<3-7> 病院寸話 《18. 良いことをするのに遠慮は不要 19. 人生は成長のツールを提供する》
<3-7> 病院寸話(月例朝礼での寸話)
《その18 良いことをするのに遠慮は不要》
ある病院に勤務していた時のことです。
見るからに労務者風の、薄汚れた服装をした男性が病院にやって来ました。
診察すると、「血痰が出る」というのです。
前から体調が悪かったのですが、病院を受診することはできなかったのです。
胸部レントゲン写真を撮ると、結核様の空洞が見られました。
「これは結核だ!」
保健所に問い合わせると、結核専門病院に転院させるよう指導されました。
しかし夕方遅くのことで、結核病院はすでに閉まっていました。
そこで、この病院に1泊させることにしたのです。
といっても、 結核の専門病室はありません。
結核が感染してしまう危険があるので、一般病室の患者さんといっしょにするわけにはいきません。
病棟の外れに、病室ではありませんが、倉庫用の1室がありました。
その1室に布団を敷いて、入院させたのです。
事務の人に食事を運んでもらいました。
近くにトイレがあったので、トイレの時だけは室外に出ることを許可しました。
そして何事もなく、一夜が過ぎました。
男性はお礼を言って、結核専門病院に転院していきました。
そのすぐ後、受付の人が私の所にやってきました。
「すいません、ご迷惑をかけました」
平身低頭、謝るのです。
「どうも様子が変で、受け付けていいか困りました。自分としては見てあげたいけど、病院に迷惑がかかるんじゃないかと……」
私はその時言いました。
「人助けをすることに遠慮はいりません。 まず、命を救うことを考えましょう。それが私たち医療者の務めです」
良いことをするのに遠慮する必要はないのです。
もちろん病院は、まったくの奉仕事業ではありませんから、採算面も考えなければなりません。
が、人間の命を救うという基本的な使命感を失ってはいけません。
その心をなくした医療は、むなしいものとなってしまうのです。
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《その19 人生は成長のツールを提供する》
人生は、自分を成長させる旅路です。
人生の提供する、いろいろな人との出会い、 遭遇する出来事から、自分自身を成長させて行くのです。つまり出会い、出来事が成長のためのツール(道具)といえるのです。
ツールを目的と混同してはいけません。
人生のツールを、人生の目的と誤解してしまうと、ツールにとらわれて本質(つまり自分の成長)を見失い、自分自身の成長は止まってしまいます。
どんな仕事をしていようと、それはツールです。そのことに気付き、しかも、そのツールに対して真剣に取り組む時、職種を問わず、それは芸術の世界に到達します。「美しい」と感じる世界です。まさにそれは魂の領域といえるでしょう。
元首相の田中角栄氏は、貧しい青年時代、土木工事現場に身を置いていました。毎日肉体労働に明け暮れるとき、「われわれは、地球に彫刻をしている芸術家だ」という先輩のひとことに救われたと述懐しています。
あるベンチャービジネスのコンサルタントが言っていました。
「何百人のベンチャービジネスを志す者を面接してきたが、なぜ今ベンチャーかと問うた時、金を儲けたいと答えた人は、一人も成功した人がいない。自分の夢を実現したいとか、自分の力を試したいとかいうことを言った人は成功している」
マザーテレサが、「何をしたかよりも、そこにどれだけ愛を込めたかが大切だ」と言っていることも、これに通ずるものだと思います。
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〈つづく〉
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│いのうげんてん作品
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│①著作『神との対話』との対話
│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》
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│②ノンフィクション-いのちの砦
│《 ホスピスを造ろう 》
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│③人生の意味論
│《 人生の意味について考えます 》
│
│④Summary of Conversations with God
│『神との対話』との対話 英訳版
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