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さりげなく癒して【8】




さりげなく癒して


【8】




「だたいま~~」

 玄関で祐貴の声がした。

 その疲れきったような響きに、瞳子はベッドから起き上がり、寝室を出た。


「おかえりなさい……」

 言いながら玄関ホールへ出て来た瞳子は、目を丸くした。

「どうしたの? そんなに買い込んで……」

 玄関ホールの床に、買い物袋に埋もれるように座り込んでいる祐貴に訊く。

 床には買い物の袋が四つとボストンバッグが転がっていた。


 祐貴は疲れた顔で、へへ……と笑った。

「俺、明日からまた仕事だから、とーこさんが困らないように一杯買い込んで来たんですよ」


 瞳子の胸が、チクリ、と痛んだ。


「で、昨日から洗濯物が干しっぱなしだったのを思い出して、一度家に戻って取り込んだりして、すっかり遅くなっちゃったから、この荷物持って走って帰って来た……」

 そう言って祐貴は、ふぅ~……と、息をついた。




 明日は月曜だ。

 祐貴の日常が始まるのだ。

 土日の休みだからこそ、付き添ってくれていたのだ。祐貴にも戻らなければならない職場がある事を、瞳子はすっかり忘れていた。


 私は……


 瞳子は、自分の祐貴への想いに気付かぬ振りをする事が、そろそろ限界であると、漸く自覚した。

 自分の気持ちを、真正面から見詰めなければならない所まで来てしまっている事を知った。




 もしかして……今、寂しいとか思ってくれた……?


 瞳子の表情の小さな変化に、祐貴は気付いた。

 胸が躍った。しかし、口には出せない。


 あの冷たい無表情で、馬鹿じゃないの? ……なんて言われたら、二度と復活出来ない。

 博之にはあんな風に宣言したものの、まだ想いは一方通行なのだ。


「でも仕事が終わったら速攻でここへ来て、 晩御飯、作ってあげますからね」

 やっと、それだけを言えた自分に、祐貴は苦笑した。


 来て……くれるの……?

 また、瞳子の胸が痛んだ。




 外はそろそろコートが必要かという寒さなのに、走って帰って来た祐貴は、あち~……と言って、トレーナーを脱ぎ捨てている。

 間側で立ち上がると、見上げなければならない程、瞳子とは身長差があった。

 屈み込み、床の買い物袋を持ち上げる。

 そんな何気ない動作にも、フィットしたTシャツの上から、しなやかな筋肉の動きが見て取れた。


 『男』である事を、強く意識した。


 それなのに、嫌悪する気持ちはどこにも見当たらなかった。

 逆に、その身のこなしに、自分の目が釘付けになっている事に、瞳子は気付かない。


「とーこさん……?」

 声を掛けられて初めて、瞳子は我に返った。

 至近距離で、祐貴が心配そうに瞳子の表情を覗き込んでいる。

 一気に赤面するのが、自分でもわかった。


 祐貴は無言で、今持ち上げたばかりの買い物袋を、また床に戻した。

 瞳子の額に手を当てる。

「熱……あるみたい。ベッドで休みましょう」

 言うなり、瞳子を抱き上げた。






 俺って、ずるい……

 祐貴は思った。


 瞳子の気持ちの変化に気付いてしまったのだ。

 だけど……

 強引に踏み込む事ができなかった。


 捕まえようとすれば、余計に遠くへ逃げて行ってしまいそうで

 だから気付かぬ振りをした。

 熱だと思い込んでいる振りをした。


 抱き締めたくても出来なくて

 それでも、すこしでも触れていたかったから……

 すこしでも長く


 寝室へ向かう歩みは、いつもよりゆっくりしたペースだった。






 私って、ずるい……

 瞳子は思った。


 心配をさせてしまうとわかっているのに

 熱ではないと言わなかった。


 自分に起こった変化に、気付かれるのが恐くて

 そして……

 逞しい腕で、こうして抱き上げてくれるのを知っていたから……


 すぐ側に、優しいひとの顔があって

 もし……その瞳がこちらを向いたら

 更に赤くなった顔を見られてしまう


 染まった頬を隠したくて……そして、すこしだけ側に寄りたくて……


 大きな肩に、そっと顔を埋めた。











 昨日初めて踏み込んだ時と同じように、夕焼けでオレンジ色に染まったリビングで、祐貴はぼんやりとソファに沈み込んでいた。

 頭の中に何度も何度も浮かんで来るのは、さっきの瞳子の姿だった。


 仕事だと言った時の、小さな表情の変化。

 じっと見詰められている事に気付いて声を掛けると、瞳子は頬を染めた。

 抱き上げると、瞳子は遠慮がちに、祐貴の肩に頬を寄せた。

 心臓の鼓動を、聞かれてしまうのではないかと、祐貴の体温が上がった。


 ベッドに寝かせると、何かの不安に揺らめく瞳が、祐貴を見詰め、そっと逸らされた。

 瞳子の気持ちを急がせてしまいそうな衝動から逃れるように、祐貴は寝室を出たのだった。




 側にいて接してみて気付いた。

 祐貴のアクションに対して見せる瞳子のリアクションは、少女独特の、無垢な何かを感じさせる。

 恋愛経験は、そう多くないだろうと思われた。


 傷つけてはいけない

 大切にしたい

 愛しくて堪らない、年上のひと……。




 祐貴はクッションを抱え込んで吐息を付いた。

 ふと気配を感じて首を巡らせると、リビングの戸口に瞳子が佇んでいた。


「眠れないの?」

 祐貴がそっと訊くと、瞳子は小さく頷いた。

「寝てばっかりだもの……飽きちゃった……」

 祐貴は、くすっと笑って立ち上がると、戸口へと歩み寄り、部屋の明かりを点けた。


「夕食の支度、途中なんですよ。座って待ってて下さいね」

 祐貴がソファを促すと、瞳子は首を横に振った。

「そこで、見ていてはだめ?」

 そう言って、ダイニングの椅子を指差す。

 祐貴は吐息混じりに微笑んで、どうぞ……と、ダイニングチェアを引いた。











 祐貴は、カウンターの向こうでてきぱきと働いている。

 その姿を眺めながら、瞳子は感心して言った。

「お料理、上手ね。それにとても手際がいいわ」


 祐貴は嬉しそうに目を細めた。

「一人暮らしが長いですからね。外食ばかりも嫌になって、いつの間にか……」


「作ってくれる……人は……いないの?」

 彼女は……と言いかけて、結局言えなかった。

 しかし祐貴は屈託無く笑った。

「いませんよ~。とーこさん以外は、食べてくれる人もね」


 瞳子は小さく吐息をついた。

 何を……ほっとしているの……?


 食欲をそそる匂いが、目の前から立ち上った。

 俯いていた顔を上げると、テーブルに料理が並べられ始めていた。

「ちょっと早いけど、出来たて、食べちゃいましょう」

 にこにこと、気分を和ませる笑顔で、祐貴が言った。




 祐貴が作るのは、食欲の戻り始めた瞳子の身体を考えて、消化の良い元気の出そうな和食の家庭料理だ。

 今もテーブルに並んでいるのは、柔らかめに炊いた御飯と、これでもかというくらい具沢山の豚汁。魚の煮付けに、茶碗蒸し。


 仲良くいただきますを言った後、食事を始めて、瞳子が呟いた。

「早瀬くんの作ってくれるものは、何でも美味しいわね……」

 ほっとするような家庭の味に心を和ませて、自然に出た言葉だった。


 祐貴はもの凄く嬉しそうに笑った。

「そう言ってもらえると、うれしいです。でも、食べてくれる人がいると思うから、頑張って作るし、一緒に食べる人がいるから、美味しいんだと思う……。何作っても、一人じゃ味気ないと思う事、多いですもんね」

 照れたように言う祐貴に、瞳子も穏やかな気持ちになる。


「本当に……そうかも知れないわね……」

 そう言って、瞳子は微笑んだ。


 突然、祐貴が食事の手を止めた。

 瞳子が気付いて顔を上げると、祐貴は呆けたようにこちらを見詰めていた。


「なぁに……?」

 訝しく思って訊くと、祐貴は呟いた。

「笑った……」

「え?」

「笑ったっ! とーこさんがっ! 俺、初めて見た!」


 祐貴は立ち上がってリビングへと駆けて行き、天井を仰いで、うぉぉぉ~~っと叫んだ。

 まるっきり、犬の遠吠えである。


 瞳子が目を丸くして呆気にとられていると、祐貴はまたダッシュで戻って来た。

 瞳子の両手を取り、ぶんぶんと振る。

「俺、とーこさんに一杯笑ってもらえるように、明日からも頑張りますからっ」


「明日から……って、あなた、仕事でしょ?」

「そりゃ、仕事には行きますよ。でもとーこさんが良くなるまで、ここから通います。付き添いは続けさせてもらいますからね」


 そう言えば、買い物の荷物と一緒に、祐貴がボストンバッグを持ち込んでいた事を、瞳子は思い出した。


 そこまで興奮状態で喋り続けた祐貴だったが、言葉を失っている瞳子に気付いて我に返った。


「……って……俺、勝手に……。迷惑ですよね……?」

 風船が萎むように、しゅん、と小さくなる。


 瞳子は呆れたように吐息をついた。


「私に何の相談もなく、荷物まで持って来ておいて、急にそんなしおらしい事言ったって……」


 怒ったような瞳子の声だったが、その語尾が妙な感じに震えている事に気付いて、祐貴は顔を上げた。

 今にも吹き出しそうな瞳子の顔がそこにあった。


 祐貴の顔にも笑みが浮かんで――二人の声が可笑しそうにデュエットした。


「「今更遅いっ」」





                               つづく


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