第三十一話
座らねえ客は座りたくなるようにしてやれ。
言うのは簡単だ。でも片耳は俺の作った卓に一頭も座らせず、隠した穴を前脚で確かめて群れごと引いていった。
あいつは慎重で賢くて、群れを完全に握っている。
……握っている?
そこで、ふと引っかかった。
片耳の群れは静かすぎるくらい静かだった。誰も鳴かないしじゃれないし、片耳が喰い終わるまで誰も肉に手を出さない。
あれは、片耳が怖いからだ。
怖いから片耳の決めた通りに動く。片耳が進めと言えば進むし、止まれと言えば止まる。
じゃあ、片耳はどうやって群れを動かしてる?
――匂いだ。
ガロの声が、珍しく自分から答えた。
――あいつの印は命令だ。逆らえば喰われる。
片耳が見回り道に残していく目印の匂いは、ただの縄張りの印じゃなく、ここを通れ、ここで止まれっていう群れへの命令なんだ。
前の頭の群れはもっとゆるかった。若いのがふざけて道を外れても、頭は唸るだけで済ませていた。
片耳の群れは違う。印から外れたやつは喰われる。だから誰も外れない。
……だったら、印を書き換えたらどうなる?
匂い写しは喰った相手の匂いなら何でも写せる。
片耳は喰ってない。でも片耳の匂いなら、くぼみの岩にたっぷりかけてもらった。鼻をつけて嗅げば、苦くて焦げた鉄くさい匂いの細かいところまで分かる。
時間をかけて、その匂いを袋に写しとった。
〈MP:27→26〉
試しに少しだけ出してみる。
ぶわっ。
島の上のハクが跳ね起きて、毛を逆立ててうなりながら岩の端まで下がる。
「あ、わるい、わるい! おれ、だ、おれ!」
慌てて匂いを消して、湖の水の匂いをまとい直した。
ハクはしばらく警戒していたけど、やがておそるおそる鼻を伸ばして俺の匂いを確かめ、ふんと鼻を鳴らしてまた丸くなった。
……ごめんな、怖かったよな。
でもこれで分かった。似てるどころか本物と同じだ。
夜を待って、陸に上がった。
岩の匂いをまとって、片耳の群れの見回り道まで這っていく。
〈MP:26→25〉
見回り道の目立つ岩の角には片耳の印がべったり残されていて、群れは毎晩この道を印の通りに一周する。
その途中に、分かれ道がある。
右へ行けば岩場を回って巣穴に戻る道で、左へ行けば湖の浅瀬に降りる細い坂だ。
片耳の印は、右の道に続いている。
俺は左の坂の入口の岩に、片耳の匂いを写した。
〈MP:25→24〉
坂の途中にひとつ、坂の下の浅瀬の手前にもうひとつ。
そのすぐ先には、俺が掘った穴がある。
右の道の印はそのままにしておいた。全部を書き換えたら片耳本人が気づく。群れの最後尾を歩く一頭だけが間違えればいい。
浅瀬の穴の底で、待った。
穴の上には溶かした砂と泥を薄く戻してあって、その泥に溶解の酸をうっすら混ぜておいた。踏んだら脚が沈んで、沈んだ脚がじわじわ焼ける。
穴の底には、俺が体を広げて待っている。
震覚が、地面の揺れを拾った。
群れだ。見回り道を歩いてくる。先頭は片耳で、残りが一列に続いている。
分かれ道で、片耳は右に曲がった。
二頭目も三頭目も四頭目も右へ。
片耳の匂いに従って、迷いなく。
六頭目が、分かれ道で止まった。
鼻をひくつかせる。右の道にも左の坂にも片耳の匂いがする。
迷っている。
前を行く群れはもう岩場の向こうに消えかけている。
六頭目はもう一度左の坂の匂いを嗅いだ。
それから、坂を降りはじめた。
一歩、また一歩と片耳の匂いをたどって坂を降りてくる。
坂の途中の印を嗅いでさらに下へ、浅瀬の手前の印を嗅いでさらに前へ。
前脚が、穴の上の泥を踏んだ。
ずぼっ!
脚が沈んで、若い雄が悲鳴を上げてもがく。もがけばもがくほど、もう一本の脚も泥に沈む。
〈溶解を発動します。MP:24→23〉
穴の底から、泥ごと脚に巻きつく。
雄が首を振って、俺に噛みついてきた。
〈HPが減少しました。HP:156→142〉
硬殻を張る。
〈MP:23→22〉
〈HPが減少しました。HP:142→130〉
離さない。泥の中の酸と俺の酸が、雄の脚を両側から溶かしていく。
〈溶解を発動します。MP:22→21〉
雄の動きが鈍くなる。吠えようとして、口を開ける。
その口を、体を伸ばして塞いだ。
吠えさせたら、前の群れが戻ってくる。
〈溶解を発動します。MP:21→20〉
最後に一度だけ大きく体を震わせて、雄は泥の中に崩れ落ちた。
喰掠の理。
若い肉だった。血の味が薄くて、少し筋っぽい。
流れこんできたのは、恐怖だった。
絶対に逆らえない片耳の匂いが、右にも左にもある。間違えたら喰われるのに、どっちが正しいのか分からない。
――こわい。こわい。ちがったら、くわれる。
噛み砕きながら、思った。
こいつは片耳の命令に従っただけなんだ。
〈捕食を完了しました〉
〈対象:餓狼 Lv7〉
〈経験値70を獲得しました〉
〈うち7は上位領域へ転送されました〉
〈レベルが上限に達しているため、経験値を取得できません〉
〈能力値を吸収しました〉
〈技能の解析を開始します〉
〈対象技能:嗅覚Lv3――解析成功〉
〈技能【嗅覚】は保有技能【匂い写し】と同系統です。自動で統合します〉
〈匂い写しLv6→Lv7〉
〈対象技能:疾走Lv1――解析失敗〉
〈系統の記録を更新しました。餓狼:7〉
……ちょっと待て。
今、なんて言った?
うち7は、上位領域へ転送されました。
レベルが上限に達しているため、経験値を取得できません。
「おい」
〈――〉
「おいって! 俺には一滴も入らないのに、そっちは七つ持ってったのか!?」
〈――〉
黙るな! 黙るんじゃねえ!
取得できないなら、徴収もなしにしろよ! 店が場代だけ取って、こっちは勝っても点数がもらえないって、どんな雀荘だよ! 源さんの店だって、そこまでがめつくなかったぞ!
〈――〉
……くそ。
それと疾走はまた失敗した。もはや様式美だな。
【ステータス】
個体名:ヴォイド
種族:腐肉の粘体
段階:1
レベル:15/15
HP:140/163
MP:21/28
攻撃:26
防御:20
敏捷:22
魔力:18
固有スキル:喰掠の理、変質者、■■■
スキル:溶解Lv5、硬殻Lv4、熱感知Lv2、震覚Lv2、水化Lv3、水弾Lv3、匂い写しLv7、吸血Lv2、反響感知Lv2、噛砕Lv4、威圧Lv1
島に戻ると、ハクが岩の端で待っていた。
俺の匂いを嗅いで、それからくしゃみをした。
……ああ、片耳の匂いがまだ少し残ってるのか。
「わるい。もう、しない、から」
ハクは疑わしそうに俺を見て、それでも結局俺の体にもたれて寝た。
餓狼、七。あと五。
レベルは上がらないくせに、徴収だけはきっちり取られる。
この恨みはいつか必ず晴らす。誰が取ってるのか知らないけどな。




