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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
   私の診療心得
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<4-15-1> 私の診療心得 ⑮-1 「生命哲学を持つ その1:人間の尊厳性」

<4-15-1> 私の診療心得 ⑮-1 「生命哲学を持つ その1:人間の尊厳性」


 私たち医療者は、「人の生命(いのち)」と向き合っています。


 ですから、「生命とは何か」、「人が生きるとは何か」というような基本的、哲学的な考えを医療者は持っている必要があると、私は考えています。


 そこで、「生命とは何か」という医療の根幹に関わる命題を個別的に提示して、それに対する私なりの考えを書いていこうと思います。


1. 人間の尊厳性


 人命には尊厳があるといわれます。


 ところで、人間の尊厳性とは、一体何をいうのでしょうか。


 私は、人間の尊厳性とは、人間の「存在自体」にあると思っています。


 すると、「人間とは何か」という疑問がわきます。


 人間と猿との違いは、言葉を話すことが出来る、道具を作ったり使ったりすることが出来る、などといわれています。


 しかし私は、それは人間と猿の持つ能力の違いであって、人間の能力が猿より高等だという、程度の差にすぎないと思っています。


 人間には、猿とは決定的に違うものがあります。奇妙な表現かもしれませんが、それは、「人間であること」なのです。


 人間は、その個体がどんな状態にあろうと、人間なのであって、猿ではありません。

 

 時には人間でも、能力が猿より劣る状態に陥ることがあります。植物状態はその典型です。

 

 しかしたとえ個体が植物状態にあったとしても、人間であることに変わりは全くないのです。


 人間の尊厳性とは、ここにあると思います。「人間であること」、まさにそこに尊厳があるのです。


 英語は、実にうまい表現をしています。英語では、人間を「human being」といいます。「human doing」ではないのです。


 人間は、言葉が話せるから尊いのでもなく、複雑で高等な行動がとれるから尊いのでもないのです。

 

 「人間であること」という、「存在自体」が尊いのです。


 これは、人間の本質は「魂」にあるという、宗教的な考えに近いものです。人間は、年齢、性別、貧富、社会的地位、健康状態に関係なく、すべての人間が、等しく尊厳ある存在といえるのです。


〈つづく〉



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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│『神との対話』との対話 英訳版

└───────────────


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