第1幕ー6 親馬鹿子馬鹿
マリアの急な訪問から数日、私は1通の封筒をドロテアに渡した。
特徴の無い白い封筒には何度か手紙をくれた何人か前の婚約者の筆跡を真似てマリアの名前を書いた。
略奪してきたかつての婚約者達と手紙のやりとりがあったかどうか知るところではないが、きっとマリアは彼等の事なんて忘れてしまっている。誰の筆跡と同じかどうかなんて気づきもしないのではないだろうか。
何故ならアルベルトを欲しがる時点でカレスティア家は危険なのだ。側妃や側妃派筆頭のブリオネス公爵家が裏切りと受け取るのは間違い無いし、ただでは済まされない。
周囲の状況やら色々聞いて知ってしまっている私の方が変なのかもしれないが、分かっていないのならばそれで良し。マリアを調子づかせておけば思い込みの強い伯母も一緒になって調子づいて暴走してくれるのではと考えた。
書き出しは『親愛なるMへ』、差出人の名は便箋にのみ『Aより』で締めた内容だけならばどうとでも取れる手紙を私は書いた。念の為にハッキリ名前を書かないのは後で調べられても言い逃れ出来るようにする為だ。真似た筆跡の持ち主が“アベル”という名前だったけれども、思い出されることは無いだろうし。
「これを運ぶ配達員には幾らかお金を握らせたら良いとして、カレスティア邸の様子を知らせてくれる人が欲しいのだけど……」
「それでしたら心当たりがありますからご安心を。イベッテとイバンをご存じですか?彼等がカレスティア邸におりますので伝えておきます」
「10年位前に伯母が連れて行ってしまった子達ね」
「ええ。彼等ならばやってくれますよ」
「ではドロテアお願いできる?」
「承りました」
ドロテアに手配を任せて3日と経たない内に結果は出た。マリアからの返事とカレスティア邸の様子が私の元に届いたのだ。
マリアは内容を見てすぐ頬を赤らめて怪しい笑いをした後にせっせと返事を書き始めたという。あんな怪しい手紙がよくマリアの元へ届いたなとカレスティア邸の使用人の仕事の雑さに呆れていると、手紙の仕分けはイバンが行っているのだとドロテアが言った。
私が書いた内容に合わせて『愛しのAへ』から始まっている手紙に微妙な気持ちを感じながらマリアの気を引ける手紙の内容を10日かけて考えて書いた。
この10日の間に2回アルベルトが来て、少し時間が経ってマリアが来た。まるでアルベルトが来たのを知って来ているかのように。
私が住む屋敷とマリアが住む屋敷は近いといえば近い。しかし誰が訪ねて来たかどうかなんて、ずっと近くで見張っていないと分からない。侍女のドロテアに調べさせたところ、それはすぐに見つかった。
一昨年くらいに雇ったイラーナという洗濯メイドだった。女優を夢見て王都へ出てきたものの理想通りにならず辞めて家にやってきたという。
「いかがいたしますか?捕らえて罰を与えましょうか」
表情には出さないけれども殺伐とした雰囲気を纏ってドロテアが私に問いかけてくる。
イラーナはアルベルトが来たと知るやその足でカレスティア邸まで行って伝えている。日々の仕事が大変だろうに、更に体力を使ってまで報告に行く忠実さは評価してあげたい所だ。
「そのままにしておいて頂戴」
「宜しいのですか?裏切った者を置いておくなんて」
「良いのよ。折角だから彼女を利用しましょうか」
「どんな風にするおつもりで?」
「そうねぇ……イラーナの近くで他のメイドと会話してくれる?その時にそれとなくマリアの事が気になって仕方がない様子だったと言ってみてくれるかしら」
「かしこまりました」
結果どうなったのかというと、マリアは大はしゃぎし伯母に話し、数か月後にある王城の夜会に向けて商会に服飾デザイナーを寄こすよう伝えてきた。
父が機嫌を良くしながらデザイナーと宝石商を派遣させ高級品だけを売ってきたのだから、その舞い上がり具合は相当なものだ。
もちろん、それだけでは無い。
それはイラーナを泳がせる事を決めた1週間後の事である。
王妃派ではあるが中立寄りのチュエカ家の夜会に招待され、今は王都に居ない父の代理としてアルベルトと一緒に出席する事になった。この事はイラーナによってマリアの耳にも伝わっており、当然招待状を手に入れ伯母と出席していた。
私とアルベルトを見つけて近寄ってきた伯母とマリアが深々とアルベルトに向けて淑女の礼を取った。
「カレスティア夫人、だったか。ここで会うとは思ってもみなかった」
「オホホ…チュエカ夫人と知り合いですの。その縁で招待して頂いたのですわ」
「アルベルト様!以前のお約束を覚えていらっしゃる?」
「約束した覚えは無いのだが」
「……わたしと踊ってくださるお約束でしたのに、忘れてしまったの?」
うるうるしながら見上げるマリアにアルベルトはたじろいで身を引いた。
「1曲踊ってあげて?」
「1曲だけなら、まぁ……」
袖を引いてお願いするとしぶしぶながらアルベルトが頷いた。
アルベルトとマリアを送り出すと伯母がピタリと私の横に立ち、扇を広げて口元を隠して小声で話し掛けてきた。
「貴方、いつまで殿下と婚約しているつもり?」
「そう言われましても……」
「鈍い子ね、少しは察しなさいな。あれをご覧なさい。あの2人はとてもよくお似合いじゃないの。派閥の事ならば気にせずとも何とでも言い訳がきくから大丈夫よ。それにマリアは小さい頃から王子様と結婚する事を夢見ていたのよ。これが最後だと思えば言う通りに身を引いて新しい婚約者でもあてがって貰いなさい。身を引いた礼にマリアが殿下の妃になったら世話係に任命してあげるわ。王族の世話係は名誉ですもの、城で暮らすマリアの助けになりなさい」
滅茶苦茶な言われ様だが腹が立つ気も起きなかった。
伯母はどこから湧き出ているのか分からない確信と自信に溢れている。いっそわざとじゃないかとすら思ってしまう。
ずっと大人しくされるがままだったものだから、まさか私が騙す為に動いているなんて思いもしないのだろう。黙って少し目を伏せて俯けば伯母は満足してそれ以上は言わなかった。
音楽が止んでまだ踊りたそうなマリアを連れてアルベルトが戻ってくるのが見えると小声で「早く言う通りにするのよ」と言った。返事は返さなかったが伯母の意識はもうマリアとアルベルトに向いていた。
「マリア、アルベルト殿下とのダンスは楽しかったかしら?」
「ええ!お母様!それはもう素敵でしたのよ」
「あら、まぁ……!」
伯母の問いにマリアが満面の笑みで答えた。
「では俺はこれで……」
「あのっ!わたしはアルベルト様のお気持ちを分かっております」
離れようとする手を両手で掴んで言い、伯母と共に去って行ったのだった。
「……は?意味が分からんのだが、分かるか?」
「さぁ……私も分からないわ」
やや遅れてアルベルトが反応したが、既に去ってしまった後なので伯母とマリアが彼の反応を知る事は無い。アルベルトの反応は当然である。マリアの文通相手はアルベルトでは無くなりすました私なのだから。
マリアの言葉の意味を図りかねて首を傾げたアルベルトの問いに答えた後、笑いをかみ殺した。