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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
7章 私の高齢者医療の実際
275/329

<2-1> 重度の認知症患者を診るということ ① レビー小体型認知症と闘ったある紳士の最期

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日経メディカルOnlineに連載された、伊能言天(いのうげんてん)に対する取材記事を、掲載しました。

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◎重度の認知症患者を診るということ◎ 2018/2/8


①レビー小体型認知症と闘ったある紳士の最期


 「認知症の患者にもホスピスケアを」――。これは、認知症専門病院で、内科医師として認知症患者の診療に当たる伊能言天氏の訴えです。10年以上にわたって認知症のホスピスケアに挑んできた伊能氏に、重度の認知症患者を診る意味を語ってもらいました。


挿絵(By みてみん) 

 癌患者のホスピスケアを実践していた私は、2006年に今の病院に赴任したのを機に、「癌患者以外にもホスピスが必要」との思いを強くしました。当時、 認知症患者への対応はまだ緒に就いたばかりで、認知症患者は社会的にも医療的にも放置されていたからです。高齢化のスピードに社会基盤の整備が追い付か ず、認知症対策に手が回っていないと考え、新たな病院では癌以外の病気の患者も入院できるホスピスを目指すと心に決めたのです。


 本格的に認知症患者に対するホスピスケアに取り組むようになったのは、10年間もレビー小体型認知症と闘った紳士を看取ってからです。


 Mさんは200X年11月、車椅子に乗って入院されました。スマートな体型で、金縁の眼鏡が似合う品のある顔立ちの方でした。


  レビー小体型認知症は、パーキンソン病に似た運動機能の障害をもたらします。歩行障害のため車椅子の生活となったMさんは、食事を取るのもぎこちない様子 でした。それでも、話しかければいつもニコニコと答えられて、穏やかで、決して声を荒げたりすることのない紳士でした。


 入院してからは特別、変わったこともなく過ごしていました。しかし、2年後のある日、突然、食事が取れなくなったのです。飲み込むことができず、間もなくして気道も閉塞気味となり、いびきをかくような苦しそうな呼吸になっていきました。


  1週間ぐらいの間に、症状は急速に進行しました。急激な変化に、私は驚き、頭部や頸部のCTを調べたりもしたのですが、レビー小体型認知症の病気自体が進 行して、嚥下障害や舌根沈下などの症状が出てきたと診断しました。さらに肺炎も合併してしまい、苦しそうな息遣いは、はたから見ていても見るに忍びないも のでした。


◇残された医療的な処置は、気管切開と胃瘻造設◇


 Mさんのケアをどうしたらよいのか――。これは当時の病棟の大きな問題でした。昏睡状態にあるのなら、なるべく自然に看取ってあげるのがよいと思われま すが、Mさんは知的機能が以前と変わりなく、会話も理解でき、短い言葉で質問に答えることもできたのです。残された医療的な処置は、気管切開と胃瘻造設だ と考えられました。


 Mさんの奥さんと息子さん達とも話し合いました。その結果、10年も病気と闘ってきた患者さんのことを思うと、もう これ以上、辛いこと、苦しいことはさせたくない、というのが家族の結論でした。私は、Mさんが60歳代とまだ若いことが気がかりでしたが、家族の気持ちは よく分かりました。


 家族の意見を踏まえて、私は医療スタッフと話し合い、終末期ケアを行うことを決めました。終末期ケアは決して、癌の患者さんだけが対象というわけではありません。全ての患者の終末期に必要とされているのです。Mさんは、終末期ケアを必要とする時に至っていたのです。


  ますます呼吸は苦しそうになりました。痰がのどに詰まるので吸引しなければ、血中酸素飽和濃度は80%台に落ちてしまいます。このため、10分ごとに痰を 吸引しました。いびきのような呼吸の苦しさを軽減するために、マスクで酸素を与えながら、空気の通りが一番いい体位を工夫したりしました。試行錯誤の末、 片方の肩に枕を差し込み、顔を少し斜めにすると、息の通りがよいことが分かりました。


 食事を取れないため、点滴で栄養を補いました。


 「苦しいですか」と尋ねると、最初のころは「大丈夫です」と答えていましたが、元来、がまん強い方でしたので、周りに心配かけまいとする心遣いが見て取れました。しかし、次第に呼吸障害が強くなり、「苦しい」とあえぐように訴えるようになっていきました。


 時には、アイスクリームが食べたいと希望することもありました。私たちは、なるべく自然体で、人間的な看取りを考えていましたので、アイスクリームを食べてもらいました。奥さんが、スプーンでゆっくり口に入れてあげると、わずかですが食べることができたのです。


 やがて、食べたものが喉の奥にとどまり、痰も増えたため、吸引がさらに大変になりました。


◇モルヒネを使って症状を緩和する◇


 終末期ケアに入ってから1カ月後、奥さんと息子さん達が、苦しさを緩和できないかと相談にこられました。私はこう説明しました。


 「終末期のケアでは、このような苦しい状態の場合、モルヒネを使って症状を緩和することができます。モルヒネの投与によって苦痛は緩和され、時には呼吸も落ち着くこともあります。ただし、モルヒネを使うことで、痰を吐き出せないため死が早まることもあり得ます」


 結局、家族はモルヒネを使うことを望まれました。苦しまないようにしてほしい、とも希望されました。


 私たちはどのような対応をすべきか、みんなで話し考えました。そして、きちんと生命維持の処置を行いながら、苦痛を緩和することを、家族や医療スタッフに宣言しました。患者の生命維持に不可欠な酸素や水分、栄養は十分に投与することを心掛けました。


 そしてモルヒネの投与を行いました。最初は速効性のあるアンペック坐薬を使いました。最初、10mgを使いましたが、強すぎたのか、眼が上転し意識が遠のきました。そのため、半錠を使って様子を見ながら数日間続けました。容体が落ち着いたことを確認して、デュロテップパッチ(貼付薬)に切り替えました。


 この薬がマッチしたことから、Mさんの呼吸は落ち着きました。それでも、気道の閉塞状態は改善が見られず、頻回の喀痰吸引が欠かせませんでした。意識は傾眠傾向が強くなりましたが、大きな声で呼びかければ開眼する状態でした。


 10日ほどたったころです。突然、呼吸状態が急変し、脈が乱れ、ついには心臓が停止しました。苦痛を緩和できたことで、最期は眠るように亡くなられました。


 私たちは多くのことを、特に終末期ケアの在り方を学ばせていただきました。Mさんのケースは、私たちが癌以外の患者さんに終末期ケアを行った初めての経験でした。


 私は、今でも思い出します。春のころ、病院のバスハイク(患者さんと職員がバスでハイキングに出かける行事)がありました。公園に着き、総勢30人ほどが散歩しようとした時です。Mさんの車椅子が故障していたのです。前輪が壊れており、地面にすってしまいます。このため、前輪を浮かした状態にして車椅子を押さないと、動かないのです。


 Mさんを担当していた看護師さんは、後輪だけでMさんの車椅子を動かせません。そこで私が車椅子を押すことになったのでした。私は、車椅子の後ろに立って、ハンドルに体重を乗せて、前輪を浮かして人力車のようにして押しました。


 「ゆらゆら揺れて、舟みたいですね」。笑いながら、Mさんと私は公園を散歩しました。桜はもう散っていましたが、道々に咲いていた花を見ながら、ふたりで色々と話したことを覚えています。


〈つづく〉


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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│ 《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│ 《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│ 《 人生の意味について考えます 》

└───────────────


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