08
――どのくらいの時間が、経っただろうか?
「あれ? 俺生きて、る??」
自分でも間抜けな声、そして内容だったと思う。
信じられない気持ちで、戒は両手を見た。
体は、緊張の為なのか、火照って熱い。
もしかして、手加減したのか?
と思いつつ戒は少女のほうを向くと、少女は戒の事を奇妙なものを見るような目つきで見つめている。どう考えても、手加減してくれた訳ではなさそうだ。
「……なぜ私の力が利かない……の?」
囁くように呟く少女の表情は、いつもの余裕の笑みは消えていた。
「いくら、威吹殿が力を使ったといえど私の力を撥ね返すなんて……っ! まさか……そんな」
後はまるで独り言のように、少女は叫ぶ。
どうしていいかわからず、反射的に威吹の方を見ると、こちらも信じられない表情で、戒の事を見ていた。
「戒……そなたは……」
威吹はそう言うと、戒に向かって懐かしいものを見るように微笑した。
「!?」
「いや、ここに在ったか、我が力よ……」
基本何を考えているかわからない、能面顔。
表情といえば怒りの表現しかした事のない威吹が、初めて見せる微笑。
その顔は、戒の今までの怒りを、風船の空気を抜くようにしぼませる。
「な……なんだよ、それ……」
「迂闊であった。まさか戒が我の力持っていようとは」
「へっ!?」
戒は自分の耳を疑った。
今、威吹はなんて言った?
俺が威吹の力を……持ってる?
「ど、どういう事だよ、それっ?!」
衝撃の展開に、戒の頭は今までの怒りを忘れるほど……ついて行けなかった。威吹の視線が、戒の足元に止まる。
その視線につられて戒が自分の足を見れば、怪我していた足の包帯が弾け飛んでいた。そして、おそるおそる足を上げてみれば、あれだけ深く切っていた傷が跡形も無く治っている。
「嘘だろう?」
威吹の力探しで、怪我の事をすっかり忘れていた戒。でもどう見ても怪我は二、三日で跡形も無くなる代物ではなかった。
それが治っているという事は……。
「そなたが自分で治したのだ、戒」
「はぁ?」
――でもどうやって?
「心当りが無いのか? 具現化した力は血をかければ、力に戻る」
「こ、心当り?」
記憶を反芻すると、戒は先ほど走馬灯のように回っていた記憶の断片から思い付く。
「桜貝……? もしかしてアレ?」
戒は自分でも自然に口から零れた言葉に唖然とする。
そう、ナツメへのプレゼントに、綺麗な桜貝を海岸見つけて拾っていたのだ。
オルゴールに入れて……それはナツメを失った時、ショックで自分の部屋で投げ割ってしまったけれども。
その破片で怪我をした自分。
「もしかして……怪我した時……」
「そなたは我と契約していたので、そなたの血に我を感じ取って、力が入り込んだのやもしれん」
道理で見つからなかった筈だよ……。
「俺、かっこわりぃ……」
初めから自分で持ってたなんて。
まるで、眼鏡を頭の上にのせている事を忘れて、眼鏡を探しているボケボケをやらかしたようなあっけない幕切れに、戒は安心感と強い脱力感を感じて砂浜にひざをついた。
「海鳴殿っ!!」
そんな戒にも構わず、威吹は声高らかに、今まで目をむける事も嫌がっていた海に向かって宣言する。
その様子は何だか誇らしげで、戒はさっきから威吹の意外な表情ばかり見ている気がした。
「この勝負、我が方が勝利した、諦めて薬をもらおうか!」
諦める?
あ、ああ確か……勝負をしてたんだっけ?
ショックを思う存分受けていた戒は、威吹の誇らしげな声を頭の隅で聞いていた。
いや、でもこれで、威吹の妹も病気が治るし……それに何といってもナツメが生き返るんだよな?
もう色々と威吹には言いたい事が多すぎて、何を言っていいのか判らないほどだけど。
ナツメを生き返らせてもらったら、威吹にはナツメに謝ってもらう、絶対にだ!
そして、威吹が元の体に戻ったらさっきの続きで……一発ぶん殴る!!!
神様だろうとそれは関係ない!
戒がそう勝手に決心している間。
威吹の勝利宣言に煽られる様に、海の波が今まで見たことのないような動きを見せた。砂浜から沖に向かって波が立つ。
まるで海が割れたような、その波の中から男が一人……出てきた。
その姿に、戒は想像と違っていたので驚く。
暇つぶしに命がけのゲームを提案するなんて、とても冷酷で残忍な姿を想像していたのに。
色香が香る男というのはこんな人間の事だろう。
威吹同様、恐ろしく整った顔をしていたが、その相好は華の様に甘い。甘ったるい。深い青の重ねの着物を着崩して着ていたが、だらしなさよりはそれが計算されたように似合っていた。
砂浜を静々と優雅に歩く姿は、当たり前のように濡れても居ない……砂に足跡もつかない。威吹と同類の証だろう。男は、威吹の傍にくると、持っていた扇を自らの口元に当てた。
とても美しい姿をしているが、あの美少女の親玉。
何を言うのだろうかと、戒は瞬間的に身構えた。
「そのようだね。
この遊戯は君の勝ちだ……。
君が手に入ると思っていたのに残念だよ」
親玉の台第一声はこうだった。
その声は、質は違うがやはり威吹に負けず劣らずの美声だったのだが。
「はぁ?」
な、なんだか変だ。
口では残念と言っているが、男はどこか楽しそうだった。
て、手に入るって?
戒は、混乱した。
そのまま、どういう事なんだろうというように威吹をチラ見する。
そして我に返って慌ててまた視線をそらした。
なぜなら威吹の表情は――とっても怖い顔をしていたからだ。
いや、まぁ、うん。
どうみても、二人とも男の神様に見えるんだし。
か、考えすぎだよな? こんな時に何考えてるんだ! 俺。
そう自分に言い聞かせて、落ち着こうとしても、この場の空気が明らかにおかしい事は分かりきっていた。やっぱりどう見ても戒にも分かるほど……男の威吹に向ける視線は執拗で。
またおそるおそる威吹の方をチラ見すると威吹は、氷のように冷たい視線で男を見ていた。
明らかに凄く嫌がってる。
「勝ったのだから我は誰の所有物にもならぬ。約束だ早く薬を貰おうか……」
「まぁまぁ、そうあせらずともよいではないか……これでまた長き別れとなろうに、少しは惜しんでくれまいか?」
「…………」
「ん? どうかしたのかね? そこな少年」
戒はその違和感がなんなのかを探すように、食い入るように威吹と男の姿を見ていた。その視線を感じて、男は威吹から視線を戒に移す。
「そのように見つめられては、穴が開きそうだ」
ビクッ
扇の端から見える笑った口元。
なんとも言えない流し目を向けられて戒は慌てて眼を逸らした。
まるで波に足を取られ……足元の砂ごと引きずられるような感覚。
危険だ、危険すぎる。
どこが、どう危険だと説明するのも危険すぎる、男の色香。
「お前っ! へ……」
変だ……。
率直すぎる意見を言おうとして、戒は慌てて理性を取り戻した。
こんな事言ったら、威吹ならともかく……どうなるか分からない。
「ふふ、変ではないよ? 美しい花を自分の手元に置きたいと思うのは、自然な事だと思うのだが……あぁそうか、人というものは狭い枠の中で縛られる、面倒なものだね」
言いよどんだ言葉も、お見通しだったようだ。しかし、どうやら目の前の神様は威吹より心が広いらしい。男が戒に向けたのは、怒りじゃなくてからかいだった。
「な、なんで考えている事が!!」
「ふふ、なんでだと思うかい? 少年」
「……戒をからかうのは、止せ」
ぴりぴりと警戒した声で、威吹は男に注意した。そして男の視線を遮ってくれるように、戒と男の間にとても不機嫌な顔で割り込む。男からの嫌な気配が遮断されたようで、戒はやっと空気が吸えたような気がした。
相手も神なのだから、あの少女の「声」のように視線に何か力が入っているの、か?
「ああ、君はいつだってつれない態度を崩さない、だからこそ私も君をあきらめきれない」
「相変わらず、趣味の悪い」
とげとげしい声だった。
「っていうかさ、もしかして威吹……」
一連の会話で、もう自分を誤魔化しきれなくなった戒は、混乱した頭で今まで考えないでおこうと目をそらしていた『恐ろしい想像』を口にしてしまう。
「俺はお前らの痴話喧嘩に巻き込まれ……っ!!」