第14話 虫避けの神回避と、スパダリお妃様の鉄壁の守り
王城の広間で華々しく開催された、建国記念の舞踏会。
煌びやかなシャンデリアの下、私は国王として玉座に深く腰を掛け、優雅にグラスを傾けて……いるフリをして、内心ガタガタと震えていた。
(なんか、めちゃくちゃみんなこっち見てるんですけど!? 怖い! 視線が痛い!!)
無理もない。先日、我が国を嗅ぎ回っていた他国のふざけた王子を、私たち(正確に私の身体のアレクシス)が完膚なきまでに叩きのめし、地下牢へぶち込んだばかりなのだ。
そのせいで、表向きは華やかな祝祭なのに、広間を支配しているのはひりつくような緊張感である。貴族たちが遠巻きに「いつ他国と戦争が始まるのか」「陛下はどう動くのか」と、固唾をのんでこっちを見つめている。
(ひえぇぇ、違うの、私はただの女なの! そんな覇王みたいな目で見つめないで! 早くお部屋に帰ってベッドにダイブしたいーーー!)
チラリと視線を横に向けると、そこには純白のドレスを纏った王妃――つまり、中身がアレクシスの『私』が座っていた。
銀糸のような髪を結い上げ、象牙の扇子で口元を隠すその姿は、背筋が凍るほど美しく、そして冷ややかだった。中身はゴリゴリの覇王のはずなのに、所作の隅々まで非の打ち所がない完璧な淑女である。
「……アレクシス。私、もう胃が痛いんだけど」
小声で助けを求めると、王妃の姿をした夫は、優雅に扇子を揺らしながら口元だけで笑った。
「堂々としていろ。お前は今、この国で最も力を持つ男だ」
そんな切実なやり取りをしていた、その時。
(ぶ、ぶぅぅぅぅぅん……)
(ひえっ!? 待って、音のデカい虫きたァァァァァッ!!! こっち来るなーーー!!!)
よりによって、この国で最も威厳を保たなきゃいけないタイミングで、私の顔の目の前に大きな羽虫が突撃してきたのだ。
「ひゃああっ!?」
私は完全に中身の(虫が大嫌いな)か弱い乙女の悲鳴を上げ、情けなくビクゥッ! と全力で首をのけぞらせて腰を抜かした。屈強な国王の体が、玉座の上でこれ以上ないほど不恰好に縮み上がる。私の意識は100%、その羽虫に奪われていた。
――ヒュッ!!!
次の瞬間、私の耳元で、背筋が凍るような二つの重金属音が同時に炸裂した。
グサァァァッ!!!
ガシャァァンッ!!!
「ガハッ……!?」
あまりの衝撃音に私が目を開けると、目の前で給仕の男が信じられないものを見たような顔で、その場に激しく膝をついていた。
男の右手首には、深々と一本の美麗な投擲ナイフが突き刺さり、鮮血が床を汚している。
男が持っていたはずの暗殺用の短剣は、私のすぐ真後ろ――玉座の豪奢な背もたれの木枠に、根元までグサリと突き刺さって震えていた。
(えっ!? 虫じゃなくてナイフ!? っていうかいつの間に突っ込んできてたの!?)
暗殺者が完璧な不意打ちで私の喉元を狙った瞬間、私が虫を避けて生まれたわずかな隙。
その刹那のコンマ一秒の間に、隣に座っていた王妃(中身アレクシス)は、ドレスの裾から信じられない速度で暗殺用ナイフを抜き放ち、私の後ろの椅子に短剣が突き刺さるのと「完全に同時」に、暗殺者の手首を正確に射抜いて行動不能に追い込んでいたのだ。
驚愕のあまりホール全体が凍りつく中、スッと純白のドレスを翻して立ち上がるお妃様。
その手に持った象牙の扇子で、ふわりと自分の口元を隠しながら、冷徹極まりない目で床の暗殺者を見下ろした。
「……陛下の御前で刃物を抜くなど。万死に値しますわね」
(いやいやいや! 助けてくれたのは最高にカッコいいけど、お妃様、ドレスの下にそんな物騒なもの仕込んでたのォォォォ!?)
「うぐっ、あ、あり得ん……! 気配は完全に殺していたはず……!」
床にのたうち回る暗殺者が、手首を血に染めながら絶望の声を漏らす。
敵国の残党である彼は、完璧な不意打ちを仕掛けたつもりだったらしい。私がただの羽虫から全力で逃げ回っていただけだとは、夢にも思っていないのだろう。
しかし、周囲の貴族たちの受け止め方は、さらに斜め上の領域へと達していた。
『お、恐ろしい……! 陛下はグラスを傾けたまま、瞬き一つせず、わずか数センチ首を傾げただけで暗殺者の神速の一撃を紙一重で躱された……!』
『それだけではないぞ! 王妃様が完璧な連携でカウンターのナイフを叩き込まれた。あの刹那のコンマ一秒、阿吽の呼吸……!』
『最初から暗殺者が来ることを予期し、あえて隙を見せて誘い込んでいたというのか……! なんという恐るべき覇王夫婦……!』
(違うの、本当にただの虫なの! 誘い込んでないし、私は今すぐ気絶したいレベルで心臓がバクバク言ってるのよーーー!)
私が心の中で必死に冤罪を訴えていると、アレクシスは一歩前に踏み出し、床の上の男を冷酷に見下ろした。
その純白のドレスには、返り血一滴すらついていない。あまりの美しさと冷徹さに、周囲の貴族たちは、文字通り水を打ったように静まり返ってしまった。
「近衛兵。このゴミと、そこの柱の陰で震えている指示役の貴族どもを、地下牢へ放り込みなさい。――一族郎党、極刑ですわ」
凛としたお嬢様言葉でありながら、放たれたのは「我が国に刃向かう者は、どこの国の者であれ容赦しない」という、敵国に対する強烈な牽制。宣戦布告に等しい覇王の威嚇だった。
「はっ! 直ちに!」
控えていた近衛兵たちが血相を変えて飛び出してきて、暗殺者と、顔を真っ青にして腰を抜かしている裏切り者の貴族たちを引きずっていく。
(ひぃぃ、カッコいい! さすが私のお妃様! ……でも、せっかくの建国記念の舞踏会なのに、完全に空気がお通夜になっちゃった!)
完全に凍りついた広間で、私がオロオロとアレクシスの頑丈な体を揺らしていると、アレクシスが優雅な足取りで私の前へと戻ってきた。
そして、戸惑う私に向かって、スッと美しい所作で手を差し出したのだ。
「……音楽が止まっておりますわよ、楽団員たち。さあ、夜会はこれからですわ。――踊りましょうか、愛しき我が夫」
「えっ……あ、うんっ!」
楽団が慌ててワルツを奏で始める中、私はアレクシスの手を取り、ホールの中央へと進み出た。
「いくぞ、ロザリア。俺のリードに合わせろ。離れて回るところは俺が調整する」
「わ、わかってるわ。よろしくね」
かくして始まったのは、周囲の目を欺く完璧なカモフラージュ・ワルツ。
入れ替わり生活も5年目ともなれば、お互いの体の扱いはお手の物だ。
基本のステップはほぼ同じ動きだし、離れてクルクルと美しくターンする場面では、アレクシス(王妃の姿)が職人技のような絶妙な手さばきでリードしてくれるため、外見からは「国王が優雅に王妃をエスコートしている」ようにしか見えない。
ただ――一箇所だけ、ロザリアが特別に意識して『仕込み』を入れなければならない難所があった。
(よし……ここよ、王様の筋肉、本気出しちゃって!!)
アレクシスが私の腰にそっと手を添え、合図を送ってきたその刹那。
私はタイミングを合わせ、国王の恵まれた筋力をフルに活かして、アレクシスの体を上空へ向けてグッと持ち上げた。――のだが、ちょっとばかし王様の馬鹿力が炸裂しすぎてしまった。
「おっと……!」
フワッ、なんて生易しいレベルではなく、アレクシスの(王妃の)体が予想以上の高さまでスポーーーンと綺麗にブチ上がってしまったのだ。一瞬、アレクシスの目が「上げすぎだバカ」と物語った気がした。
空中できれいに姿勢を制御したアレクシスが落ちてくるのを、私は冷や汗を流しながら、国王のガチの腕力でガシィッ! とお姫様抱きのように力強く受け止め、何事もなかったかのように優雅なフィニッシュのポーズを決めてみせた。
要するに、加減を間違えて高く放り投げすぎたのを、5年間の試行錯誤で培ったリカバリー能力で強引にセーフにしただけである。
しかし、二人の息は文字通り完璧に合っていた。
これを見た周囲の貴族たちは、もはや感動を通り越して畏怖の念を抱き始めていた。
『おお……! なんという重力を感じさせぬリフト……!』
『あのような高い打点から落ちてくる王妃様を、まるで羽毛のように軽やかに受け止め、ドレスの裾一枚すら乱さぬ完璧な着地……!』
『暗殺騒ぎの直後だというのに、あのようにダイナミックかつ乱れのない完璧なエスコート。これぞ圧倒的な王者の余裕と、夫婦の鉄壁の絆……! 敵国など我が国の敵ではないな!』
貴族たちは、私たちの5年間の歪んだ努力の結晶(冷や汗ものの怪力リカバリー)を「高度な政治的メッセージと、王妃様への深い愛情表現」と勝手に解釈し、感動の涙を流して割れんばかりの拍手喝采を送り始めたのだった。
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