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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
6章 私の医療あり方論
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<2-3> 『ターミナルケア』 その3 ペインコントロール

<2-3> 『ターミナルケア』 その3 ペインコントロール 神奈川県保険医協会講演録


⑬ 症状コントロール


挿絵(By みてみん)


 症状コントロールはとても大切なことです。症状コントロールをしないと本当の意味で患者のホスピスケアはできません。痛み、苦しみを取ってあげるということが非常に大切ですので、このことが最初に来るべきでしょうが、話の流れとして三番目に持ってきました。


 一つの症例でお話します。この方は38歳の女性です。横行結腸ガンの方です。昭和59年に病院で大腸ガンの手術を受けています。4年後に骨盤に再発しました。イレウスを起したり水腎症を起したりしましたので、人工肛門をつくったりして症状コントロールをしてきました。そうして去年の3 月にホスピスに入って来ました。入院してからもイレウス状態でしたのでIVH を入れたり、熱が出たときにエコーで調べたところ右の腎臓が骨盤でつまってしまい、尿が片方しか出ないためにそこに感染が起りまして、腎膿瘍を起こしました。すぐに腎臓に針をさして膿を抜きました。それで良くなりまして、5 月に退院しました。


 又、9 月になってから痛みが来て再入院してきました。硬膜外ブロック、背中から針をさしてその痛みをとりました。その後又イレウスを併発して、腸ろうをつけます。次に黄疸が出てきました。黄疸に対して今度はエコー下でPTCD(体壁から細いチューブを胆道に挿入する方法)を行いました。そうして最後に今年の1 月28日に腸ろうから大出血を起こし、どうしても止められなくてその時に亡くなられました。この女性は骨盤内に再発して3 年間いろいろなことをして生きてこられたのです。


 ホスピスでは如何に合併症として出てくるものをコントロールする技術が必要になるかがお分かりだと思います。単に技術的なことだけ言っていますから、ホスピスというのはこんなことばかりしているかと思われるでしょうが、そうではなくて精神的なケアをやって、尚かつ技術的なことも要求されるという意味であります。


 ですから、ホスピスケアはただ痛みをとるだけではなくて、治療医学、最先端の技術を使いながら、しかも痛みをとっていくということがなされているということを示させてもらいました。すなわち症状コントロールをきちんとしないとホスピスケアはやれないということを私は言いたいわけであります。


1) ペインコントロール


 症状コントロールの中心はペインコントロール(痛みのコントロール)です。ターミナルケアの中での一番の症状は痛みです。そのペインコントロールについて簡単にお話したいと思います。これは除痛ラダーと言いまして、痛みをどのように取っていくかという方法です。この辺は普通よく使われる鎮痛剤です。麻薬ではないインテバンだとか、ボルタレンだとか、そういう痛み止めをまず使ってみます。これできかないときに、次はモルヒネよりもう少し弱いブプレノルフィン、ソセゴンとかレペタンの類です。そういうものを第ニステップで使います。麻薬でないので使いやすいという利点があります。これでもダメなときに、最後にモルヒネに行くわけです。


 モルヒネは当然麻薬の管理で厳しいですから、扱い方がやや面倒という欠点があります。しかし最近私が使っていて、この真ん中を抜かして、ここヘポンと飛ぶことが多いです。モルヒネは非常にいいですので、3 段階を経ずにモルヒネを初めからポンと使うことが多くなってきました。


2) モルヒネ効果


 ある例ですが、がんセンターが満床で入れないために緊急避難でうちの病院へ入れてくれないかということで、外来で待っておられたガン患者がいました。車椅子に座りぐったりして、熱はあるし食べられない。その上がんが再発していますから、なんと言いましょうか顔は青白く、絶命してしまうのではないかという感じでした。すぐ病棟へ上げて、モルヒネの持続皮下注という、後で出てきますけれども、モルヒネをゆっくりゆっくり入れる持続皮下注を開始しました。


 2 時間位で痛みも苦しみもぴたっととれてラジオを聞き出したのです。ラジオを聞くというのは余裕があるから聞けるのです。それ位効くのです。午前の外来ですから12時前だと思うのですが、夕食からは食事をとりだして、次の日はデイルームヘ出て行ってテレビを見たりできる状況になりました。劇的に効きましたから私はびっくりして、それ以後私はすぐにこれを使ってしまうのです。苦しみ出したら、すぐモルヒネを持続皮下注器に入れて刺します。それでモルヒネを愛用というとおかしいですが、わりと使うようになりました。


挿絵(By みてみん)

   持続皮下注器


 モルヒネの使い方としては、原則として最初は経口でいきます。腸閉塞とか吐気があって経口的にとれないという時は別として、経口的にとるのがよろしいと言われています。モルヒネ水という水溶液で大体1 回5 ~10mgの投与を1 日4 ~5 回やります。つくり方は塩酸モルヒネ50mgにシロップで甘味をつけて水でうすめ50ccにします。そうしますと、10,10,10,20 と4 回に分けるのに楽ですので、そういうつくり方をしています。


 私も試飲したことがあるのですが、ちょっとにがい味がしました。「患者に飲ませる以上は私も試みに飲んでみよう」と、自分はがんの末期ではないのですが、飲んでみました。ビールを2 杯位飲んだ感じです。ふあっといい気持ちだなあと感じた記憶があります。1 日4 回飲むというのは面倒です。夜中起こす必要もあります。朝・夕飲めば充分効いてくれるというロング・アクティングのMSコンチンというのが、今は出ています。塩野義製薬から出ています。


 しかし長時間作用しますので、こまめなコントロールは少ししにくいきらいがあります。ですから先程のようなモルヒネの経口水でこまめにやって、1 日量がどれ位いるかというのを知ってから、それを半分にして朝・夕投与する方が理論的にはいいと言われていますが、どちらでもいいかなという感じもします。


 持続皮下注というのは非常に有効です。楽ですしはっきり効果が出ます。体に完全に吸収されますし、自由にコントロールができます。この機械というのはニプロから販売されていまして、1 日微量づつ、1.2 ccを入れる機械なのです。小さく軽いですから、ショルダー・バッグのように肩にかけて、針は皮下に刺すだけなのです。はずれても怖くないし、教えれば自分でもやれます。大変便利だと思っています。それでこの辺の薬をちょちょっと使いますと、先程の外来のような、死にそうな顔でぐったりしていた人が元気になります。生き返ったようになります。奇跡のようなことが起こります。


 このことも小冊子に書いてありますから、ご覧になりたい方は見ていただくといいと思います。これが非常にいいですから、先程のような経口水などでやるより、入院してこられたら即これをやってしまいます。そうしますと、3 日位やっていますと、これでコントロールがつくなという1 日量が分かりますから、その時注射をやめて経口に切り替えていこうというやり方をしますと、割とコントロールが簡単にできます。


 塩酸モルヒネ注射薬は1cc が10mgという単位でつくられていますから、この人は1 日50mgが理想だというときには6 cc位をシリンジの中に入れて、ダイヤルで微調整ができるようになっています。早く入れたいときはボタンを押すと、早く入ります。1 日2 cc必要ということですと、ダイヤルに合わせてやっていきます。コントロールが非常にしやすい機械です。針の先を皮下にちょっと刺して、絆創膏ではっておけば、感染も怖くないですし、抜けても出血するわけでもありません。刺すのもそんなに痛くはありません。この辺に機械をせおって、日常的動作を障害することもなくできますので、非常に便利な機械です。みなさんのところで、そういうコントロールをされることがありましたら、これを使われると非常にいいかと思います。


3) 三大副作用 


 ただ、モルヒネには副作用があります。


 副作用で一番大きいのは便秘です。便秘に対してはラキソベロンなどいろいろな薬があります。そういうものを投与していかなくてはいけません。


 次に吐き気が出てきます。これにはプリンペランなどの制吐剤を使います。3 番目には眠気です。この眠気には、リタリンという、カフェインのような薬を使いますとモルヒネの眠気を取ってくれます。この三つが大きい副作用です。この三つの副作用に対してはワンセットで薬を与えてしまうのです。そうしますと、ぴたっと副作用がとれて、モルヒネの効果が出てくるようになります。


 このようにモルヒネとモルヒネの副作用をとってくれる薬でモルヒネを上手に使いますと、痛みのコントロールはほとんどできるということであります。


⑭ QOL


挿絵(By みてみん)


 4 番目に生活の質の重視です。みなさんご存知のQOL という言い方をします。クウォリティ・オブ・ライフの略で、生活の質、すなわち日常生活の質を重視しよう。延命という量的なものではなくて質的な側面を重視しようというのが、ターミナルケアの重要なポイントとなります。痛み、苦しみがあったりすると、それどころではない、生活の質よりもまず痛みを取ってくれという事になります。ですからペインコントロールに習熟していることが第一に必要になります。


 痛みがとれると次に何かをやりたいという事になります。先程の人も、ラジオを聞いたり、テレビを見に行ったりという余裕が出て来ますから、次にはどのようにしたらその人がゆたかな生活と言いますか、生活の質の向上をさせてあげられるかが重要視されてくるわけです。私たちは原則としてQOL はその人のものであるという考え方をしています。すなわち私は半分クリスチャン的な考え方を持っていますから、死はターミナルではないという発想をします。一つの通過点にすぎないという発想をします。それは個人の考えでありますから、QOL そのものはその人のものであります。我々がそれを支えてあげて、如何にその人が自分のQOL を見い出してくれるかをサポートするだけだという考えを持っています。これが原則だと思います。


 有名な言葉に「人は生きてきたようにしか死んでいけない」という言葉があります。すなわち「死ぬときは、その人が生きてきた生き方と同じように死んでいくのだ」というのです。死ぬ前の1 ヵ月や2 週間で急に生き方をがらりと変えることは土台無理だということが、普通の死の臨床のところでは言われています。私はクリスチャンのはしくれです。劇的に一つの宗教の悟りにふれて死生観が大きく変わることもありますから、そういう意味では全てがそうではないのではという気持もしています。しかし大体が「生きてきたようにしか死んでいけない」ということであります。


 例えばこういう人がいました。甲状腺ガンですが、その人はすごくお金に執着していまして、死ぬ1 ヵ月前には甲状腺ガンがどんどん首にくい込んできましたから、呼吸困難も出てきましたし、首の神経がおかされ四肢麻痺も起こってきました。身動きができませんから全て介助でやっています。その人が亡くなる1 ヵ月前になって、「きんがほしい」と言うのです。


「金を見て死にたい」


 4 ~5 百万の金を神田で買いました。我々はそのお金を寄付してくれたらいいのになと思ったりもしました。娘さんに買いに行かせて、金を飾ざって亡くなられていきました。その人を非難するわけではないのですが、生きてきたように、あと1 ヵ月しか生命がないとなってもそうなのかなという思いをしました。逆に先程の宗教者で「薬はいらない」と死ぬまで貫かれていった人と反対のような気がしますが、生きてきたようにしか死んでいかないなと、私たちは死を看取っていてそういう実感をもっています。


 面会・外出・外泊は自由にしています。ここから会社へ通う人もいます。外泊をしてもその人の生活に支障をきたさないように、入院であれはいけないこれはいけないということをなるべく取りはずそうということで、工夫しました。食事も自分たちでつくりたいのなら、個室の中にはミニ・キッチンがありますから、「どうぞつくってください。」「塩分をひかえましょう」とか、どうのこうのと言っているときではありませんから「食事はおいしいものをおいしく食べてください」といっています。お酒も許可しています。恐らくお酒を許可する病院、日本には4 ~5 千の病院がありますが、お酒を許可する病院はないと思います。


 余談ですけれども、面白い話があります。ホスピスと言いますと、よくホステスと間違えるのです。「お宅はホステスがいるのですか!」と。「いやホスピスです」という話が、本当にあるのです。まさか病院にホステスがいるわけはないのですが、お酒を許可すると、本当に看護師さんがホステスになるのではないかという感じです。ナースセンターにボトルをキープしておき、今日は日本酒、明日はビール。きちんと管理はしています。考え方として、あれはいけないこれはいけないという、病院特有の規則づくめを取り払おうという一つのやり方です。


⑮プライベートタイム


 家族だけ、夫婦だけという時間を提供しましょう。始終回診したり、看護師が入っていくと、プライベートな場所、時間が持てなくなってしまいます。今磁気が付いていてドアにぺたっとはれるプレートがありますから、その「ご遠慮ください」を出したら、「絶対に行きませんよ」ということにして、その人のプライベートな場所と時間を提供しています。それから、茶話会をやったり、コンサートを開いたり、ハイキングに行ったり、バーベキューをしたりしています。また10分位のところに大きい公園がありますから、公園に患者さんを連れて行きます。救急車でベッドごと行くこともあります。そのスライドがないのが残念ですが、公園に遊びに来ている人たちはみんな異様に思い、びっくりして見ています。こうしてQOL を少しでもサポートしようとしています。


 次に宗教があります。外面的なサポートに対して内面的な支えと言いましょうか、そういうものが必要ですので、宗教というものも我々は患者さんに提供しています。


 次はお別れ会です。ご本人が亡くなってからですので、ご本人のQOL とは違いますが、残される家族の方へのケアも必要です。次の遺族会もそうなのですけれども、ケアの対象は患者さんだけという見方をするといけないのです。先程の38歳の方などはお子さんが小学生です。残される方の事も重要視していかなければいけないので、こういうお別れ会、遺族会を開いています。


 お別れ会は花束をささげて、こちらからおくやみを申し上げて、家族の代表の方がそれに対してこたえるというような形でやっています。心理的にはそこで泣き叫ぶのがいいというのです。お別れ会でワアワア泣くと少し精神的に楽になるというようなことも考えて、お別れ会をやっています。


⑯ 生きがいをもって


 QOL の具体例をこのように書いてみました。お坊さんが入院しました。この方はあるテレビで紹介されました。説教をしてもらったのです。「死とは何か、生とは何か」、自分にも目の前に迫っているテーマですが、お坊さんですから亡くなられる直前まで講話をしてもらいました。そのことがその人の非常に生きがいでして、最後は車椅子にのって、我々も人々に声をかけまわりました。続々と多くの人たちが聞きに来てくれて、気持ちよく説教なさったという例があります。


 先程の看板屋さんは天理教という宗教をお持ちでした。「何か役に立ちたいのです。このまま寝ているだけでは寂しい」と言われたので、病院の絵などに一つ一つネームプレートを付けるのにはお金がかかりますので、「それでは、ちょうどいい」ということで、「やってくださいませんか」と言ったら、「それはうれしい」と言って、看板屋さんですからプレートとか、筆など家から一式を持ってこられて、全館の絵とか、ものに名前を書いてくださいました。それが一つの記念になっています。


 次の方は会社の社長さんです。直腸ガンでした。最初から病名を告げました。手術しましたけれども、2 年位で再発しました。最後はホスピスヘ入られましたけれども、病院から会社へ死亡の3 日前まで通われました。息子さんになんとか仕事を教えないといけないということで死亡する3 日前まで会社に通いました。人間ってしなければならないと思ったらあそこまでできるものかという位でした。


 帰って来ると青白く、チアノーゼが出ているのです。肺にも転移していますから、むらさき色の顔、爪もむらさき色になっています。帰ってこられると酸素吸入をします。最後の力を振りしぼって息子さんに仕事を教えられて、3 日後に亡くなられたという方もいらっしゃいました。一つの例ですが、なるべくその人のQOL を大事にしてなんとか支えてあげましょう。痛みをとって、その人の生活で最後に何をやったらいいだろうかを考えサポートしてあげることが、ホスピスケア、ターミナルケアの真髄ではないかと思うわけであります。


(1991年12月)


〈つづく〉



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│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│ 《 あなたの人生を振り返る 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│ 《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│ 《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│ 『神との対話』との対話 英訳版

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