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14/22

14 確信




 夜の騎士団本部は静かだった。

 昼間の喧騒が嘘のように、人の気配が遠い。

 窓の外では淡い月光が石畳を白く照らし、時折吹く夜風が庭木を静かに揺らしている。 

 

 俺は無言のまま廊下を歩く。

 足音だけがやけに大きく響いた。

 胸の内が、妙に騒がしい。


(いや、違う)


 騒がしいなどという生易しいものではない。

 ずっと押し殺してきた何かが、内側で激しく暴れていた。


 信じたい。

 だが、信じるのが怖い。

 そんな相反する感情が胸の奥で渦を巻いている。


 やがて、医務室の扉の前へ辿り着く。

 俺がノックをすると、中から小さな返事が聞こえた。


「・・・・・・どうぞ」


 扉を開けると、室内には薬草の匂いが漂っていた。

 暖色のランプがぼんやりと部屋を照らしだしている。


 ベッドに腰掛けていたリズは、すでに治療を終えていたらしく、肩に白い包帯を巻いた状態でこちらを見上げてきた。


「団長・・・・・・」


 その顔を見た瞬間、胸が苦しくなる。

 昼間、魔獣の前に立った彼女の姿が脳裏に焼きついて離れない。


 赤髪を翻し、三重詠唱を同時展開したあの姿。

 それは昔、戦場を支配していたあの方そのものだった。


「体は大丈夫なのか?」

「肩を少し痛めていたようです。あとは軽い魔力酔いなので、休めば治ります」


 そう言ってリズは苦笑した。

 だが、その声にはあきらかに疲労が滲んでいる。


「団長こそ、怪我の方は大丈夫なんですか?」

「たいしたことなはい。気にするな」

「そうですか・・・・・・」


 俺は無言で椅子を引き寄せると、彼女の前に腰を下ろした。

 医務室の中に沈黙が落ちる。

 窓の外の風の音が、妙に大きく響いた。


(一体何から話せばいいのだろう・・・・・・)


 ランプの火が小さく揺れている。

 その揺らめきが、今の自分の心そのもののように思えた。


 いや、本当は分かっている。

 ただ、その言葉を口にしてしまえば、もう後戻りができない気がした。


 リズは静かだった。


 まるで俺が何を言おうとしているのか、最初から分かっているかのように。

 やがて、俺はゆっくり口を開いた。


「リズ」

「はい」

「お前は・・・・・・」


 喉がひどく乾く。

 たった一言が、信じられないほど重かった。

 それでも、俺は言葉を紡ぐ。


「お前は、リーゼロッタ様だったんだな」


その瞬間、ランプの火が大きく揺らめいた。

 リズは驚いていなかった。

 否、驚くどころか、どこか諦めたように目を伏せる。

 やはり気づかれていたか――――そんな顔で。


「何を言っているんですか・・・・・・」


 一応、否定する。

 だが、その声にはいつものような張りはない。

 俺は静かに首を横へ振る。


「誤魔化さなくていい」


 胸の鼓動がうるさい。

 今さらもう引き返せない。


「三重詠唱」


 俺は低く言葉を繋いでいく。


「俺が知る限り、あんな芸当ができる人間は一人しかいない」


 リズは黙っている。


「それだけじゃない。お前は、『あの部屋』を知っていた」


 騎士団研究棟の最奥。

 リーゼロッタがかつて使っていた隠し部屋。

 限られた者しか存在を知らない、あの部屋のことを。


「あの部屋でお前を見つけた時、初めて訪れたとは思えないような顔で本を読んでいたな」


 あの日の驚きが蘇る。

 リーゼロッタのあの席で、全く同じ姿勢、全く同じ仕草で魔法書を読み耽る彼女を見た時、思わず息を呑んだ。


「立ち振る舞いも、喋り方も、何もかも・・・・・・今日の戦いも、俺と初めて合わせたとは思えないほど自然に連携できていた」


 あれは偶然ではない。

 かつて共に戦場を駆け抜けた者同士にしかできない動きだった。


「それだけあれば、もう十分だろう? たとえ他の者は騙せても俺の目は騙しきれない」


 俺は静かにそう告げる。


「あなたは、やはり・・・・・・」


 リズはしばらく黙っていた。

 冷たい月の光が彼女の横顔を淡く照らしだす。

 その表情は、どこか遠い過去を見ているようだった。

 やがて、彼女は小さく息を吐いた。


「・・・・・・ああ、そうだ」


 淡々とした口調だった。


「私はリーゼロッタ・レーヴェンシュタインだ」


 その瞬間、頭の中が真っ白になる。

 分かっていた、気がついていた。

 なのに、実際に本人の口から聞いた途端、理性が追いつかなくなる。

 胸の奥にずっと押し込めていた感情が、一気に溢れ出す。


「・・・・・・は、ははっ・・・・・・」


 声が震える。


「こんな奇跡が・・・・・・生まれ変わりなんてことが、本当にあるなんて・・・・・・」


 ようやく絞り出した声は、自分でも情けないほど掠れていた。


 信じられない。

 死んだはずの人が。

 14年前に失ったはずの誰よりも大切な人が、今目の前にいる。


 俺は思わず両手で顔を覆った。

 今にも涙が溢れだしそうだった。


 騎士団長として。

 一人の男として。

 ずっと理性で押さえ込んできたものが、崩れていく。


「俺はあなたを失ったことをずっと後悔していました。何もできなかった自分を死ぬほど責めました・・・・・・そして、叶うなら、もう一度あなたに会いたいと心から願っていたんです・・・・・・もう一度・・・・・・」


 俺はそこで一度唇を噛みしめる。


「どうして・・・・・・どうしてもっと早くに打ち明けてくださらなかったんですか?」


 その問いかけに、リズは少し困ったように笑った。

 

「お前は笑うかもしれないが――――」


 彼女は視線を窓の外へ向けた。

 どこからか入りこんだ冷気が、赤い髪をかすかに揺らす。


「今度こそ、普通の女の子として生きてみたかったんだ。英雄でも、大魔導士でもない人生を」


 どこか寂し気な眼差しでそう呟く彼女に、俺は釘付けになる。


「家庭を持って穏やかに暮らして・・・・・・そういう人生を、一度くらい送ってみたいと思ったんだ」


 リズの告白を聞き、俺はひどく戸惑っていた。

 

 俺にとってリーゼロッタは、ずっと特別な存在だった。

 戦場を支配する戦いの女神。

 誰よりも強く、気高く、手の届かない美しい人。

 だからこそ、彼女を神のように崇めていた。

 

 そんな彼女がなぜ平凡な人生を望むのか。

 正直、俺には分からなかった。

 

「だから、頼む。私がリーゼロッタだということは皆には秘密にしてほしい」


 リズがそう言って顔を伏せる。

 再び、ランプの火が大きく揺らめいた。


(俺は昔も今もリーゼロッタ様のご意志にただ従うだけだ・・・・・・)



 俺はゆっくり目を閉じると、小さく頷いた。


「分かりました。あなたがそう望むのなら誰にもいいません」


 その瞬間、リズが「ありがとう」と、ほっとしたような笑みを浮かべる。

 その笑顔が年相応の無邪気さに溢れていて、なぜか胸が妙に痛んだ。


「いいえ、礼には及びません。ただ・・・・・・」

「なんだ?」

「俺はもう決してあなたのお傍を離れるつもりはありませんから」


 俺はリズの目をまっすぐに見つめながら、はっきりと言い切る。

 彼女は少し驚いたような顔をしたが、すぐにその黄金色の瞳を細めながら明るい声で言った。 


「ああ、そうだな。またよろしくな、マクシミリアン」

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