15. 疲れたらとりあえず寝て食う
翠は医者に行かず、さりとて、みんなとワイワイする気にもなれなかったため、お家に帰った。お家の庭には赤い椿、白い椿が咲いていた。
「翠、邪魔をする」
「こんにちは、紫苑さん」
もう夜越えて朝であるにもかかわらず、翠はこんにちはと言った。こんにちは統一をすると脳直で挨拶ができる。そうすると疲れている時に便利なのだ。
「お疲れ様会、行かなくていいんですか」
第一、第五、第六、第七師団合同で打ち上げをやっている頃合いだろう。麻薬中毒者の治療や対策など、問題は山積みであったが、ひとまずの区切りはついたということで、懇親も兼ねて、パーっとやることにしたらしい。
「私が参加すると場が堅苦しくなる」
「ははは」
否定できないなと翠は笑った。紫苑が悪いわけではない。周りの人が悪いわけでもない。だが、紫苑といると、自然と背筋が伸びるというか、肩肘を張ってしまうという人間は多かった。だが、保名や翠などまあいいやと特に気にしない人は無きにしも非ずであった。
「葛家にいなくて驚いた……」
葛家の屋敷に翠の姿がなく、珍しい楽器しか見当たらなかったため、紫苑は大層肝を冷やしていた。
「……想定外があったんですよ」
「詳しい話は後で聞く」
「忘れちゃうので今話しますよ」
別に今でも構わないだろうと翠は思った。
「森之助に休めと言われたのだろう?」
「大人しく帰りました」
森さんめ、紫苑に伝えていたのか。翠はざまぁないと悪態をついた。翠は弱っている時は一人でいたいタイプなのだ。
「何か口に入れるか、寝た方がいいよ」
紫苑は声音やら雰囲気やらから、何か異変を感じたようだ。翠が無理をしているなと悟ったらしい。
「大丈夫ですよ」
翠は目一杯強がった。
「子守唄でも歌おうか」
翠は逡巡した。心底いらねーという気持ちとあの紫苑様のお子守唄か、興味があるなという気持ちの狭間にあった。
「…………お願いします」
興味の方に軍配が上がったらしい。翠は自室の寝台の上に横になると、紫苑が子守唄を歌ってくれた。
「ねんねんころりよ、おころりよ」
なかなかお上手だったようで、翠はすぐ寝てしまった。夢は見なかった。
翠が目を開くと、日が沈んでいた。どうやら、昼の間、ずっと寝ていたらしい。翠はもぞもぞと起き上がろうとぼんやり身体を動かした。
「おはよう、ご飯か?お風呂にするか?」
翠が起きたことに気づいた紫苑が現れた。
「……何してんですか」
翠はこれは夢か?と一瞬迷った。紫苑は割烹着を身につけ、手にはしゃもじを握っていた。そして、誰に吹き込まれたのか、変な質問をしてきた。保名の入れ知恵だろうか。それとも私?ってか?
「では、とりあえず、ご飯にしよう。丁度できた」
翠が答えあぐねていると紫苑がご飯だなと決めた。
「はあ……、どうも」
ご飯って決まっていただろうコレと翠は気が抜けた。できたとはどういうことか?と寝起きの頭で翠は考えた。
「……随分豪勢ですね」
翠はある程度身支度を整えて、食卓に行った。卓の上には手の込んだ品々が並んでいた。主食、主菜、副菜、汁物の他にも一品料理が数々ある。
「力作だ」
やっぱり紫苑が作ったんかい!と翠は驚いた。庭師兼料理人のたっちゃんではないのか。紫苑は何とも器用な御仁である。
「どうもありがとうございます」
翠は紫苑に倣い、いただきますと手を合わせて食べ始めた。見た目通り、いや、それ以上の美味しさだ。
「楽器は第七師団の庁舎にある」
紫苑が業務報告を始めた。
「ありがとうございます。あとで確認します」
「あれらは全て経費で落とす気か?」
「ええ、まあ」
「第二師団は厳格だからきちんと準備していきなさい」
第二師団は財政関係を担当している。主に鈴蘭家が国の財政を司っていたが、いろいろあって第二師団に完全に移管されたのだ。第二師団は鈴蘭家と異なり、賄賂や経費の濫用は言語道断らしい。
「わかりました」
珍しい楽器で釣る必要があったと説明してもらおう、森之助にと翠は思った。翠は面倒なことは森之助にぶん投げることがよくあった。
「あの男のことはどうする気だ?」
「……私にどうする云々の権限はありませんよ」
あの男とは蒼真のことだろう。
「第七師団参謀を負傷させた咎は重いだろう」
「……そんな事実ありましたかね」
翠はなんのことやらと肩をすくめた。私は元気だと翠はご飯をかっ込んだ。
「蒼真さんは関与していたとは言え、戦争から帰ってからの一年程みたいですし、最悪、一定の財産剥奪とか、もしくは、王都からさよならバイバイですかね」
もぐもぐしながら、翠は知らんけどと言った。しかし、そこまでの処遇はないだろうと翠は考えていた。
「森之助からの報告だが、治療を受けている女性の傍を離れないらしい」
「ははは、そうですか」
翠は力なく笑った。
「随分、二人に情けをかけたな」
「情けは人の為にならずですよ」
翠は正しい意味で言葉を用いた。
「森之助が珍しがっていた。君は肩入れをする方ではないと」
「いやだなぁ、私はガンガン肩入れしますよ。私情入りまくり、てんこ盛りです」
そんなことないのになぁ、私は人間だから大なり小なりどちらかに傾くぞと翠は思った。翠は判断基準が自分であるため、公平か、不公平かわかりにくいところがあった。公平でもあるし不公平でもある気がするのだ。
「……愛し合う二人に肩入れか」
紫苑は生真面目そうに言った。
「ははは、そーですねぇ。……ただ、私は直美さんを見て愛とはなんぞやって思ったんで、その顛末まで見たくなっただけですよ」
翠はたしかに、蒼真の事情に興味はあったが、天秤は直美に、否、蒼真と直美の行き先が見たいという方に傾いていた。
「答えは出たか?」
紫苑は愛とは?という問いにちょっと興味があるようだ。
「いいえ、よくわからないままです。紫苑さんは二人の間に愛があると思ったんですよね?それはどーゆーわけで?」
「……互いを想い合っていた」
紫苑は単純明快な答えを打ち出した。
「……それがたとえどんなに歪んでいても?」
「ああ。愛には美しいものも見苦しいものもあるだろう」
「それもそうですね。愛が万人受けするとも限らない。善人のものだけでもない。綺麗なものというわけでもない……」
翠はぶちぶちと呟き始めた。我が身を傷つける分不相応なものも愛。他人が視界に入らなくなるのも愛故。
「翠は二人が愛し合っているとは思わなかったのか?」
「互いを唯一の人だと想っているんだなぁって思いましたよ」
「それは即ち愛では?」
「そーですねぇ……」
難しいなと翠は考える人のポーズを取った。記憶の引き出しを探り、思考の世界に潜る長考の姿勢である。
「考え込むほど重要なことなのか?」
「個人的に。唯一の人とは何か?は私の永遠の問いですよ」
「そうか……」
「あんなに身を焦がす時点でちょっとよくわからないんだよなぁ……」
翠は心底不可解そうに言った。
「……考えていればいつか答えは出るだろう」
「そうですかね」
翠は唯一とは?の問いに答えはないのではないかと思い始めていた。
「もしくは、考え続けることが答えかもしれない」
「……うん」
翠はそうかもしれないと思った。
「理解できずとも支障があるわけでもなし。焦らずゆっくり考えればいい。ご飯のおかわりはいるか?」
紫苑は食欲に問題なさそうな翠におかわりを促した。
「おねがいしまーす」
二日程、何も食べていないため、翠は腹を空かせていた。そのため、もぐもぐと皿という皿を平らげた。おいしかった。
ちなみに、経費の件は森之助が苦労してもぎ取っていた。ありがとう。




