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さりげなく癒して【5】




さりげなく癒して


【5】




「……くん……早瀬くん……」


 キッチンで、献立に悩んだ挙句、結局お粥を作っていた祐貴は、自分を呼ぶ声に気付いて鍋の火を止めた。


 寝室へ向かおうとした所へ、リビングのドアが開いて、瞳子がふらつきながら入って来た。

「だめだよ、とーこさん!」

 祐貴は慌ててその身体を支える。


 瞳子はキッと祐貴を見上げ、自分のパジャマの胸元をぎゅっと掴んだ。

「私……いつの間に……着替え……」


 羞恥に耳まで赤くなり、祐貴を睨むように見ている瞳には涙さえ滲んでいる。


 いくら睨んでも、そんな様子では可愛いだけだよ……

 祐貴は苦笑した。




「とにかく、座りましょう」

 祐貴はそう言って、ひょい、と瞳子を抱き上げた。

「や……降ろして……」

 瞳子が慌ててじたばたするが、祐貴はにこにこ笑った。

「はいはい。降ろしますよ、ソファのところでね」


 祐貴は瞳子をソファへと運び、そっと降ろした。背中にクッションをあてがって、膝掛けを掛けてやる。

 諦めたのか、されるがままの瞳子だったが、表情はすこぶる不機嫌である。

 どーゆー事!? と、言いたげな瞳が、祐貴を睨んでいた。

 祐貴はと言えば、それに呑まれる事もなく、にこにこ笑っている。


「心配しないで。着替えさせたのは看護婦さん……。知り合いの医者を呼んだんです」


「え……?」

 瞳子がぽかんと口を開けた。


「俺の兄貴の親友なんですけど、近所の病院に勤めてる関博之先生。看護婦さんも一緒に来てくれるように頼んだんです」

 祐貴が言うと、瞳子は、ほっと吐息をついた。

「会社の方には、博之さんが診断書をファックスしてくれる事になってます」

 ちょっと間があって、祐貴は可笑しそうに小さく笑いを漏らす。

「過労死寸前だったって、脅してくれるそうですから、しばらくはお休みを取るように……ですって。何も心配しないで、ゆっくり身体を治して下さいね」


 さっきまで怒っていた瞳子の表情が、みるみるうちに、申し訳なさそうな顔になる。


「ごめんなさい……本当にいろいろお世話になってしまったみたいね」

 俯きがちに言う瞳子に、祐貴はくすっと笑った。


「気にしないで下さい……。いいんですよ。ご褒美に、とーこさんのすっぴんが見られた事だし」

 祐貴の言葉に、瞳子が、きょとん、とする。

「顔色も診なくちゃならないし、お布団汚しちゃうからって、看護婦さんがメイク落として行きました」

 瞳子が、はっと息を呑み、慌てて両手で顔を覆った。


「だから、今更遅い~」

 祐貴は笑いながら、瞳子の両手を引き剥がした。

「可愛いですよ。俺はこっちの方が好き~」

 悪戯っ子のように笑って言う。


 瞳子はまた、耳まで赤くして――


 ぷいっと、そっぽを向いた。











「美味しい……」

 いきなりいろんな物を食べて身体悪くするといけないから……と、祐貴が運んできたお粥を一口食べて、瞳子が呟いた。

 祐貴は満足気に微笑んだ。

「明日はもっと栄養のある物、作りますからね。今日はそれで我慢して下さい」


 明日……


 何気なく祐貴が言った一言を、瞳子は反芻した。

 不思議と、嫌な気はしなかった。




 自分の中に起こっている変化に複雑なものを感じながら、瞳子は祐貴を見詰めた。


 瞳子が座るソファの傍らで、床に敷いた毛足の長いラグに直接腰を下ろし、祐貴もまた、お粥の椀を持っていた。

 その祐貴が、箸を休めて、ぐるりと天井を見上げた。


「この部屋は……亡くなった祖父が残してくれたものなの」


 祐貴が瞳子に視線を向けると、瞳子はソファの側にあるサイドテーブルを見詰めていた。

 祐貴もその視線を追って、そこに二つの写真立てがあるのに気付いた。


「おじいさんと……お母さん……?」


 老紳士の写真と、綺麗な女性の写真――

 どちらも幸せそうに微笑みかけてくる。

 女性の方は瞳子によく似ていて、瞳子が笑うと、きっとこんな風なんだろう……と、祐貴は思った。


 瞳子は頷いた。


「母は亡くなって、もう十一年……。祖父は五年になるわ」


「他に……ご家族は?」

 遠慮がちに聞かれて、瞳子は首を横に振った。

「……そうですか……」

 祐貴は、静かにそう言った。


 同情する様子もなければ、興味津々で訊く事もしない。

 そのスタンスに、祐貴のさりげない思いやりを感じた。


 優しいひと……


 口に含んだお粥は、作り手と同じ、優しい味がした。









「だめっ」

「とーこさんっ」

「駄目ったら、駄目です」

 食事の後、祐貴は瞳子を寝室まで運び、そこで口論が始まってしまった。




「駄々をこねても聞きませんからね。しばらく付き添いが必要だって、博之さんにも言われてます。俺は帰りませんよ」


 今夜は泊り込んで付き添うと言う祐貴に、瞳子が駄目を出しているのだった。


 付き添い云々は……嘘っぱちだった。

 しかし、歩く事さえままならない瞳子を、放って帰る事など祐貴には出来なかったのだ。


「それに、俺がちゃんと見張ってないと、とーこさん、また明日会社とか行っちゃいそうだし」

「だって……」

 言いながら、瞳子の頬に朱が差した。


 あ……もしかして……

 何か俺、アブナがられてる?


 祐貴は吐息をついた。


「あのさ、とーこさん……。心配しなくても俺、こんな状態のあなたを襲ったりしませんよ。そーゆーつもりなら、もうとっくに頂いちゃってます。時間はたっぷりあったんだから」


 生々しい言い方に、瞳子が、ぶるっと身震いした。

 祐貴は苦笑した。

「だから、冗談ですってば。……このままとーこさんを放ったらかしにして帰ったら、逆に気になっちゃって、眠れないですよ。廊下でもリビングでも、どこかでゴロ寝させてもらえる方が、俺の健康維持になります」

 いちいちもっともな言い分に、瞳子は返す言葉もない。


「いいですね? とーこさん」

 畳み掛けるように言われて、瞳子は渋々頷いた。




「……あの……」

 しかし、何か言いたい事がまだあるのか、瞳子はおずおずと口を開く。頬は朱に染まったままだ。

 ん? と、こちらを見る祐貴に、瞳子は困ったような顔を向けた。


「どうしたの? とーこさん」

「えっと……あの……」

 言いよどむ瞳子は更に赤くなった。


「熱、上がったのかな。辛いですか?」

 瞳子は慌てて首を横に振る。しかし、言いたい事が言えずに、口をぱくぱくさせた。


「とーこさん……?」

 ボボっと、更に赤面。

 祐貴は本気で心配になってきた。


「やっぱり熱、上がったんでしょう……顔、凄い赤くなってるよ、とーこさん」

 ボボボっ。耳まで赤くなる瞳子。

「とーこさん……とーこさんっ!」

 ボボボボっ……。湯気が出そうである。


「医者呼ぶ!」

 祐貴はとうとう立ち上がった。


「ま、待ってっ……!」

 瞳子が小さく悲鳴のように叫んだ。

「違うの……っ……」

 ドアの方へ身を翻そうとしていた祐貴は、動きを止め、心配で一杯の表情を瞳子に向けて困惑した。


「とーこさん……?」

「だから……それ……」


 はぁ~?


 ますます訳がわからない。


 瞳子の方も、困ったように視線をしばし泳がせて……やがて言った。


「初めは気のせいかな……と、思ってたんだけど……。さっきからずっと、私の事……。そんな風に呼ばれた事……ない……から……何だか変な感じで……」




 え……?

 あ……!

 う、うわぁぁぁ~~~~~っ!!


 祐貴は頭を抱えて座り込んでしまった。


 自分の中だけで、こっそり呼んでいた「とーこさん」を、知らぬ間に連発していた事に、祐貴は漸く気付いたのだった。

 瞳子の赤面は、完全に祐貴にまで感染してしまった。




「すっ……すみませんっ! 俺……電車の中であなたの意外な一面を見ちゃってから……勝手に俺の中で、あなたは『とーこさん』になっちゃってて……その……馴れ馴れしくするつもりはなかったんですが……えっと……」

 しどろもどろである。


「今更遅い……」

 瞳子の反撃。


 しゅるしゅるしゅる~~~……と、音を立てんばかりに、祐貴は小さくしぼんでしまった。

 瞳子は布団を引き上げて頭まで被った。吹き出してしまいそうだったのである。


 寝室を静寂が包んだ。


 漸く、可笑しさを押さえ込んだ瞳子は、何も言わない祐貴が心配になって、そっと布団から顔を覗かせた。


 頭を抱える赤面太郎と目が合った。


 速攻で、瞳子はまた布団に潜り込む。

 今度こそ、笑ってしまう所だった。


 ああ……とーこさん、怒ってるよ……。

 祐貴は恥ずかしさと落ち込みとを両方一度に食らって、どっぷりブルーだった。




 しかし――


 布団の中から、くぐもった声が聞こえた。




「許可します……」


 女神の一言で、祐貴は無事、復活を果たしたのだった。






                              つづく


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