13話 美優紀のつぶやき2
私は父が大好きだった。看護師になったのもやがて老いて動けなくなる父を娘として看護したい一心からでもある。私を一人で育ててくれた父には感謝の言葉しかないのだ。それが父からは親不孝な女と見られてしまった。娘とは思ってもらえなくなっていた。
母とは高1の時に出合った。
和樹が年上の女と仲良くなり、失恋したように感じ、それに体の変化などもあって、大人の女性と相談したかった時期だ。一番頼りになってくれそうなのが咲おばさまなのだが、会いに行けば和樹と顔を合わすことになる。それが嫌で一人悩んでいた時、一人の女性から会ってくれないかと言われた。その女性は亡くなった祖父母の所で見たアルバムの母であった。
母は話し上手で、快活で、会うと他人を楽しくさせるような人だった。
この人なら悩み事を相談できるのではないかと思った。
「それは美優紀ちゃんが初心すぎるのよ」和樹のことを打ち明けると笑って答えてくれた。
「そうなのですか?」あんなに思い詰めていたのに、なんか悩んでいたのが馬鹿らしく感じるほど楽になったように感じられた。
「男は性欲を抑えきれないのよ。特に若くて、まだ性交渉もしてない前は、やたらに女性のことに興味を持つの。それをただ、汚いと思ってはいけないの」
母の答えに全て納得したのではないが、私も潔癖過ぎていたとは思った。
「あのねえ、男の子は妙に背伸びして大人ぶるものなのよ。煙草を吸い、酒を飲むこともあるわ。それは早く大人になりたがっていることなの。女性と肉体関係を持ちたいのも良くあることよ」
大人の目から見れば、私がまだ世間知らずだと言うことだった。
それ以来、恋の悩み、進学についてなど様々なことを相談するようになったのだ。父に相談できないことも気軽に出来た。
始めて会った後、父に言わなくてはならないと思っていたが、つい言いそびれてしまった。
私を育ててくれる父には母に会ったことが言えなかった。そして一度でも秘密にしたことで、段々と母との会談を父に伝えられなくなっていた。
私の誕生日会も母が、しゃれたレストランで開いてくれた。そこには母の連れ合いの人がいて、ますます私は父には言えなくなってしまった。
「この電話番号はただいま使われておりません」和樹と話をした後、慌てて父に電話をしたら、音信不通だった。携帯も着信拒否になっている。
次の休みを利用して実家に帰った。だが、父の姿はなかった。合いかぎで家に入ると、もう父の気配は全くなかった。
テレビやソファーなどはそのまま置かれていたが、父の暮らしている様子は全くない。仕事部屋に入ると、父の使っていたパソコンや大きなモニター、プリンターなどがなくなっている。書棚には新聞が置いてあるだけで父が良く手にしていた専門雑誌や書籍などは何一つ見えない。
私を撮ったビデオは段ボール箱二つも見つけた。どれにもきちんと日付、場所、イベントが書いてある。私の幼稚園や小学校の運動会、中学や高校の時の部活動の記録。丹念に几帳面な字で書いてあった。あの楽しかった、卒業記念のキャンプのも見つけた。
そして、押し入れから私たちが新婚旅行で買ってきたお土産の品が袋からも出さない状態であった。おまけに昔、父が私に渡そうとしたプレゼントが埃をかぶっているのを見つけてしまった。もう、私は泣きべそになってしまった。壁に掛かっている私の笑っている写真が余計に悲しい気持ちにさせる。
父は私との思い出を全て置いて行ってしまった。私は父から見捨てられたのだ。
「どうしたらいいの?」私は夫に今までのことを相談した。
「君はお父さんとお母さんのどちらが大事なんだ。」
「それは父よ。父は今まで、私を育ててくれた。好きな人と結婚を諦めても私を育ててくれた」
「だったら、もうお母さんと会わないことだね。これ以上、お母さんと会えば、お父さんを裏切り続けることだよ。お父さんとお母さんが和解しない限り、合わない方がいいと思う」
それは男性ならではの合理的な考えだった。父を選ぶなら、もう母と会うまい。
次にファミレスで会った時、私は冷たいようだったが、母にもうこれ以上会えないと言った。
「お母さん、もし私と会いたいならお父さんと和解して欲しいの」
「そんな、いまさらなんで」
「このままではお父さんが悲しすぎる。お父さんに申し訳ないの」
「そんな、もう美優紀ちゃんともそして生まれる孫の顔も見えないの」母は泣き崩れるばかりだった。
「お父さんときちんと話をして欲しいの。お父さんと和解して欲しいの」
「そんなことできないわよ」母は、人前もはばからず泣き出した。
「今のままでは私もお父さんと会うことも出来ないの」
「だって私は、美優紀ちゃんと会いたいのよ。生まれる孫にだって会いたいのよ」
母はただ私に会いたいと言い続けた。
正直、そんな母にはうんざりするようになっていた。母は、自分の欲しいことをやりたいだけの人だった。自分の好きなことが出来れば、他人が悲しむことなど気にもしない人のように思えた。
「美優紀君。気づかれないように今まで通り会えばいいのではないか?」母の連れ合いの人も何も分からない人だった。
黙っていて、見つからなければ、悪いことではないと考えられる人だった。
でも、それは父を傷つけ、裏切る行為である。そんなことはもうできない。
考えてみれば父と母は性格が違い過ぎていた。
父は寡黙で用件のある時しか言わない人だ。仕事では事細かに説明する父を見ていたが、家庭では無口を貫き通した。
一方の母は、感情を表面に出し、明るく朗らかなタイプだ。
話に聞くと母が勝手に父の下を離れていったようだ。
多分母は父に対して言いたいことも言えなかったのだろう。それは父があまりに厳格なこと、さらに母の昔の失恋などもあり言えなかったのだと思う。
だが、それは、母の我儘によるものだ。
父とそりが合わないなら、何でそのことを言わないで出て行ったのだ。何で家庭を放棄してしまった。
今の母を見ても、やはり自分勝手だと思う。
私が父を悲しませたことがどんなにつらいのか理解できないようだ。
連れ合いの人も母と似通った考えの持ち主だと思う。
明るくて、話もうまくて、冗談も言う。そして母の身勝手な行動を誘った。
そして今も、父とは和解しようとしない。会って話そうともしない。多分、父から過去のことを言われるのが嫌なのだろう。
この人たちと会ってから私も、感化されたのだ。
楽しいから、面白いからと単純に考えて、父の思いも考えずに行動した。
もう母とは会うのはできない。
それが気持ちだった。
父から許されるか分からない。
でもせめてもう父を裏切る真似は止めようと思う。