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16、一番大切なこと(完結)

 6月。

 大沢桐人が描いた私の絵は『雪精』という題で、県の絵画コンクールで入賞を果たした。


 銀に霞む背景。

 滲む町の景色。

 複雑な色彩の鈍色の空から舞い落ちる雪。

 それを宙に手を差し伸べて受け止める少女――――。


「橘桐人の絵と…少女の容姿も手を差し伸べる構図も…ちょっと似ているけど……」


 入選作品が展示されている市民ホールの一角で、私と並んで大沢桐人の絵を見つめながら、浩平は少し首を傾げた。


「だけど、全然違う。全く別の絵だ」

「うん。私もこの絵を見て、はっきり、大沢くんは橘桐人と別人だと…生まれ変わりなんかあり得ないって分かったの」


 その言い方が悪くて、千佳ちゃんの誤解を招き、危ない目に遭うことになったのだったと思い返していると、当の本人の聞き慣れた声がした。


「早希さん!」


 後ろからムギュウと抱きつかれる。


「おい、千佳。また子供っぽいことして。川瀬がびっくりしてるじゃん」


 呆れたような声が重なる。千佳ちゃんと大沢桐人だった。

 大沢桐人は私と浩平が恋人同士になった日から、私のことを『早希』ではなく『川瀬』と呼ぶようになった。

 千佳ちゃんは、高校生に殴られた直後、顔が腫れ上がって、学校も数日休まなければならないくらいだった。

 大沢桐人は事件後、出来る限り千佳ちゃんに付き添っていたようだ。

 その後もしばらく頬に痣が残っていたが、今はすっかりその傷も癒えている。

 怪我が治ってからも、気持ちの上で吹っ切れたのか、二人が一緒にいる光景をよく見かけた。

 今では、あの日浩平が言ってたように、やはり大沢桐人の一番は千佳ちゃんなのだと納得する。


「…ねえ、早希さん。橘桐人って? あの日、屋上でもその名前が出たよね?」


 さっきの浩平との会話が聞こえてしまったのだろう。


「以前私が持っていた『桐人』って名前が書いてあったスケッチブックの持ち主」


「じゃあ、あのスケッチブックは桐ちゃんのじゃなかったの? でも、あのスケッチブックには早希さんのスケッチが一杯で。だから、私はてっきり……」


「あれは、私じゃない。私が生まれるずっと昔に描かれたスケッチなの。大沢くんって、橘桐人さんとすごく共通点があって…だから、私、ひょっとしたら大沢くんって彼の生まれ変わりかも…なんて思い込んでいたくらいで。でも、絵を見たら全然違う人なんだと分かった…だからあの日『これは…桐人さんの絵じゃない』なんて言ってしまったの。もちろん『橘桐人さんの絵』っていう意味で」


「…早希さん、ごめんね。私、早合点しちゃって、あんなことになって」


「こちらこそ、言葉足らずで心配かけて……ごめんね」


「ううん。私が悪かったの。だから……」



「ストップ。…このまま続けていたら、永久に謝罪の応酬になるんじゃないの?」


 見かねた大沢桐人が私と千佳ちゃんの会話に割り込んでくる。

 いつもあの日の出来事の話になると、千佳ちゃんと「ごめんね」の応酬になってしまうんだ。

 千佳ちゃんは怯まず私を守ろうとして、怪我までしてしまったんだもん。

 浩平は私が千佳ちゃんに似てるって言うけど、きっと私にはそんな勇気はない。

 だけど、千佳ちゃんは勘違いで私を連れ出したことで危ない目に遭わせたと、ずっと自分を責めている。

 気持ちはお互いに通じ合っているんだけど……。

 私たちは目を合わせると、クスリと笑って肩をすくめた。


 空手部を辞めた浩平と一緒に、今でも時々千佳ちゃんの店に行く。

 相変わらず千佳ちゃんは姉のように、私を慕ってくれている。

 専攻が違う大沢桐人とは、千佳ちゃんの店で時々見かけ、会話を交わすが、以前のように掻き回されることもなく、穏やかな友人関係となっている。


 私は笑顔で彼に「入賞おめでとう」と挨拶し、再び千佳ちゃんに微笑みかけた。


「ふうん。大沢の目から見たら、早希ってこんな風に映るんだ」


 浩平がじっと絵を見て、一人ごちる。

 

「まあね。初めて見かけたときに校門のスロープでこんな風なポーズで雪の一片を受け止めていて、空を見上げる瞳がとても印象的だった。堕天使が故郷の天空を見つめるような…。だから絵にするときは、できるだけ命や熱を取り去って、幻想的な感じに仕上げたかったんだ」


「そうか。橘桐人は画家で、将来を期待された人物だったんだけど、君の絵からは彼の絵に負けず劣らずの個性の煌めきを感じるよ。モデルのポーズが多少似ていても、質的に全然違う物だ。橘桐人はむしろモデルの命や熱を、キャンパス一杯に表現したかったんだと思う」


「…僕も、橘桐人の絵を見てみたいな。あのスケッチブックにもとても興味を引かれたよ。川瀬がなかなか見せてくれなかったけどね」


「当時の入賞作品は静物画が多くて、探したけど人物画は見つからなかった。だけど、早希そっくりなモデルの絵はどこかで見たのか印象に残っている。スケッチブックにあった手を差し伸べる少女の絵は油彩でも描かれているはずなんだ。題名は『春』……」

 

『春』―――――。


 ドキッとした。

 私にも記憶があるのだ。あの琴音さんのスケッチの完成品の。

 色彩を伴った油彩のイーゼル。

 その背景は雪の降る街の光景などではなく……。


「光に霞む一面の桜を背景に、一片の花びらを受け止める少女の絵なんだ――――」




 大沢桐人と千佳ちゃんに別れを告げ、自宅に帰る途中。

 私の頭の中は色々な事が駆けめぐり、浩平が訝しげな目を向けていることは感じていたが、何も言葉に出来なかった。


 橘桐人の人物画は見つからなかったと言っていたのに、何故浩平に私と同じ『春』の記憶があるのか。

 スケッチブックの下絵だけでは、一面の桜の背景や、琴音が受け止めていたのが花びらだったことなんか分からないはずだ。


 そう言えば、宗師が言ってた橘桐人の性格は『絵を描く以外全く不器用な人だったけど、優しくて誠実な人』だった。

 人見知りが激しく、なかなかうち解けないという琴音さんが、時間を重ねるうちに心を開き、惹かれるようになったのだと言っていた。


 そういう人柄は大沢桐人とは全然一致しない。

 むしろ一致する人物は私のすぐ傍にいる。

 その人物が非凡な才能を見せているのはピアノだけど、その気になれば器用にこなす彼のことだから、出会ったのが『絵画』であったなら、やはり人並み以上にこなしてしまうに違いない。

 もしも、彼が橘桐人の生まれ変わりだとしたら、橘桐人の夢を見なくなった理由も分かる。


『 ―――――俺はおまえを探し続ける。

 俺は、おまえをあきらめないから―――――。』


 橘桐人は夢の中でそう言った。


 彼は生まれ変わって、私を見つけた。

 そして私と想いが通じ合ったのだとしたら……。


「ちょっと寄っていこう?」


 浩平の声に思考は中断した。

 顔を上げると、浩平が家の近所にある児童公園を指差していた。

 浩平に告白されて、一度はその想いに答えられないと返事をしたあの公園だ。

 同じベンチに腰をかけて、私が隣に座っても、浩平は何も言わず、しばらく誰もいない砂場をじっと見つめていた。


 初夏となり、だいぶ日も長くなってきたが、辺りは薄暗くなっていて、もう夕飯時なのか、公園には私たちしかいなかった。


「何だか…答えの見つからない事をグルグル考えているようだけど……」


 やがて、浩平は優しく微笑んで私に視線を向ける。

 私の心中などお見通しの顔をして。


「もう、いいんじゃないの? 誰が誰の生まれ変わりだとか」


 そう言って浩平は私の頬に片手を添わせた。


「そんな難しい顔するなよ」


「…え?」


「俺にとってはそんな過去の話はどうでもいい。今、早希が俺の隣にいてくれることが、これからも傍にいてくれるってことが、大事なんだ。……笑顔でいてくれないと、俺、すっごい不安になる」


 ふと浩平の顔が近づくと、私の唇にそっと熱を落とした。


 私にとっても同じ。

 今、浩平が私の隣にいてくれることが、これからも傍にいてくれるって事が大事。

 この温もりを二度と失わないことが大事。 

 そう考えると、グルグル思っていたことも、すごく些細で、どうでも良いことに思えてくる。


 この手を二度と離さない。

 その事さえ間違わなければ―――――。


「うん」


 笑顔で浩平に答えると、私はそっとその肩に額を凭せかけた。

 もう橘桐人と琴音さんのことは忘れてしまおう、それが一番良いのだ。

 浩平が反対の手で、私の髪を柔らかに撫でるのを心地よく思いながら、私はずっと心が捕らわれていたものを封印する決心をした。






 しかし、6年後。

 私と浩平は心ならずも、橘桐人の描いた『春』の実物を手に入れることになる。

 橘桐人と親交が深かった宗師さんが実は『春』を所有していて、ある出来事を切っ掛けに、私たちに譲って下さる事になるのだ。


 なかなか橘桐人と琴音さんとの絆を断ち切れない事を実感することになるのだけど、それはまだずっと先のお話――――。

 


                                                                  ( 完 )




最後まで読んで下さいまして、ありがとうございました!

『夢のつづき』はこれにて完結です。思った以上にたくさんの方に読んでいただけて、ホント嬉しかったです。


次回、短編『月の記憶』を投稿します。

その後、3月1日(予定)より、新連載『君が呼ぶ風』を始めますので、良かったら、またお付き合いくださいね。

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