<3-18> 病院寸話 《39. 人間の尊厳 40. 今を生きる》
<3-18> 病院寸話(月例朝礼での寸話)
《その39 人間の尊厳》
1980年代に、日本では、終末期がん患者のための施設、ホスピスが、造られるようになりました。
それ以前には、治療の余地がないと判定されると、とたんに、医師の関心が薄れ、終末期がん患者は病院の片隅に、追いやられてしまっていました。それを「病院のゴミ箱に捨てられた」と形容されていたのです。
治すだけが医療ではないと、医療の先達が、これらの患者に救いの手を差しのべました。それは、患者の人権運動だったのです。
終末期であろうと、人間の尊厳性は、何人も変わりありません。がんは治せなくても、痛みなどの症状をコントロールする医療のニーズはあったのです。
今や日本に、400を越える数の、ホスピス(緩和ケア病棟)が造られています。
認知症の患者さんを診ていますと、それと同じ歴史をたどっているような感じがします。たとえ認知障害があろうと、人間の尊厳性は、認知症患者も健常者と変わりありません。
しかも、認知障害は治せないとしても、徘徊や不穏などの周辺症状はコントロールできます。周辺症状がコントロールされれば、大部分の人々は、穏やかに、社会の一員、あるいは施設の一員として、人間らしい生活を送ることができるのです。
がんの根治療法が進歩してきたように、認知症の根治療法も、現在研究されています。それほど遠くない将来に、認知症も治るときがくるでしょう。
その時までは、がん医療がたどった道と同じように、予防する、進行させない、周辺症状をコントロールする、という治療が中心となります。
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《その40 今を生きる 》
認知症の人は、「今という瞬間を生きている」といった人がいます。認知症の人を見ていて、これを私も感じます。彼らは、今という瞬間を生きているのです。
もちろん彼らは、意識的にそうしているのではないでしょう。記憶という脳の機能が障害されたため、そうしているのでしょう。
普通の人は、過去を引き継いで、あるいは引きずって、今を生きています。その過去は失敗の過去であったり、栄光の過去だったりします。
失敗の過去を持つ人は、後悔の念や罪悪感を引きずっています。もっと現実的にいうと、借金というものを引きずっていることもあります。
栄光の過去を持つ人は、満足感や優越感を持ち、富や名誉という現実を引き継いでいるでしょう。
それらの過去は決して忘れることはできず、現在を支配しています。それに、押し潰されてしまうこともあるほどです。もし忘れることができたなら、どんなに楽になるだろうかと思っている人も、私を含めてたくさんいることでしょう。
聖書に、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)という聖句があります。過去の重荷を、解放してあげようと、キリストはいわれるのです。
一方、未来はどうでしょう。夢みる未来もあるでしょう。不安がいっぱいの人もいるでしょう。
私の知人に、寝るときは、明日のことは一切考えないで眠るという人がいました。聖書にも、「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」(マタイ6:34)という聖句があります。
過去を引きずって、今を生き、不安をもって未来を迎える。このような、がんじがらめの生き方が、私たちの現実の生活ではないでしょうか。
過去を手放し、未来の不安からも解放され、自由の気持ちで生きられたら、どんなに素晴らしいだろうかと思うのは、私ひとりのことではないでしょう。
「今という瞬間に生きる」。
これは、いわば悟りの境地とでも、いえるのではないでしょうか。認知症の人たちは、そういう生活をしているのです。
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〈つづく〉
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│いのうげんてん作品
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│①著作『神との対話』との対話
│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》
│
│②ノンフィクション-いのちの砦
│《 ホスピスを造ろう 》
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│③人生の意味論
│《 人生の意味について考えます 》
│
│④Summary of Conversations with God
│『神との対話』との対話 英訳版
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