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江南の夢(不定期連載)  作者: 久慈川 京


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蹂躙



 前関白殿下である近衛稙家との会談を終えた目賀田親子を内裏周辺の警備として残し、他の全軍は三好の退陣を確認してから移動を始めた。

 流石の三好軍も分が悪いと感じていたのだろう。約束通り五条までは兵を迅速に退いていく。おそらく五条を越えた川勝寺城や桂川手前の石原城などに兵は置くだろうが、それでも近々に山城国占領に動く事はないだろう。

 山城を抑えるのであれば、内裏周辺を抑えなければならない。山城国は攻め込み易く守り難い国だ。防衛拠点を築くにしてもその支城を築く場所もまた守り難い。平安京の完成度が高過ぎたのだ。

 この戦国の世で本気で山城国を政治の中心にしようとすれば、平安京の再現をし、それを曲輪で何重にも囲いながら、総構えを作る必要がある。それには莫大な費用と時間が必要になるだろう。


「御屋形様、このまま坂本へ向かいますか?」


「向かう。兵達には無理をさせるが、その分給金を弾め。叡山を処理してから戻る事になる」


 もしかすると、既に我が子は産まれているかもしれない。いや、知らせが届いていないという事はまだなのか…。もしや母子に何かがあったのではないか。などという不安で心が痛いが、それが顔に出ないように必死に抑えていた。

 その反面、胸の中に渦巻く憤りと憎しみが全身に毒が回るように身体を痺れさせている。このまま感情的に叡山の僧兵と向き合えば、俺は当然の如く叡山を焼くだろう。もしかすると焼くだけに留まらず、本当に無差別に僧を殺し尽くすかもしれない。


「…一度は許した。二度目は許さぬ」


 一度目の叡山は許した。僧兵の解体を命じても一部の破門だけで済ませた事についても追及する事はせず、一部であっても従った事で不問とした。それは甘さではなく、こちら側の選別であった事が理解出来なかったのだろう。

 一度許されたのだから大丈夫だとでも考えたのか。そうであったとすれば、それは完全に舐め過ぎだ。これで比叡山延暦寺というどの勢力も介入出来なかった不可侵の勢力を討つ大義名分が出来た。


「山科にも城を築くぞ。その城には誰を入れるべきか…」


 山科郡に入り、築城を口にすれば、案の定家臣達の表情が変わる。『またか』という色を最近は隠そうともしなくなった。確かに築城数は俺の代になってから多い事は確かだ。その為に莫大な費用と建材、人足が必要となり、それらを準備するのは家臣達の仕事となる。また、俺はこの時代の悪しき風習である『人柱』を許さない。それもまた、家臣達の不安の一つなのかもしれない。

 この戦国時代では築城する際に『人身御供』として若い女性や僧侶を埋める事が多かったと云われている。最も多いのは若く美しい未婚の女性という話だ。処女伝説なのかどうかは解らないが、後世に怪談話としても多く残っている。美濃郡上八幡城や、羽柴秀吉が築城した長浜城、出雲の月山富田城もまたそういう話があり、その美女は夏の盆踊りで目星をつけるとも云われていた。

 その地の穢れを払い、神の加護を得るための生贄としての『人身御供』だというが、生贄にされた者は全て生きたまま埋められるそうで、その苦しみは想像に絶するし、それ程の苦しみを受けて殺された者であれば、間違ってもその場所を守りたいなど思う筈がない。

 故に俺はこの人身御供を絶対に認めず築城させている。この時代の人々は信仰深い訳ではないが、そういう類は信じ易い。解らない事が多いからこそ、それを神や仏に結び付けるのだろう。だが、俺からすれば、建築物の技術はあっても地震が起きれば倒壊するし、火が出れば燃える。それは神頼みでどうにかなる問題ではないと理解してしまっている。故に認めないのだが、家臣達は何かあれば『人身御供』を捧げなかったからだと口にするだろう。

 それでも生贄は認めない。どうしてもというのならば『では、お前がなれ』と言うと誰しもが口を閉ざした。


「対馬守、兵部大輔は見つかったか?」


「…未だ遺骸や首級も見つかっておりませぬ」


「そうか…。あれが一乗院へ向かえば厄介な事になる。もし、大和へ入る所で見つけた場合は、殺すか近江へ連れて来い」


「承知致しました」


 三雲対馬守を側に寄らせ、小声で支持を出す。

 足利義輝を逃がす為の殿軍を買って出た細川兵部大輔藤孝の行方は未だに解っていない。そのまま討ち死にしたのか、それともある程度戦った後に脱出したのかも解らない。だが、足利義輝が討ち死にした事を知れば、おそらく彼は二条御所へ戻る事なく大和一乗院へ赴き、義輝の実弟である覚慶を引っ張り出そうとするだろう。

 だが、今の世に足利家は必要ではない。どこかの武家の下に付き、家臣として戦うのであればそれでも良いが、新たな征夷大将軍を名乗るのであれば百害あって一利なしの存在となってしまうのだ。

 この時代は僧の還俗が珍しくない。還俗し武家に戻る者達が多いのだ。それは跡目争いを避けるために次男、三男を出家させたりする事が多い事とそもそもの貧困の為ではあるのだが、いざ跡目の人間を失った場合、出家した者が武家に戻って当主となる事は珍しくなった。有名どころで言えば、今川義元もまた三男であった為に仏門に出されており、兄二人の死によって還俗して家督を継いでいる。

 それを考えれば、覚慶が還俗する事は可笑しくはない。足利家の家督を継ぐ事は良い。だが、征夷大将軍を継ぐ必要はないのだ。それでも幕臣であった者達は自分達の既得権益の継続の為にも、何としてでも将軍の就任を目指すだろう。それが新たな騒乱を招くとしてもだ。


「…御屋形様」


「長兵衛か、如何した?」


 山科郡を越え、近江との国境まで来た時、伊賀衆の取りまとめ役を担っている植田長兵衛光次が姿を現した。現在、近江より東側を担って貰いながら、今回の出陣には同道せず、近江周辺の警戒も行って貰っていた。

 つまりは北伊勢に異変があったという事か。


「もしや、伊勢国司が動いたか?」


「まだにございますが、米と兵の動きが見えます」


「今動けばそれなりだが、時間を掛けるとは、鎮守府大将軍も草葉の陰で泣いていよう」


 この状況で北伊勢に進軍していれば北伊勢を獲る事は出来ないまでも、ある程度の戦果は見込めただろう。それが解らぬ程の男ではないと思っていたが、もしや兵が集まらぬのか。ここ最近の北伊勢の発展によって、南伊勢と比べて貧富の差が出て来ている。北伊勢では農家に至るまで海鮮の俵物や加工品を購入する事が出来ているが、それは白子城の築城や伊賀への道路整備の労働によって支払われた賃金などの収入による物だ。

 この六角家の公共事業に関しての労働者には俺が資格条件を付けた。条件は一つ、六角領民である事。それは検地へも繋がり、戸籍の作成にも繋がる。労働の形で地代を支払う賦役とは異なり、しっかりと賃金も支払われ、更には食事も出る為にも領民である証が必要だと云われれば、戸籍の作成に皆協力的になる。そして実際に賃金がしっかりと中抜きなく支払われれば、『自分の村にはまだ検地が来ないのか』という苦情まで上がるようになっていた。

 これにより、現在の六角領である近江、伊賀、北伊勢に関しては順調に各村々の戸籍が出来上がっていた。

 そして、そういう状況であるからこそ、北伊勢の村々へ移住を図る人間が増え始める。『あの村にはまだ検地が来ていないらしい』となれば、その村に今の内に移住してしまえば、村人として認められ、六角領民となれるという噂が広まったためだ。

 これにより、南伊勢の特に安濃川より南の村からの流民が増えており、その村々を領している武家は労働人数ばかりか、徴兵できる人間さえも少なくなっているという状況になっていた。


「だが、確実に動くだろうな。これ以上放置していれば、重臣達からの突き上げにあうだろう。特に一門衆である木造の離反は避けたいだろうからな」


 現木造氏の当主は、北畠先代当主である中納言具教の実弟である。北畠家の家臣の中でもかなりの権力を有してはいるが、史実では織田家の侵攻時に主家を捨てて織田へ服属した男だ。油断は出来ない男だろう。

 元々木造具政は北畠晴具の三男であり、長男であり北畠家を継いだ北畠具教とは上手く行っていなかったのかもしれない。この時代のあるあるだが、次男、三男というだけで兄の家臣となり、一門衆であるにもかかわらず、他の家臣の同列の家に養子に出される。権力や兵力も大きく異なり、人間の資質などに自信があれば納得できない部分も大きい筈だ。


「…木造に仕掛けてみるか」


「靡きますでしょうか?」


 木造氏は木造城を中心に、その周辺の港を抑え、内陸側にも領土を広げている。そして、津の港を抑えているために北畠家の中でも資金力を持つ有力家臣となる事が出来たのだ。

 だが、六角が北伊勢に侵攻し、白子の港を抑えて開発を進めている事から、津での収入は半減しているだろう。東からくる船も白子の港の噂を聞き、最近では逗留場所として使用する事も増えた。その分、津に停泊する船の数は減る事になり、木造氏の収入も減っている筈だ。

 出来る事なら津にも城を築きたい。津と白子で港の開発を進め、白子は漁業と加工の町。津は船の町として。漁業と加工の町であっても商いは盛んになるだろうし、船の出入りが増えればそこにも商業町が広がって行く筈だ。


「いや、六角に靡かなくとも別に良いし、下手に臣従されれば、津の港を諦めなければならなくなる。北畠一門衆を一枚岩にしなければ良い。既に長野工藤家に関しては、見切りをつけているだろうしな」


「…雲林院祐基、細井氏と分部氏を引き入れ、近く当主である次郎具藤を北畠家に戻し、先代の遺児を当主とする動きを見せております」


「六角が北伊勢に定着してしまった以上、北畠家の脅威に怯える事もなくなり、それでいて北畠からの救援も期待出来ないとなれば、血の繋がらない者を当主として担ぐ意味がないからな。殺されずに返還するという事が誠意なのだろう」


 長野工藤家の本領は津の西にはなるが、もし北畠家が軍事行動を起こせば、その隙に六角家が津へ侵攻してもおかしくはない。北畠としても軽挙に群を起こす事は出来ないのだ。

 これを機に、長野工藤家を臣従させるのも手か。安濃城などの細野氏を含め、長野工藤家を六角麾下に加えれば、伊勢の攻略はかなり容易になる。


「叡山の件を片付けた後で長野工藤家にも手を伸ばすか」


 まずは叡山を片付けなければ無理だな。今回の山城国への出兵だけでもかなりの出費をしている。兵站も銭も無限ではない。そのまま叡山討伐の軍を進めれば、当初の予定の兵糧よりも多くなろう。現在は兵站奉行として増田や水口といった人材に任せてはいるが、この功績も称えてやらねば内輪揉めになる可能性も出てくるし、内勤側の不満も溜まる一方になるだろう。彼らが相手をしている商人や各地の庄屋なども一筋縄ではいかない者達ばかりなのだ。


「申し上げます!」


「申せ!」


 山科郡を出て逢坂山を越えている辺りで斥候に出ていた者が戻って来た。馬上の俺に跪いた男の息は切れており、それを必死に整えながら言葉を発している様子から、かなり急いでいたのだろう。

 良くない知らせでなければ良いが、もしかすると坂本城や船木城などが落ちたというような話かもしれないし、堅田の一向衆残党が蜂起したというような物かもしれない。大津などの裏切りではない事を祈ろう。


「はっ。叡山の僧兵三千と進藤山城守様と平井隠岐守様率いる二千が山口にて激突。およそ一刻程の戦の最中、堅田の残党が蜂起し、それにより平井軍が崩れ、お味方総崩れとなりました。現在、進藤様、平井様共に坂本城へ入城し、籠城の構えを見せております」


「…そうか、堅田がか。駒井八右衛門は無事か?」


「…駒井様、一向宗によって傷を受けたようですが、堅田の民によって保護されておる模様にございます」


 斥候からの話を聞き、三雲対馬守に話を振る。斥候と同時に戻った甲賀衆より話が通っていたようで、堅田の代官となっていた駒井八右衛門秀勝は傷を負いながらも生きている報告を受ける。

 堅田も全員ではないという事か。堅田の中に残っている一向門徒の者達が蜂起したという事なのだろう。ならば多くても百人程度、二百には届くまい。

 進藤山城守は俺の指示で堅田の一向寺の破却を指揮していた。ほぼ全ての寺の破却を行った為、熱心な一向門徒たちからはかなり恨みを買っていたようだ。


「そうか。此度の蜂起に係わった者達は我ら武士(もののふ)の理にて相手致す。一族郎党共に族滅する。皆の者、これより逢坂山を越えて大津に入る。大津に入った後は坂本へ向かい坂本城を囲んでいる叡山の僧兵を殲滅する。奴らが信じる極楽浄土へ送ってやるぞ」


「ははっ」


「対馬守、大津で兵への握り飯、味噌汁を作らせよ」


「既に準備させております」


「大義」


 中国大返しではないが、休む暇はもうない。歩きながら食える飯と身体を温める汁物があれば良い。行軍している中にも農民兵はまだまだ多くいる。その者達は、豊かになって来た近江を実感しており、それを荒そうとする者へ嫌悪を抱いている。基本は対岸の火事なのだが、それでもそれが僧兵となれば明日は我が身という想いもあるのだろう。

 兵達の進行速度が速まる。騎乗している者達が馬を駆ける事はなくとも自然と足軽達が速足になり、駆け足になっていた。


「御屋形様、叡山僧兵どもは坂本城を落とすつもりのようです」


「たわけ共が、あれは山城守が心血注いだ城だぞ。戦を知らぬ僧兵如きが落とせる城ではないわ」


 続報として、退却した進藤山城守と平井隠岐守が籠った坂本城へ僧兵三千が押し寄せているという情報が入った。大きな被害なく六角軍を退却させた事で気がおおきくなったのだろう。だが、総崩れになったといえども、坂本城へは千近くの兵が籠っている。

 攻城戦は守備兵の三倍から十倍の戦力が必要と云われており、現在の僧兵が三千いたとしてもギリギリの兵力さであり、造り込まれた坂本城と、城攻めに不慣れな僧兵という事を考慮に入れれば、全く以て兵数が足りない。


「僧兵が坂本城へ張り付いているのであれば重畳」


 大津に入り、三雲対馬守が手配していた通り、大津の通りに握り飯と味噌汁が並んでいる。しっかりと謝礼金を払い、土地の民を使っているため、その量も驚くほどに多かった。この数年で収穫量が増えている事も要因の一つであろうが、六角家がしっかりと給金を支払う家だという信頼が根付いている証拠でもあるのだろう。

 配られた味噌汁を啜る。毒見を終えた後だがまだ温かく、行軍によって流れ出た塩分を補給するように身体の隅々に浸透して行った。味は不味い。出汁など取っている訳はなく、ただ単純に沸かした湯へ味噌を溶かしただけの汁物だ。観音寺城で出される汁物とは根底から異なっている。だが、今の身体にはこれでも非常に美味く感じていた。


「このまま坂本へ入るぞ」


 味噌汁を飲み終わった者達は皆がその椀を丁寧に返す。本来戦場では椀を割る、盃を割るなどして士気を高めるのだが、木の椀とはいえ、この土地の民達が必死に集めてくれた普段使いの椀なのだろう。それは破壊する事など出来ない。馬を降り、街道に立っている初老の女に『美味かった。感謝する』という言葉と共に椀を返すと、将を始め兵達も真似するように丁寧に椀を返し始めた。

 給金を貰っているとは言え、せっかく作った物を無碍にされれば良い気はしない。だが、感謝をされれば悪い気はしないものだ。『この方々が近江を護ってくださっている』とでも思ってもらえれば、六角家としても兵達にも良い影響が出る事だろう。




 坂本に入ると、そこは酷かった。田植えを終え、収穫まで時間を掛けて育って行く筈の稲が踏みつぶされ、折られ、酷い所では刈田にあっていた。まだ稲穂も大きくなっていない内に刈られた田は人々に絶望を感じさせるに十分な光景であった。

 それと同時に怒りが湧いてくる。この坂本の民達はようやく安寧を知り、ようやくこれから安定した収穫と収入を手にし、栄え始める坂本城下町で食料や趣向品を購入する銭をという貨幣を得る事が出来る筈だった。そして、南近江で暮らす者達と同様に飢える事なく、口減らしとして子を殺す事も、寺に出す事もなくなると信じていたのだ。

 僧兵になる悪僧達も元はそうした口減らし対象者が多い。鬱憤や不満、憤りに恨みを持っている者達も多いだろう。その為、寺に入っても坊主の修行をせずに武芸の修練を行い、それを誇るようになり、幼い頃の恨みを晴らしているのかもしれない。『自分がこうなったのは、自分が生まれた村を統治していた武家が原因だ』と考えてもおかしくはないだろう。

 だが、そうであったとしても、同情はするが許容は出来ない。俺が統治する領土で、そこで懸命に暮らす者達を不当に虐げる者を許す事は出来ない。


 今、近江、若狭、伊賀、北伊勢、敦賀では正規軍にて山賊などの討伐、追討を行っている。山の民とも共同し、山賊達や盗賊達の拠点を洗い出し、討伐に向かう。六角正規軍は農民兵ではない。六角家から給金を貰っている兵士であり、普段は城下町の警備や街道の警備を行っている。その者達を遊ばせる必要はない為、戦の訓練を兼ねての討伐となっていた。

 だが、その成果は着実に出ており、特に近江と伊賀では街道を進む商人達から盗賊や山賊を恐れる必要が無くなったと謝礼を貰う事が増えた。

 伊賀国のような山ばかりの国でも山賊や盗賊がいなくなったのは、それ以上の存在である伊賀衆が本気で山賊盗賊潰しを行っているからだろう。そしてそれが伊賀の発展を加速させていた。


「全軍、戦に備えよ」


 大津を抜け、鏡が浜まで出てから六角本隊の陣立てを整え始める。陣を張る事はないが、左手に宇佐山を見ながら半刻もすれば坂本城が見えてくる。それを囲うように集まる僧兵達が砂糖に集まり蟻の集団のように黒い塊になって張り付いているように見えた。

 三雲対馬守が率いる甲賀衆、植田長兵衛が率いる伊賀衆の情報操作の仕業だろう。坂本城に群がる蟻どもはまだ六角本隊の動きに気付いていないようだ。もしかすると、山城国で三好に大敗とでも偽報を与えられているのかもしれない。


「旗印!」


 今まで伏せていた旗印、馬印が一斉に掲げられる。本隊は『鶴の丸』の家紋が縦に三つ記された旗印。それと同時に『隅立て四つ目』の紋が入った旗が一際高く掲げられた。

 この軍勢が六角家の物である事、そしてその中に当主が率いる本隊がある事を内外問わずに知らしめる。そしてそれぞれの部隊がそれぞれの家紋の入った旗印を掲げる事で、この軍勢の総力を見せつける事になった。


「一兵たりとも逃がすな! 一人残さず極楽浄土とやらに送ってやれ!」


「おお!」


 俺の号令と共に先陣を担っている後藤隊が動き出す。下り藤の紋が入った旗指物が流れるように僧兵達へと雪崩掛かかった。遠目で見る限り、流石に後藤喜三郎定豊が飛び出しているという事はないようだ。


「後藤隊を孤立させるな! 左翼、右翼も包み込め!」


 先陣の後藤隊を補佐するように左翼の馬淵、右翼の嵯峨も僧兵を囲い込むように動き出す。矢合わせ、鉄砲合わせなどの手順を省き、一気に決戦に入るのだ。

 突如として現れた大軍に、坂本城を包囲していた僧兵三千が狼狽えるのが解る。こちらの情報を意図的に差し止めていた事、そして三雲率いる甲賀衆による偽報によって、未だに京にいると考えていた僧兵達は、坂本城の包囲を解く訳にもいかずに右往左往しているのが解った。

 ここからは戦ではなく、単なる虐殺に近かった。僧兵達は手持ちの矢や数少ない鉄砲の準備をするが、それも間に合わずに次々と後藤隊に倒されていく。逃げ出そうする僧兵達は左右から迫って来た馬淵隊と嵯峨隊に討ち取られて行った。


「…御屋形様、叡山から」


「たわけが。坂本の町に被害を出している以上、和睦など有り得ぬ。謝罪の一つでもあればまだましだが、それもないだろうな」


 坂本へ進む途中で、叡山の入り口に二千の兵を置いて来ている。主将は武田右衛門佐信景に任せている。若狭武田の武田信豊の三男である。若狭国を六角家が実質支配した事によって、若狭武田は名目上滅びた。だが、武田信豊は俺の義理の叔父であり、この右衛門佐信景は俺の従妹に当たる。それ故に、整理を進めている南近江に所領を与え、六角直臣としての地位を与えていたのだ。

 その右衛門佐から叡山から使者が来ているという旨の知らせが届いているようだ。だが、今更何の用なのかと聞きたくなる。


「使者に会うにしても、坂本周辺の僧兵を悉く討ち取ってからだ。首級を突き付けてやらねば話もまとまるまい」


「…御意にございます」


 他人は俺を過激、冷酷と評するかもしれない。だが、一度目は許した。堅田の一向衆は真野城と共に燃やしたが、叡山の僧兵は逃げ帰る事を許している。それにも拘らず、再度この近江を乱したのだ。『仏の顔も三度まで』という言葉が後世にはあるが、仏のように悟りを開いた訳でもない俺の我慢は二度までだとしても何の不思議でもないだろう。

 自分達が誰を相手にし、誰を敵に回したのかをしっかりと理解させなくてはならない。六角領内では、悪質なものでなければどのような商売をしても構わないし、どのように生きても構わない。商人になりたければなれば良いし、畑を耕し、田を植えたければそれでも良い。坊主になりたければ出家すれば良いし、武家になりたければどこぞの家に下働きから仕えれば良い。

 だが、六角領内を乱し、そこで暮らす者達を害するのだけは駄目だ。


「我らも出る。本隊前進!」


 俺が采配を振るうと、それに呼応して陣太鼓が鳴り響く。その音に促されたように全ての隊が坂本城に向かって前進の開始し、先陣に近い隊から駆け足になって行った。最早止める術はなく、僧兵達が壊滅するまで、戦闘の兵達は刀を振るい、馬上の者達は槍を振るう。

 半刻もする頃には坂本城の城門が開き、中から進藤隊と平井隊が残った兵を率いて攻撃を開始した。こうなれば流石に哀れになって来る。最早逃げ場はなく、我武者羅に薙刀を振るう僧兵達は次々と討ち取られて行った。


「…御屋形様、意外に早く片付きましてございます」


「解った。対馬守、隠岐守と共に堅田の後始末を任せる。此度の蜂起に関係した者達は許さぬ。だが、関係せぬ者達は皆許せ。そして駒井八右衛門を救って匿った者達には褒美を取らせよ。金銭でも良いし、堅田代官家への取り立てでも構わぬ。必ず報いよ」


「承知致しました」


 僧兵達は壊滅。ほぼ八割以上が死体となった。残り二割は傷を負いながらも逃げたか、どこかに隠れているのだろう。

 そしてこれが終われば、本命である比叡山延暦寺との対峙となる。既に僧兵達は壊滅。寺を守る僧兵はまだ延暦寺に残っているだろうが、既に数百いるか否かだろう。何が出来る訳でもない。


「本隊は俺と共に叡山へ向かう」


 この時代、叡山の僧兵は『悪僧』と呼ぶそうだ。この時代の『悪』という文字は悪いという意味ではなく、強いという意味で付けられることが多い。つまりは強い僧という意味で『悪僧』と呼ぶのだそうだが、俺にとってみれば読んで字の如くの『悪い僧』である。

 その悪い物が出尽くした叡山には良い僧だけが残っていれば良いが。本当に信心深く、常に日ノ本とそこで暮らす民達の安寧を願っている者がいるのであればこのような争いは起こらない筈だ。

 直接会ってみるしかないだろう。坊主に説教が出来る程に出来た人間でもなく、坊主と議論が出来る程の頭脳も持ち合わせてはいないが、それでも言いたい事は山ほどあり、今の立場だから言える事も多くあるだろう。

 遠くに見えていた最後の僧兵が地面に倒れるのを見て、天を仰ぐように空を見上げた。別に人を殺したい訳ではないし、今自分が非現実世界のような場所におり、そこで生きている者達を人形のように感じている訳でもない。

 俺がこの命の価値の軽い時代で生き抜く事を目標にするのであれば、避けては通れない道であり、六角家という家の屋根の下で生きる者達を生かす為には前に進まなければならないという事なのだ。


「対話を望む僧は斬るな! 武力を行使する僧は斬れ! 仏罰があるというのであれば、全てこの六角右衛門督弼頼が引き受ける!」


「おお!」


 三千という大量の僧を殺した事実は兵達の中にも消えぬだろう。だが、それは俺が命じた事であり、彼らも生きる為には殺さなければならなかったという事。そう思わせれば良い。責任転嫁をしなければ前に進めないのであれば、その転嫁先になれば良いのだ。

 状況によっては叡山を焼かなければならないかもしれぬが、俺は第六天魔王になるつもりはない。問答無用で叡山にいる全ての者を殺す事はないし、そこを焼こうとも思わない。これから始まるのは、武家と寺との論争になるだろう。

 この時代では異例となる政教分離を推し進めるか否か。叡山を登る最中に全ての僧が死兵となって向かってくるのであれば全てを殺し、天台宗そのものを滅する事となり、それを戒めとして六角領内では仏教の政治への介入は許さないと知らしめるかを決めねばならない。

 六角右衛門督弼頼、一世一代の大立ち回りを見せる事になろう。


「進藤山城守、後藤但馬守に同道させる。使い番を出せ」


 その大立ち回りを一番の席で見るのは、六角の両藤と称された者達にする。後藤但馬守にとっては、最後の表舞台となるだろう。彼はこれ以降に六角家の評定に顔を出す事はない。両藤の一つが落ち、新芽に代わるのだ。その最後の仕事として、俺の大立ち回りを特等席で見せてやろう。後に酒の肴になるような劇を見せてやる。



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この主人公ならきっと叡山を焼いた跡に城を建ててくれるはず
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