第8話 鬼王妃の墓参り
ガタゴトと一定の周期で不快な振動を伝える馬車の座席に腰掛けながら、わたくし王妃は今、猛烈に不機嫌だった。
どれほど不機嫌かと言えば、普段なら完璧に演じ分けてみせる「淑やかで完璧な王妃」の仮面が、今にも剥がれ落ちて地割れを起こしそうなほどである。
それもそのはず。
威厳たっぷりの王――中身はただのピュアな乙女であるロザリアを、たった一人で王城の執務室に残し、単身で妻の実家である公爵家に帰省しているからだ。
「……ハァ」
今日、わたくしがわざわざ王城を出て公爵家へと向かっているのは、ロザリアの実母――わたくしにとっての義母にあたる前公爵夫人の命日だからである。
彼女の健やかな肉体を借りて生きている以上、その生母の墓前に赴き、近況を報告して義理を果たすのは、夫として、あるいは現在の「王妃」としての当然の義務だ。それ自体に不満は1ミリもない。
問題は、その墓参りの前後に必ず立ち寄らねばならない、公爵家の本邸に巣食っている連中だった。
(……思い出すだけでも反吐が出るな。ロザリアがまだ幼かった頃、あの屋敷でどれほど陰湿な扱いを受けていたか。俺が王太子だった時代から、影を使ってあの屋敷の動向は掴んでいたが……。今回は公式な場ではない以上、奴らも本性を現して突っかかってくるだろうな)
フッと、わたくしの唇の端が、冷酷な弧を描いて吊り上がった。
ロザリアの美しい顔でそんな笑みを浮かべれば、それだけで並の騎士なら恐怖で直立不動になるほどの覇気が漏れ出す。あの強欲な女どもをひねり潰すなど、赤子の手をひねるより容易い。
ガタリ、と馬車が大きく揺れ、ついに公爵家の重厚な門をくぐった。
公爵邸の重厚な正面扉が開き、応接室へと通されたわたくしを待っていたのは、歓迎とは程遠い、ねっとりとした不躾な視線だった。
「あらあら、王妃様。いくら今日は前妻の命日とはいえ、あのような陰気な女のためにわざわざ王城からお戻りになるなんて、本当に律儀なことですわね」
「おかわいそうに。お顔が少しやつれていらっしゃいますわよ。陛下に疎まれて、厄介払いされたのではありませんこと? オホホホ!」
豪奢なソファに深く腰掛け、下品な笑い声を上げているのは、ロザリアの義母である公爵夫人と、その実娘でありロザリアの腹違いの妹だ。
一国の王妃を迎える態度としては完全に不敬罪の領域だが、彼女たちは「どうせ中身はあの大人しくて言い返せないロザリア」だと高を括っている。
わたくしの前に出された紅茶に目を落とす。
上等な白磁のカップに注がれているのは、色こそ出ているが香りが完全に飛び散った、明らかに格下の安物――それも、淹れてから随分と時間が経ち、不味そうに冷めかけた代物だった。
(なるほど。王城から連れてきたわたくしの侍従たちを『公爵家の流儀でもてなす』と適当な理由をつけて別室に隔離し、この部屋で孤立させた上で、冷え切った安茶で嫌がらせか。古典的だが、実に陰湿だな)
もし、この体の中身が昔のロザリアのままだったなら、今頃は悲しげに俯き、実母を侮辱されたことに涙を浮かべて耐えていただろう。奴らはその「極上の蜜の味」をもう一度味わいたくて、わざわざ仕掛けにきたのだ。
だが、あいにくだったな。
わたくしは、その冷めかけた不味い紅茶のカップを、指先ひとつ震わせることなく優雅に持ち上げ、唇を濡らすことすら迎合せずに、ソーサーへとコトリと戻した。
――ただ、それだけの動作。
陶器が触れ合うかすかな音。
それだけのはずなのに、応接室の空気が、まるで氷河の底のようにヒュッと凍りついた。
わたくしの背後に控える「影」の気配が、主の不快感を察して一瞬で殺気立ったのを、手元の扇でわずかに制する。
「……陰気な女、ですって?」
わたくしはゆっくりと、ロザリアの持つ天上の美しさを最大限に冷酷に仕立て上げながら立ち上がり、ソファでふんぞり返る二人の女を、ゴミを見るような冷徹な眼差しで見見下ろした。
(俺の愛しい妻と、その母親をよくもまあ、長年コケにしてくれたもんだ。大臣たちの汚職まみれの裏帳簿を暴くついでだ。お前たちのその腐り切った根性も、一国を統べる王太子の手腕で、徹底的に“お掃除”して差し上げよう)
「な、何よその目は……! たかが、わたくしたちが引き取ってあげた前妻の娘の分際で……っ!」
わたくしの冷徹な眼差しに気圧されたのか、義母が引きつった顔で虚勢を張る。その隣で、腹違いの妹も怯えを隠すようにドレスの裾を強く握りしめていた。
二人の額からは、じっとりと嫌な汗がにじみ出ている。
「たかが公爵家の後妻風情が、一国の王妃の生母に向かって随分な口を利きますのね。わたくしが陛下に疎まれている? ……ええ、毎日陛下がわたくしを離してくださらないから、少し寝不足ではありますけれど」
「なっ……! はしたない……っ! 王妃ともあろう者が、そのような破廉恥なことを……!」
「はしたないのは貴女たちの頭の中ですわ。それに……」
わたくしはゆっくりと歩を進め、義妹の前に立った。
恐怖で完全に硬直している義妹の顎を、手にした扇の先端でクイッと、有無を言わせぬ力調子で持ち上げる。間近で見る彼女の瞳は、まるで蛇に睨まれた蛙のように激しく泳いでいた。
「貴女、先日王城の夜会で騎士団長に媚びを売り、無様に袖にされたそうね? その腹いせに『あんな生意気な騎士団、予算を削って兵糧攻めにしておしまいなさい』と、無能な父に泣きついたとか」
「ひっ……!? な、なぜ、それを……っ!」
義妹が悲鳴のような声を上げる。
当然だ。それは公爵領の本邸に戻った夜、人目を忍んで公爵の書斎で交わされたはずの、極めてプライベートな密談なのだから。
(俺の私設諜報部隊「影」を舐めるなよ。国家の予算や軍事に絡む場所で怪しい動きがあれば、たとえ公爵家の書斎だろうと即座に網に引っかかる。大臣たちが裏で肥やしている「ドス黒い数字」の隠し場所から、この小娘の愚かな工作の全容まで、俺の耳に届かない情報などこの国には存在しないんだ)
扇の先から冷たい魔力をほんの微量だけ流し込み、義妹の全身を恐怖で震え上がらせる。
「国の守りを私怨で削ろうとするなど、立派な国家反逆罪。問答無用で極刑に処されても文句は言えないはずよ。……それとも何か? あの頼りない公爵の親権が、一国の法や王族の権威よりも上だとでも思っていらっしゃるの?」
「あ、あ、ああ……っ」
義母もガタガタと歯を鳴らし、ソファからずり落ちるようにして床にへたり込んだ。
彼女たちの後ろ盾である公爵(ロザリアの父)は、現在の「氷の王」――中身は恐怖で震えているだけのロザリア――の冷徹な威圧感に怯え、城の夜会ではいつも借りてきた猫のように小さくなっている男だ。そんな男に、王妃の独断で行われる「お掃除」を止める力などあろうはずがなかった。
「わたくしは昔のように、貴女たちの陰湿な嫌がらせを涙を流して耐えるだけの、哀れな人形ではありませんのよ。お前たちのような国を蝕むゴミを掃除するのに、一切の躊躇を持たない女だと、その足りない頭に骨の髄まで刻み込みなさい」
天上の美貌から放たれる、容赦のない絶対的な拒絶。
義母と義妹が完全に顔面蒼白になり、絶望のあまり息をすることすら忘れてガタガタと震え出した、その時だった。
バァァァンッ!!
静まり返った公爵邸の応接室に、あまりにも不作法で、重厚な扉がへし折れんばかりの爆音が轟いた。




