ドッペルゲンガー
復職後の職場は人事異動でガラッと人が変わっていた。
そこそこ顔が広かった私は知らない人はいなかった。
出張でお世話になった人、異動する前の部署でお世話になった人。
「お久しぶりです!なんか大きくなりましたね!」
冗談交じりにいじってくれる。
「お疲れ様です!大分見た目変わりましたね!」
特に心配せず普通に接してくれる。
「鬱だったんだって?なんで今なんだよ!新入社員時あんなに酷い目にあってたのに!」
新人の頃お世話になった先輩は全て知っている。
私がパワハラ、アルハラ、ロジハラあらゆるハラスメントに耐え抜いていたことも。
私はいつも通りが一番嬉しかった。
みんな変わっていない。
私だけが変わってしまっていた。
朝身体が動かない、業務中あらゆる感覚が遠くなる、1度横になると元に戻れない。
「頑張れ!負けるな!」
励ましてくれるのは常にそばにいてくれる自分だ。
しかし遅刻や早退、休憩から戻れなくなることが増えていく。
次第に慕ってくれていた後輩から信頼はなくなり、突き放されていく。
すると少しずつ陰湿な嫌がらせが始まった。
原因は分かっている。
私の勤務態度がだらしない。
私は勇気を振り絞って謝罪をし、本音を聞かせてもらった。
「勤務態度で迷惑かけてごめんなさい…。」
「謝罪はいらないので行動で示してください」
目も合わせてくれない。
もうひとりの後輩にも謝罪をした。
「ごめんね、迷惑かけて……。」
「会社のストレスでもなく、自分の都合で会社に迷惑をかけるのはどうかと思います。でも、本当にお世話になった人なので嫌いになりきれないんです。」
社会人の精神病はストレス起因。
これが一般人、健常者の刷り込まれた常識ということを、痛いくらいに思い知らされる。
正直根本的な原因は分からない。
多分寝不足、家庭のストレス。
そんなはぐらかした理由で誤魔化してきた。
私は行動で示す事、それだけを意識し、業績は後回しにして、勤務態度を正すことだけに専念した。
「おはようございます…」
死に物狂いで出社した私は
追い討ちをかけられる。
返事はない。誰も顔を合わせない。
(おはよう!)
もうひとりの自分は返事をしてくれる。
そんな日々が続き、後輩の異動が決まった。
送別会、私の斜向かいに主賓の後輩が座り、先輩達が囲んでいる。
後輩は1人ずつに一言、お礼を言っていく。
隣の先輩へのお礼の言葉が終わる。
私の番は飛ばされた。
私はトイレに行くフリで立ち去り、そこから戻れなかった。
涙をグッとこらえる。
私は1次会で逃げるように帰った。
(寝逃げしよう…。)
寝る前の薬は18錠ある。
数回に分けて飲むが3回に一回は嗚咽、酷い時は嘔吐する。
(今日は上手く行きますように…。)
願いながら飲む。
薬は食道に張り付き、嗚咽が止まらない。
嘔吐は免れたが体力は完全に消耗しきった。
私はリビングのソファに仰向けに倒れ込み、天井を見る。
じわじわと天井が滲んでくる。
(どうしてこんな目に?)
天井のライトは眩しいが、
心はどす黒い闇に染まっていく。
吐き気は悲しみに
悲しみは怒りに変わっていく。
(復讐しよう)
私は苦しい朝も乗り越えて頑張った。
行動で示したはずだった。
しかし社会は誰も認めてくれない。
冷たい眼差しと腫れ物に触る態度。
(理解して貰えないのなら理解させる。健常者はどうすれば精神が壊れる?少しずつ検証していこう。)
私はどうすれば私と同じ苦しみを味合わせられるかをひたすら検討した。
いじめの犯人が幸せになるのは今も昔も変わらない。
私はそれが許せない。
因果応報という言葉は言葉だけだ。
そんなやつ地獄へ落ちる?
遅い。死後では遅い。
現世で苦しんでもらわなくてはいけない。
苦しんでるところを私に見せることが
一番の償いだ。
法で裁けないのなら私が裁く。
暗黒の寝室で、ほぼこもりきりで1週間毎晩書いては消してを繰り返した呪いのメモは数万文字を超え、清書は具体的な実行案を数字や時期も記載した脅迫文と化していた。
もう全てを失ってもいい。
そんな覚悟だったが、もうひとりの自分が現れた。
「一旦、上司に相談しないか?」
「何を言ってる?お前は私なら気持ちが分かるだろう」
「一旦冷静になろう」
「……。」
私は深夜にも関わらず上司にテキストファイルを送った。
すぐに電話が来た。
「まず、俺に送ってくれてありがとう。」
予想外の言葉だった。
「今後恨み辛みは全部俺に送ってくれ」
私は嗚咽混じりの号泣の中全てを話した。
仕事は3度目の休職に入った。
次の日の朝、普段と違う先生に診察をしてもらうことにした。
主治医は週に1度しか外来を診ない。
今のメンタルはとても耐えきれなかった。
主治医の時は、体調の変化をメモアプリに箇条書きで書いて、5分程度で終わるところ、この先生は30分以上話を聴いてくれた。
「自分を客観的に見なさい。俯瞰しなさい。今行動に起こそうとしていることが正しいことなのか。見つめ直しなさい。」
この言葉が深く心に刺さった。
更に薬についても相談に乗ってくれた。
「主治医に減らしてもらおうとしても18錠から17.5錠になるだけでほぼ減らないんです。」
「あなたは間違いなく双極性障害。この薬は減らしてもいい。ただ、急に減らすと離脱症状が起きる。離脱症状とは薬を減らすことによる副作用。だから、主治医は少しずつしか減薬してくれなかったんだと思う。」
紙にリストを書いて説明してくれた。
「離脱症状は何が起きてどれぐらいの期間続きますか?」
先生は私の覚悟を察したようだった。
「離脱症状は人によるし、複数あるから分からない。ただ恐らく期間は長くて1週間。」
「耐え切ります。減らしてください。」
薬は18錠から8錠になった。
そして私は『双極性障害』の診断に変わった。
離脱症状は吐き気、倦怠感、不眠が襲ってきた。
これが朝昼晩、永遠と続く。
4日経った。
曜日も体内時計も正気も全て狂っている。
感覚は夜だがカーテンの隙間からは光が入る。
真っ暗な朝。アラームだけを頼りに薬を飲む。
やっと4時間ほど眠れた。
まだ暗いが確かに眠れた。
そこから少しづつ慣れていった。
私は闇から戻ってこられた。
冷静な思考を取り戻したが
時々復讐の2文字が頭をよぎる。
どんな形でも報復は必ず法に触れる。
悩みに悩んだ結果、法に触れない昇華のさせ方を思いついた。
それは空想の世界で報復する。
小説の中で好きなだけ苦しませる事にした。
最初は心が踊った。
小説も本もまともに読んだことがない。
表現の仕方も書き方もルールも知らない。
ただ、早く主人公を苦しめたい。
交際者も一緒に苦しんでるところを見せて精神的に追い詰めていきたい。
死より恐ろしい恐怖を。
アイデアが溢れていった。
しかし、ふとした瞬間に熱は冷めた。
主犯よりも私が成長して世界を変える。
その方がプライドの高いあの人なら悔しがるだろう。
私は1章を駆け足で終わらせ、2章を始めた。
苦しみながらも成長していき、最後に世界を救う。
テンプレと呼ばれる物語だが私は心が浄化された。
私は現実世界では主人公になれなかった。
ならせめて、空想の世界で主人公として活躍したかった。
3章は私が変えた世界の物語。
正直蛇足だが物語を作る楽しさが芽生えていった。
1度壊れた精神は元には戻らない。
なら、どう向き合っていくか。
躁転した時、鬱転した時、どう行動すべきか。
あらゆる対策が世の中にたくさんある。
しかし、私は自分で導いた。
それは『もう1人の自分をコントロール』こと。
もうひとりの私はいつも助けてくれる。
しかし、疑問が残る。
(あれ?そもそも壊れた原因は"自分"だったのでは?
もうひとりの自分はいつからなぜ現れ始めた?
なぜ今は"救う側"にいる?)
もうひとりの自分に問いかけても返事はなかった。
もうひとりの自分をドッペルゲンガーと呼んでいいのか。
確かに死の淵まで追いやった犯人ではあるが、逆に救ってくれた恩人でもある。
ひとつ言えるのは、もしあなたにも既に、もうひとりの自分がそばにいるなら、呑み込まれないようにコントロールして欲しい。
頭でわかっていても難しい。
「あなたは素晴らしい!あなたを理解してるのは私だけ!」
「ありがと」
今日もドッペルゲンガーは甘い言葉をかけてくる。




