朱那のことは実の姉のように慕っているのだ。断る理由なんて一つもなかった。
「でも嬉しいなぁ。菜月ちゃんにも、披露宴のお色直しで手を引いてもらうしね。菜月ちゃんはエステ行かないの?」
「えー、行った方がいい?」
「あはは、冗談。菜月ちゃんはお肌つるつるで羨ましいわ。私は体型維持で大変よ、ドレス着れなくなっちゃうから」
「いいなぁ、ウェディングドレス。憧れちゃう」
菜月はうっとりしながら、真っ白なドレスを身にまとう朱那を想像した。
コーヒーを一口飲んでから朱那は言う。
「自分の結婚式を楽しみにしてなさい、大貴がいいの選んでくれるわよ」
「……もー朱那さん……」
朱那のからかいに弱り果て、菜月は縮こまった。
自分の結婚式を想像したことがないわけではない。こんなドレスが良いなとか、ウェディングケーキはチョコが良いなとか、ぼんやりと考えては楽しんでいる。
そして想像の中の自分の隣に立っているのは、ほとんど大貴だったりする。
一番身近な男子が大貴だからかもしれないし、菜月にとって彼が特別な存在だからかもしれない。
しかしどういう意味で特別なのか、菜月はまだいまいち理解できていなかった。というか、付き合ってもいないのに何を考えているのだろう。そう思ってちょっとおかしくなった。
「自分の結婚式より、朱那さんの結婚式に着てくドレス決めなきゃ。日曜日に見に行くんだ」
「お、可愛いの選んでおいで。おばさんと行くの?」
「ううん、友だちと。光」
「ああ……大和と付き合い始めたと噂の」
「そうそう」と頷いた菜月は朱那と視線を合わせ、同時に笑い出すのだった。
「菜月って、栗原くんのことどう思ってるの?」
日曜の午後、菜月と光はショッピングを済ませ、カフェで一時の休憩をしていた。
二人が頼んだケーキセットが運ばれ、しばらくケーキを堪能していたところ、急に光が尋ね、菜月はむせた。
「ど、どど、どうって」
「好きなの?」
「ううっ……そんなストレートに聞かれても……わかんない」
菜月は肩をすくめて、視線を落とした。
分からない。大貴に対するこの気持ちが何なのか。好き、という一言で片付けていいのか、分からない。
「そう、長いこと一緒にいると見えにくくなっちゃうのかもね」
アイスティーを飲み、光は直も続ける。
「菜月と栗原くん、いい雰囲気なのに。付き合ってるみたいだよ」
光のその言葉に、菜月の心は小さく揺れた。
大貴のことが好きか嫌いかと問われれば、当然、好きと答える。
だが、菜月の大貴に対する“好き”と、光の言う“好き”が果たして同じものなのかどうか、疑問が残る。
小さい頃から、それこそ生まれた時から一緒にいる彼。
二人して野原を駆け回った――なんて物語みたいな記憶はないが、春は温かな日向で昼寝をして、夏は汗だくになりながら蝉取り。秋は焼き芋を食べて、冬はマフラーの奪い合い。そんな普通の思い出の中に、大貴は必ずいた。
身近に、身近すぎるぐらいに大貴は側にいる。
できることなら、ずっとこのままでいたい。そう考えることはあっても、自分が大貴に寄り添う続けることはおこがましいような気がしてならなかった。
彼に似合う女の子はたくさんいるだろうし、自分がいなくても大貴は生きていけるはずだ。
まあ大貴が自分じゃない他の女の子と付き合い始めたら、それはそれで寂しくなるのだろう。
しかし大貴が幸せになってくれれば、それで良い。その時彼の隣にいるのが自分でなくても構わなかった。
菜月はこっそりため息を吐いてから、オレンジジュースを飲み込んだ。
「……私は好きだとか付き合ってとか、言うことはないと思う……束縛してるみたいで何かイヤ」
「束縛ね。栗原くんはそんな風には思ってないんじゃない?」
「……そだね、大貴はそうだと思う」
菜月はストローでグラスをかき回した。カラカラと音を立てて回る氷をじっと見つめ、再び口を開く。
「私が大貴の側にいるのは、大貴が一人にならないようにするためなんだけど……大貴の側にいるとね、逆に私が落ち着くんだ。でもそれじゃいけない気がする」
「何で?」
「だって甘えてるみたいだし……大貴疲れちゃうんじゃないかなって」
「……私も鈍感って言われたけど、菜月も相当な鈍感だよね」
呆れたように光が言い、菜月はポカンと彼女を見つめた。
「あなたたちは、相手のことちゃんと理解して、支え合ってる。私からしたらベストカップルよ。羨ましいぐらい」
「そうかな……」
菜月はポリポリと頬を掻いた。第三者から見てそうなら、自分の考えは外れているのかもしれない。
そこでふと光が小首を傾げる。
「だけど栗原くんを一人にしないためって、どうして? お姉さんいるのよね? あ、ご両親がいないから?」
その問いに、菜月は少し視線を落とした。そしてケーキを口に運びながら何気ない調子で答える。
「まあそんなとこ……大貴、おばさんたちが亡くなってからおかしくなってた時期があってね、精神的に」
「……そう」
光が小さく相槌を打つ。
「私とも距離を取ろうとするからさ、一日一回抱きしめてやることにしたの、ムカついたから」
ズズッと音を立ててジュースをすすった。すると光がむせるように笑う。
「そこでその発想って、やっぱ菜月はすごいわ」
「だって私を避けるなんて許せないんだもん」
菜月はむーっと頬を膨らませた。
「まあ中学に上がってからは全力で逃げられるようになったんだけどね。ははっ、思春期ってーのは難しいわね」
「思春期ってだけな訳でもなさそうだけど……」
光が口の中で呟いた言葉は、菜月には届かなかった。
「その頃には落ち着いてたんでしょ、栗原くん。菜月の愛の力ね」
「うん。……んんっ? 愛!?」
驚いて菜月が目を見開くと、光は平然と頷いた。
「ラブよ、ラブ」
「光がそんなこと言うなんて……大和と何かあった?」
「なっ、ないわよ何も!」
「ホントかなぁ、怪しいなぁ」
菜月はニヤニヤしながら光の顔を覗き込む。
本当に何もないってば! と光が必死になって否定するのを見て、菜月は声にして笑った。
とりあえず今度大和にも探りを入れてみようと思いながら、菜月はケーキをたいらげるのだった。
おやつ時を少し過ぎたぐらいにカフェを出ると、蒸し返すような残暑が出迎えた。空は晴れ渡っているが、日差しは和らいでいる。
季節は秋に向かっているのだ。
大きな道路の横断歩道で信号待ちをしながら菜月は腹を擦った。
「はふぅ、買い物もしたしケーキも食べたし、思い残すことはない! 次どこ行く?」
その隣で光が宙を仰ぐ。
「んー、あ、神社行かない? 御守り買いたいの」
「うん、いいよ。神社久しぶりだな。おみくじも引こうよ」
「そだね。凶出たらどうしよう……へこむわ」
「私正月に凶引いたよ……へこんだわ」
「えー、凶ってホントに出るんだ。私今まで一回も引いたことないんだけど」
光がケラケラと笑い、菜月もつられるように笑った。
その時、不意に菜月の鞄の中でケータイが鳴った。
菜月は少し慌てて鞄をあさり、探り出したケータイを開き着信相手を見る。
「おや、朱那さんだ。もしもーし」




