<3-16> 病院寸話 《36. 夢・希望は心の糧 37. 秋祭り》
<3-16> 病院寸話(月例朝礼での寸話)
《その36 夢・希望は心の糧》
私の今勤務する精神科病院は、オープン以来、患者さんの拘束は絶対にしないという方針を貫いています。
医療事故防止から、様々な病気の治療、院内感染対策にいたるまで、すべてといっても過言ではない出来事に遭遇しました。
試行錯誤でそれらを克服し、そこから学んだ多くのことをマニュアル化して、病院実務のスキルを向上させてきました。
実務に習熟する(慣れる)ということは大切なことです。不慣れなため失態ばかりしていては困ります。
しかし慣れるということは、ともすると、マンネリ化につながります。マンネリ化に陥ると、そこで進歩が止まり、技術的なその日暮らしの生活が始まるのです。
「慣れること」と「マンネリ化」は、どこが違うのでしょうか。一見すると両者はよく似ています。
より高い目標を目指そうという意識があるか否かに違いがあると、私は思っています。
「目標を持つ、夢を持つ」ということは、大切なことです。絶え間ない進歩をもたらすからです。
まさに「食事は体の糧、夢・希望は心の糧」なのです。
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《その37 秋祭り》
私の精神科病院では、毎年10月に、病院中庭で秋祭りを催します。午後1時から、2時間余りのひとときです。
職員は全員参加し、患者さんもほぼ全員で、家族も患者さん1人につき数人来られますから、総勢400人くらいの大集団のお祭りです。ボランティアの方々も参加して下さいます。
職員が分担して、お祭りの定番である綿菓子やお汁粉、焼きそばなどいろいろな屋台店を出します。子供たちも来ますので、金魚すくいなどの遊技店もそろえます。
会場の真ん中には、専用の舞台が設置され、各病棟がそれぞれ企画した踊りや歌などを披露します。そこに患者さんも加わります。笑顔で幸せそうに歌ったり踊ったりしている患者さんを見ると、その家族は驚き感激します。
毎日、忙しくケアに走り回っているスタッフが、これだけの準備がよくできたものだと驚嘆します。
私は、テント下の患者家族席を呼びかけて回り、来てくださった家族にお礼を言います。
患者さんは家族に囲まれて、日頃口にすることもできない綿菓子やお汁粉を喜んで食べています。昔、子供の頃、運動会でお昼に家族といっしょに食事を取っている懐かしい光景のようにも見えます。
ある秋祭りで、1人の男性の患者さんのところに行きました。90歳の方で、車椅子に乗って家族の差し入れたお汁粉をおいしそうに食べていました。
「おいしそうですね」
本人はにこにこしてうなずきました。この方はこの数カ月間、どんどんと認知症が進み、呼びかけに対してほとんど声を出すことがなくなってきていました。ただ、うなずくのみです。
「家族の皆さんがこんなに来てくださったのですから、ありがとうと言いましょうよ」
私が大きな声で言いますと、しばらくして、
「ありがとう」
はっきりとしかも大きな声で言いました。それを聞いてみんな感激しました。拍手が起きました。よほど患者さんは、お祭りで心が高鳴っていたのでしょう。
その高鳴りは、1週間ほど残っていました。回診して私が「こんにちは」と言うと、「こんにちは」と答えられるのです。
職員の奉仕に近い努力がもたらした、すばらしい思い出です。
2022年10月に、コロナ禍で途絶えていた秋祭りが、3年ぶりに開かれました。
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〈つづく〉
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│いのうげんてん作品
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│①著作『神との対話』との対話
│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》
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│②ノンフィクション-いのちの砦
│《 ホスピスを造ろう 》
│
│③人生の意味論
│《 人生の意味について考えます 》
│
│④Summary of Conversations with God
│『神との対話』との対話 英訳版
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