<3-36> 病院寸話《65. 外科医の宿命》
<3-36> 病院寸話(月例朝礼・会議などでの寸話)
《その65 外科医の宿命》
医療者とは、ある種の技術者です。特に医師、そして中でも外科医は、「手」によってその技術を体現する、まさに職人といってよい存在です。
私が若かった頃は、外科といえば、頭から足の先まで全身のあらゆる部位に対応する「何でも屋」でした。しかし現在では、医療の進歩とともに診療科は細分化され、外科も臓器別に専門化されています。
それでも、いや、それだからこそ、外科技術はますます高度になっており、手術器具の操作ひとつを取っても熟練を要するようになっています。たとえば、腹腔鏡・胸腔鏡による内視鏡手術や、ロボット支援手術である「ダ・ビンチ」などは、その代表例といえるでしょう。
1つの臓器の手術手技を完全に習得するには、5年近くの年月がかかります。たとえば消化器外科といっても、食道、胃、肝臓、膵臓、大腸など、対象となる臓器は多岐にわたります。そのひとつひとつについて術式を身につけようとすれば、それだけで生涯が足りなくなるほどです。さらに、悪性腫瘍に対するリンパ節郭清などの特殊技術を習得するには、さらに長い時間が必要です。
このような現実から、現在では「肝臓外科」「膵臓外科」「大腸外科」といったように、同じ消化器外科の中でもさらに専門が分かれています。細分化された領域であれば、10年ほどかけてようやく一通りの技術を身につけることができると考えられています。
しかし、ここに一つの皮肉な宿命があります。
こうして一人前の技術を習得できる頃には、年齢はすでに40代に差しかかっています。心身ともに最も充実した時期であり、臨床の最前線で自信を持って難手術に臨むことができる年代です。
ところが、この充実期は意外に長くはありません。
50代に入る頃から、徐々に気力や体力の衰えが見えてきます。極端な例では、長時間の手術で手が震えるようになることさえあります。縫合の糸を扱うような繊細な手の動きが、年齢とともに不安定になってくるのです。
手の震えが傷よりも大きくなってしまえば、縫合そのものが困難になります。さらに、長時間にわたって集中力を保つことも難しくなり、判断力や注意力にも陰りが差してきます。
せっかく長い年月をかけて習得した高度な技術であっても、それを思う存分に発揮できる期間は、わずか20年ほどしかありません。
その先には、メスを置くという決断が待っています。
ある人は、後進を育てる指導医の道を選び、またある人は、外科から内科へと移る道を選びます。
これが、外科医という職業に課せられた、厳しくも避けがたい宿命です。
どれほど技術を極めたとしても、いつかは「技術者としての身体」がその役割を終える日がやってくるのです。
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〈つづく〉
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│いのうげんてん作品
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│①著作『神との対話』との対話
│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》
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│②ノンフィクション-いのちの砦
│《 ホスピスを造ろう 》
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│③人生の意味論
│《 人生の意味について考えます 》
│
│④Summary of Conversations with God
│『神との対話』との対話 英訳版
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