第16話 いなくても続く
冬休みが近づくころには、美月が蓮と別れてから1か月以上が経っていた。泣くことは減った。
蓮との写真も、毎晩見ることはなくなった。消してはいない。
まだ消せなかった。ただ、スマートフォンを開くたびに蓮の名前を探すことはなくなった。
大学へ行く。講義を受ける。
友達と昼食を食べる。アルバイトへ行く。
家へ帰る。そんな普通の日が積み重なっていった。
「最近、戻ったね」
昼休み。千紘が言った。
「何が?」
「美月」
「どこに?」
「前の美月に」
美月は箸を止めた。
「前って?」
「佐伯くんと付き合う前」
「そんな変わってた?」
「変わってたよ」
千紘は笑う。
「スマホ見なくなった」
美月はテーブルの横に置いたスマートフォンを見る。確かに、昼食が始まってから一度も触っていない。
「あと」
千紘が続ける。
「急に予定変えなくなった」
「それはごめんって」
「責めてないよ」
「絶対責めてる」
「少しだけ」
美月は笑った。以前なら。
蓮から、
『今日会える?』
と来れば。友達との予定があっても迷った。
今は。誰かから急に呼ばれることもない。
寂しい。でも楽でもあった。
その二つが同時にあることを、美月は少しずつ理解していた。
「ねえ」
千紘が言った。
「冬休みどうする?」
「バイト」
「寂しい大学生」
「千紘は?」
「彼氏」
美月が睨む。
「帰れ」
「ここ大学」
「じゃあ退学して」
「重い」
二人で笑った。
「冗談」
美月が言う。
「楽しんできな」
千紘が少し驚く。
「何?」
「いや」
「何よ」
「前だったらもう少し嫌そうな顔したかなって」
「するわけないじゃん」
「したよ」
「してない」
「してた」
美月は笑いながら千紘の腕を叩いた。でも。
少しだけ分かった。恋人がいる友達を羨ましいと思う。
それは今もある。クリスマス。
年末。街を歩けば恋人同士が目につく。
羨ましい。寂しい。
自分だけ一人になったような気もする。でも。
だからといって、千紘に幸せでいてほしくないわけではなかった。羨ましいと。
幸せでいてほしいは。一緒にあっていいのかもしれない。
美月はそんなことを考えるようになっていた。その日の夜。
拓海から久しぶりにメッセージが来た。
『これお前好きそう』
写真が添付されている。コンビニの新作プリン。
美月は笑った。
『何これ』
『プリン』
『見たら分かる』
『じゃあ聞くな』
『おいしい?』
『知らん』
『食べてないの?』
『見つけただけ』
美月は画面を見ながら笑う。以前と変わらない。
でも。以前とは違う。
毎日ではない。電話もしない。
何か困ったときだけ連絡する関係でもなくなった。たまに。
くだらないものを送る。美月も時々送る。
『これ拓海さん好きそう』
変なTシャツ。大盛りのラーメン。
犬の動画。拓海から、
『俺を何だと思ってる』
と返ってくる。それで終わる。
不思議だった。以前より連絡は少ないのに。
以前より少しだけ、対等になったような気がした。数日後。
拓海は会社の忘年会に参加していた。大きな宴会場。
部署ごとに席が分かれている。拓海は端の席で、後輩の愚痴を聞いていた。
「もう無理ですよ」
「何が」
「主任」
「また?」
「俺だけ仕事多いんですよ」
「それ先月も聞いた」
「改善してないからまた言ってるんです」
「なるほど」
拓海はビールを飲んだ。
「相沢さんから言ってくださいよ」
「なんで俺が」
「主任、相沢さんの話は聞くじゃないですか」
「自分で言え」
「冷たい」
「まず自分で言って、駄目なら一緒に考える」
後輩が不満そうな顔をする。
「前なら相沢さんが言ってくれたのに」
拓海の手が止まった。
「そうだっけ?」
「そうですよ」
「じゃあ前の俺が甘やかしすぎたな」
「改悪じゃないですか」
拓海は笑った。少し離れた席にいた同僚の女性が振り返る。
「相沢さん最近変わりましたよね」
「またそれ?」
「何かあったんですか?」
「何もない」
「彼女できた?」
「できてない」
「振られた?」
拓海は少し考える。
「だいぶ前にな」
女性が目を丸くする。
「え、本当に?」
「そんな驚く?」
「相沢さん恋愛するんだ」
「俺を何だと思ってんの」
周囲が笑った。拓海も笑う。
以前なら、美月の話になるのが嫌で誤魔化した。今は。
振られたことくらい言えた。名前は言わない。
詳しい話もしない。ただ。
好きな女性がいて。選ばれなかった。
それだけのこととして、少しずつ自分の中へ置けるようになっていた。忘年会の帰り。
拓海は駅前を歩いた。イルミネーションが点いている。
去年。同じ場所を美月と歩いたことを思い出した。
まだ告白する前だった。美月が、
「きれい」
と言って写真を撮っていた。拓海はその横顔ばかり見ていた。
今でも覚えている。胸は痛んだ。
でも。立ち止まるほどではなかった。
拓海はそのまま駅へ向かった。クリスマスイブ。
美月はアルバイトだった。わざと入れたわけではない。
シフト希望を出したら普通に入った。夕方から夜。
店には恋人同士も多かった。
「美月ちゃん今日バイトなんだ」
同じアルバイトの女性が言う。
「見たら分かるでしょ」
「彼氏は?」
「別れました」
「あ、ごめん」
「大丈夫です」
以前なら言うだけで胸が痛んだ。今日は普通に言えた。
仕事が終わったのは午後10時。外へ出る。
寒い。駅へ向かう途中。
前を歩く恋人同士が手をつないでいた。美月は少しだけ寂しくなった。
スマートフォンを見る。千紘から写真が届いている。
彼氏と食べたらしいケーキ。
『幸せ自慢』
美月は送る。すぐに。
『そうです』
と返ってきた。
『むかつく』
『来年頑張れ』
『何を』
美月は笑った。そのあと。
拓海とのトーク画面を開いた。何となく。
『メリークリスマス』
打つ。少し迷った。
送った。数分後。
『おう』
それだけ。美月は眉を寄せる。
『それだけ?』
『メリークリスマス』
『最初から言え』
『要求多いな』
美月は笑う。
『何してるの?』
返事。
『亮介たちと飲んでる』
美月の指が止まった。
『奈緒さんも?』
『いる』
少しだけ。行きたいと思った。
以前なら。
『私も行っていい?』
と送ったかもしれない。でも今日は送らなかった。
拓海には拓海の時間がある。美月は。
『飲みすぎないでね』
とだけ送った。
『お前は母親か』
『おじさんだから心配してる』
『5歳しか違わん』
『大きいよ』
『大学生から見たらな』
そこでやり取りは終わった。美月は電車に乗った。
寂しくないわけではない。でも。
拓海のいる場所へ、自分がいつでも入っていいわけではない。それを我慢とは思わなかった。
ただ。相手にも自分とは別の生活がある。
当たり前のことだった。年が明けた。
大学の後期試験が近づき、美月は忙しくなった。蓮のことを考える時間はさらに減った。
時々、大学ですれ違った。最初は心臓が跳ねた。
蓮も美月に気づく。軽く頭を下げる。
美月も返す。それだけ。
一度。蓮が女性と歩いているのを見た。
麻衣ではなかった。美月は足を止めそうになった。
胸がざわついた。誰。
新しい彼女?もう?
そんなことを考えた。でも。
そのまま歩いた。後ろを振り返らなかった。
その夜は少し泣いた。翌朝には大学へ行った。
それで終わった。2月。
試験が終わった。春休み。
美月はアルバイトを増やした。友達とも遊んだ。
母親と買い物にも行った。拓海とは月に何度か連絡を取った。
一度、グループで食事もした。二人きりでは会わなかった。
蓮との別れから時間が経ち。美月はようやく。
誰かと付き合っていない自分に慣れてきた。3月の終わり。
大学のキャンパスには、新入生を迎える準備が始まっていた。サークルの勧誘ポスター。
新歓の予定。履修相談の案内。
美月も4月から4年生になる。
「早くない?」
千紘が言った。
「何が?」
「私たち4年だよ」
「言わないで」
「就活」
「もっと言わないで」
「卒論」
「帰って」
千紘が笑う。
「新歓手伝う?」
「なんで4年が?」
「人足りないんだって」
「誰に言われたの?」
「ゼミの後輩」
「面倒くさい」
「お昼出るって」
美月が少し考える。
「何?」
千紘が聞く。
「お昼何?」
「そこ?」
「重要でしょ」
千紘が笑った。美月も笑う。
4月になれば。新しい学生が入ってくる。
毎年のこと。キャンパスには知らない顔が増える。
今の美月にとって4月は。ただ。
大学生活最後の1年が始まる月だった。




