↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋を知らない三十路過ぎ女が年下の女の子に一目惚れされる話  作者: みたよーき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/4

1.

作中に描写された性的マイノリティなどへの解釈は、あくまでも登場人物の主観によるものであり、一般的な解釈との乖離もあり得ることをご理解ください

 十代の頃の私は、三十歳を超えれば“おばさん”だ、そんなことを思っていた。

 二十代も半ばに差し掛かると、その水準は少し上がって、三十五歳くらいが境目かな、などと思ったりもしたが、実際に三十歳を超えてみれば、おばさんを自認するわけでもないけど、かといって、わざわざそれ以上“おばさん水準”を譲歩してもらおうとも思わない。まあ、そんな呼ばれ方なんて、私にとっては、昔思っていたほどには気にならないものらしい。

 それとも、色々なものを、少しずつ、諦めているのだろうか。……例えば、そう、自分の、可能性、とかを。

 だから、若い頃からずっと曖昧なことばかりで確立されずにいる“自分”というものを、ある程度は、こういうものではないか、と、限定されていく可能性の中に見出すことが叶うのではないか、そんなことを思ったりもする。

 三十二歳、女、おひとり様。“おばさんの狭間”に至り、私はようやく、もしかしたら私は『クィア』というものに分類されるのではないか、そんなことを考え始めていた。


 クィアとは:ヘテロセクシュアル(異性愛者)でない人々およびシスジェンダ(性同一性が一致している人)でない人々を指す総称――とある。

 端的に言えば、『ストレート』ではない人全て。それは、誤解を恐れずに言うなら、かつて『ノーマル』と呼ばれていた(あるいは今でも一部の人がそう呼ぶ)カテゴリィから外れた、つまりは“普通ではない”人間だということ。

 だけどそれは――自分が普通でないと認めることは――“今の”私にとっては、不思議と心地の良いものだった。

 腑に落ちた、と言ってもいい。なにせ私は、生まれてこの方、この世に避けては通れぬと思えぬほどに夥しく存在するラブストーリィというものに、共感を覚えたためしがない。恋愛の話で盛り上がる周囲の人たちの姿は、大袈裟に言えば、別の星の生物のように、遠く感じていた。……つまるところ、異星人は、私の方だったわけだ。

 まあ、そうは言っても、物語として普通に楽しめるものはある。ラブコメなんかは、より誇張的に描かれているせいか、現実とは完全に切り離された“作品”として好きとまで言えるものもある。だけど、作中で恋に悩み歓ぶ女性の気持ちは、自分の人生経験の中には全く見いだせたことはなく、彼女たちのことはいつだって、どこまでも、やっぱり“他人事”でしかない。

 昔こそ、その、“自分が普通ではないのではないか”ということを、不安に思ったこともあった。それはちょうど、高校生くらいの時期。

 小学校高学年から中学生の頃は、私が身体的に周りと比較すると少し遅れていたこともあって、みんなの方が早熟なのだ、そう思っていた。それでも、高校生くらいになればさすがに、私の方が“おかしい”のではないか、そう思われてきた。

 ただ、まだその頃は、『Q』も『+』も無い『LGBT』という言葉すら、今と比べればずっと耳にする機会が少なかったということもあるのだろう。私はその“おかしさ”を、まだ漠然としか認識していなかったし、だから不安もまた漠然とし過ぎていて、それは例えば『死について』というような、明確な恐怖を伴う不安のようには私の心を苦しめなかった。

 だから私はやがて、受験、短大、就職と、日々の生活にかまけるうち、恋愛に関してはいつしか、まだそういった出逢いがないだけだ、という楽観だか逃避だか分からない思考によって棚上げし、真剣に向き合わなくなっていた。……結局、不安といっても、その程度のものだった、ということかもしれない。

 その就職をしてから、もう十年以上が経つ。その年月の重みは、そんな私をしても、自分というものを多少は真剣に顧みさせるに十分な重み、ということなのだろう。


 客観的に見れば、実は今日までに私にも『恋愛経験』と呼べるのだろうものは存在した。まあ、単純な事実として、その間に“おつきあい”をした男性が二人ほどいた、ということだ。

 ただ、主観的に評価すると、やはりその、合計しても一年に少し届かない程度の僅かな期間に、『恋愛感情』と呼べるものを、私は私自身の心の内に見出すことは、できなかった。

 二人とも、人としては好感を持っていた(でなければ交際を了承したりはしない)。だけど――こういう表現は申し訳ないとも思うけど――彼らに対しては、幼い頃に実家で飼っていた“ワンちゃん”(『ワンダ』という名の雌の柴犬)ほどにも思い入れを抱くことはなかった。一応、誤解を避けるために補足するなら、私はそれ以来ペットを飼うことに全く前向きになれないくらいその子が大好きだったから、それ以上の思い入れとなれば相当なものだ。

 その、私の彼らへの気持ちは、口にせずともある程度伝わってしまったのだろう。どちらの交際も彼らから求めたものだったにもかかわらず、別れもまた、彼らの口からもたらされる結果になったのだから。

 交際を受け入れたときには、そうすることで私にも恋愛感情というものを少しは知れるかもしれない、そんな期待はあったのだと思う。だけど破局に際しては、特に失望があったわけでもない。二度同じ結果を迎えて、たった一度よりは多少なりとも高い精度の統計として、そういう形から私に恋愛感情が芽生えることはないのだろうな、という推測が立つ経験則のサンプルを得ただけだ。それと決めつけてしまうのは早計なのだろうけれど、まあ、二度あることは三度ある、というやつだ。知らんけど。

 別れに際し、私は少し薄情なのかな、とは思わないでもなかった。けれど、わざわざ彼らに対して申し訳ないとも思わなかった。

 ……まあ、私と別れる決断が、彼らのその後の幸せに繋がっていたならいいな、とは思う。とはいえ、真摯にそれを祈る、というほどでもない。

 ともあれ、自分が、クィアではないか、という発想に至るまでに、そんな経緯もあったということだ。


 さて、先述の定義をそのまま解釈すれば、クィアとはそれだけでLGBTQ+全てをまとめて指すはずだが、『Q』が『クエスチョニング』と『クィア』の頭文字であり、わざわざ分けて組み込まれているからには、やはり分けて考えるべきなのだろう。

 そういう意味では、私はクィアである、といきなり決めつけて考えるのはやはり早計だろう。自分がマイノリティ側かもしれない、という考えに納得感があったとはいえ、そこで決めつけてしまわず、“かもしれない”程度の前提で、一つ一つ検証していってみよう、そんなことを私は考えた。

 まず、『L』だ。これは……まだ可能性としては棄てきれないだろう。男性との交際しか経験がない以上、まだ女性に恋愛感情を抱いたことがないだけ、そんな可能性は、少なくとも男性に対するものよりは高い。

『G』は生物学的にあり得ないとして、『B』、これは、『L』ほどではないけど、やはり完全に否定もできないだろう。……世の中には『三度目の正直』という言葉だってあるわけだし。

 そして『T』。これに関しては、親から「女の子らしくない」と言われたことはあるが、少なくとも私は自身が女性であることを心理的に苦痛に感じたことはない(特徴の違いから男性を羨ましく思う点もあるが、だからといって男になりたいとまでは思わない)。だから、可能性としてはずいぶん低いだろう。ただ、男と女という二元論にこだわらない『ノンバイナリィ』であれば、それは可能性として検討の余地はあるのかもしれない。

 次いで『Q』だが、こうして自らに問うている時点ではまさしく『クエスチョニング』ではあるのだろう。でもそれは過程であって結論ではない。結論がどうしても出ず、その上で、更に模索を続けたいと思ったなら、これになるのだろうか。

 あとの『クィア』と『+』に関しては、“それ以外”という大雑把なくくりでいいのだろうか? ただ、そんな大雑把さが、一番しっくりくるような気はしている。だけど、そこに落ち着いてしまうことは、この言葉を、自分に対して真剣に向き合わずに済む免罪符にして、思考を放棄してしまうことのようにも思えて、それは……何か違う、と感じる。

 ただ、こうして実際に真剣に検討してみると、『LGBTQ+』という言葉自体、性自認による分類と性的指向による分類がごっちゃになっているし、人類の多様性に対する認識自体まだまだ発展途上なのかもしれない。あるいは今後、こういった分類は更に細分化していくのだろうか? ――などと社会派を気取ってみたところで、結果、言うほどその未来には興味が無い自分を見出しただけだった。

 そうやってあれこれと考えた末に、結局“自分探し”なんてものは、頭の中だけであれこれ考えてみたところで簡単に答えが出る問題でもないのだろう――などと思った私が、次に選んだのは、思考がダメなら行動だ、というものだった。

 ――そこまで自分を明らかにすることにこだわっているのはなぜだろう?

 この時はまだ、そんな疑問すら抱くことなく。私は、私らしからぬ積極さで、その“行動”の下調べを始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。