DQ2
気がつくと、ゾンビが街にあふれている。
というのは映画でありそうだが、今ここ日本では、
気がつくと、「まちのひと」が街にあふれている。
佐藤レナは気がついてしまった。
レナは朝、職場の最寄駅を降りたところにあるコンビニをよく使う。
店員は言う、
「今、フライドチキン揚げあがりましたあ〜。
揚げたてのフライドチキン、いかがですかぁ」
確かにレジの奥では、もう一人の店員が、油の中から上げたチキンを、トングでトレイに並べている。
保温棚に目をやると、前に作ったチキンがある。過去には揚げたて「だった」だろうチキン達。
(私は頼んだことはないけど、今の言葉とは関係なく、保温棚から前のチキンをしれっと出してくるんだろうか......。)
昨日も今日も、どんな状況でも、同じセリフ。
きっと明日もそうだろう。
レナはそこで思うのだ、
ああ、この人、「まちのひと」だ。
レナの職場の上司(係長)は、課長席で案件を説明するとき、「まちのひと」になる。
基本、物腰がへりくだりすぎていて、慇懃無礼にもほどがあるその話しぶりは、時に人の(少なくとも、同じシマの女性全員の)感情を逆なでしまくる。
ビジネスマナー失格レベルなんでは、とレナは思うのだが、本人はまったく気づいていない様子だ。
係長が課長席に呼ばれると、たまに、向かいの席の清水さんから社用メッセンジャーで
「うわーはじまるよ」
とくる。
係長「課長が今まさにご指摘のとおりであるのかなと、受け止めているところでございます。まずは、私の中で強く思っておりますのは、先方のニーズと申しますか、最終形のビジョンと言えますでしょうか、このことについてのですね......、
レナ「イライラするがクセになる」
清水さん「いやいやいや!クセになるかあ?」
係長「現在、調査を依頼中の事項につきましては、回答期限を一応、明日にしているところですが、これについても、今から私、先方に電話で進ちょく状況を確認しましてですね、また同時並行的に......、
「他に投げてる返事待ちのとかあって、すぐには提案できませんって言やいいだけでは?」
「やつが言えるわけないw」
「恐縮していることは伝わる。伝わる?w」
「内容はないようw」
「悲しいがなw」
「課長もよく我慢して聞いてるよ」
「あーそこ!むしろw」
「私が課長だったら」
「だったら?」
「机ひっくり返すwww」
「灰皿投げる。あ、灰皿ないwww」
レナと清水さんがメッセンジャーを切り上げ仕事に戻っても、係長の言い訳は延々と続いている。
「千日戦争」、レナは昔読んだマンガに出てきたそのシーンを思い出す。
係長「進めていくことに、難しさはあると十分に認識をしている中で、なおかつ、案件を速やかに進行していくということ、これを私の中で、シビアに認識をしているところでございまして、これは今まさに課長からご指摘をいただいたところでありますけれども......、
いつなんどきもこんな調子だ。
この人も「まちのひと」だ。
夜、レナはある男とふたりで飲みに出かけ、長い時間ともに過ごす。
あの話題を振れば、この男が「まちのひと」化することは、レナにはよくわかっていた、でも一緒の時間の中で、楽しいひとときはそれはそれで最高だけれど、やはりレナは触れずにはいられないのだ、男に問いたださずにはいられないのだ。
「まあそのうちっていうかさ、ちゃんとするんで .......。いまはいいじゃん?」
夜も更けて、少しぼうっとしながら、レナは思う。
出たよ、ここにも「まちのひと」.......。
いつだって同じ言葉で。
レナは住まいの最寄り駅に着き、帰宅途中にあるスーパーに寄る。
深夜近くになっても煌々たる照明の大型スーパー。
店内に入るとすぐ、今流行りの、若い女性歌手の歌が流れている。
(この子の名字どっちだっけ、東野かな、それとも西野.......)
♫会いたいよ........でも会えないよ......♫
(あれ、たしか、こないだの歌の時も「会いたくて、会えなくて」って歌ってた......。
この人、いつ、好きな人に会えるんだろうか。
逆に会えてしまうと、何か都合が悪い事情でもあるんだろうか。)
レナは思う。この人も、もしや、まちのひと?
そして、彼女の歌を熱心に聞く人たちというのは、どうなんだろう、まちのひとのいつも同じメッセージに慣らされていってしまうと?特段の疑問もなく、ただなんとなく。
聴く方まで、「ゾンビ化」ならぬ、「まちのひと化」するとか。
ありそうだなあ。
マンションに戻ると、ポストに配送業者の不在伝票が入っていた。
レナが荷物の送り元を見ると、
「岩手県M市...... ××隆」
名前に聞き覚えはないな、と思ったところで、もしかして、とレナはピンとくる。
岩手県、そうか、「りゅうおう」さんだ。
すごいすごい。あのゲームが届いたんだ。
2ヶ月ほど前、レナはweb上で、岩手在住の「りゅうおう」氏が製作するゲームの予約注文をしたのだった。
シャワーを浴び、寝るばかりの格好に着替えると、レナは冷蔵庫から白ワインとチーズ(QBBのアーモンド入りの)を出し、テレビをつける。
プッシュホンで荷物再配達の予約(一刻も早くということで、明日の午前中にした)をしつつ、民放のニュースが流れているのを耳で聞いている。
「日本の平和維持隊(数年前に自衛隊から改称した)が、昨日、中東のある地域を空爆した。
その際、爆撃機が、地域の小学校を誤爆していた疑いがある」
という報道だ。
小学校の誤爆が本当だったらどうするかを問われ、
記者に囲まれた国防大臣はこう言った、
「3要件にのっとった武力行使は適切であり、関係諸国との密接な連携の上、我が国は毅然として継続して参ります」
官房長官が映る。
「お孫さんは、たしか小学生でしたね」、記者のその質問を遮ぎって、
「武力行使は3要件にのっとって適切であり、我が国は、関係諸国と連携を密に取り、毅然たる態度で継続して参ります」
首相の記者会見の場面に切り替わる。
平和維持隊が誤爆したと思われる小学校の現場が、
中東系のニュースメディアで放映されていたとの質問に総理は、
「適切な武力行使が3要件にのっとり行われたもので、我が国は毅然として、密接な関係国との連携の上、継続して行って参ります」
彼らは同じことを言っていた。
言葉の順列組み合わせが違うだけだ。
そして、とにかく質問にまともに答えない。
そうすることに端から決めている。
レナは一応法学部出身だ。言葉の組み合わせが違えば、文章の意味が変わると知っている。
だが、それを指摘する前に、この現実を前に、無力感が先に立つ。
(それを指摘することに、意味とかあるかって言えば、1ミリだってないだろうな)
こうも考える、
もし誰かがこの場で違う質問、例えば
「イチローの新しい挑戦をどう思うか?」
あるいは、
「どうしてあの有名な作家は、ノーベル文学賞を逃し続けてしまうのか?」
と聞かれたら?
彼らはこう言うだろう、
武力行使は3要件にのっとって適切。関係諸国と連携し、毅然と継続する。
とんちんかんに聞こえようが、そのほうが安全だから。
彼らは毅然として「まちのひと」でありつづける。
最高指導者たちが、「まちのひと」な国って......。
レナの心の空に、ひややかな諦めや醒めが、はらはらと降ってくる。
レナはテレビを消し、ノートPCの電源をつける。
そしてネットを起動し、おちょこに入れたワインをくいっと飲みながら、
「お気に入り」のサイトの一つをクリックする。
(明日、ついにこのゲームが届く......!)
少し気持ちを高ぶらせつつ、レナはゲームをするにあたっての心の準備というか、情報のおさらいをしておきたくなる。
「りゅうおうのページ」
「管理人について」
岩手県在住の学生。
趣味は映画鑑賞とゲーム。
大好きなこのふたつの意見や感想を書いていきます。
(好きな映画)
隠し砦の三悪人
未知との遭遇
ザスーラ
バニシング・ポイント
DRAGONSLAYER (ディズニー)
フィッシャー・キング
スラムドッグ・ミリオネア(2011.10追記)
など。
(好きなゲーム)
ふぁみこん昔話 新・鬼ヶ島
百の世界の物語
ケルナグール
ベースボールスターめざせ三冠王
ロウ・オブ・ザ・ウエスト
タイピング・オブ・ザ・デッド(アーケード版)
メタルギアソリッド3(2011.3追記)
など。
読んでくれたらうれしいです。(以上1996.12)
学生生活を通じて、映画鑑賞とゲームに明け暮れてしまった僕ですが、
関東の小さなゲームソフト制作会社で、プログラムの仕事につくことになりました。
新生活が軌道に乗るまでの間、サイトを閉鎖します。
今まで、本当にありがとうございました。(以上1999.3追記)
この度、仕事を辞め、地元に帰ってきました。
ずっと放置してたこのサイトを再開し、細々と書いていきます。(以上 2011.3追記)
自主制作で、ゲームを販売することにしました。
タイトルはDragon’ s Quin、「竜の五つ子」という意味です。
略称は、DQです。ご愛顧よろしくおねがいします!
また、僕の職業欄を、「ゲームのデザイン」に変更します。
(「ゲームデザイナー」は気恥ずかしいので )(以上 2015.1追記)
「ゲーム論、あるいは DQに詰め込んだもの」
「ゲームシステム」
「一言で言うと、「テーブルトークRPGの持つ面白さ」に迫れないか、というものです。
今、世の中にあるコンピュータRPGは、
「単線ストーリーをたどるために敵と戦いレベルを上げる」
というものが主流です。
僕は、中学生の頃にD&DやT&Tをプレイして、仲間に恵まれたこともあり
(今回のゲームでも協力を得た友人たちです)
ただ単に、敵を倒して宝を奪う、というのではなく、
どうやって敵対する軍団をだまして切り抜けるかだかとか、
敵対する軍団に共感すれば、逆に自分たちのパトロンへ歯向かい懲らしめるだとか、
そういう楽しみに磨きをかけました。
あの頃の楽しみを、再現したかったんです。
数あるミッションのひとつに、大商人から、密林に住む「るりいろのとり」を
つかまえてくるように依頼されるものがあります。
幻の鳥、と言われているけど、少し頭を使えば捕獲することは簡単だったりします。
ただ、その鳥は、密林の近くの村々では神の使いとしてあがめられており、
鳥を捕獲するだなんてとんでもないことです。
もし、鳥を生け捕りにした後、町で鳥が逃げてしまったら、
主人公たちはその科を責められ、捕らえられてしまいます。
(ある伏線をONにしておかないと、ずっと生け捕られたまま時間だけが流れ、
冒険に復帰できません。。。
いや、本当は、これ以外にも復帰方法を用意してありますが。
そのうちのひとつについてヒントを。
野良犬が来たときに、手持ちアイテムで使えそうなものを「つかう」と......)
あるいは、
「世界中の家々の、花瓶の水の中に逃げ込んだ「かびんのきんか」を集める」
というクエストがあります。
これは、
「冒険者が、普通の人の家にずけずけ入っていけるものなのか?」
という自問に対する、僕なりの答えです。
かびんのきんかを集める行為には、リスクがある。
つまり、家から叩き出されたり、町の自警団のご厄介になったり、国を出禁にされることがありうる。
「とく(徳)」や「みりょく(魅力)」の値が下がるので、クエストの幾つかには確実に挑めなくなる。
でも、かびんのきんかをコンプリートして依頼主に渡せば、経験値はとんでもなく稼げるわけです。
また、ある方法で加工に成功してもらうと、超のつく強力アイテムになる。
「何かを得れば何かを失う」
このことが、ゲームでも現実でも普遍的なんだと、伝えたかったんです。
経験値という点で言うと、
「武器を交えて戦い、殺す」ことが評価される(経験値を得られ、レベルを上げられる)
とは限らないつくりになっています。
例えば、「ほほえみのだいち」地方では、殺生はタブーです。
うまく「にげる」ほうが経験値を得られます。
「たたかう」を選ばない(追い払うとか、威圧するとか、だますとか)でも
敵を「やりすごす」ことができ、
そのことで経験値を得られるつくりにしてあります。
よほど上手く切り抜ければ、殺戮を全く行わずに、
「ラスボス」に謁見することが可能ですし、
その場合は「ラスボス」を「倒す」条件が大きく変わります。
レナは読み進めていく。
「冒険とは、駆け引きとは」
冒険とはなんだろうと考えるとき、僕の答えとしては、
「まずもって、未知なる存在との恐怖を伴う駆け引き」
です。
日本で、王道とされてきたRPGでは、
戦闘以外では、この駆け引きが「乱暴にはしょられている」というか、
「必ず成功してながら進んで行く」ことです。
例えば、会話。
見知らぬ人たちに話しかけられて、会話ってそれほど簡単に成り立つでしょうか?
あるいは、王や有力者との面会。
その冒険者が、たとえ勇者様ご一行だったにせよ、
彼らはなぜ、なんの問題もなくスムーズに、
異国の、初対面の王たちに取り次いでもらえるのでしょう?
会話であれば、初対面の冒険者と町の住人の会話なので、
彼らが警戒して何も言ってくれないこともあるでしょうし、
王の衛兵たちも、最初は見ず知らずの「自称勇者」なんて、
相手にしないし、取りついだりしないんじゃないでしょうか。
もちろんそれらは、ゲームのスムーズな進行を優先させるため、省略されただけの話です。
それでもいいのですが、この、省略されてしまった駆け引きや、やり取りに、
僕は物語を見出したいと思いました。
プレーヤーの快適さを損なわないためのバランス調整や、
その結果としての省略は、ある種、程度問題というか、
必ず発生するものですが
(例えば、僕も、家や民家の入口でブーツを脱がせる趣味はありません)、
万事がスムーズに、プレーヤーの快楽だけに配慮した価値原理のもとに、
あらゆる障壁や困難が削ぎ落とされてしまっているような進んでいくような旅は、
もはや冒険とは呼べないんじゃないかな、とは、思っています。
「シナリオ」
シナリオが単線であることの否定。
これは、本ゲーム制作における巨大なモチベーションでした。
クエストの達成/非達成、行動や手持ちアイテムや、会話の展開によって、
次のクエストのシナリオ内の本筋と、伏線が変容する。
過去に訪れた町の人物の反応も変わってくる。
そうした有機的なシナリオ生成を、とにかく沢山用意するということ。
人と人との意外なつながりが明らかになった時や、
達成(未達成)イベント相互の関連によって、クリアへの道筋が無数に分岐していく。
ラスボスの「真の意図」や、エンディングで成し遂げられることも
変化してくる。
いや、あるシナリオでは、
倒すべきラスボスが冒険の中で、
プレイヤー/キャラクターの気づきによって、
変わることさえ起こりえます。
「悪の魔王」と名指しされた人物は、
いろんな聞き込みからして、地域のまっとうなリーダーで、
むしろ依頼主の大臣がラスボスなんじゃないか、という具合ですね。
これが起こるかは、プレイヤー/キャラクターの気づき次第なのですが。
ここが本ゲームのキモであり、相当なエネルギーを注ぎました。
その分、グラフィックが若干しょぼいかもしれませんが......笑、
これは、オールドファミコン世代にニヤリとしてほしい「味」も含んでいます
(やや言い訳っぽいですが)
「世界の地理や地形」
最初の冒険世界は、かなり小さめに設定しました。
アリアハンほども広くない......笑
世界の海を股に掛ける、的冒険は、
物語の最終盤になるまでは、お預けです。
特に移動手段が、徒歩か「ダバくん」という名の駄馬しか使えない序盤は、
冒険世界は、ある城下町の数十キロ圏内にとどまります。
僕は会社を辞めた後、大阪と奈良の県境にある「磐船神社」を訪ねたのですが、
そのときに山中で迷いかけたことがあったんです。
暮れかける空の下、車の全く来ない山道を、心細く歩いていて、
向かいからたまたまタクシーが走ってきたときの安堵感!
「ああ、こんな狭いエリアの中でも、冒険は起こってしまう」
あれは結構強烈な体験でしたね。
「旅の装備」
ここのリアリティに手をつけたいのだが、ここは徹底できませんでした。
やってみると、一泊二日の登山だってもう、
荷物は重くてかさばるわ、山小屋の仮眠コーナーは狭々だわ、
なかなか大変なものがあります。
冒険中というのは、快適でなく、緊張感が漂っているものだろうと考えます。
その理由の一つに、「重荷」といいますか、
荷物を抱え移動する大変さ、煩雑さが含まれていると思っています。
だから、「重量の概念」、
つまりアイテム(宝箱や通貨も含め)には重さや「かさ」があり、
持ち運べる数には自ずと限りがある、ということは必ず入れるつもりでした。
食料を持ち歩くことという概念も、導入できて嬉しいですね。
一つ、小ネタを紹介しますと、
「たまご」は、時間を置くと「くさったたまご」になります。
さらに置くと「きょうれつなたまご」になる。
ある種のモンスターを追い払うアイテムになりますよ!
ぜひ、試してみてください。
「会話」
主流のRPGでの典型的な「まちのひと」にはとにかくしないぞ。
というのが、このゲームで成し遂げたいことの一つでした。
この街で生きる人たちには名前があり、生活があり、人生があるんだ。
という気づきを、プレーヤーに与えたい、共有したいと思ったんです。
このことを意識し始めたのは、
「月曜日に乾杯!」というフランス映画を観たときのことです。
フランスのある地方で、工員として働く主人公は、
ある日突然、「まちのひと」として生きることから抜けようとする。
それで、ベネチアに行くんですね。
「ここには素晴らしくて新しい何かがあるはずだ」と。
ベネチアで過ごすうちに彼は気づく、
どこの町に生きていても、結局決まり切った日常からは逃れられない、
その中を人は強くしたたかに生きているんだ。ということにです。
それで、ラストシーンで、彼は生まれた町に戻ってくる。
「まちのひと」としてもう一度生きるために。
街に向かって歩いてくる彼の笑顔は、さっぱりとして力強い。
誰にだって一人ひとり、個別の悩みや屈託があり、しぶとさ賢さがある。
ここはおろそかにしてはだめだよな、と感じたんです。
「主人公たちは、街で誰かと話すとき、「わだい」を選んで話をします。
「せけんばなし」、「このまちのはなし」、「たからのうわさ」という具合ですね。
ゲームが進みクエストを達成するなどすると、だんだん話題が豊富になってきます。
同じ話題を選んでも、パーティーの先頭、話し手が誰かによって、人の反応は変わる。
男と女でも変わるし、キャラクターごとの「みりょく」によっても、
会話の中身が変わります。
まちのひとの中には、うそをつく人もいるし、
機嫌が悪いとか、話せる状態にない(トイレの大が出そうとかの)人もいる。
話せば話すほどわからなくなる、ということも多々あるでしょうし、
誰のいうことが本当なのか混乱する場面もあると思います。
「会話メモ」機能をうまく使ってください。
(このあたりのことは、以前勤めていた会社の社員旅行で、
インドやベトナムへ行ったときの経験が生きました。)
話題が豊富な人は、その「コミュ力」でいろんな人から話を聞き出しまくって、
「普通」の冒険とは別のやり方で、クエストをクリアできることだってあります。
もっとも、このゲームは、「マルチエンディングならぬ、マルチプロセス制」のため、
話題が豊富だからクリアできるクエストをもし達成できなくても、当然、先へ進めますが。
「戦闘」
ドルアーガの塔の、スライムと切り結ぶ戦いが、僕の考える戦闘の理想型です。
どんなに最強寄りの装備であっても、スライムが動いてくるタイミングというか、
戦いの「入り」が悪ければ、深手を負うようにデザインしたかった。
この緊張感を、いわゆるWIZ型の、コマンド入力型の戦闘で
どう表現するかは、大変難しい問題でした。
もうひとつの理想型は、映画「隠し砦の三悪人」に出てきます。
三船敏朗と敵将の、槍バトルがすごい。
あのビリビリした緊張感。
槍を繰り出していないのに、正しい位置を取り合うことで戦いは始まっている。
かっこいいんです。
正直、テキストでこの理想の戦闘は表現できにくくて。
将来的にはアクションモードの研究をして、
戦闘はアクション画面に遷移させられたらいい、
という野望を持っています」。
「負傷、回復、死生観(デッド/ロスト/復活)」
宿屋で一晩寝れば、無条件でHPもMPも全快っていうのは、やはりいかがなものかと思います。
ウィザードリィの宿屋のあり方は、参照すべき先例でした。
なんでMPは馬小屋泊?ってのは、ありますけどね。
キリスト教と関係があるのかな、
それだったら、僕とは関係ないからなくてもいいかな、とかのアレンジはしつつ。
一日寝て起きただけでは、傷は癒えない。
当然そうですよね。
タイムトライアル的なクエスト、他の冒険者と競合していたり、人命救助、
こうした場合は、リアルタイムカウントが発生するので、のんびりはできない。
「敵対勢力の侵攻にからむクエスト」の場合もそうですね、
時間が経てば立つほど町や村が(戦場として)荒廃してくるので、
のんびりしていられないから、全回復する前に、多少無理して手負いで、
クエストの現場に向かう必要が出てくることでしょう。
回復型魔法や薬草の存在を全否定するものではありません。
ただ、それらの効果は部分的・限定的にとどめました。
不親切と言われるかもしれないですが、ここは仕方ないですね。
回復ということをあまりにイージーにするのは、
身体や気力という、冒険で死活的に重要な要素に対する、
一種の冒とくであるような気がずっとしていました。
怪我や病気、後遺症の概念、またHPゼロからの復活については、
WIZ型を採用しましたが、本当はもっと突き詰めたかったですね。
友人たちの反対で、ここは、残念なんですが、手をつけられなかったんです。
先々、あきらめてはいませんけどね。
彼らをうならせるような、独自の、ロストや復活のデザインを導入したいです。
......
.......
.......
ううー。
ここまでが限界だ.....、
レナはPCの電源を落とす。
サボリモードで歯を磨き(一人暮らしをしてからこのかた、毎日サボリモードだ)、
ベッドに入り、すぐ眠りに落ちてしまう。
見知らぬ若い男が闇の中を歩いている。
日本人ではないようだ。年齢もわからない。
こちらに何か呼びかけてくる。
(日本語ではないようだ。)
立ち止まり、握った両手で正面の暗闇を叩き、
険しい表情で、叫んでいる。
“そこにいるのか”
“返事をしてくれ”
“お願いだ”
“頼む 頼む 頼む ......
...... ....... ........”
日本語ではないはずなのに、彼の言葉がわかった。
だが、いまレナに訪れたこの夢は、やがて失われ、
翌日、彼女が起きた時には、一切残っていなかった。




