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初夜



 今、目の前に年若い女性が白装束を着て座っている。正確には白く薄い寝衣なのだが、現代人の感覚だと、切腹の際の死装束と同じに見える。襖や障子の向こうでは未だ喧騒が遠く聞こえるが、何処か緊迫した空気がこの一室に満ちていた。


「平井定武が娘、萩と申します。右衛門督様には多大なるご温情を賜り、平井家一同更なる忠誠を誓います。末永く右衛門督様のお傍に置いて頂ければ、これ程の喜びはございません」


 本日、長かった平井の娘との婚儀が終わった。

 三日だぞ、三日!?

 三日間もだらだらやる事が良い事だと思っているこの時代の格式ばった儀礼は辛い。勿論伝統という良い事もあるだろうが、一日目は観音寺城で、二日目に平井家の粟太郡まで出向いての酒宴、三日目に再び観音寺城でとなれば、最早疲労困憊だ。

 その上で、初夜ですと云われても、早く寝たいわ。


「其方には辛い想いをさせ続けた。六角家当主として改めて詫びさせて欲しい」


「右衛門督様!」


 布団というには余りにも薄い敷布団の上で、頭を下げると、萩と名乗った娘が慌ててそれを止めようとして来る。未だ、十四、五の娘だ。先程の口上にしても、現代の中学生が口にする内容ではない。色々な経験が彼女をそうせざるを得ない状況にしたのだろう。


「先程の口上も、俺の呼び方も堅苦しいな。其方は、本日よりこの俺の室となるのだ。二人の時は気を張らず、気を許してくれれば嬉しい。呼び方も其方に官位で呼ばれたくはないのでな。そうだな…お前様でも旦那様でも良いし、そうだ! 四郎で良い。家族なのだから四郎と呼べ。俺も其方を『お萩』と呼ぼう」


「そ、そのような畏れ多い事は、私は側室でありますので」


「やはり気にしておったか…」


 呼び方について俺の幼名で呼ぶように言えば、先程まで気を張っていた萩の表情が暗く変化する。六角家中でも彼女への扱いは良くない。出戻りであり、浅井家の離反の象徴のように扱われる事もあった。彼女に対して口さがない言葉を陰でいう人間は多く、誠に遺憾ながらも婚儀の最中に口にした馬鹿までいた。

 その馬鹿達の名と顔は覚えたし、何処に領地を持っているのかも調べた。直ぐに六角から放逐してやる。


「床に入る前に、疲れておるとは思うが、話を致そう」


「…はい」


 俺にまで厳しい事を言われるのではないかと思ったのかもしれない。ぎゅっと力を込めて一度目を瞑ったお萩は、下唇を噛みしめてから顔を上げた。

 ここまで苦しませていたのか。俺が強引に娶って良かったのだろうか。現代での俺の年齢も生活も名前も、もう思い出す事が出来なくなってしまったが、それでも成人をしていた筈だ。この年齢の娘が苦しむ姿に何の感情も湧かないほど幼くはなかった。


「一つ。俺は生涯正室を迎えるつもりはない。ただ、其方との間に子が出来なかった場合は俺でも抗う事は出来ぬかもしれぬが、子が無ければ弟の次郎が継げば良いと考えておる。

一つ。其方とは夫婦なのだ。俺も其方には肩肘を張った姿では居たくない。それは其方にもそうであって欲しいと思う。奥の仕切りは其方に任せ、奥へ帰った時は、其方と笑い合っていたいと思っておる。

一つ。其方に対して、暴言、罵詈雑言、蔑みを口にした者達の名と顔を覚えておけ。其方に代わって、夫である俺が天誅を喰らわせてやろう。一人で抱え込み、我慢するべからず。

一つ。其方は十分にやった。身内も味方もいない浅井へ嫁ぎ、懸命に浅井と六角を繋ごうと気張っていた筈だ。己を蔑むな、己を誇れ。そして、今度は六角家中で嫁いだのだ。皆身内だ。父である加賀守も近くにおる。其方を蔑む輩は俺が全て排除する。何も心配せず、安心して暮らせ。

一つ。其の上で互いを想い合い、共に歩んで欲しいと願う」


「…私などで、私などでよろしいのでしょうか、右衛門督様」


「四郎だ」


「…し、四郎さま」


 何かが彼女の中で解放されたのだろう。俺を見ていた瞳から大粒の涙が零れ落ち、その表情を見ていられなくなった俺は、胸に掻き抱いた。俺の胸に顔を付けたお萩は、抱えていた膿を出すように声を出して泣き出す。嗚咽ではなく、号泣だった。

 この戦国の世は完全な男尊女卑の世界だ。勿論、一概にそれが全て悪いとは言わない。男性と女性では体の作り、精神の構造、心の在り方など全てに於いて異なる部分が多く、完全な男女平等は不可能に近い。加えて、この暴力が支配する戦国の世で女性を矢面に立たせる事が出来ないと考えるのは当然の事だとも思う。

 それでも、この六角弼頼の家では、夫婦で支え合えるような家庭を作りたい。家長だから、当主だからと命令を聞かせ、それに妻を従わせるような家は嫌だし。正室、側室を区別するのも嫌だ。ましてや他の妻の下へ通い、それを当然の事であると思いたくもない。それを当然の事と妻が思っていても、それを平気で出来る人間を気持ち悪く思うのだ。


「寝てしもうたか」


 彼女にとって、二度目の初夜である。この初夜という物が示す内容も正確に把握していただろうし、家格が上の六角に嫁いで来た上での初夜の重要性も理解しているだろう。それでも泣き止む事もなく、そのまま寝落ちしてしまうなど、余程気を張っていた証拠であり、ここまでの気苦労が強かった証でもある。

 何かが可笑しい六角弼頼という戦国武将の妻となるのは、実際は更に気苦労が増えるかもしれないが、それ以上の幸せを感じて欲しいとも思う。


「誰ぞ居るか」


「…は、はい。萩様付きの侍女をしております、よねと申します」


 泣き疲れて眠ってしまったお萩を静かに寝かせ、掛け布を掛けてやる。この時代はまだ布団という感覚がない。それを作るのも面白いなと思いながら廊下に声を掛けると、恐る恐るという感じで返事が返って来た。

 本来は宿直が俺の寝所近くで寝ずの番をしているのだが、初夜という事もあり、傍にはお萩付きの侍女だけであったようだ。


「済まぬが、綺麗な布を水に浸し、きつく絞った物を持って来て欲しい」


「は、はい! すぐにお持ち致します」


 何の用途で必要なのか分からないまでも、それを聞き返さない姿は、平井家の教育の賜物なのだろう。しかも慌てながらもお萩を起こさないように、更に失礼のないように返答をし、静かに立ち上がって廊下を小走りで掛けて行く。お萩は良い侍女を持っていたようだ。もしかすると、彼女は浅井へも共に従っていたのかもしれない。

 そういえば、先程の返答は少し鼻声だったかもしれない。先程までのお萩との会話を聞いていたのだろう。それはそれで恥ずかしいものだ。


「お待たせ致しました」


「良い。入って参れ」


「は、はい」


 寝所に入るというのは、本来は禁忌である。帝の初夜などは女官が覗き見るという慣習があったようだし、後の徳川将軍の大奥にもそれと似た慣習があったと云われるが、幸いな事に六角にはない。

 恐る恐る襖を空けて入って来た女性は、月明かりと室内の蝋燭に照らされた顔を見る限り、まだ二十にもなっていないと思われた。まぁ、十四、五の娘の侍女なのだから、余りに老婆というのもおかしな話であるし、普通の事なのかもしれない。

 絞って来いとは言ったが、よねと言った侍女は小さな桶に水を張り、白い布地をその水に浸したまま持って来ていた。それよりもかなり離れた場所でそれを自ら絞り、再び擦り寄るように近づいたが、まだまだ遠い位置で平伏して布を頭の上に掲げた。


「そのように畏まる必要はない。普通に手渡してくれれば良いのだが、仕方がないか」


 頭の上に掲げている手が微かに震えているのが見えた。何を恐れているのかは解らない。単純に六角当主という存在を畏れているのか、それとも初夜に寝入ってしまった娘の代わりに手籠めにされると恐れているのか。ただ、このままにしていても不憫なだけである為、俺の方から近づいて冷たく絞られた布を受け取った。


「随分泣いておったからな。このまま朝を迎えれば、瞼が腫れてしまおう。目元を冷たい布で冷やしておけば、幾分かは和らぐ筈だ」


「…はぁ」


 俺のする事を不思議そうに見ていた侍女は、気のない返事を返すが、はっと我に返ったように顔を伏せて後退る。今更ながら、自分が仕えている姫君が初夜という務めを果たさなかった事に思い至ったのだろう。先程よりも震えが大きくなっている。

 まだまだ六角義治の気性は、下の者達の間では昔のままなのだろう。実際に対面でもしなければ、その違いなど分かる訳はない。


「お萩はこのままここで眠らせる。俺も共に寝る故、その方も戻って休め」


「よ、よろしいのでしょうか?」


 俺が頷きで返してやると、また勢いよく平伏した後、静かに部屋を出て行った。水の入った桶は、出て行く前に襖の前に置き、そのまま襖を閉める。あれだけ俺を恐れていたのに、見事な所作だと感心してしまった。

 そのまま横で眠るお萩の目元を布が覆っている事を確認し、俺も横になる。やはり三日間の強硬日程が響いていたのか、横になった途端に意識が薄れて行った。

 この状況で初夜など、土台無理な話であったのだ。




「いい加減、面を上げよ」


 夜がまだ明けきれない時間、俺は横から響いた奇声に叩き起こされた。現代の女性の奇声の代表である『きゃあああ』とかではなく、本当に奇妙な声というか、音であった。飛び起きた俺は、俺の動きに合わせるように敷布から降りて平伏するお萩の姿を見る事になる。

 昨日、結構良い事言ったつもりだったのだが、モテない男の自己陶酔だったのかもしれない。


「お萩、昨日俺の言った事を覚えているか? すぐには難しいだろうが、妻が先に寝たからと言ってそれを咎めるような事はせぬ故、安心致せ」


 それでも、顔を上げないお萩に、俺は首を傾げる。正直、ここまで恐れる理由が分からない。如何に粗暴で短慮という噂が流れていたとはいえ、まだ観音寺崩れも起きていない以上、六角義治が誰かを自ら斬り殺したという事はない筈。それにも拘わらず、ここまで怯えるというのは、他に何らかの理由でもあるのだろうか。


「ふむ。このような事を聞いて良いものか判断出来かねるが、其方、まだ猿夜叉を恋慕していて、俺を恨んでおったりするのか?」


「そのような事ございませぬ!」


 ようやく顔を上げてくれた。

 まぁ、『元夫が恋しくて、俺が憎いか?』と聞かれて、『はい』と答える馬鹿はいないだろう。しかも、この時代の女性はかなり強かな部分もあり、恨みを胸に隠したまま、その機会を伺う事や、恨みを胸にしまい込み、血を残す事に全てを賭けたりすることもある。

 まぁ、お萩がそうとは思わないが。史実だと浅井賢政の嫡男である万福丸の母親である説もあるらしいが、彼女が浅井家に嫁いだのは1559年の正月近辺で、送り返されたのが1559年の4月頃と考えると、とてもではないが子が産める期間ではないと思うし、万福丸生誕も1564年とされている為、その説自体に無理があると思う。

実際の史実では嫁いだ年がもっと前なのかもしれないが、少なくともこの世界では僅か数か月の結婚生活だったようだ。出戻ってから1年近く経過し、子を宿していた形跡もないと確信されてからの婚儀である為、彼女が万福丸の母ではない事は確かだろう。


「では、どうした?」


 ちなみに、この世界で万福丸がいない事も確認済みだ。史実でも生誕は1564年である為、いないとは考えていたが、それでも幼子を全て確認した。怪しげな数人の赤子は殺されたと思う。罪深いとは思うが、それでも家臣達はやるべきだと判断していた。


「右衛門督様…」


「四郎だ」


「し、四郎様、畏れながら申し上げます」


「畏れる必要はない」


 何をどう言ったら、理解して貰えるのだろう。この不毛なやり取りは疲れる。2000年代の人間からすれば、妻が夫に謙る理由など無く、夫が妻に威張る理由もないと思うが、やはりこの時代の教育や刷り込みは一言二言の言葉では払えないという事なのだろう。

 こちらの世界に来る前に見たドラマや漫画のように、皆の意識も瞬時に変わってくれると楽なのだが。


「やはり正室はお迎えくださいませ。この萩、四郎様のお心が知れて、心から嬉しく存じます。ですが、四郎様のお世継ぎは私のような出戻りではなく、立派なお家の姫君のお産みになられた御子であるべきと存じます」


「其方とて、我が父六角承禎入道の義娘であるぞ。ふむ、そうすると俺は義理の妹に手を出した畜生になってしまうのか…」


 改めて自らの口で整理すると、俺はとんでもない事をしたのかもしれない。義理とはいえ一度は妹になった女性を妻に迎えるのだ。かなり痛い人間のようだな。

 そうだ、こうすれば良いのか。


「ならば、こう致そう。俺は幼い頃から平井加賀守の娘であるお萩に慕情を抱いており、そのお萩が義妹になった事を喜んでいたが、猿夜叉に取られた。それを許せず、取り戻すために浅井を滅ぼし、これ幸いと妻に迎えたと」


 良いな。

 新たな六角義治の逸話になるだろう。この時代では受けないかもしれないが、日ノ本が平定され、世の中が落ち着いたら、悲恋や純愛などの恋愛物が流行る筈。その時には、『一人の幼馴染への愛を貫いた武将』とでもなって流行るかもしれない。


「そ、そんな、それでは…」


「ああ、真か否かはそこまで問題ではなかろう。俺は其方と仲睦まじくありたいと思っておる。其方が俺を憎んでおらぬなら、そうあるように努めてはくれまいか? 元々、俺は良い噂がない故な。今更その程度の噂が広がろうと構いはしない」


 お萩が心底驚いたという顔をして、絶句している。なかなか愉快で痛快だな。

 既に六十万石を超える大領の当主である男が、己の評判を気にしないと言っているのだ。しかもその評判は女性に関するものという、この時代の武将からすれば最も忌み嫌う類の物である。


「それが駄目だというのならば、其方の勘気が恐ろしく、とてもではないが正室を迎える事など出来ないという事になってしまうが…」


「そ、それはご容赦くださいませ。そのようなお話になれば…」


「すまぬ。この場にそぐわぬ転合(てんごう)(冗談)であった。だが、其の方の心を煩わせている物に関しては気に致すな。なるようにしかならぬし、その時が来ればまた考えれば良い。今は心健やかに過ごせば良いのだ」


 昨夜は遅くまで祝いの酒を飲んでいたのか、城内は未だに静かな物であり、差し込んできた朝陽を部屋に入れる為に立ち上がって障子を開ける。朝露に濡れた庭の草木が香りを放ち、朝陽と共に部屋へ清々しい風に乗って入って来た。


「夫婦にはゆるりとなって行けば良い。俺もお萩もまだ若い」


「四郎様…」


「よねはおるか!」


「は、はい。こちらに」


 障子を空けて差し込んだ朝陽に目を細めながら、昨晩に控えていた侍女の名を呼ぶと、驚いたというような声が隣の部屋近くから聞えて来る。


「お萩の着替えを。朝餉の準備も伝えよ」


「は、はい」


 そばに寄って来た侍女は、一度平伏した後、台盤所へ俺の言葉を伝えに行った。戻り次第お萩の着替えを行うのだろう。勿論、そこに俺が立ち会う事はない。

 正直、ここまで耐えてはきたが、俺の身体もまた十五の物。薄い寝衣の下は裸である女性と共にいるにも限界が近いのだ。十四、五の娘に手を出すまいという心で抗ってはいたが、朝という状況も相まって、身体の方が限界に近い。


「胸を張れ、お萩。其方はこの六角右衛門督弼頼の妻なのだ」


「精進致します」


 硬いなぁ。昨日の今日で何かが変わるとは思えないが、それでもこのまま夫婦としてやっていけるのだろうかと不安になって来る。俺が部屋を出るまで平伏をしたままのお萩を横目に着替えへと戻った。


 着替えを済めせ、城詰の家臣達と共に朝餉を取る。この時代、大名家などは家族で共に食事を取る事はなく、城に上がっている家臣達と食事を取る事が多いらしい。この時代に来て初めて知った。

 こんなむさ苦しいおっさん達と食事をとって何が楽しいのかと思ってしまうが、この食事の時間に政務の中身を雑談交じりにやり取りし、大まかな方向性を定めるそうだ。現代では嫌われる会だな。食事中に仕事の話などするなよと。若者はついていかないぞ。


「御屋形様、磯山城の城代、今津城城代、塩津浜城城代の目途は立ちましたかな? また、今浜城城代も考えねばなりませぬな」


 共に食事をしているのは後藤但馬守と平井加賀守。この観音寺城はいくつもの曲輪を築いており、そこに家臣達の館を建て、登城の際にはそこで寝起きする事が出来るようになっている。平井家や後藤家は、その名を持つ平井丸や後藤丸に館を持っていた。


「新たに築城予定の今浜城には次郎を元服させて入れようと考えておる」


「しかし、次郎様は大原家への養子縁組が決まっておりますが」


「よい。そもそも大叔父が亡くなって十年以上経っておる。坂田郡の大原の所領も六角直轄領となって久しい。次郎に大原の名跡を継がせ、今浜城を与える」


 大原は、佐々木一族の祖である佐々木信綱の庶長子である大原重綱が坂田郡に所領を拝領した事から始まる。庶長子ではある為、次男として扱われているが、長男筋であるという説もある。その為、家格は高く、足利将軍家の奉行衆に名を連ねていた事もあるのだ。だが、血筋は一度途絶え、祖父六角定頼の実弟である高保が養子に入っていた。その高保にも実子がおらず、今はその名だけが残る家となってしまっている。


「ただ、現在は俺にも子がない。但馬守と加賀守にはこの場で伝えておく。後で書として残すが、俺に子がなかった場合、次郎を六角に戻し、当主とする」


「御屋形様、それは気が早うございます」


「俺はこれまでの所業故に方々から恨みを買っておるからな。どうなるか分からぬ。ただ、俺に子が出来ればそれを嫡子とする事は変わらぬ」


 突然の俺の発言に皆の箸が止まってしまった。加賀守など、口を開いたままで固まっている。婚儀の翌日に、後継の話をしたのはやはり不味かったかもしれない。


「次郎が邪魔で外へ出す訳もなく、お家騒動を恐れて次郎から六角の名を奪う訳でもない事を示したかっただけなのだが、やはり性急すぎたか…」


「な、なんと…。そうでありましたか。いやはや、驚きましたぞ。でしたら、そのように遺言のような言動をなされますな。次郎様の元服時に、ご本心をお伝えなさればよろしいかと」


「そうですぞ。御屋形様はまだまだお若い。お世継ぎのお話は余りにも早うございます。大殿がお生まれになったのも、雲光寺様が御年二十五を超えてからですし、御屋形様がお生まれになったのも、大殿の御年は二十五を超えていらっしゃいました。御屋形様の御年は十五、まだまだこれからでございます」


 俺の本心を口にした途端、一気に空気が変わった。後藤但馬守は納得したように頷き、平井加賀守は安堵したように饒舌になる。娘を嫁がせた翌日に世継ぎが生まれない可能性を口にされたのだから不安にもなろう。この迂闊さは元々の義治の物なのか、それとも俺元来の物なのか。


「要らぬ心配を掛けたようだ。加賀守、すまなかった」


「お、御屋形様、おやめくださいませ」


 俺が頭を下げると、加賀守は慌てて顔を上げる。あわあわと慌てる宿老を見ると、やはり戦国武将と言えども一人の娘の親なのだと実感できる。親子の情が薄い者達もこの時代には多くいる中で、少し安堵した。


「今津城は山中大和守を城代に据えようと考えておる」


「甲賀衆にですか?」


「うむ。今後、高島郡では堅田衆に加え、比叡山にも注意を向けなければならぬ。それには甲賀衆の能力が必要不可欠となろう」


 山中大和守俊好は、史実でも浅井に靡く事なく、最後まで六角に尽くしてくれた忠臣である。今後は比叡山や堅田一向宗との衝突が確実である事を考えると、そこに忠臣であり、情報の要である山中家を置く事は最良だというのが、父承禎入道の考えであった。それには俺も全面同意を示している。


「して、磯山城、塩津浜はどうなされますか?」


「磯山城代は壱岐守に任せようと思うておる」


「倅にでございますか?」


「うむ。今回の戦での功を考えれば不思議ではなかろう。ゆくゆくは壱岐守に磯山城を与え、米原を任せたいと考えておる」


 俺の言葉に後藤但馬守が平伏する。本来の史実ではこの後藤親子は六角義治に殺されている。蒲生定秀と共に恩賞条奉行として、かなりの権勢を有していた知勇兼備と謳われた武将である。また嫡男である壱岐守も残る文献が少ない物の、後藤家嫡男としてしっかりとした実績を上げていた筈。両者が誅された事によって、次男である高治が後藤家を継ぐが、何故か後世では評価されていない。


「御屋形様のご期待に応えられるよう、再度倅を鍛え直しまする」


「うむ。ゆくゆくは壱岐守が俺を支える一柱となるのだ。良しなに頼む」


「ははっ。もし叶います事ならば、倅に御屋形様から一字を頂けませぬでしょうか?」


「た、但馬守殿…」


 ああ、こういう所が義治には我慢出来なかったのかもしれないな。通常、偏諱を貰う場合、余程のことがない限り、下の者から上の者へ願う事など有り得ない。不敬に当たる行為と咎められても可笑しくはなく、傲慢、増長とされても可笑しくない行為であった。

 それが出来る存在だと自らが思っており、但馬守賢豊という宿老には確かにそれ相応の実績と地位はある事が厄介である。だが、当主に成りたてで、隠居として父にまだ実権を持たれていた義治は、それが自分を侮っている言動だと感じてしまう事も多かったのだろう。


「我が一字は許さぬ」


「なっ」


 断られると思っていなかったのか、頭を下げていた後藤但馬守が反射的に顔を上げる。この行為も昔の義治を侮っていた事の表れだろうな。『自分が頭を下げて頼んでいるのだから、許可されて当然だ』と思っていたのかと考えてしまう。実際はそうでなくとも、そう思われても仕方のない部分は、この但馬守には多くあるというのが、俺の実感だった。


「だが、城代という職と共に名を変えたいというのであれば、『治豊』というのはどうだ?其の方の『豊』の字を継ぎながら、『治め、豊ます』という意味を込めた。新たに城代となり、磯山城下を治め、豊かにし、米原を仕切ってもらいたいという俺の期待も込めておる」


「な、なんと…。それほどまでに倅に目を掛けてくださいます事、この但馬守、深く御礼申し上げます」


 今の俺の『弼頼』から一字を与えるとなれば、『弼』の字になるのだろうが、それを与える事は拒んだ。だが、史実にある『義治』の一時である『治』の字であれば良いだろう。適当なこじ付けも出来たし、何故か後藤但馬守は涙目で平伏しているし、結果良しとしよう。


「塩津浜城であるが、父上とも協議した結果、田屋石見守の加増地として与えようかと考えたのだが、それでは納得のいかぬ者達もおろう」


 敢えて、誰とは言わない。正直、浅井の名跡を残す事としたため、田屋家にはそれ相応の格を六角家中で残してやりたいのだが、六角家重臣達からすれば、新参者が大領を有する事に反発を持つ可能性がある。新興勢力の大名内でさえ、古参と新参の対立は出来るのだ。三百年続く六角家となれば、その比ではない。

 高島七党の扱いを見て、明日は我が身と受け取ってくれればまだ良いが、対岸の火事程度の認識であれば、いずれは信長のように古参を追放しなければならなくなる。


「塩津浜周辺だけでも二万石はあろう。中務太夫か、若狭守を入れるしかないとは思うておる。本音を言えば、修理大夫殿に入ってもらいたいがな」


「御屋形様、それは…」


 後藤但馬守が明らかな反対を示す。平井加賀守も同様に厳しく目を細めた。

 六角修理大夫義秀。本来の六角家の嫡流の男である。我が祖父である六角定頼は、六角高頼の次男であるのだ。高頼の嫡男には氏綱という男がいたが、長患いの末に父高頼よりも先に他界した。六角家は還俗した定頼が継ぐことになるのだが、この氏綱には息子がおり、それが修理大夫義秀の父である六角義実となる。

 六角定頼が六角宗家を継いだが、それは氏綱の死亡時の嫡男義実の年齢が八歳であったため、陣代として元服までの家督を定頼が継いだという説もある。だが、定頼の管領代としての名声が高まっていき、結局六角宗家の家督は定頼の嫡男である義賢が継いだのだ。

 ただ、義実は1537年には出家しており、1550年頃には義賢は実務を継いでいる事を考えると、義実は納得の下で出家しているとも考えられる。反対に定頼に無理やり出家させられたとも考えられるが。


「修理大夫様を六角に戻されれば、お家の騒動の原因となります」


「むしろこのままの方が何かと諍いがありそうだがな。一度しっかりと臣下の礼でも取ってくれれば良いのだが」


「それは難しかろうと存じます。修理大夫様は、大殿に対しても敵対されておりました故」


 修理大夫義秀は、我が父承禎入道とも最後まで折り合いが付かなかった。史実でも何度か和睦のような事はしているが、六角の臣下になる訳でもなく、独自にその勢力を有している。あの織田信長にも認められる程の才覚を有していたとも云われており、信長に友のような扱いを受けていたという説もある。

 可能であれば、我が家臣としてその腕を振るって欲しいが、それは無理な話かもしれない。惜しい事だ。


「うむ。では、やはり塩津浜城に関しては、中務太夫賢永を入れる他あるまい。田屋石見守は評定衆へ加えよう」


「よろしかろうと存じます」


 最後に残った大根の煮物を口に入れて決定を下す。但馬守、加賀守の二人もそれに対して了承を示した。

 しかし、この時代の飯は味気ない。おかずの品数が少な過ぎる。しかも朝と夕の二食の為、この朝餉でしっかりと腹を満たさなければならないから、飯の量だけが異常に多いのだ。しかも白米ではなく、雑穀米である為にそれだけを口にするのはかなり辛い。いっそ、握り飯にでもして貰った方が食い易いのだが…。

 やはり、鶏卵は欲しい。卵があれば卵焼きも作れるし、茶わん蒸しだって作れるだろう。この時代の調理は煮るか焼くかしかない為、茶わん蒸しは無理かもしれない。炒めるという考えもないから、炒り卵も出来ないし、焼き飯も無理だろう。

 領土拡大よりも、料理拡大を図りたいと思いながら、朝餉の時間は終了を迎えた。




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― 新着の感想 ―
平井の娘、萩と弼頼のシーンは読み切りの時から気になっていたので読めたことに感謝します まだまだ権力が安定していないのを感じるので 家臣たちとのやり取りが緊張感がありとても面白く読んでいます
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