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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
5章 病気もいろいろ患者もいろいろー名診誤診迷診
154/329

<39-2> 症例報告 併発した脳梗塞の治療後に発語機能の改善を見た重度アルツハイマー型認知症の1例

併発した脳梗塞の治療後に発語機能の改善を見た重度アルツハイマー型認知症の1例


要旨


 著者は,重度のアルツハイマー型認知症(Alzheimer’sdisease:AD)の患者において,併発した脳梗塞の治療後に認知機能,とりわけ発語機能の改善を認めた1症例を経験した.


 その治療に使用した薬剤と認知機能との関連性を記述した論文を基に,本例の重度認知障害の改善をもたらした要因を考察してみた.


 現在繁用されている薬剤の投与によって,末期状態に近い患者の認知機能の改善が得られるなら,それは認知症患者のQOLの向上に資するだけでなく,既存の薬剤が認知症治療に有用である可能性を示唆しているといえよう.


1.はじめに


 重度認知症患者は,病状がさらに進行するとコミュニケーションや食事の経口摂取が不可能となり,やがて死に至る.


 当院は,中等度から重度の認知症患者が入院する精神科病院であるが,著者はこの度,重度のAD患者が脳梗塞を併発し,グリセオール(商品名;グリセリン製剤),シチコリン,ヒドロコルチゾンなどによって治療したところ,意識障害,片麻痺は回復し,経口摂取もできるようになったが,それから1~2カ月ほど経った頃から,認知機能の改善が見られたという興味深い症例を経験したので報告する.


2.症例提示


患者:80歳,女性,独身,元日本舞踊教師


主訴:認知障害


既往歴:糖尿病,高脂血症,高血圧,白内障,うっ血性心不全


内服薬:メトホルミン塩酸塩50mg,スピロノラクトン25mg,フロセミド10mg,ボグリボース0.6mg,アスピリン100mg,硝酸イソソルビド40mg,ファモチジン20mg,センノシド48mg注射薬:インスリン(混合型)5U朝食前皮下注射


病歴:X-15年,もの忘れがあり,東京都健康長寿医療センターにてADと診断され,ドネペジルの投与を受けた.同センターに通院しながら,ヘルパーの支援を受けて独居生活を続けていた.X-6年2月29日,嘔吐,胸苦を認め同センターに入院し,うっ血性心不全の診断のもとに治療を受け,心不全は緩解し退院可となったが,一人暮らしは無理と判断され,同年4月9日に当院に紹介入院となった.


現症:特記すべき所見なし.日常生活動作(Activitiesofdailyliving:ADL)は,歩行および食事摂取は自立し,コミュニケーションは普通に取れる.


検査所見:血液生化学検査では貧血(RBC335,Hb9.6),高血糖(FPG167,HbA1c(NGSP)8.8),BNP285.2を認め,尿検査では蛋白-,糖3+,潜血±を認めた.胸部X-Pは心胸比63%,肺野に異常陰影なし.心電図は左室肥大,頭部CTで中等度の脳萎縮を見た(図1).改訂長谷川式簡易知能評価スケール(Hasegawadementiaratingscale-revised:HDS-R)は8/30点だった.


挿絵(By みてみん)

  図1.入院時頭部CT


経過:入院後の生活は,自力で歩行や食事摂取はできていたが,時間の経過とともに認知症は進行し,ADLの低下を来たした.HDS-Rは,入院時の8/30点に対して,X-5年3月には4点となり,X-2年1月には測定不能となった.


 さらにX-1年1月には完全な寝たきり状態となり、呼びかけに対して時に「はい」とだけ答える程度に認知機能は低下した。X-1年4月からは,呼びかけに対して発語はなく,わずかに見つめる,驚く,笑みを浮かべるていどの無動性無言症様の状態となった。食事は全介助で経口摂取ができていた.


 X年1月10日夜に,JapanComaScale(JCS)Ⅲ-200の意識障害を突然認め,BS159mg/dlで,SpO2は78%と低下した.ポタコールR(商品名;輸液製剤)で血管ルートを確保し,02投与,ヒドロコルチゾン200mgの側管からの静注などを施行した.


 翌日,左側不全麻痺を認めたので,頭部CTを撮り出血巣が見られないため脳梗塞と診断し,ポタコールRをメインに,グリセオール200ml+シチコリン500mgの側管からの点滴静注を加えた.意識障害は発症翌日にはJCSⅡ-30に改善したが,SpO2は2L/分の酸素投与にもかかわらず,80%台と低下が続いた.


 同月12日,胸部X-Pにてうっ血肺を認め,急性心不全を併発したと診断し,フロセミドの静注,硝酸イソソルビド貼付剤40mgの貼付を施行した.同月14日にはSpO2は94%以上(2L/分のO2投与)に改善した.これらの治療は22日間継続した(図2).

挿絵(By みてみん)


 同月19日には大むね全身状態が落ち着き,嚥下機能は良好であったので,経口摂取を開始した.


 同年3月5日,呼びかけに対して,「はい」と返事をした.同月15日,話しかけると,どもりながら少し答える.同年4月13日,自分でコップを持って水を飲む.同月27日,「オヤツ食べたの?」と聞くと,「うん,自分で食べた」と笑って返事をする.


 同年5月25日に意識障害(JCSⅢ-200)を再び起こしたので,初回とほぼ同じ内容の治療で対処した.この意識障害は翌日,JCSⅡ-20に回復している.同月28日,N式老年者用精神状態尺度(NMスケール)は8/50点(前年12月は2/50点)だった.同月30日,「名前は?」と聞くと,フルネームで正しく答えた.同年6月19日,スタッフといっしょに,歌「東京音頭」を声を出してそらで歌っていた.


 その後,日によって起伏はあるものの,同様な状態が続いた.しかし,長期の寝たきり状態のため両下肢は拘縮をきたしており,ADLは全介助で車椅子乗車が最大であった.39°Cの高熱を伴う尿路感染症を3回併発し,抗生剤投与の治療を受けたが,徐々に体力の衰弱をきたし同年8月23日に死亡した.


3.考察


 本症例のように,1年近く無動性無言症様の状態にあったものが,併発した脳梗塞の治療後に,そらで「東京音頭」を歌うまでに改善したのを見て,著者らは驚愕の声を上げた.当該症例の発語機能等の変化をまとめてみると表1のようになる.その発語機能は改善している.


挿絵(By みてみん)


 本症例の脳梗塞治療に投与された薬剤は,図2に示したとおりである.本例の認知機能改善をもたらした要因に,これらの薬剤が関与していることは十分に考えられよう.


 急性期医療における脳梗塞の治療は,rt-PA静注などの血栓溶解療法が一般的であるが(峰松,2014),入院患者の多くが高齢の重度認知症患者である当院での脳梗塞治療は,補液に加えて,グリセオール,シチコリンを点滴静注するのが一般的である.


著者は敗血症の治療には,抗生剤にヒドロコルチゾンを加えているが(Clodi,2002),本例の脳梗塞治療にも,病状が重篤であったために,グリセオール,シチコリンにヒドロコルチゾンを加えた.なお,ステロイド剤の脳梗塞治療での有効性は実証されていない(Qizilbashetal.,2002).


 当院の過去の診療録を調べてみると、当院に勤務してからの13年間に,脳梗塞を併発してグリセオール,シチコリンによる治療を著者が施行した患者は22例いたが,本例のような興味深い経過をとった症例は著者の記憶にはない.さらに,脳梗塞の治療にヒドロコルチゾンを加えた症例はなかった.


 この事実は,本症例に見られた認知機能の改善が,投与薬剤の中でもとりわけグリセオール,シチコリン,ヒドロコルチゾン3剤の協調によって誘発された可能性を示唆しているといえよう.


 この改善は,ステロイド剤による一時的な興奮作用(金田,児玉,1989)による可能性も否定できないが,発語内容は投薬以後長期にわたり整然としていた.


 そこで著者は,グリセオール,シチコリン,ヒドロコルチゾンと認知機能の関連性を記述した文献を渉猟してみた.その結果,シチコリンについては16編,ヒドロコルチゾンは14編(グリセオールは無し)の論文を取得することができた.それらの論文を要約してみる.


 シチコリンと認知機能について述べた論文には,認知障害の改善にシチコリンが有効とするものが多く見られた(Garerietal.,2015;Putignanoetal.,2012).例えばGareriPらは,「多くの研究は,多様な病因の認知障害におけるシチコリンの役割の可能性を明確に示している.シチコリンは,特に血管起源の,認知障害を改善するための有望な薬剤であると思われる」と論文の中で述べている.


 ヒドロコルチゾン(ステロイド剤)と認知機能について述べた論文の多くが,ステロイド精神病に代表されるように,ステロイド剤を認知障害を誘発する薬剤として記述していた(Manzoetal.,2018;金田,児玉,1989).ADの治療にステロイド剤を使用した論文も見られたが,その効果には否定的なものが多かった(Aisenetal.,2000;Jaturapatpornetal.,2012).例えばAisenらは,プレドニゾンの低用量療法(1年間1日10mg投与)がADの認識低下率を遅らせるかどうかを無作為比較試験で調べた結果,ADの治療に役立たないと結論している.


 ステロイド剤についての多くの論文が,認知機能改善には否定的な見解を述べる一方で,アミロイドβ(Amyloidβ:Aβ)が脳血管に蓄積して発症する脳アミロイドアンギオパチー(Cerebralamyloidangiopathy:CAA)に対して,ステロイド剤が著効を示したと報告する論文が多く見られるのは,興味深い(岩永ら,2012;熊谷ら2017).CAAは,ADの約9割にみられ,その認知障害を増悪させる因子として知られているからである(山田,2011;池田,2018).


 さらに最近,以前から提唱されていたADの「脳炎症仮説」(AβがADの原因ではなく,脳炎症の結果としてAβ蓄積が増加するという仮説)および「感染症仮説」が,新たなエビデンスの追加により,再び注目されるようになってきている.


武らは,ADの予防および根本治療法の確立には,「脳炎症仮説」や「感染症仮説」を再評価し,これらの仮説に基づいた創薬を見直すことは極めて重要であると述べている(武ら,2017).


 またQiushanTaoらは,軽度の慢性的な炎症がアポリポ蛋白E4遺伝子保有者のAD発症リスクを上昇させ,発症時期を早めている可能性が高いと報告し,全身性の炎症を厳格に管理することにより,ADの発症を予防したり遅らせることができる可能性があり,それにはC-reactiveprotein(CRP)測定が有用であると述べている(Qiushanetal.,2018).


 CAAにステロイド剤が著効を示したとする報告や,ADに慢性炎症が関係しているとする論文を参照すると,抗炎症作用を有するステロイド剤の有用性について,再検討する価値はあるものと著者は考える. 

 本例に見られた認知機能の改善は,図2に示した薬剤,とりわけグリセオール,シチコリン,ステロイド剤が,単独あるいは複数の協調作用によって誘発されたものと著者は推測する.今後もこれらの薬剤の認知機能への作用を,注意深く観察していくつもりである.


4.結語


 認知症の末期状態(三宅,1999)に近い患者において,現在繁用される薬剤投与によって認知機能の改善が得られるなら,それは認知症患者のQOLの向上に有用なものと考えられる.


 昨今,高額な費用を要する新規薬剤の開発とともに,既存の薬剤を疾病の新しい治療に適用する創薬の必要性が叫ばれている(水島ら,2013).


 この度著者が経験した症例は,既存の薬剤が認知症治療に有用である可能性を示唆しているものと考え,ここに報告した次第である.


文献


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GareriP,CastagnaA,CotroneoAM,PutignanoS,DeSarroG,BruniAC(2015)Theroleofciticolineincognitiveimpairment:pharmacologicalcharacteristics,possibleadvantages,anddoubtsforanolddrugwithnewperspectives.ClinIntervAging10:1421-1429


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https://www.jstage.jst.go.jp/article/jstroke/advpub/0/advpub_10613/_pdf/-char/ja(参照2018年12月18日)


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_______


Abstract


AcaseofsevereAlzheimer'sdiseasethatshowedimprovementofspeechfunctionaftertreatmentofcomplicatedcerebralinfarction


MasatakaTakano

DepartmentofInternalmedicine,KasukabeSaintNoahHospital




TheauthorexperiencedacaseofthepatientwithsevereAlzheimer'sdisease(AD)thatshowedremarkableimprovementofspeechfunctionaftertreatmentofthecomplicatedcerebralinfarctionwithmedicinessuchasciticoline,hydrocortisoneandsoforth.Suchfactorsthatresultedintheimprovementofseverecognitiveimpairmentofthiscasewereconsideredbasedonthepapersdescribingtherelationshipbetweenthemedicinesandcognitivefunction.IftheimprovementincognitivefunctionofpatientswithsevereADisobtainedbysuchcurrentlyusedmedicines,notonlywillitcontributetoimprovingthequalityoflifeofpatientswithAD,butalsosuggestusthepossibilitythattheexistingmedicinesmaybeusefulfortreatingthem.


_______


AddresscorrespondencetoDr.MasatakaTakano,DepartmentofInternalmedicine,KasukabeSaintNoahHospital(1112-1Fudouinno,Kasukabe,Saitama344-0001,Japan)




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