14 確信
夜の騎士団本部は静かだった。
昼間の喧騒が嘘のように、人の気配が遠い。
窓の外では淡い月光が石畳を白く照らし、時折吹く夜風が庭木を静かに揺らしている。
俺は無言のまま廊下を歩く。
足音だけがやけに大きく響いた。
胸の内が、妙に騒がしい。
(いや、違う)
騒がしいなどという生易しいものではない。
ずっと押し殺してきた何かが、内側で激しく暴れていた。
信じたい。
だが、信じるのが怖い。
そんな相反する感情が胸の奥で渦を巻いている。
やがて、医務室の扉の前へ辿り着く。
俺がノックをすると、中から小さな返事が聞こえた。
「・・・・・・どうぞ」
扉を開けると、室内には薬草の匂いが漂っていた。
暖色のランプがぼんやりと部屋を照らしだしている。
ベッドに腰掛けていたリズは、すでに治療を終えていたらしく、肩に白い包帯を巻いた状態でこちらを見上げてきた。
「団長・・・・・・」
その顔を見た瞬間、胸が苦しくなる。
昼間、魔獣の前に立った彼女の姿が脳裏に焼きついて離れない。
赤髪を翻し、三重詠唱を同時展開したあの姿。
それは昔、戦場を支配していたあの方そのものだった。
「体は大丈夫なのか?」
「肩を少し痛めていたようです。あとは軽い魔力酔いなので、休めば治ります」
そう言ってリズは苦笑した。
だが、その声にはあきらかに疲労が滲んでいる。
「団長こそ、怪我の方は大丈夫なんですか?」
「たいしたことなはい。気にするな」
「そうですか・・・・・・」
俺は無言で椅子を引き寄せると、彼女の前に腰を下ろした。
医務室の中に沈黙が落ちる。
窓の外の風の音が、妙に大きく響いた。
(一体何から話せばいいのだろう・・・・・・)
ランプの火が小さく揺れている。
その揺らめきが、今の自分の心そのもののように思えた。
いや、本当は分かっている。
ただ、その言葉を口にしてしまえば、もう後戻りができない気がした。
リズは静かだった。
まるで俺が何を言おうとしているのか、最初から分かっているかのように。
やがて、俺はゆっくり口を開いた。
「リズ」
「はい」
「お前は・・・・・・」
喉がひどく乾く。
たった一言が、信じられないほど重かった。
それでも、俺は言葉を紡ぐ。
「お前は、リーゼロッタ様だったんだな」
その瞬間、ランプの火が大きく揺らめいた。
リズは驚いていなかった。
否、驚くどころか、どこか諦めたように目を伏せる。
やはり気づかれていたか――――そんな顔で。
「何を言っているんですか・・・・・・」
一応、否定する。
だが、その声にはいつものような張りはない。
俺は静かに首を横へ振る。
「誤魔化さなくていい」
胸の鼓動がうるさい。
今さらもう引き返せない。
「三重詠唱」
俺は低く言葉を繋いでいく。
「俺が知る限り、あんな芸当ができる人間は一人しかいない」
リズは黙っている。
「それだけじゃない。お前は、『あの部屋』を知っていた」
騎士団研究棟の最奥。
リーゼロッタがかつて使っていた隠し部屋。
限られた者しか存在を知らない、あの部屋のことを。
「あの部屋でお前を見つけた時、初めて訪れたとは思えないような顔で本を読んでいたな」
あの日の驚きが蘇る。
リーゼロッタのあの席で、全く同じ姿勢、全く同じ仕草で魔法書を読み耽る彼女を見た時、思わず息を呑んだ。
「立ち振る舞いも、喋り方も、何もかも・・・・・・今日の戦いも、俺と初めて合わせたとは思えないほど自然に連携できていた」
あれは偶然ではない。
かつて共に戦場を駆け抜けた者同士にしかできない動きだった。
「それだけあれば、もう十分だろう? たとえ他の者は騙せても俺の目は騙しきれない」
俺は静かにそう告げる。
「あなたは、やはり・・・・・・」
リズはしばらく黙っていた。
冷たい月の光が彼女の横顔を淡く照らしだす。
その表情は、どこか遠い過去を見ているようだった。
やがて、彼女は小さく息を吐いた。
「・・・・・・ああ、そうだ」
淡々とした口調だった。
「私はリーゼロッタ・レーヴェンシュタインだ」
その瞬間、頭の中が真っ白になる。
分かっていた、気がついていた。
なのに、実際に本人の口から聞いた途端、理性が追いつかなくなる。
胸の奥にずっと押し込めていた感情が、一気に溢れ出す。
「・・・・・・は、ははっ・・・・・・」
声が震える。
「こんな奇跡が・・・・・・生まれ変わりなんてことが、本当にあるなんて・・・・・・」
ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほど掠れていた。
信じられない。
死んだはずの人が。
14年前に失ったはずの誰よりも大切な人が、今目の前にいる。
俺は思わず両手で顔を覆った。
今にも涙が溢れだしそうだった。
騎士団長として。
一人の男として。
ずっと理性で押さえ込んできたものが、崩れていく。
「俺はあなたを失ったことをずっと後悔していました。何もできなかった自分を死ぬほど責めました・・・・・・そして、叶うなら、もう一度あなたに会いたいと心から願っていたんです・・・・・・もう一度・・・・・・」
俺はそこで一度唇を噛みしめる。
「どうして・・・・・・どうしてもっと早くに打ち明けてくださらなかったんですか?」
その問いかけに、リズは少し困ったように笑った。
「お前は笑うかもしれないが――――」
彼女は視線を窓の外へ向けた。
どこからか入りこんだ冷気が、赤い髪をかすかに揺らす。
「今度こそ、普通の女の子として生きてみたかったんだ。英雄でも、大魔導士でもない人生を」
どこか寂し気な眼差しでそう呟く彼女に、俺は釘付けになる。
「家庭を持って穏やかに暮らして・・・・・・そういう人生を、一度くらい送ってみたいと思ったんだ」
リズの告白を聞き、俺はひどく戸惑っていた。
俺にとってリーゼロッタは、ずっと特別な存在だった。
戦場を支配する戦いの女神。
誰よりも強く、気高く、手の届かない美しい人。
だからこそ、彼女を神のように崇めていた。
そんな彼女がなぜ平凡な人生を望むのか。
正直、俺には分からなかった。
「だから、頼む。私がリーゼロッタだということは皆には秘密にしてほしい」
リズがそう言って顔を伏せる。
再び、ランプの火が大きく揺らめいた。
(俺は昔も今もリーゼロッタ様のご意志にただ従うだけだ・・・・・・)
俺はゆっくり目を閉じると、小さく頷いた。
「分かりました。あなたがそう望むのなら誰にもいいません」
その瞬間、リズが「ありがとう」と、ほっとしたような笑みを浮かべる。
その笑顔が年相応の無邪気さに溢れていて、なぜか胸が妙に痛んだ。
「いいえ、礼には及びません。ただ・・・・・・」
「なんだ?」
「俺はもう決してあなたのお傍を離れるつもりはありませんから」
俺はリズの目をまっすぐに見つめながら、はっきりと言い切る。
彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐにその黄金色の瞳を細めながら明るい声で言った。
「ああ、そうだな。またよろしくな、マクシミリアン」




