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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
   病院寸話(月例朝礼・会議などでの寸話)
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<3-6> 病院寸話 《15. 佐々木主浩投手 16. トップダウンとボトムアップ17. 自分との闘い》

<3-6> 病院寸話(月例朝礼での寸話)


《その15 佐々木 主浩かづひろ投手》


挿絵(By みてみん)


 佐々木投手とは、米大リーグでも活躍した横浜(今の横浜DeNA)ベイスターズの抑えの名手、大魔神こと佐々木投手のことです。横浜ベイスターズの優勝に大きく貢献し、正力賞も受賞しました。


 その佐々木投手のシーズン1年間の歩みを、以前、NHKドキュメントで放映していました。


 その中で、彼が8回か9回に抑えに起用されるまで、ブルペンで肩作りをして準備している姿が映し出されています。彼が起用されるのは、3点差以内で勝っているときにのみ彼の出番があることが、監督から言い渡されています。


 試合の進行模様をモニターで見ながら、出番がありそうなとき、いつでも投げられるように肩を作っていくのです。


 そして最後に出番が決まったとき、ブルペンで10球投げ、最後の球はフォークでしめることが彼の習慣になっているそうです。そこで気力、体力とも最高の調子に高めていって、マウンドに上がるのです。押さえの投手には、僅少差というそのプレッシャーを凌ぐ気迫が必要なのです。


 またチームの低迷時代は、彼は自分のことばかり考えていたようですが、昨年から上位で戦うようになってからは、チームの勝利を優先するよう心掛けるようになったのです。そのために不節制な生活を改めたり、投げ方の研究をしたりして、チームに貢献するように努力したのです。


 このテレビを見ながら、彼には生まれもった才能があることはもちろんですが、その裏には、ひたむきな努力があることを私は感じました。その努力の積み重ねが、このような実績を生んでいるのだと思います。


 それに、彼のやるべき仕事が、監督からきちんと伝えられているということは、注目に値します。どういう時に、どういう仕事をしなければならないかということが、監督からしっかりと指示されているということは、その人間の才能を十二分に引き出すためには大変大切なことだということを感じました。


《その16 トップダウンとボトムアップ》


挿絵(By みてみん)


 トップダウンとは、トップが決めたことを下に伝達、命令するやり方です。一方ボトムアップとは、底辺からの声を拾い、それを吸収して物事を行うやり方です。


 ある時、常勤医師が増えたために、病院で訪問診療(在宅ケア)をスタートしようと考えました。


 ところが医師は増えてもナースやその他のスタッフは増えていませんので、誰もあまり乗り気ではありません。仕事を増やしたくないというのが本音のところでしょう。


 やや見切り発車的なところがあったのですが、それを始めますと、初めは外来のナースは知らん顔をしていたのですが、患者から電話などで訪問診療についての問い合わせが来るものですから、なぜ外来抜きでやるのかと文句を言い出しました。


 私はそれを興味深く見守っているところです。トップダウンは上が決めたことを下に命令するやり方ですから、今はトップダウンするほどのマンパワーの余裕がありませんので、じーっとボトムアップするのを待っているところです。


 そして私独りでそれを始めたのですが、トップダウンの時は「外来は関係ないよ」と言っていた人たちが、実際に始まるとなぜ相談せずにやるのかと言い出しています。これはおもしろい心理です。命令すればやりたくないというし、それでは無視してやるとなぜ無視してやるのかと文句を言います。


 人を動かすには、これもひとつの方法かもしれません。すなわち、なぜ自分たちを無視してやるのかと文句を言うこと自体、それに対して良い意味でも悪い意味でも関心を持ったということです。あるいは関心を持たざるを得ない立場に立ったということです。


 人間というのは、そういう立場にたって初めて、自分のこととして、物事をとらえることができるのです。それまでは、馬耳東風で、いくら言っても自分のこととしてはとらえず、他人事のように思っているのです。


 そういう空気、土壌を作り出していくのも、上に立つ者の大きな仕事の一つだと思います。


《その17 自分との闘い》


挿絵(By みてみん)


 昔からよく、「闘いは自分との闘いである」といわれています。例えばマラソン選手が42.195キロの長い道のりを走っているとき、自分との闘い、あるいは孤独との闘いで走っているといわれます。


 つまり闘いとは、自分の心の中での闘いであるというのです。したがって、闘いに勝つには、自分の心の中で勝たなければならないのです。


 これは私自身の経験からも、うなずけることです。私の高校時代、ある日の体育の時間に、腹筋の強さの競争をみんなでしました。先生がだれが1番長い間、腹筋運動を持続出来るかという競争をさせたのです。


 それは、体育館の床の上に全員が寝て、足のかかとを床から10センチほど上げたまま、どれだけの時間耐えられるかという競争だったのです。


 私はその時、これは自分自身との闘いだと思いました。それで自分自身の心の中に目標を作ったのです。つまり自分が100を数えるまでこの腹筋を続けようと、自分だけの目標を作ったのです。ですから他の人たちがどうだということは全く関係ありません。


 その目標に到達するまで、いかに自分と闘うかということをだけを頭に置いたのです。そしてそれでずーとやっていますと、1人抜け2人抜けしてみんなが脱落しました。


 ただ私は自分の目標に向かって進んでいましたので、その目標が達するまでは止めまいと、それを続けていました。最後に私1人だけが残っても、なかなか私がギブアップしないので、先生もついにあきらめてそこで競争を中止にしました。


 いろいろな闘いがあるとき、相手を闘いの相手とすると、それは心理的に負けてしまいます。それは「自分の心の中での闘い」である、そしてその心の中で勝つということが分かると、それを目標に闘いをすることができるのです。



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〈つづく〉



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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│『神との対話』との対話 英訳版

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