<4-7-6> 私の診療心得 ⑦-6 「良い思い出作り」ー 今生(こんじょう)の別れ
<4-7-6> 私の診療心得 ⑦-6 「良い思い出作り」ー 今生の別れ
私の勤務する病院は慢性病を扱う病院です。そこに緊急の入院要請がありました。患者さんの家族からです。
患者さんは90歳の女性でした。
右胸に肺がんがあり、胸水が溜まっていました。
半年前くらいから徐々に胸水は増えて、呼吸苦を認めるようになったのです。
前医(東京の一般病院)では、高齢でもあり、これ以上やることがないと、栄養の点滴を打つだけになっていました。
緩和ケアはなされていなかったのです。
当院入院の2週間前のレントゲン写真では、右胸の半分くらいまで胸水が溜まっていました。
以前、この患者さんの親族2人を、私はこの病院(春日部市)で看取りました。
ですので、その長女さんが、私に看てほしいと依頼してきたのです。
入院当日はストレッチャーに乗って来院しました。激しい呼吸苦で上向きになれず、右側を下にして横たわり、「苦しい苦しい」と喘いでいました。
レントゲン写真をすぐ撮ると、右の胸腔内は完全に胸水が充満し、気管はやや左に偏位していました。つまり、右胸水によって左に圧排されていたのです。(図)
図 右胸水
それほどにも多量の胸水だったのです。
私はここまで酷いとは思わず、じっくりやろうと構えていましたが、その場ですぐ家族にモルヒネの話をしました。
「まず苦しみを取りましょう。モルヒネを使います」
「お願いします」
家族は了解してくださいました。
ちなみに私は、麻薬の使用を家族に説明するのに、「麻薬」ではなく「モルヒネ」といっています。
「麻薬」は響きが悪いし、MSコンチンなどの固有名をいっても、素人には分かりません。「モルヒネ」といえばすぐに理解できるからです。
すぐフェントステープ(フェンタニル0.5mg)を貼りました。
そして、「これが今生の別れ」と思ってお別れして下さいと、家族にお話ししました。
これだけ状態が悪いと急変することは十分ありえます。夜中に急変した場合、東京からでは間に合わないことが多々あるのです。
家族は、ひとりひとり本人に声をかけ、お孫さんは手を握って、面会しておられました。
フェントステープは、最初から強くすると効きすぎて、絶命してしまう可能性があります。ですので少量の0.5mgを張りました。
そして、700ccの補液を出し、その中に利尿剤のラシックス1A、ステロイド剤のリンデロン2mgを入れました。
その夜は休めたようです。
翌日の昼、1回目のフェントス貼付から24時間経った時に、1.5枚(0.75mg)に増量しました。
その夕方には、
「庭が見たい、庭が見たい」
と言えるようになり、アイスクリームを上げると、少し食べられました。
それまで「苦しい」としか言えなかったので、少し苦しみが緩和されたのです。
その時、長女さんから電話が入りました。その様子をお伝えすると歓喜の声が電話越しに響きました。
しかし、呼吸は相変わらず努力呼吸で、5L/分の酸素を与えても、SAT(血中酸素飽和度)は90%くらいでした。
それが週末の土曜日だったのです。
これを乗り切れたら、週明けには胸水を少し抜いてみようと私は考えていました。
ところがです。
日曜日の午前中に急変し、亡くなられました。
家族は死に目に会うことはできませんでした。
自宅でその報告の電話を受けた時、
「そうか……」
私はしばし絶句しました。
3日間というあまりにも短い時間しかかかわれず、私は申し訳ない気持ちでした。
10日間も苦しみを放置しないで、もう少し早く来てくれたら、穏やかな最期を迎えさせてあげられたのにと、悔やまれたのです。
しかし家族は、すぐに入院を受け入れ、苦しみに対処してもらえたことに、大変感謝しておられました。
それを知って、私は悔恨の思いが晴れたのでした。
〈つづく〉
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│『神との対話』との対話 英訳版
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