第84話 ★ユノとメリッサ
——完全な決着。
史上最強と謳われた騎士、エレオノーラの敗北宣言。それは、不屈の意志で絶対の壁を乗り越えたメリッサの揺るぎない勝利を意味していた。
すべての力を使い切り、糸が切れた人形のように崩れ落ちるメリッサの身体を、エレオノーラは、その両腕でしっかりと抱き寄せた。
「よく頑張りましたね、メリッサ」
「……先生……っ」
あまりにも懐かしい師の温もりに、メリッサの目頭が熱くなる。
「これを、あなたに」
エレオノーラは、かつて白銀の女王の象徴として大陸中にその名を知らしめた自身の愛剣——『白銀のレイピア』をメリッサの手にしっかりと握らせた。
「それは私の分身ともいえるレイピアです。忘れないで、メリッサ。私は、いつでもあなたの隣にいます」
生前は誰よりも厳しかった先生。
だが、それは深い愛の裏返しだった。
その本当の優しさに触れ、メリッサの目からボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
「メリッサ。私があなたに教えることは、もう何もありません」
(先生……そんなことを言わないでください……まだまだ教えてほしいことが、たくさんあります……)
「あなたは、私の自慢の弟子です」
(……先生……私はまだまだ、あなたに遠く及ばない、未熟な弟子です……)
「あなたのような弟子をもてたことを、私は心から誇りに思います」
(私も……先生の弟子でいられたこと……生涯誇りに思います……!)
エレオノーラの身体が、足元から淡い光の粒子に包まれ始めていく。
この試練の迷宮が現世に彼女を引き留めておける時間は、もう残されていなかった。
しかし、その顔はどこまでも晴れやかだった。
愛弟子の確かな成長を見届けた者の、この上なく満ち足りた表情。
エレオノーラは、メリッサが愛おしくて、誇らしくて仕方がなかった。
「いやぁぁ! 先生……行かないでください……!」
メリッサは消えゆく光に必死に縋り付いた。
「お願いです……! 私は……私は……っ!」
その先は、涙で言葉にならない。
もっと、剣を教えて欲しかった。
もっと、一緒に居たかった。
もっと、生きていて欲しかった。
もっと——
「メリッサ。あなたは幸せになりなさい。好きな人と出会い、結婚して、子供を産んで、それから可愛いおばあさんになりなさい。
私の分まで、どうか長生きしてね」
光の粒子となって、ゆっくりと空間へ溶けていくエレオノーラ。
彼女は壁際で見守っていたユノの方へとまっすぐに向き直った。
(メリッサを、頼みましたよ——)
言葉はなかったが、ユノには確かにそう聞こえた気がした。
ユノは静かに頷き、その気高き魂に敬意を表す。
最後にエレオノーラは、一点の曇りもない美しい動作で、二人に向けて一礼をした。
——騎士の礼。
史上最強の騎士は、最後の瞬間まで、その気高き騎士道を美しく貫き通したのだった。
闘技場の景色が消え、元の第30階層の冷たい石畳へと戻る。
メリッサは遺された白銀のレイピアを胸に強く抱きしめ、子供のように声を上げて泣き崩れた。
ユノは静かに彼女の隣へ歩み寄ると、そっとその震える肩を抱き寄せた。そして、彼女の涙が止まるまで、優しい静寂の中でずっとそばに寄り添い続けたのだった。
◇
——前人未到。生きて帰ることは絶対に不可能とまで言われた『試練』の第30階層から、ユノとメリッサは見事に生還を果たした。
外へ出ると、そこにはギルドのお姉さんの姿があった。
「あなたたち……っ、無事だったのね! 本当に、本当に良かった……!!」
涙ぐむお姉さんに迎えられ、二人の壮絶なダンジョン攻略は幕を閉じた。
それから二人は拠点としていたバロールの町へと戻った。
「あ、そういえば、あなたたちに来客よ」
ギルドのお姉さんがユノとメリッサを街の広場まで案内する。
すると、不当に収監され、デザートプリズンから脱走したメリッサを、血眼になって捜索していた勇者パーティの面々が待ち受けていた。
「メリッサ! 心配したぞ!」
駆け寄る勇者たちの姿を、ユノは少し離れた場所から、どこか遠巻きに穏やかな目で見つめていた。
時間稼ぎの7日間は無事に過ぎ、地上の騒ぎも一段落したとみていいだろう。
仲間たちに囲まれていたメリッサだったが、ふと振り返り、ユノの元へと歩み寄ってきた。
「ユウ。……もしよかったら、私たちと一緒に行かない?」
「いや。僕には……僕を待ってくれてる大切な仲間たちがいるから。ここでお別れだ」
「そう……。じゃあ、本当にここでお別れね」
メリッサは少しだけ寂しそうに、だが納得したように微笑んだ。
別れの挨拶を済ませ、一度は勇者パーティの元へと戻りかけたメリッサ。
しかし、仲間たちをその場に待たせたまま、彼女は突然、何かに突き動かされるようにユノのところへと走って戻ってきた。
「——ねえ。あなた、本当は大賢者ユノ・クロウでしょ?」
「……え?」
想定外のストレートな問いかけに、ユノは思わず素の声を漏らした。
メリッサはいたずらっぽく、確信に満ちた笑みを浮かべている。彼女は最初から、すべてを分かっていたのだ。
「隠したって無駄よ。あなたの持っているその杖、どう考えても普通じゃないもの。それに、あの圧倒的な魔力……偽名の『ユウ』なんて、最初からバレバレだったんだから」
「なんだ……全部、お見通しだったか」
ユノは苦笑しながら、お手上げと言わんばかりに肩をすくめた。
メリッサはそんなユノの姿を、心底愛おしそうに、そして慈しむような目で見つめた。
「短い間だったけど、私は一生忘れない。……あなたと旅ができて、本当によかった。ありがとう、ユノ」
そう言うと、メリッサはユノの胸に飛び込み、その首に手を回して、彼の唇にそっと自身の唇を重ねた。
ほんの数秒の、甘く切ない、本物のキス。
「——っ!?」
大陸最強の大賢者たるユノの思考が、完全に停止する。
「えへへ! じゃあね、ユノ! またどこかで、絶対に会いましょうね!」
メリッサは顔を真っ赤に染めながら、少女のような満面の笑みを咲かせると、今度こそ振り返らずに勇者パーティの元へと走っていった。
賑やかな勇者たちと共に、次第に遠ざかっていくメリッサの背中。
ユノはしばらくの間、呆然とその場に立ち尽くしていた。
(……やっぱり、女には敵わないな)
ユノの口元から自然と笑みがこぼれる。
様々な出会いと別れ、そして試練に満ちた大陸横断の旅は、こうして一つの大きな節目を迎えた。
彼らの旅路は、まだまだこれからも果てなく続いていくのであった。




