05
戒は必死になって箱の周辺にはいつくばる。
箱が『ここ』にあるという事は探している力はここにあるはずなのだ、絶対。
戒はゴミの中を丹念に……警察の鑑識もここまではないようなほど……捜し始める。
無い。
ない。ない。
ない。ない。
ゴミをかき分ける毎に、頭の中に響く声。
もう少しで……ナツメを、生き返えらせられる?!
その一心で、戒は手を動かし続けた。
その熱中ぶりを、遠くから見つめる影が一つ。
「魚を釣るのには餌が必要……姉上の申す通りか。
あの少年、どうやら威吹様を知っているとみえる」
視線の主がこう呟いた事を、探すのに夢中になっていた戒は勿論知らない。
「箱は見つけた……けど、中身が無い」
戒は半分泣きそうになりながら……もちろん泣いてはいないが、心の中では泣いていた……威吹に向かってこう言った。日がとっぷり暮れ帰宅すると案の定、今日も威吹は戒の部屋にいたのである。
戒だってそんな簡単に見つかるとは思わなかったが、「見つけた」と言う期待を裏切られた分ショックは大きい。
威吹は、戒が持ち帰った箱を受け取り、観察する。
何かの手掛りがないかと―――実際威吹が触れた箱からは、微かだが自らの力の波動が感じられるし、見た限りでは本物の箱と大差がない。
「これはまた……」
そう威吹は言いかけて、顔色を変え箱を放り投げた。
威吹の目つきが鋭くなり、部屋を包む空気が逆立つのを戒は感じる。
「なっ!?」
そんな威吹の威圧感に何がなんだかわからず、問いかけた戒の口を威吹の手が塞いだ。ぴったりとふさがれた所為で、口で息をする事さえも出来ない。
「むがごふっ……」
「静かにするがよい、戒」
なんだ? 何が起こったんだ!?
パニックになっている戒にも解るぐらいに、箱から段々ときつい潮の香りが部屋に立ち込める。
まるで海の近くのように……って近く?
「がふっ!」
威吹に口を押さえられたまま、戒は叫び声をあげた。
み……水?
いや違う、海水?
部屋の中は空中に浮かぶ箱から、まるで3D映像のように海水があふれ出てきた。部屋の中が海水に浸かる……しかし、肌の感触は濡れてもいないし、落ち着けば鼻で息もちゃんとできた。
戒がその光景に呆然としていると、その水の中心から青色のグラデーションが色艶やかな十二単をまとった少女が姿をあらわした。年は、戒と同じぐらい。
透けるような白い肌。整った鼻梁に、印象的な瞳は、海の蒼の色。
口元は、手に持っている扇で隠れていたが、艶やかに笑っているのが分かる。
たななびく豊かな漆黒の髪は、ゆうに少女の身長を越している。まるで海から生まれた、女神のような美しさ……。
「お久しぶりですわ、威吹殿……とお呼びになったほうがよろしい、かしら?」
零れるように流れる声は、姿と同じく魅惑的なものだったが、からかうような響きが含まれていた。
美少女には、どうやら『威吹』が『ナツメ』の身体にいる事が分かったらしい。
皮肉に、威吹は不機嫌な顔で無言を返す。
「……」
「お捜しておりました、斯様な所にその様な姿でいらっしゃっるとは……道理で見つからないわけですわね」
威吹を値踏みするようなその視線も、美しい。
そう、美しすぎて視線が定まらない。
くらくらとのぼせるような熱さ。
「あ、あれ?」
目の前の美少女が喋るごとに戒は、まるで酔ったようにぐるぐるしてきた。足がおぼつかない。
その様子に気がついた威吹は、戒の口から手を外すと、今度は両耳に当てた。体の脱力感が消える。少女の声は、普通の人間ならば惑わし操る能力を持っていたのを、威吹は浄化する。
「そなたと話なす事はない、去ね」
「ほほ、ご冗談を」
戒は見た。
少女の扇を持っていない方の手に、『なにか』が集まる。
そして、それを威吹に向かって振りかざした。
それは海水の力の網。
それが何かも分からずに、ぼーっとしていた戒は、威吹に突き飛ばされた。
威吹は網にがんじがらめにされる。
「威吹殿……貴方様にはなくとも、私にはあるのですわ。貴方様を御方様の御前に連れて行くという用が……ね」
「くっ……」
「今の威吹殿の力では、私の水網から逃れる事は出来ません。解っておいででしょう?」
あら残念、そこな少年も連れていきたかったのに……そう笑う少女は手首の切り返しで、網をまるで舞う様に引っ張った。戒には大して引っ張っていないように映ったが、威吹の顔色が変わるのを見て、それがどれほどの効果を及ぼしているのか気付く。
「どうせ貴方は海鳴様にとって暇つぶしの道具……早く負けを認めて一緒にいらっしゃいな」
威吹が苦しそうだ!
そう考えて戒は、反射的に威吹の体に絡まった水網に手を伸ばす。
「止めぬか!!」
それに気付いた威吹が静止の言葉を叫んだが、構わず戒は手を伸ばす。水網は内側はゆるりと流れる水で被われていたが、外側は、急流の水で被われていた。
普通の人間は触ったら只ではすまない。
が、戒は平気で水網を掴み取る。
どうせ、人間ごときに何も出来るはずがない、指が落ちるぐらいの痛手を受けるだろう……そう奢った少女は狼狽して手を緩めた。それを見逃す威吹ではない。
「きゃあ!」
緩めた力の動きを瞬時に見切って、威吹は水網を少女に返した。
箱には直撃。
少女は寸での所で水網を元の水に戻したが、頬にかすかに傷がつく。悲痛な叫びに戒は一瞬「大丈夫か?」と言いそうになった言葉を飲み込んだ。対する威吹は警戒を緩めない。
少女は、傷がついた頬に確かめるように手を当て、扇で傷を隠した。
口元が微かに、見える。
その唇は……上がっている。
「残念な事……」
そういう声音は、楽しそうだった。
楽しそう? 何で?
「今回は引せて頂きますわ威吹殿。戒……貴方の名、覚えてあげましょう……ではまた、ふふ」
普通なら、激昂しても仕方のない反撃。それなのに笑っている少女に戒は混乱する。
現れたときよりも艶やかな笑顔で、笑って……そしてテレビの画像が乱れるようにかき消えた。
後に残ったのは、壊れた箱の残骸だけだ。
「なっ……なんなんだよっ、一体今のはっ!」
部屋の中に充満していた水の幻影が引いてから、戒は威吹に向かって叫んだ。
場を満たしていたのは、海水だけじゃなく……殺気。
威吹から感じた威圧感が無くなって、やっと戒は話しかけられる。
威吹はそんな戒の叫びも聞いているのかいないのか、優雅な動作で壊れた箱の破片を拾い集めている。普段なら、あんな美少女に名前を覚えてもらうのは、とっても嬉しい事のはずなのに……あの少女の笑顔が戒には恐ろしかった。何を考えているのか計り知れなくて、思い出すだけで背筋がぞくっとする。
「かの姫は、海神、海鳴の女御、水波。この箱を伝いて来たのであろう」
「海神って、威吹の力を奪った神様だろ?
女御って言うのはよく分からないけど……部下? ってことか?」
「まぁ、そなたに分かりやすく言うのであればそんな所であろう」
箱を壊したから、この場に留まる事が出来なくなった――――だから消えたのだ、威吹はそう言って、拾い集まった箱の破片を両手で包む。
すると、光とともに……箱は海水になった。
これは幻覚じゃないらしい。
慌てて戒はタオルを洗面所から持ってくると、海水を拭いた。
……勿論威吹にイライラしながら。
「と言う事は、これ偽物だったって事?」
「いや、本物である可能性も捨てきれぬ」
床の水を拭き終わった頃に、戒は尋ねた。
床にはうっすらと塩が残っていた。威吹は、桐で出来たように見せかけた海水の箱の水分から、自分の失った力の波動を感じとっていたのだ。
この箱が本物だったら……戒は自分の考えが恐ろしくなる。
「って事は、あの美少女が、威吹の力持ってるって事?」
そんなんだったら、普通の人間である戒には、どうあがいても威吹の力を取り戻せそうにない。もう一度少女に会ったら……ナツメの居る冥府とやらに行ってしまう羽目に陥るだろう。
……ああやっぱり神様の願い事だけあってハードだ。
今更になって、事の重大さに気付く戒。
探し物だけならともかく、あの少女相手だと、これから先は命が掛かっている。
「こんな事、言ってなかったじゃないか」
あまりの絶望につい、戒は威吹を詰る。
「そなた……」
威吹が返事をしようとしたその時―――。
「夜分遅くに失礼いたす」
「!? また何か!?」
「阿波殿か……」
また何か敵が来たのかと、戒はぞっとする……。
けれど、威吹はその声の主の事を知っているらしく、先ほどの厳しい顔にはなっていなかった。