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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
7章 私の高齢者医療の実際
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<1-6> (1) 食べさせ上手 ⑥ しゃべれる人は食べられる

<1-6> (1) 食べさせ上手 ⑥ しゃべれる人は食べられる


《はじめにー食べることは生きること》


 食べることは、生きるための基本だと思います。私は身をもってそれを経験しています。


 大学生の時、精神修養のために私は2度1週間断食をしたことがあります。すると体重が毎日1kgずつ減っていきました。日に日に力がなくなり、歩くのがやっとで、性欲など「どこ吹く風」でした。


 精神修養のためといえど、到底凡人の私には精神修養どころか、「腹が減っては戦さはできぬ」と悟ってしまったのです。


 ことほど左様に、食べることは生きることなのです。当然のこと、患者さんにとっても同じです。


 治療のゴールは、老若男女、病気の種類を問わず、食べられるようにすることだと、私は思っています。


 患者さんが食べられるか否かは、治療、介護者の腕にかかっています。


 食べるには、三要素があります。


①食べる能力があるかどうか。②食べる気があるかどうか。③何を食べるか。


 この三つです。


 ①の、食べる能力があるかどうかは、咀嚼、嚥下機能があるかどうか、つまり、口の中で、噛んで、そして飲み込むという動作ができるかどうか、ということです。


 私の経験では、しっかりと、よくしゃべることのできる人は、咀嚼、嚥下はできるとみて良いと思います。


 しゃべることができるということは、舌とか口の中の筋肉がよく動いている証拠だからです。


 ②の、食べる気があるかどうかは、抑うつ的な状態のときに、食欲も落ち、食べる気が落ちてしまいます。


 食べる能力はあっても、食べる気がないとやはり食べられません。


 ③の、何を食べるかは、味の濃いものならとか、好物ならとかいう、好みをいいます。


 患者さんに食べさせるときには、この三要素を入念にチェックしながら、食べさせることが大切だと思います。


《本題》


 92歳の男性Kさんが入院してきました。脳幹梗塞をわずらい、食べられないために、型どおりに胃瘻を造設しています。


 急性病院での治療は終了したので、介護施設に移りました。


 ところが、そこでせん妄(⇒※)状態になり、暴言暴力が出たのです。施設では手に負えないとして、うちの病院に転院して来たのです。


(※せんもうは、突然発生して変動する精神機能の障害で、注意力や思考力の低下、見当識障害、覚醒(意識)レベルの変動を特徴とします。)


 車椅子で入院してきたKさんは、せん妄は沈静化していて、暴言暴力を吐くような感じには見えません。


 入院当初から、穏やかで静かにテーブルについています。話しかけると大声で叫びますが、内容は理解できます。喋り方がやや脳幹梗塞による障害のためか乱暴なので、初めてだと驚いて、ひいてしまいます。


 しかしよくしゃべるのです。これだけよくしゃべれて食べられないことは無いと、みんな考えました。


 当院は食べられないで入院してくる患者さんがたくさんいます。その長い経験から、食べられるか食べられないかは感でわかります。


 よくしゃべる、しかもきちんとしゃべれる人は、舌の運動や口腔内の機能は保たれているので、まず食べられないことはないといえます。


 そこで、胃瘻から栄養しながら、経口をためしてみました。テーブル隣に座っている患者さんの食事を少しいただいて、Kさんに上げてみたのです。


 すると、普通に上手に食べられたのです。


 ナースが驚いて報告に来ました。


 なぜなら、Kさんは脳幹梗塞の病気をしてから、3か月近く経っているのです。


 胃瘻を造って2か月が経ちます。


 その間に、1度も経口摂取を試したことがないのです。


 これには少なからず驚きました。


 脳幹梗塞の急性期に、型通りの治療として胃瘻を造設したのはわかります。


 が、それ以後まったく経口を試さないというのは、私たちにとっては驚きでした。


 少し食べさせてみて、誤嚥があったりしたら、慎重になりますが、なぜ一度も経口を試してないのかはわかりません。


 誤嚥を恐れたのか、胃瘻注入の方が介助者にとっては楽だからか、その辺のところはわかりません。


 うちの病院に入院して、翌日から経口摂取を始めました。


 少しずつ量を増やしていくと、まったく経口摂取に問題がないことがわかりました。


 胃瘻の注入量は、経口摂取量に応じてどんどん減らしていきました。


 2週間で中止できました。


 今では全量、口から取れています。


 それを家族に報告すると、家族はびっくり仰天です。驚き喜んでいました。


 そりゃそうでしょうね。


 3か月間も絶食でいたのに、入院した翌日から、口から食べられているということを聞けば、驚くのは当たり前です。


 そして半年後に、胃瘻チューブを初めて交換する時が来ました。


 食事は全量、口から取れています。胃瘻は使っていません。


 家族と胃瘻をどうするか、話し合いました。


 私としては92歳の年齢を考えると、これだけ上手にしかもしっかりと食べられれば、またいつか他の病気をして食べられなくなっても、「天寿まっとう」といえるだろうと思っていました。


 家族にそう話すとみんな賛成してくれました。


 ところが、よくよく考えてみると、せっかく苦しいめをして内視鏡で胃瘻を造ったのです。


 万が一何かの病気で食べられなくなったときの一種の保険として、1年位は挿入したままにしておくことにしたのです。


 Kさんは、経口開始して7か月後の現在も、元気に口から食べておられます。


「しゃべれる人は食べられる」


 そう思って間違いないでしょう。


〈つづく〉



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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│『神との対話』との対話 英訳版

└───────────────


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