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誰が鬼ですって? 〜王妃になったスパダリ国王、今日も愛妻を守るために悪役を演じます〜  作者: なな日々


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第4話 暴走する魔獣と、動かない(動けない)国王、そして舞う鬼王妃

 初夏の柔らかな陽光が降り注ぐ、王城の広大な西中庭。


 色とりどりの大輪の薔薇が咲き誇るその場所では今、隣国からの使節団を歓迎するための華やかなガーデンパーティーが催されていた。


 給仕たちが運ぶ上質な果実酒のグラスが涼やかな音を立て、優雅な弦楽の調べが風に乗って流れる。一見すれば、両国の友好を深めるための和やかな祝宴そのもの。


 ――だが、外交の場というのは、いつだって狐と狸の化かし合いだ。


「ははは! 流石は『氷の覇王』と名高いアレクシス陛下。我が国の献上した名酒にも、眉一つ動かされぬとは!」


 豪奢な天幕の下、上座に設けられた長椅子に腰掛ける国王――つまり、俺の姿をしたロザリアに向かって、隣国の特使が大げさな身振りで語りかけている。


 俺はロザリアの隣に座り、純白のレースの日傘を優雅に傾けながら、扇の陰で密かに冷たい視線を投げかけていた。


 特使の男の目は笑っていない。それどころか、こちらを格下の国と侮り、隙あらばマウントを取ろうという下劣な野心が透けて見えている。


(……まあ、うちのロザリアが眉一つ動かさないのは、名酒の価値がわからないんじゃなくて、緊張で顔の筋肉が強張っているだけなんだがな)


 隣に座る国王(我が妻)を盗み見れば、完璧に仕立てられた上着の胸元が、浅い呼吸で細かく上下している。完全にキャパオーバー寸前だ。よく頑張って耐えていると褒めてやりたい。


 そんな俺たちの内情など知る由もない特使は、ニヤリと下卑た笑みを浮かべると、パチンと指を鳴らした。


「ところで陛下。我が国と我が王の威信を示すため、本日は特別な『宝』を連れてきております。ぜひ、陛下のその高貴な御目でお確かめいただきたい!」


 特使の合図とともに、重々しい金属音を立てて、黒鉄の頑丈な檻を乗せた馬車が中庭へと引き入れられた。


 周囲の貴族たちが何事かと視線を巡らせる中、檻を覆っていた黒い布が乱暴に引き剥がされる。


「グルゥゥゥゥルルルッ……!!」


 檻の中から響いた、地を這うような禍々しい咆哮。


 中にいたのは、一頭の巨大な魔獣だった。黒く硬質の毛並みに覆われた巨体、そして額に刻まれた不気味な魔力の紋章。それは、並の騎士団では一隊が全滅しかねないと言われる、凶暴なAランク魔獣『隻眼の魔狼』であった。


 その場にいた令嬢たちが「ひっ……!」と短い悲鳴を上げ、周囲の護衛騎士たちが一斉に剣の柄に手をかける。中庭の和やかな空気が、一瞬で凍りついた。


「おおっと、護衛の皆様、そんなに殺気立たないでいただきたい! 鎖はしっかりと繋がっておりますゆえ!」


 特使はワザとらしく両手を挙げて笑うが、その目は明らかに我が国の反応を、とりわけ玉座に座る国王の器を試そうと嘲笑っていた。


 魔獣を公衆の面前で見せつけ、我が国の威信を萎縮させようという、浅はかで見え透いた三流の外交ミッション。


 だが、特使の「仕掛け」はそれだけでは終わらなかった。


 檻の扉が開けられ、太い魔力鎖に繋がれた魔狼が外へと引きずり出された、その時だ。


「あ、ありゃっ!? し、しまっ――!」


 特使の配下である巨漢の調教師が、わざとらしく足を縺れさせ、派手に地面へと転がった。


 その拍子に、魔狼を繋ぎ止めていた重い鉄の鎖が、調教師の手からするりと手放される。


 否、手放したのではない。最初から狙い済まして「放した」のだ。


「大変だ! 魔狼の鎖が外れたぞ! 暴走だ、暴走だぁーっ!」


 特使の白々しい叫び声が中庭に響き渡る。

 自由になった『隻眼の魔狼』は、血走った単眼をらんらんと輝かせ、牙の隙間からドロリとした涎を垂らしながら、まっすぐにターゲットを見定めた。


 遮るもののない直線上。その視線の先にいるのは、上座で長椅子に腰掛けている国王(ロザリア)であった。


「グルルルル、ガァァァァッ!!」


 凄まじい咆哮とともに、巨大な黒い影が芝生を蹴り飛ばして突進してくる。


『隻眼の魔狼』の狙いは完全に定まっていた。一直線に、上座の長椅子に深く腰掛けている国王(ロザリア)へと向かって、牙を剥き出しにしながら猛スピードで肉薄していく。


「ひっ……!」


「陛下っ! お下がりください!!」


 周囲の貴族たちが顔を真っ青にして悲鳴を上げ、護衛の騎士たちが慌てて剣を抜いて間に入ろうとする。だが、突発的な魔獣の奇襲に対し、騎士たちの反応は一歩遅かった。魔狼の突進力は、人間の反射速度を遥かに凌駕している。


 誰もが「間に合わない」と絶望し、息を呑んだ。


 ――だが。


 当の国王陛下は、迫り来る死の顎を前にしても、ピクリとも動かなかった。


 長椅子に深く腰掛け、腕を組み、冷ややかで鋭い視線をまっすぐに魔獣へと向けたまま。まるでこれからお茶会でも始めるかのように、彫像のごとき堂々たる態度で静止している。


 そのあまりの威風堂々とした佇まいに、中庭の時間が一瞬、停止したかのような錯覚さえ覚える。


『おお……! Aランク魔獣の殺気を、真正面から浴びておきながら、瞬き一つされない……!』


『驚異的な胆力だ……。まるで「我が前に立ち塞がるなど、相手にする価値もない」とでも言わんばかりの、圧倒的な覇王の風格……!』


 周囲の貴族たちは、恐怖を通り越して国王のその姿に激しく震え上がった。仕掛け人である隣国の特使さえも、「な、なんだあの男は……人間の肝の据わり方ではないぞ……」と、予想外の反応に顔を引き攣らせている。


 だが。


 その長椅子のすぐ隣で、純白のレースの日傘を差したまま佇む俺の感想は、周囲のそれとは、いささかかけ離れていた。


(……いや、違うな。あれはただの『完全なる硬直』だ)


 長年連れ添った俺には、一目でわかる。


 あいつ(ロザリア)は、今絶対に、心の中で『ヒィィィィィ! 犬! でっかい犬怖いぃぃぃ! 誰か助けてぇぇぇ! アレクシスぅぅぅ!』って大泣きしながら、恐怖のあまり足の先から頭のてっぺんまで、完全に腰を抜かしてフリーズしているだけだ。


 何が覇王の風格だ。よく見ろ、俺の強靭な肉体のはずなのに、膝のあたりが生まれたての小鹿みたいに微かにプルプルと震えているじゃないか。


「……たくっ。手のかかる可愛い妻だ」


 俺は小さくため息をつくと、持っていた日傘を、優雅な所作で静かに畳んだ。

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