第一話 なつとの出会い。
【読者の皆様へ】
※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
※作中には12歳の少年と21歳の成人の交流が含まれます。現実における未成年者の防犯・適切な距離感を推奨するものではありません。
※物語のテーマ上、繊細な人間関係の描写が含まれるため、15歳以上の閲覧を推奨いたします。
私は仕事を失った。
理由は人間関係のいざこざだ。
こう言うと、私が甘い人間だと思われるかもしれない。確かに甘いのだろう。これまでずっと、何かに甘えて生きてきた。
けれど、大人になってようやく気付いたのだ。
これは私自身の物語なのだと。
誰も親切に手を差し伸べ、正しい場所へ引っ張っていってなどくれない。
行きたい場所があるのなら、自らの足で歩かなければならない――。
今でこそ、そう思える。
けれど当時の私は、ただ立ち止まることしかできない愚か者だった。
図書館の長テーブル。
その真ん中に陣取り、わざとたくさんの本を散らかす。
こうしておけば、誰も近寄ってこない。
他人からの嫌な視線さえ遮断してしまえば、そこは私だけの安全な自由席だった。
静寂の中、不意に大きな音が響く。
バタッ。
目の前に、真っ黒に日焼けした、華奢で背の高い男の子が立ち尽くしていた。
彼は何も言わず、テーブルに散らばっていた本を無造作にこちらへ押しやると、当然のように隣の席へ腰を下ろした。
(えっ……!?)
思わず横を向く。
しかし彼は、何食わぬ顔で参考書とノートを広げ、カリカリと鉛筆を走らせ始めた。
意味が分からなかった。
館内にはまだ空いているテーブルがいくらでもある。なぜわざわざ、こんな風に本で威嚇している人間の隣に座るのだ?
頭の中が混乱し、私は必死に知らんぷりを決め込もうとした。
けれど、右側からの視線が痛いほど刺さる。耐えきれなくなり、そっと目線だけを向けた。
じーっと、こちらを見つめている。
キレイな茶色の瞳。
あまりにも陳腐な表現かもしれないが、吸い込まれてしまいそうなほど、まっすぐで純粋な瞳だった。
「……あの、何か?」
たまらず声をかけると、彼は表情ひとつ変えずに言った。
「その本、読まないなら貸して」
指さされたのは、私が防波堤代わりに積んでいたうちの一冊。難解な量子の話を、噛み砕いてまとめられた本だった。
「あ、うん……どうぞ」と差し出すと、
本を受け取ったその指先が、私の手に軽く触れた。
ほんのわずかな体温。
胸がどきっと跳ね上がる。
彼は小さく「ありがとう」と呟いてページをめくり始めた。
細く整った指先、しなやかな動き。
はらりと垂れた髪を、その輪郭に添わせ、ゆっくりとした動作で耳に掛ける。
……いや、それ以上に気になってしまったのは、その首の細さと、柔らかな肩のラインだった。
(……男の子、じゃない?)
驚いてもう一度顔を覗き込むと、長めの黒髪の隙間から覗く艷やかな頬に、小さく揺れる可愛らしい日焼け跡が見えた。
この時期特有の少女っぽさを纏った、線の細い――男の子だった。
その時、静かな図書館に、ぐぅーっと大きな音が鳴り響く。
彼のお腹だった。
空調の振動とページをめくる音だけが漂う空間。その響きは、異様なくらい大きく感じられた。
一瞬だけ気まずそうに目線を泳がせると、真っ赤になった耳を隠すように俯いている。
ゴクンと生唾を飲む。
何度か視線を少年へ向け、掛ける言葉を復唱する。
嫌がられるだろうか。
不審者と思われるかもしれない…。
だけど――。
「……ねえ。よかったら、パンでも食べに行く?」
なぜそんな言葉が出たのか、自分でも分からなかった。
ただ、目の前の少年から漂うかすかな寂しさが、私自身の傷口と重なった気がしたのだ。
私となつ。




