ヒロインと平穏な学園生活
あの騒ぎから半月が経過した。
突然の婚約破棄は、無事に撤回された。
求婚者達とその婚約者達をくっつける作戦について、具体的なストーリーは描けていなかったが、出来ることを見つけて始めるしかない。
レナルド殿下達に対しては距離を取ることにした。お昼ご飯の時間になると逃げるように教室から退室し、人気の少ない場所へ避難する。例えば、ほとんど使用されていない教室や、雨の日の屋上に向かう階段や、中庭の隅っこ。私の発言で冷静になったのか、レナルド殿下達――レナルド殿下、ミハエル様、キース様は追いかけて来なかった。
ただし、残りの一人、ロイド様は別だった。ロイド様は私がどこにいても気づけば隣にいてにこにこ笑っている。
「こんにちは、アメリア。今日はこんなところにいたの? 寒くない?」
「こんにちは、ロイド様。いつもよく見つけますね……」
こんなところ――学院で一番大きな講堂の裏手は屋外かつ講堂の影の中のため座り込んでしまえば太陽の光は届かない。
地面から立ち上がっているロイド様を見上げると、薄い金色の髪が光を浴びてきらきら輝いていた。
「少し寒いのでロイド様は室内に入られてはどうでしょう? 護衛の方々も心配しますよ」
王都は比較的温暖と言われているし、一番寒い時期は通り過ぎてはいるし、天気が良くて昼だが、決して温かいとは言えない。私にしてみれば、真冬の早朝、パンの仕込みのために井戸から水を組む辛い作業を考えればなんてことはない。学院で支給されているコートで十分な暖をとれる。
「うん、そうだね。アメリアにくっついてもいい?」
「え? どういうことですか?」
「え、だって、私のことを心配してくれたのでしょう?」
「ええ、まぁ」
「ありがとう」
話している間に手を引かれて立ち上がらされる。ロイド様は手に持っていた大きな包みから二人が座って十分な大きさの敷物を取り出し、地面に広げた。豪華なお弁当箱と水筒も傍に置く。
「さぁ、座ろうか」
「……はい、失礼します」
半月でこの光景も見慣れてしまい、されるがままである。室外で食事をするなんて考えられないだろうと思っていたのに、この王子は敷物を携えてやってくるのである。本当、ロイド様の護衛は優秀で困る。
「アメリアもどうぞ」
「ありがとうございます」
「いえいえ」
ロイド様に差し出された温かい飲み物とお皿に乗せられた一口サイズの料理数品を受け取った。自分のお昼ご飯は手作りパンを用意している。初めは当然断ったのだが、なぜか断り切れずに毎日少しロイド様のお昼ご飯を分けていただいている。
一番初めに会った時は落ち込んでいて気弱な印象だった。兄殿下と一緒にいるときは委縮してしまっていてすごく大人しかった。こうして二人で会うようになって分かったことだが、ロイド様は押しが強い。レナルド殿下は命令されていることに慣れていてがんがん要望を押し付けてくるのだがそうではなく、納得して引いたように見せかけて回り込んできて、自分の要望を叶えてしまう。もしくはそっと焦点をずらされていて、おかしいなと思っている間に否定した内容を受け入れざるを得なくなっていたりする。
可愛いロイド様を本気で突っぱねられない私にも問題があると分かっていても、ついつい一緒に食事をしてしまうのだった。ロイド様に給仕させていることを知られたら大変な目にあいそうなので当然秘密にしている。
それにしても自分の肩にロイド様の肩が触れている状況というのは心臓に悪い。緊張する。弟のように思っているとは言っても、知り合って丁度一年くらい。生まれた時から一緒にいる兄と寄り添ってお昼寝をするのとはわけが違う。いやいや、ロイド様は寒いからちょっとくっついているだけなんだから気にしてはいけない!
「アメリアどうしたの? 食べないならその白いパンもらってもいい?」
「なんでもありません。これは食べかけなのでクロワッサンをどうぞ」
「白いパンが好きなのに」
ロイド様は女の子のような可愛らしい顔をしているにも関わらずシンプルな味のパンを好んでいる。クロワッサンのような甘いパンが好きなのはレナルド殿下のほうだ。
仕方がないのでナイフをお借りして私がかじっていた部分を切り取ってロイド様に渡すとロイド様はにっこりと笑った。
「ありがとう」
「いいえ」
「代わりにサンドイッチをどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
流石王宮の料理人が作ったサンドイッチ! パンの部分がとってもふわふわで具材の生ハムはしっかりと塩気がありながらもさっぱりしていてレタスはシャキシャキしている。私のパンとは比べ物にならないくらいとても美味しい。
目が合ったロイド様はにこにこしていた。いつも何がそんなに楽しいのかな、と思う。
「もっといる?」
「大丈夫です。おいしかったです」
「それはよかった」
最後に私が作ったクッキーを食べた。いつも通りの味だがロイド様は美味しいと言って食べてくれた。お代わりを入れてもらった紅茶は本当に美味しかった。
まったりしたお昼ご飯は終わり教室に戻る。五つ年下のロイド様は学院の中等部に通っており、同じ敷地内とはいえ建物が違うのでいつもすぐに別れる。
私への求婚めいた言葉は優しくしてくれた姉のような存在をコンプレックスのある兄に取られることを嫌がったのだと理解している。レナルド殿下と離れれば、自然に気持ちが落ち着くと思っていたのだが、逆に前より距離が近い……。まぁ、私が卒業すれば会うこともなくなるし気にしないでおこう。
ロイド様は将来、隣国の姫と結婚して、ゆくゆくは王配として国を支えるのだとレナルド殿下が言っていた。婿に入った国で政治の一角を担うのは想像できないくらい大変な重圧があるだろうから、今の間はのんびりと過ごしてほしい。
婚約者のご令嬢たちに対しては本当に私に何ができるのかわからなかった。ただ、作戦とは別に、仲良くなりたいな、と思った。
私もこの一件で、クラスメートと関わらずにこれまで過ごしていたことを反省した。私が孤立していたのは私の方から一線を引いてしまっていたからで、レナルド殿下達が私を守るべきか弱い存在と認識してしまったのは、私にも落ち度がある。
積極的に挨拶をしたり、令嬢たちの中で流行っている話題について情報収集して話しかけたりした。初めはお互いよそよそしい感じだったが、だんだん仲良くなれているかな、と思う。
午後の講義が終わった後、ヴァネッサ様に「これからわたくしの部屋で新しく手に入れた紅茶の試飲を行うのであなたもどうかしら?」と誘っていただいたのでぜひ参加させていただきたいですと返答した。
ヴァネッサ様達にも扇子で頬を叩かれても仕方がないという覚悟で話しかけた。手にはお詫びの手作りクッキー。なぜか笑顔でクッキーを受け取っていただき、休日にお部屋に呼ばれ、それから良好な関係を築いている。レナルド殿下達からのお誘いをきっぱり断ったのがよかったのかな……。
ヴァネッサ様のお部屋に付くと、すでにお茶会は始まっていた。私の寮とヴァネッサ様達上流貴族のご令嬢が住まう寮は距離があるので仕方がない。参加者はヴァネッサ様とランド様とレイヤ様と私。このメンバーは少し緊張する。丁度ヴァネッサ様の向かいの席に案内されて椅子に座ると、ヴァネッサ様の侍女が淹れたての紅茶を目の前にそっと置いてくれた。私のためにわざわざ申し訳ありません。
紅茶を一口飲み、いつもの紅茶との違いがわからず無難に「美味しいですわ」と言った私にヴァネッサ様は呆れたような諦めたような視線を向けている。どうやらばれているようだ……。
この紅茶を褒める何かいい言葉はないか、と困っていたらレイヤ様が唐突に私の名前を呼んだ。
「アメリア様!」
「は、はい。どうかされましたか?」
「わたくし、キース様と仲よくなりたいのですわ」
「え、ええ、頑張ってください?」
「アドバイスをいただきたいのです!」
真剣な表情のレイヤ様。レイヤ様とキース様は元の婚約者に戻った。レイヤ様は親の決めた婚約者で将来結婚する相手と疑っていなかったが、私との件があり、待っているだけではダメだと闘志を燃やしているらしい。
「わた、わたくしもお願いいたします!」
ランド様まで!
「わたくしでよろしいのでしょうか?」
「アメリア様がいいのですわ」
「いいえ、アメリア様でないと駄目ですわ」
口々にそう言われても……。百戦錬磨の猛者のように思われても困る。
私だって前のような騒動は御免だ。仲を取り持ってあげたい。
一緒にお話する機会ができてわかったが、彼女達は可愛い女の子だ。美味しいお菓子や紅茶、珍しい宝石品、新しいドレスに流行りの化粧品。私とは違っていろいろなものに興味があり、目をきらきらと輝かせる彼女たちはとても可愛い。私と友達のように接してくれる広い心もある。確かにヴァネッサ様は少し素直じゃないが、そこもまた可愛らしいと思う。
どうしてレナルド殿下達は婚約者に目を向けてあげないのだろう。
うーん、私では彼らの好みのパンを教えてあげることくらいしか思い付かない。
「え、ええっと。今度一緒にパンを作りますか?」
「パンってわたくしたちに作れるものですの?」
「作ったことありませんわ」
目を丸くするレイヤ様とランド様。女の子からの手作りの贈り物が嬉しくないはずないからこの線で押してみよう。
「簡単ですから大丈夫ですよ。ヴァネッサ様も一緒にどうですか?」
「わたくしも、ですか?」
「ええ、殿下はクロワッサンがお好きですよ」
「へ、へえ。手伝って差し上げてもよろしくてよ」
「嬉しいです」
女の子と一緒にパン作りができるなんて夢のようだ。
「あなたって、本当に変わってますわね」
「そうでしょうか?」
「先ほどから言葉遣いがおかしくなっていてよ」
「うう。……そうかしら?」
気が緩むと丁寧語になってしまう。お嬢様言葉を自分が話しているということを脳が受け入れてくれない。慌てて修正して「ほほほほ」と笑顔を作っているとヴァネッサ様もくすりと微笑んだ。でもそれは一瞬で、すぐにいつもの澄ました顔に戻ってしまった。
「気持ちがすぐ顔に出るところは直したほうがよくってよ。礼儀作法の先生に教わりましたでしょう」
「難しいですわ……」
「まぁ、殿下も貴女のそういうところをお気にめしたのかもしれませんわね」
「そういうところ……」
表情を取り繕うのは本当に苦手。楽しいときは笑って、困っているときは眉を寄せて、腹がたったら目くじらを立てて生きてきた。どうして貴族って、心の内を隠さないといけないんだろう。
「あれ?」
「何かありまして?」
「ヴァネッサ様、レナルド殿下の前では自然に過ごされますか?」
「レナルド様の前で隙を見せるなどできるわけありませんわ」
「えっ」
それって完璧な作り笑顔ってこと、だよね。もしかしてレイヤ様とランド様も同じなのかな。それは「あなたは親が勝手に決めた婚約者ですが、必要以上に仲良くするつもりはありませんからね」って言ってるようなものだ。
「笑顔の練習をしましょう!」
「何を言っていますの?」
「パンを作って、渡すときに笑顔! これできっと仲良くなれます!」
席を立ってヴァネッサ様のすべすべのきれいな手をギュッと掴む。
「ヴァネッサ様の本当の笑顔はとっても素敵ですから、きっと殿下も夢中になりますよ」
「あなたは本当に何を言っていますの! それに、わたくしは二人とは違って、今のままで構いませんわ」
「そうおっしゃらずに」
「ね?」とヴァネッサ様の顔を覗き込む。「ち、近いですわよ」手を払われ距離を取られてしまった。
「申し訳ございません……」
「はぁ、仕方ないですわ。ランドとレイヤが言い出したことです、少しは協力しますわ」
「ヴァネッサ様!」
「ヴァネッサ様!」
「気が向いた時だけですわよ!」
次の休みにさっそくパン作りをやってみることになった。もちろん発酵している時間や焼き時間に笑顔の練習も行う。
ヴァネッサ様もなんだかんだ乗り気のように見える。
ふふふ、覚悟していなさい!
ご覧いただきありがとうございます。