第1幕ー16 舞台の上の令嬢達 (下)
※※注意※※
・気分が悪くなる表現があります。
私達を中心に半円を描いて多くの目が事の成り行きを見守っている。マリアの手にはナイフの刃がシャンデリアの明かりを鈍く反射していた。
伯母ですら場の雰囲気に飲まれて声を上げて止める事すら出来ずにカレスティア伯爵と一緒に蒼白になって見ている。一緒にいるチョビ髭の貴族が何かと話しかけ、カレスティア夫妻を引き留めているようだ。
マリアは誰も助けてくれない事に気づくと一層震えが大きくなった。
「皆見ているわ。早く証明して見せてあげないと誰も認めてくれないわよ」
「……で…でも」
「命なんて惜しくない。そう言ったのはマリアよ?」
マリアは止めてくれることを期待して縋る視線を送ってアルベルトが微動だにしない事に視線を落とした。
「ここで止めたら今まで私から奪った婚約者達もやるせないわね。マリアのせいで生活が苦しくなってしまったのだから」
「わたし悪くないもん。向こうが勝手にわたしの事を好きになっちゃっただけだもん」
「……無責任ね」
婚約者だった人達がお金に困っている家であったのは事実で、彼等の持っている物を父は欲しいと思ったからこそ成り立った婚約だった。けれども自分達の置かれている状況から目を逸らし、家族の事よりも自分の恋心を優先した。もちろん婚約期間中の援助の分を返済しようにも出来ないから、返済の代わりに持っている物をそのまま頂いた。
その後の足取りを調べてみたらみじめな末路だった。日々を生きるのがやっとの状態にまで落ちぶれてしまっていた。
あまりにも無責任で自分は悪くないだなんて……うっかり頬を引っぱたいてしまいそうになってドレスのスカートを握りしめた。そういう目にアルベルトが遭うかもしれないと思うと許せない気持ちでいっぱいになる。
マリアは何かを言おうとしたが口を上下に動かすだけで声にならない。小さくカチャカチャとナイフの刃が揺れ柄とぶつかり音が鳴る。両手に持ち直したナイフを祈るように両手で持って、誰かが助けに割って入ってくれる事を期待しているようだった。
「マリアの本気を見ることが出来たら潔く諦めるつもりだったのに思っていた以上に軽い覚悟だったのね。はぁ……残念だわ。さ、ナイフを返して。怖い事をさせようとして悪かったわね。後の時間は1人で夜会を楽しむと良いわよ」
「……」
めいいっぱい目を見開き怒りで頬を染めて呟く。
先に耐えられなくなった伯母は気を失い、夫のカレスティア伯爵に抱き留められた。
誰もその場から動けずにいた。ある一種の興奮と恐怖が入り交じって、空気がじっとり湿って重い気がする。
マリアの顔からは冷や汗がダラダラ流れ顎からぽたりと落ちたり首を伝い、ピンク色のドレスを濡らしている。変わらず顔色は蒼白なままで、じっとナイフの切っ先を見つめていた。
ナイフを返してもらうために手を差し出すと急にマリアの雰囲気が変わった。
至近距離まで詰めてきて私に笑みを向け私にだけ聞こえる声で囁いた。
「……オリビアちゃんのくせに生意気」
お腹を押される感覚があり、周囲にいた誰かが短く叫んで私は視線を下に落とした。
マリアの手とナイフは赤く染まり、同じ色が私の腹部を染め始めている。
腹部を押さえながら数歩後ずさりした。
「オリビア!」
アルベルトが駆け寄って私を支えるように抱き留める。続いてマルガリータが人の間を押しのけて出て来た。
マルガリータは今にも泣き出しそうにして小さく私に「バカッ!」と言った。
「カレスティア嬢!君って人は……!!」
「どうして、そんな顔でわたしを見るの?この気持ちが本物だと証明したのに……」
「あの言葉の意味は“他人の”命が惜しくないという事か」
「愛の為なら犠牲がつきものだよぉ」
顔色は悪いままだがマリアは笑みを浮かべたままそう言った。
私はマリアの行動を意外に思っていた。出来ないと言って泣くか、喚き散らすかすると考えていたから、私を刺すとまでは考えていなかった。あの偽のナイフを自分で腹に突き立てて心を折るつもりでいた。
自分で思い描いていた筋書き通りにはならないものだ。
「そうやって君はいつもオリビアから奪ってきたというのか!今度は命さえも!」
「わたしはちゃんと証明してみせたわ!だからアルベルト様はわたしを選んでくれるわよね?」
「ハッ!だったら俺はオリビアを選ぶ。誰がお前なんぞ選ぶか!」
「……」
アルベルトがハッキリ告げてしまうとマリアの目が限界まで開かれた。
「……い…こんなの認められないわ!あんな冴えないオリビアちゃんよりもわたしの方がずっとずっと美しいし、アルベルト様と並んでも遜色ないくらい似合っているのに。お金でアルベルト様は買われたのにオリビアちゃんを選ぶって言うの?ありえない……ありえない!ああ!そっか、わかった!オリビアちゃんに脅されているんでしょう?そうじゃなきゃ、わたしが選ばれないなんてありえない。でも心配しなくていいの。全部カレスティア家でどうにか出来るから。アルベルト様は何の不安も心配もせずにわたしを選んで大丈夫なんだよ」
赤く濡れた手をアルベルトに向けたが、彼はもうマリアを見なかった。フラフラおぼつかない足取りでアルベルトの傍までやって来て、伸ばしたままの手で彼に触れようとして振り払われた。
「オリビア、早く手当てをしないと……」
「え、ああ…そうね」
アルベルトに促されて、怪我をしている事になっていたのだったと思い出した。これからがもっと楽しくなるのに見られないなんて残念だと思いながら大広間を後にしようとマリアに背を向けた。