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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
   私の診療心得
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<4-8-1> 私の診療心得 ⑧-1「死と向き合う」ー 一生に一度の死

<4-8-1> 私の診療心得 ⑧-1「死と向き合う」ー 一生に一度の死


 「死」については、当作品前編の方で、時々、取り上げています。


 エッセイ風に、軽いタッチでややおもしろおかしく、書いています。


 読者の方から、「死を軽んじるのは、よろしくない」というコメントをいただきました。


 「確かにそうですね。注意します」と丁重に答えました。


 ちなみに、日本のホスピスの草分け的存在かつ第一人者であられる柏木哲夫先生(淀川キリスト教病院理事長、大阪大学名誉教授)に、講演会の時に質問したことがあります。


 柏木先生は、ホスピスでの出来事を面白おかしく講演会で語ってくださいました。会場は笑いに包まれたのです。


 そこで司会の私は質問しました。


「死の話に対して、こんなに笑っていいものでしょうか」


 柏木先生は、


「それでいいのです。死というものをタブー視せず、身近に語り合うことが大切なのです」


 そう答えてくださいました。


 さて、「死」というのはその人にとっては、一生に一度しかありません。


 一般の人たちは、日常で、じかに接する死は、それほど多くはありません。


 自分の親族の死でも、おそらく10人くらいでしょう。


 私の場合は、幼少の頃からの記憶を入れても、10人いません。


 さほど大家族ではないし、親戚も少なかったこともあります。


 ところが医者になってみると、この死というものとは毎日のように遭遇し、日常茶飯事になってくるのです。


 すると妙なもので、段々と慣れてきてしまいます。


 最初の頃はおっかなびっくりで、一人で死亡診断することさえできませんでした。


 慣れてくると、いつどのように行うと、「一番適切か」というようなことまで思いめぐらしながら、診断することができるようになります。


 そこで陥るのがマンネリ化です。


 つまり冒頭に書きましたように、「本人にとっては一生に一度しかない」という死に対して、「毎日のようにある」ということが、マンネリ化を生んでしまうのです。


 「一生に一度しかない」ことを忘れてしまうのです。


 患者さんが亡くなる時には、その数週間前からその兆候が少しずつ出てきて、死について家族にいろいろ説明します。


 すると当然のこと家族は心配して、電話なり面会なりで、患者さんの容態を知ろうと努めます。そしてついでに医師の説明も求めます。


 急性病の時は別ですが、慢性病でしかも自然な経過で衰弱していく場合、病状説明が頻繁であると、時間もエネルギーも取られて疲れてきます。


 こちらとしてはすでにきちんと説明も済んでいるので、


「また説明かあ」


 こんな思いが、不遜にも出てくるのです。


 しかし、本人にとっては一生に一度、その配偶者、子どもたちにも、自分の場合以外では、まさに一生に一度のことなのです。


 このことをもう一度、心に銘記すべきだと最近とみに感じます。私自身が診断される側の年齢に近くなったからです。


 その一生に一度のときに、よい死に方といいましょうか、良い思い出を作ってあげられるように、配慮したいものです。


 例えば私は、死期近くに家族が面会するときには、「最期のお別れを心の中でしていってください」と家族にお願いします。


「長い人生、ありがとうございました」


 急変した場合、死に目に会えないことがあるからです。


 臨終に伴う家族の悲しみや苦痛を、なるべく軽くしてあげるよう心がけています。


 例えば、①家族の呼び出しを適時に行う ②なるべく臨終の席に立ち会わせて上げる ③死亡診断を家族といっしょに行う ④診断後にみんなで黙とうをささげる、などです。


 そう心していても、なかなか思う通りにいかないこともあります。


 こんなこともありました。


 10年くらい前に、お世話に熱心な長男さんがいました。


 入院していたのは、80代後半の父親です。


 だんだん衰弱してきて、長男さんにその旨を説明しました。


 長男さんは、父親から引き継いだ会社を経営していて忙しく、ストレスが高じて、胃穿孔を起こして、緊急手術を受けていたのです。


 いよいよのときに、私は長男さんに話しました。


「最期の時というのは、目まぐるしく病状が変化しますから、あまり気を使うと、ストレスで自分が倒れてしまいます。無理はなさらないで……」


 本人は、


「いいんです。私はそばで看取りたいのです。亡くなる時、必ず臨席したいのです」


 そこで、病状が悪化したときには、その都度連絡しました。必ず長男さんは最優先で面会にやって来られました。


 ところがある時、患者さんが急変して心肺停止となりました。彼は間に合わなかったのです。


 連絡した後、30分くらい経ちました。


 私たちは、モニターなどをそのままにして、長男さんの来るのを待ちました。


 長男さんは飛んでやってきて、臨終に立ち会えなかったと、涙ながらに悔しがっていました。


 親の臨終には絶対立ち合わなければならないという、強い信念があったのです。


 ここまで熱心な人は今までに、あまり出会ったことはありません。


 でも中には、おられるのです。


〈つづく〉



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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│『神との対話』との対話 英訳版

└───────────────



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