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カルテに書けない よもやま話  作者: いのうげんてん
5章 病気もいろいろ患者もいろいろー名診誤診迷診
153/329

<39-1> 名診誤診迷診-植物状態の人がしゃべり出した

 驚くことが起きたのです。植物状態の人がしゃべり出したのです。


 これは、『<38> 名診誤診迷診-ステロイドは妙薬』 に簡記しました、「東京音頭」をそらで歌ったアルツハイマー型認知症(AD)末期のTさんの詳報です。


 Tさんは80歳の独身女性でした。若い頃は日本舞踊の教師をされていました。


 もの忘れが始まったのは15年前で、東京の専門病院でADと診断され、 内服薬の治療を受けていました。


 病院に通院しながらヘルパーの支援を受けて独居生活を続けていましたが、突如、心不全を起こして入院となりました。まもなく心不全は軽快し退院許可が出ましたが、 一人暮らしは無理なため、当院に紹介入院となったのです。 (図1)


挿絵(By みてみん)

 図1 頭部CT


 入院時は、歩行や食事は自力ででき、コミュニケーションも普通に取れていました。


 やがて病状は進行し、4年後には完全な寝たきり状態となりました。呼びかけに対して発語は全くなく、わずかに見つめる、驚く、笑みを浮かべるていどの意識状態、いわゆる植物状態となったのです。食事は全介助で食べられていました。


 そんな中、ある時(1月10日)突然、片マヒを伴う昏睡に近い意識障害を起こしました。


 インシュリン(糖尿病の治療)を毎日注射していましたが、血糖は159mg/dlで、低血糖による昏睡ではありません。頭部CTを撮り、出血の無いことから脳梗塞と診断しました。


 血管ルートを確保し、ポタコールRをメインに、 グリセオール200ml+シチコリン500mg+ソルコーテフ200mgを点滴静注しました。(⇒豆知識(1))


 翌日意識は回復しましたが、酸素飽和度(SpO2)が毎分2リットルの酸素投与下で80%と低下しました。(⇒豆知識(2))


 胸部レントゲン検査から、 急性心不全を合併したと診断しました。利尿薬ラシックスの静注、フランドルテープ( 硝酸イソソルビド貼付剤)40mg貼付の追加治療を行い、2日後にはSpO2は94%以上(毎分2リットルの酸素投与下で)に改善しました。


 そして1週間後には大むね全身状態が落ち着き、 嚥下機能は良好でしたので、 1月19日に経口摂取を開始したのです。(図2)

挿絵(By みてみん)


 ここまでは、脳梗塞や心不全の普通の経過です。


 ところがです。


 それから2カ月ほどたって、驚くことが起きたのです。


 脳梗塞を起こす前は、1年もの間、呼びかけに対して発語が全く無かったのが、なんと!話し始めたのです。


 その流れを時系列的に書いてみます。


┌----------


1月10日 片マヒを伴う昏睡に近い意識障害を起こした。


3月5日 「Tさん」の呼びかけに、 「はい」と返事をした。


3月15日 話しかけると、 どもりながら少し答える。


4月13日 自分でコップを持って水を飲む。


4月27日 「オヤツ食べたの?」と聞くと、「うん、 自分で食べた」と笑って返事をする。


5月25日 再び意識障害を起こしたので、 初回とほぼ同じ内容の治療を4日間施行した。


5月30日 「名前は?」と聞くと、 フルネームで正しく答えた。


6月19日 スタッフといっしょに、 歌「東京音頭」をそらで歌っていた。そして扇子を手渡すと自分で振っていた。


└----------


 ここまでくると、ことあるごとに、「Tさんがこんなこと言った」とナースが驚いて私に報告してくれました。


 なんと!植物状態の人が、そらで「東京音頭」を歌ったのです。日本舞踊の教師をやっていた方なので、昔の歌は頭にしっかり残っていたのでしょう。他に、「青い山脈」も口ずさんでいました。


 私は嬉しくなって、タブレットに昭和の歌をダウンロードして、毎日枕元で聞かせました。


 あまりに熱心なので、


「先生は、Tさんに恋してるんだ」


 スタッフはそうつぶやいていました。


 その後、 日によって起伏はあるものの、 同じような状態が続きました。


 しかし、 長期の寝たきり状態のため両下肢は拘縮をきたしていて、 生活すべてに介助が必要でした。


 やがて高熱を伴う尿路感染症を3回起こし、全身の衰弱をきたしました。そして8月23日に亡くなったのです。


 植物状態の人が話し出したのは単なる偶然か、はたまた神のいたずらか。


 大テ―マの出現です。


 全く話せなかった人が話し出すのを見て、治療薬に何かあるなと私はにらんだのです。


 Tさんに投与した薬を調べてみると、補液や抗生剤、ビタミン剤を含めて、13種類ありました。


 さらに保管庫に行ってカルテを調べました。当病院の入院患者で過去に脳梗塞を起こした人を調べてみたのです。すると 20人余りの患者さんがいました。


 その時の治療法を書き出してみると、グリセオール、シチコリンのみの投与で、ソルコーテフ(ステロイド剤)を投与した例はありません。


 そこで、13種類の薬のうちでも、グリセオール、シチコリン、ソルコーテフの3剤に注目し、それ以後、同じような意識障害をきたした患者さんに、この3剤治療を行ってみたのです。


 10人近い患者さんに投与しましたが、一人を除いて全ての人に、発語機能(話す機能)に改善が見られました。効果が見られなかったこの一人は、発症して13年の若年性ADの患者さんで、完全な植物状態の人でした。


 私が今勤める病院の患者さんは、多くが重度の認知症です。なので治療効果の判定には難渋します。


 というのも、重度の患者さんが脳梗塞を合併すると、それ自体が致命傷になってしまうからです。よしんば救命できても、多くに重い後遺症が残り、廃人になってしまうことも多々あるのです。


 軽症の認知症患者さんにこれらの薬剤投与を行えば、もっとはっきりした結果が出ると期待しています。


 もっか認知症に有効な治療法がない現状において、最前線にある病院にとっては、この私の経験は朗報になるだろうと思っています。


☆豆知識


(1)脳梗塞発作後に使う治療薬


 ①グリセオール:脳浮腫治療薬


 脳梗塞になると、血管が詰まった場所あるいはその周囲に水分がたまる脳浮腫が起こります。 脳浮腫が強いと骨に囲まれた頭のなかの脳圧が高まって重要な脳の組織が圧迫され、生命にかかわります。 脳浮腫を軽減させる目的で、グリセオール(10%グリセリン・5%果糖溶液)の溶液が使われます。 これらを点滴すると血液の浸透圧が高くなり、脳にたまった水分を血管のなかへ誘導し、むくみを軽減させます。 とくに重症の人に効果があることが明らかになっていますが、軽症の脳梗塞の人でも、詰まった血管の周囲にはむくみがでるため、しばしば使われます。


参照:https://minds.jcqhc.or.jp/n/pub/1/pub0005/G0000068/0018


 ②シチコリン:ヌクレオチドの一つであるシチジン二リン酸(CDP)にリン酸エステル結合を介してコリンが結合した物質。神経保護作用などが知られ、脳梗塞や鬱など一部の疾患への適用に関する研究が行われています。


参照:Wikipedia


 脳梗塞急性期意識障害の場合、通常、1日1回シチコリンとして1,000mgを2週間連日静脈内投与します。


参照:http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/2190404A1323_2_02/#CONTRAINDICATIONS


 ③ソルコーテフ:ステロイド剤の一つで、一般名ヒドロコルチゾンの商品名。


(2)酸素飽和度(SpO2):肺から取り込まれた酸素は、赤血球に含まれるヘモグロビンと結合して全身に運ばれます。酸素飽和度(SpO2)とは、心臓から全身に運ばれる血液(動脈血)の中を流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの何%に酸素が結合しているか、皮膚を通して(経皮的に)調べた値です。装置のプローブにある受光部センサーが、拍動する動脈の血流を検知し、光の吸収値からSpO2 を計算し表示します。


 一般的に 96~99%が標準値とされ、90%以下の場合は十分な酸素を全身の臓器に送れなくなった状態(呼吸不全)になっている可能性があるため、適切な対応が必要です。


参照:一般社団法人日本呼吸器学会 www.jrs.or.jp/


〈つづく〉



┌───────────────

│いのうげんてん作品      

│               

│①著作『神との対話』との対話

│ 《 あなたの人生を振り返る 》《 自分の真実を取り戻す 》

│②ノンフィクション-いのちの砦  

│ 《 ホスピスを造ろう 》

│③人生の意味論

│ 《 人生の意味について考えます 》

│④Summary of Conversations with God

│ 『神との対話』との対話 英訳版

└───────────────




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