近江帰国
俺が観音寺城を出立して二カ月以上が経過し、ようやく帰路に着く事が出来た。結果的に言えば、金ヶ崎城、天筒山城は六角の手に落ちた。敦賀郡は完全に六角領となったのだ。金ヶ崎城に籠った朝倉景紀が頑強に抵抗をしたが、流石に四倍以上の兵数に抗うにも限度があり、援軍が届かない孤立無援となったために最終的に城兵の命を条件に降伏をした。
加賀一向宗は俺の想像以上に大暴れしているようで、吉崎御坊跡を奪った後、細呂木まで進行を始めている。流石にこれはまずいと感じたのだろう。総大将である朝倉義景が重い腰を上げ、全軍を持って一向宗へ当たったようだ。その為、敦賀郡は見捨てられたのだ。
降伏した朝倉景紀は首を取らず、将と共に一乗谷へと逃がした。周囲からは『首を斬るべき』とか、『敵を増強して如何するつもりか』など批判はあったが、見捨てられた敦賀郡司である朝倉景紀には、当主である朝倉義景に対しての不満と憤りが残り、逆の当主側には大事な敦賀郡を守り切れずに恥を晒して生きて戻った男と朝倉景紀を蔑む者も多く出て来るだろう。それは、朝倉家の内側に火種を植え付ける事になる。
越前一国には余り旨味はないが、一向門徒に取られる事は避けたい。内部崩壊までの時間を有効に使わせてもらい。六角の地盤を更に固める必要がある。
「中務大夫様は本拠を金ヶ崎にお移しになられるようです」
「当然だな。本音を言えば、俺が入って敦賀港を整備したいのだが、それは無理だからな」
金ヶ崎城は頑強に抵抗したが炎上などはせず、城壁の修繕などをすれば防衛機能もそこまで落ちてはいない為、そのまま拠点として使う事になった。本当は後世に残る敦賀城の場所に築城したいのだが、そうなると平城となり、防衛拠点としては心許ない。その為、越前国を完全に掌握するまではそのままという形になるだろう。
肝心な城代だが、六角中務大夫賢永を城主として敦賀郡司に任じた。此度の敗戦の責もあったが、金ヶ崎城の攻防では先鋒を買って出て、見事金ヶ崎城を落城させる一矢となった。また、その後天筒山城でも無類の働きを見せ、その報償として敦賀郡二万石を与える形となった。現在の所領である塩津浜もそのままで加増をした形だ。
また天筒山城の城代は大谷伊賀守吉房に任じた。官職伊賀守は自称であるが、古くから六角家臣として仕えている家である。一説には大谷吉継の父親だと云われている一人でもあった。今回の戦では中務大夫の軍に従軍しており、目覚ましい働きをしていた為、城代へ抜擢したのだ。
「六角に残った旧浅井家臣達にも近江で加増をする。金山砦は整備し城としての防備を整える。宮山の砦も同様だ。その辺りの城代も決めなければなるまい。疋檀城、鳥越城に関しては近江と越前を結ぶ要所だ。太郎左衛門(永原重虎)以上に適任者はおらぬだろう」
金山城や宮山城は旧浅井家臣に与えたいと思っている。ただ、彼らは北近江に所領を持っており、それを捨ててまで越前敦賀に入ってくれるかを問わなければならない。有力なのは宮部、小川、多賀辺りだろうか。一度話をしてみる必要があるな。先祖からの土地を献上しろというつもりはないが、それでも拠点は敦賀にして貰い、当主は敦賀に入って貰わねばならない。それを受け入れるのであればという前提で話すしかない。
「一向宗の方は?」
「流石に朝倉も必死のようです。細呂木まで出張った一向門徒を叩き、吉崎御坊跡まで押し戻した模様。吉崎御坊跡に簡易な防備を築いて籠った門徒共と膠着状態となっております」
「吉崎御坊か…あの場所は寺の跡地ではなく、城の跡地のようなものだ。拠点を築かれてしまえば、加賀から越前に入る楔を打たれる事になる。朝倉としても何としてでも取り戻さねばならぬ場所であろうな」
俺の問いかけに答えたのは、伊賀衆として戦に同道していた森田新右衛門浄雲。東は伊賀衆の担当地区であり、越前、加賀もまた伊賀衆に入って貰っている。三雲対馬守を側にはいるが、後方へ移動しており、報告と対話は森田新右衛門の役目となった。
「御屋形様であれば、吉崎へ城を築かれますか?」
「俺も現地を見た訳ではない故、何とも言えぬが、吉崎は湖を背にした場所と聞く。そして日本海側には港もある。城を築くのであれ絶好であろう。城下町は栄え、加賀への荷を止める事も出来る。支城を周囲の山に築けば、越前の防備として最良の場所であるとは思うがな」
隣で森田新右衛門が唸る。彼は現地へ行った事があるのかもしれない。自身の記憶を探っているのだろう。実際は五十年以上前の1506年には坊舎を朝倉家が破却し、廃坊となっている為、森田新右衛門の記憶を遡ったとしても何もない場所の記憶しかない筈だ。
今現在、九頭竜川の戦いを経験した人間は誰も生きていない。生きていたとしても戦に出たり、政の中心にいるような者はいない筈だ。三十万を超える一向門徒を朝倉宗滴が一万弱で撃退したという伝説的な戦であるが、それを目にした人間は最早少ない。
伝聞だけになれば、それはいつしか眉唾物になり、侮られる。今回の一向宗の軍勢は加賀一国の物であり、急な出陣である為、多くても二万から三万だろう。戦慣れしていない門徒達では完全な拠点になっていない場所を守備する事など出来ないのだが、朝倉宗滴のいない朝倉家を侮っている部分もあるから引くという選択肢がない。血で血を洗う吉崎争奪戦となる事だろう。
「朝倉も正念場だ。ここで一向門徒に吉崎を譲れば、最早朝倉に復興の目はなくなる。かと言って吉崎を一向宗から奪うとなれば致命的な傷を負いかねん。朝倉としても難しいところだな」
「…手を差し伸べますか?
「六角がか?敦賀を返還するつもりは微塵もない。だが、ここで朝倉が一向宗に呑まれるのも困る。ふむ…面白いな。朝倉が受け入れるかどうかは別として、金銭と米だけでも送ってやるか。だが、使者となる者が危険だな」
「伊賀衆にお任せ頂ければ、滞りなくお届け致します」
朝倉からすれば、『何をふざけた事を』と思うだろう。自作自演も良い所だ。朝倉領である越前敦賀に攻め入り、裏では一向宗を焚き付けておいて、敦賀を攻め取れば今度は手を差し伸べる。まるでDV糞野郎の手口のようだ。
しかし、今の朝倉であれば、その手を無造作に振り払う事は出来ないだろう。下唇を噛み締めながらでも受け取るしかない。逆にここで六角の手を振り払えるのであれば、今後の朝倉は要注意となるのだが、難しいだろう。
「では、伊賀衆に任せる。俺の書状を添える。最悪荷だけを奪われても構わぬ。伊賀衆の命の方を優先させよ」
「承知致しました」
さて、越前に関してはこれ以上攻め入るつもりはない。敦賀を安定させ、若狭と連携すれば、日本海側の収入を六角が得る事は可能だ。それを受け入れる為にも近江の利便を今以上にしなくてはならない。まずは道を拡げよう。細々と進めて来た若狭から高島郡への鯖街道を拡げる。そして、塩津浜から敦賀への道も広げて行かなくてはならない。疋檀城を越前国防衛の最終拠点とする為にもその周囲の防衛強化と近江までの道の拡張は必須だろう。
それに医療所を作る為の城の築城も仕上げなければならない。既に着手はしており、この二カ月で縄張りはある程度進んでいるだろう。やはり安土山では観音寺城から近すぎる為、八幡山に築く事にした。ただ『八幡山城』では羽柴秀次の城という印象が俺の中で強過ぎる為、呼び名は鶴翼山城にしようと思っている。
それが落成し、城下町が出来上がれば、俺が見ていた六角の基盤が或る程度完成された事になる。日本の真ん中を縦断する六角領があり、織田とは一応の同盟をしている。これで南伊勢と志摩を取る事が出来れば、西に行くにも東に行くにも六角領を通らなければならなくなるのだ。西か東のどちらかを味方に付ければ、どちらかに侵略することも可能だろう。
「志摩守(蒲生賢秀)、下野守の葬儀は小谷で行うのか?」
「最後は父が築いた中野城で葬儀を行い、小谷城へお連れする事をお許し頂きたく」
「許す」
「有難き幸せに存じます。葬儀と共に中野城の整理を行います」
蒲生下野守定秀は史実よりも十四年早くに逝った。史実であれば、織田家でしっかりと立場を確立し、本拠地である中野城にて静かに逝く筈だったにも拘らず、俺がここに来た事で、彼は戦場で、しかも味方の裏切りによってその命を落としたのだ。
俺がもっと疋檀城攻めの軍の編成を綿密に行っていれば、あと少しでも旧浅井家臣達へ注意をしていれば、彼の死はなかったのかもしれない。悔やまれる。思わず馬上で天を仰いでしまうほどに悔やまれる。
「御屋形様、差出口をお許しくださいませ」
「申せ」
「父の事は悔やまれますな。この五年、父は真に毎日が楽しそうでありました。某が幼き頃は、父の考えている事が読めず、解らず、真に恐ろしく思うておりましたが、この五年ほどの父は、深慮は変わらずとも、喜怒哀楽を偽らずに面に出すようになりました。孫と遊ぶなど一昔前では考えられぬ行動も取り、某と酒を酌み交わしながら政務を語る事も…。その父が…あの父が、最後のその時まで御屋形様を信じ、御屋形様の御為にと気張っていたのです。胸をお張り下さいませ。我が父の事ではございますが、息子にも気を許す事のなかった蒲生下野守定秀が御屋形様には心酔しておったのです。御屋形様はそれ程の武士なのです」
蒲生志摩守賢秀は三十路を越えた。俺よりも一回り上の年齢となる。これからの六角家の柱の中でも筆頭格になる男であろう。六宿老であった蒲生、平井、後藤、進藤、三雲、目賀田の嫡男はそれぞれ成長し、進藤と目賀田の嫡男以外は既に家督継承が済んでいるか、準備を進めている最中だ。
後藤但馬守も蒲生、平井と家督継承に向けての動きがある中、それにしがみ付く事も出来ず、嫡男壱岐守治豊が磯山城へ移った辺りから少しずつ実権を手放し始め、評定の際にも敢えて前に出て来る事が無くなっている。
六角家新体制は着実に進んでいるのだ。
「その言葉、有難く受け取る事に致す。其方らの世代にもそう思うて貰える当主となれるよう努力致そう」
「既に我らは御屋形様に心酔しております故、無駄な努力となりまするぞ」
「ならば、その評価を落とさぬ努力をしなければな」
その後、小谷城下で一泊し、そのまま今浜城へ寄って一泊。そしてそこから船で淡海を渡って栗見から観音寺という経路で帰路に着く。今浜城下は賑わいを見せていた。港に沿って作られた商人町は東から入って来る美濃和紙なども並び、多くの人が行き交っている。城へ続く道には家臣達の屋敷が並び、その裏の離れた場所に多くの田畑が見える。この城が出来る事で生まれた農村も多くあるのだろう。鎌刃など他の城の領地と被らないように作られた農村の田畑でもしっかりと収穫が上がっているという報告も受けている。これも弟である大原次郎左衛門高定の頑張りであろう。
その旨をしっかりと今浜城で次郎へ伝えると、感極まったような顔で頭を下げていたが、お世辞ではなく、本当に凄い事だと思う。何もない場所にこれだけの領土を作り上げたのだ。誇って良い功績だろう。
正直、新たに作った淡海周辺の塩津浜、船木、磯山、今浜の四城の中でも最も上手く作られた城下だと思う。進藤山城守が開発している坂本城も流石は六宿老の一人であると納得する程に開発が進んではいるが、比叡山への警戒や堅田への警戒もあり、今浜ほど城下開発に全力を上げられていないのだと思う。
「御屋形様…」
「…また面倒事か?」
栗見に上陸し、栗見代官館に入ったと同時に三雲対馬守賢持が声を掛けて来る。越前の事は伊賀衆に任せてある。となると、西の方で何かが起こったという事になるのだが、足利義輝が討ち死にでもしなければ、俺が驚く事はないだろう。ただ、面倒事である事は間違いないだろう。
「大和にて松永弾正少弼が筒井城を落としましてございます」
衝撃だった。この時代では松永弾正久秀は追い詰められていた筈。居城である多聞山城を落とされ、信貴山城へ追われていた。大和の豪族である十市氏の三好からの離反を始め、大和国での影響力を失っていた筈だ。
それが筒井氏の居城である筒井城を落とすとは。
「大和国衆である箸尾高春、越智家増が松永側に付き、十市遠勝と筒井藤政(後の順慶)との諍いによる隙を付いた模様にございます」
元々大和国は守護職が存在しない国でもあった。飛鳥時代、奈良時代の有力な寺社が権門領主として支配していた所謂『神国』のような扱いをされていた国だ。そこで最も力を持っていたのが筒井氏であったが、今の当主である筒井藤政も十六、七の人間であり、その藤政が家督を継いだのは弱冠二歳の時である。
『二歳の子供に頭を下げられるか』というのがこの時代の武士の考えの一つでもあり、僧ではない地侍達は三好家の大和侵攻の際に、筒井氏から離反する者達が多かった。大和の有力な武家となると、十市城主の十市氏、越智城主の越智氏、箸尾城主の箸尾氏、これに筒井氏を合わせて大和四家と云われていたが、この四家が力を合わせるという事は余りなかった。
「修理大夫、筑前守の死去の報で舞い上がったか」
三好不利の状態になれば、大和国に三好が構っている余裕は無くなる。となれば、どの家が大和で最も力を有し、大和を牛耳れるかという欲が出たのだろう。筒井氏としては譲れず、十市としても松永家に人質を出していたにも拘らずに離反した手前、大和国の覇者とならなければ採算が合わなかったのだろう。
その隙を突かれた。松永弾正少弼久秀は、やはり史実通りに頭の切れる男なのだろう。甘い誘惑を撒き、箸尾、越智を引き入れて筒井氏を攻撃。そして筒井藤政は居城である筒井城を追われたようだ。大和国内から出たという報告はなく、現状では行方が掴めていないとの事。もしかすると何処かで討たれているかもしれない。
「修理大夫と筑前守の死去によって、松永弾正も三好家中で孤立したのかもしれぬな。信貴山城のみで耐えていても、踏み潰されてしまう可能性を危惧したのだろう。直系は既に安宅摂津守殿しか残っておらず、三好日向守長逸、三好右衛門大輔政康は松永弾正とは折り合いが悪い。完全な独立勢力となるしか道はなかろう」
「三好勢も現状かなり混乱しております。指揮系統が一本化されず、岸和田は安宅摂津守が守りを固めておりますが、摂津では三好日向守と三好右衛門大輔が主権を争っております」
「そもそも長年一族の重鎮であった日向守長逸と長年敵対を続けて来た右衛門大輔政康では水と油だろう。岩成主税助(友通)は如何した?」
「安宅摂津守殿に付かれるようで、安宅家本城である淡路洲本城の留守居を任せられている模様」
なる程。
安宅家の本貫は淡路だ。しかし、畿内を優先していれば、三好家の本貫である四国の阿波と讃岐が空となる。だが、この時期はまだ土佐の長宗我部は土佐半国も手中にしていない。伊予は河野家が力を持ってはいるが、伊予国全般を従えている訳ではなく、独立勢力が各地を治めているような状況だ。
安芸の毛利も先年に当主である毛利大膳大夫隆元を亡くし、その子である幸鶴丸が十歳という若さで家督を継いだばかりだ。大内氏は滅んでいるが、尼子も未だに健在であり、優秀な当主の死によって、膨大に広がった領土を維持する事に必死であろう。その為、伊予へ毛利が侵攻するのもまだ先の話になる筈だ。
「対馬守、讃岐の豪族達を煽る事は可能か?」
「香川辺りであれば可能だとは思いますが、六角家が三好の内紛を助長させるというのは些か…」
「…将軍家を増長させるか。確かに浅慮であった」
ここで三好が完全に崩れれば、今は押されている将軍家を増長させる事になる。それは各地の日和見大名の腰を上げさせることになり、結果として六角は自らの首を絞める事になり兼ねない。完全に俺の浅はかさが露呈するだろう。
ならば放って置く事しか出来ない。三好筑前守義興の遺児であれば引き取り匿うが、それ以外の三好勢に対して特別に厚遇する事はないが、別段苛烈に扱う必要もないだろう。大黒柱である修理大夫長慶と優秀な嫡男である筑前守義興を失った三好は黙っていても衰退する筈だ。三好家内は実弟である安宅摂津守冬康が居ても分裂は免れず、如何に大勢力と言えども分裂してしまえば弱小勢力と大差は無くなる。今の六角であれば各個撃破が可能であろう。
「筑前守の子の行方を探れるか?」
「可能にございます」
「ならば、無理の無いように探れ。傀儡の恐れや命の危機であれば救え。六角で庇護致す」
「承知致しました」
修理大夫、筑前守との約束は違えぬ。
京を占拠されない限り、六角が三好に対して戦を仕掛ける事はない。そして、三好筑前守の血筋は可能な限り守ろう。それが間接的とはいえ、筑前守の死の原因を生み出した者の責務であろう。
「将軍家の手にある場合は?」
「幕臣の手にある場合は生きていれば奪え。最悪幕臣の死もやむを得まい。ただ、心ある幕臣が庇護していた場合は、幕臣共々六角へ連れて参れ」
既に足利の手に落ちていれば生きている可能性さえ薄くなる。将軍を殺す事は避けたいが、幕臣であれば影響はない。因果応報なのだ。だが、もし幼子を殺す事を良しとせず、庇護をしている幕臣の手にある場合はその限りにあらず。
戦後の世では甘い考えなのかもしれないが、それでもそのような幕臣であれば六角配下に加える事に異議はない。寧ろ色々な方面で活躍してくれるだろう。
栗見から安土山を回り、海道に出ると京の方角に八幡山が見えて来る。縄張りが進んでいるのだろう。まだ日も高く、天気も良い為、曲輪の原型が見える。八幡山の標高は観音寺山の標高よりも低い。八幡山は安土山よりも高く、観音寺山よりも低い。
琵琶湖の見晴らしから言えば、安土山が良いのだろうが、守りという部分では八幡山の方が優れているだろう。織田信長のように畿内を完全に掌握してからでなければ、安土山に城を築き、本城とする事は出来ないのだ。
観音寺城下の農村に着く頃には日も傾き、農作業をしていた者達も帰り支度を済ませて帰路に着いている所だった。俺達の軍勢を遠目で見つけた者達が道端に跪き、顔を伏せる。江戸時代の参勤交代でもあるまいに大袈裟なと思うが、この頃の武家は江戸時代よりも血の気が荒い。触らぬ神に祟りなしという事だろう。
「観音寺城も久方ぶりだな。この疲労の濃い中、あの山を登らなければならぬという事がかなり憂鬱だ」
「農民兵達は城下で解散させます」
「うむ。首帳を基に褒賞は弾め。特に疋檀城で気張ってくれた者達には相応に報いよと志摩守に伝えよ」
「承知仕りました」
疋檀城に残り奮戦してくれた農民兵のほとんどは北近江勢である。故に本来の褒賞は大将である六角中務大夫賢永なのだが、その中務大夫はこれから敦賀郡司となる。故に今回の北近江勢への恩賞は蒲生志摩守賢秀に中心となって行わせるつもりだ。宮部や徳永、安養寺など離反せずに六角家臣として奮戦していた者達には、六角右衛門督弼頼の名で加増や褒賞金を与えねばならない。
北近江では大小かなりの家が無くなる。その領土を六角側に付いてくれた者達へ分け与えよう。勿論蒲生志摩守の領土も広げるが、それも限度がある。その辺りは交渉次第だな。文官たちはこれを機に南近江に領土を与えるのも良いだろう。
「ご無事のお戻り祝着至極」
「父上にはご苦労をお掛けした模様。右衛門督、心から御礼申し上げる」
観音寺山の長い道を登り切り、城門を潜ると、先触れによって俺達の帰りを知った父承禎入道以下、多くの家臣達が出迎えに出ていた。先頭にいた父が口上を述べると、全員が無事の戻りの喜びの言葉を述べ、跪く。
「まずは戦の汗と汚れを落とし、ごゆるりとお過ごし下され」
父の顔を見て、これまで何とか保っていたやせ我慢にも限界が来た。疲労という魔の手が俺の身体を余す事無く包み込み、今にも膝から崩れ落ちそうになる。何とか耐えきり、蒸し風呂に入って汗と垢を落とし、自室に入って横になった途端、泥のような眠りに就いた。
実際に前線に出て戦っていた者達に比べれば肉体的な疲労はないのだろうが、精神的には何倍も疲労していたのだと思う。風呂で世話をしてくれていた女性に対して何も感じる事無く、記憶さえも曖昧である事からもそれが解る。
この時代は寝室と言っても、別に夫婦の部屋ではなく、妻である萩の部屋は別にある。故に、今は一人で寝ていたし、周囲に誰かが居る訳でもない。宿直というような護衛は配置されているのだろうが、上手く気配を消しているのだろう。
「誰ぞある」
「はっ」
外に向かって声を掛けると、声が返って来る。どれだけ寝ていたのか、外は明るかった。日が落ちかけた頃に眠りに就いた為、既に夜は空けているのだろう。
「どれだけ眠っておった?」
「およそ半日ほどにございます」
十二時間眠っていたか。疲れていたとはいえ、かなり眠ったのだろう。という事は、今は早朝という事か。いや、陽の光の加減から見れば完全な朝だな。もう一度身体を伸ばし立ち上がり、着替えに入る。
着替えた後は、そのまま萩の部屋へと向かった。既に最後に会ってから三か月近くが経過しており、妊娠期間も半年に入った。十月十日というぐらいだ。かなり腹部も大きくなっていよう。父承禎入道への挨拶よりも、妻と子への挨拶が先だ。
「入るぞ」
「四郎様。ご無事のお戻り、嬉しく存じます」
一言声を掛けて部屋に入ると、世話をしていたよねが平伏する。奥では大きくなった腹を支えるようにして座っていた萩が頭を下げる。座る事に苦労する程ではないが、やはり目に見えて大きくなったと思う。自然と笑みが浮かんだ。
人を殺して来た者が、これから誕生する命を喜んで良いのかとも葛藤するが、最早それもこの戦国の世の習いと飲み込むしかない。戦を指揮すれば、末端の足軽は将棋の駒のように扱うしかない。そうしなければ心がいつか壊れてしまう。
「お萩、息災であったか?」
「はい。悪阻も落ち着きました。ただ、ややこが元気過ぎて、よく蹴られてしまいます」
「そうか。軽い運動をしながら、下腹部は冷やすなよ」
下腹部を冷やしてしまうと、暖かな心臓側へ頭を動かして逆子になってしまうと聞いた事がある。そういう科学的な根拠が無くても、この時代から妊婦は足元を冷やしてはいけないという教えがあった。
逆子となれば、この時代では帝王切開など出来ない為、ほぼほぼ死産となるし、最悪母子共に命を落とす事も多い。そうならないためにも侍女達には下腹部を冷やす事は駄目だと厳命していた。
「これ程に元気であれば、きっと男児でございましょう」
愛おしそうに大きくなった腹部を撫でた萩の言葉が、彼女の境遇を物語っていた。この時代は出産に係わる事全てが女性側の責任とされる。双子を生めば『畜生腹』、女児を生めば『女腹』、子が出来なければ『石女』。全てが女性の責任になる。
萩の今の立場は俺の側室だ。男児を産んでも即時嫡男とはならない。今後俺が正室を迎えれば、その正室との間に産まれた男児が嫡男となる。それでも萩が男児を産めば、跡継ぎの問題は一先ず落ち着くだろう。だが、産まれて来たのが女児となれば、正室問題がまた浮上して来る恐れがある。萩はそれを理解しているのだ。
「男子でも、女子でも良い。元気に産まれて来てくれて、お萩も元気でいてくれれば、それだけで俺は幸せだ。気負うな。俺は正室を迎えるつもりはない。俺の側に居る女性はお萩だけで良い」
「…家中の者達が許しませぬ」
「お萩、俺を誰だと思うておる。六角家当主、六角右衛門督弼頼ぞ?今の俺に逆らえる者など、六角家中どころか、この畿内にもおらぬわ!」
お萩の側に座り、その肩を抱く。既に安定期に入っているとはいえ、些細な事で心が乱れるのだろう。心が弱れば、身体も弱る。身体が弱れば、胎児にも影響が出る。この時代の慣習、教え、常識が今のお萩を縛ってしまっているのだ。この時代の常識など気にもしていない俺にとって、産まれて来てくれるのが男であろうが、女であろうが、愛しい我が子である事に違いはなく、双子であろうと、その喜びが二倍になるだけで何も悩む事はないのだ。生活費や養育費に不安がある訳でもなく、ただただ喜べば良いと考えている俺はやはりこの時代では異端なのだろう。
「…お萩をここまで不安にさせる者達をいっそ斬り捨てるか」
「い、いけませぬ」
「よね、お萩に対して口さがない事を言っている者達を纏めて記しておけ」
「御屋形様、今の奥方様にそのような転合は毒にございます。尚更に不安を煽ります」
よねの指摘を受けて気付いたが、俺の着物の衿首を握る萩の手が微かに震えていた。萩は俺の力を疑っていた訳ではないのだ。その権力と行動力を認めているから、俺ならばやりかねないと思ってしまったのだろう。妻にそう思われるというのは、些か寂しく感じるが、やはり妻を蔑まれれば、その者達はそれ相応の報いを受けさせたいと思ってしまう。
「すまぬな。だが、俺を信じて欲しい。其方を室として迎えてより今日まで、俺は其方に嘘を言うた事はない。嘘偽りなく、其方と産まれて来る子が共に元気であれば、それだけで良い。其方も言うておったではないか。『俺が寵愛を続ければ、またややこを授かる』と。俺は其方を愛で続けるぞ」
「まぁ」
流石に萩も目を丸くし、よねに至っては呆れたように目を伏せる。この時代にこのような形で妻に愛を囁く者などいないのかもしれない。後の世で、女に狂った当主として残るかもしれないな。
流石に気まずい空気になり、俺は萩の部屋を後にする。後ろから控えめなよねの笑い声と、それを制しようとする萩の声が聞こえるが、それを無視し、本来の用事である父承禎入道の部屋へと向かった。
「大殿、御屋形様がお見えでございます」
「入れ」
部屋に向かう廊下で父に仕えている小姓に先触れを頼む。部屋の前まで来ると、既に先触れは済んでいるようで、瞬時に入室の許可が下りた。
父承禎入道は床几に向かった書き物をしており、中に入った後、俺が少し待つ形となる。本来は当主である俺の部屋に家臣を呼ぶのだが、今は臣下のように振舞ってはいても、先代であり、実の父である承禎であれば、俺が待つ事は当然の事だと云えるだろう。
だが、何処かいつもの父よりも不機嫌のような気がする。何か不満事があるのか、むっちりと眉を顰めていた。
「…ふむ。待たせたな」
「いえ、私の方こそ、先に報告に上がるべきところでした。お陰様で身体を休める事が出来ました」
身体を清めた後は、本来父親へまず報告に上がるべきだったのだが、余程疲労していたのか、畳の上で寝ころんだ瞬間に睡魔に勝つ事は出来なかった。
「私の不在の間、諸々の面倒事を父上に押し付ける形となりました事、改めてお詫び申し上げます」
「なに。儂が当主をしていた頃に比べて、報告は嬉しい物ばかりであったぞ。其方が伊勢で新たに始めた物の収支報告など、目が飛び出るかと思うたわ。更には伊賀の農作物の収穫が米だけでなく多岐に渡っており、これまた報告者である伊賀者の顔も喜びに満ちておったわ」
俺の不在の間、今まで俺が手掛けて来た物の報告を包み隠さず父親へ報告するように命じていた。俺自ら若狭入りし、越前まで行くとなれば、周辺諸国が六角領へ兵を挙げかねない。その際に正確な懐事情が分からなければ、動きが取れないだろうというのが理由だ。
ただ、父親を驚かせようと気持ちが無かったかと言えば噓になる。俺の心の奥にある六角義治の精神もまた、父親である承禎入道に認められ、褒められたいという気持ちもあったのだろう。
「面倒であったと言えば、室町からの使者の対応だけだな」
「うまく躱して頂いていたようで」
俺が出兵中に、室町から観音寺へ何度も出兵の要請があった。要請というよりも半ば命令であったと報告は受けている。『主家である将軍家が命じる』というような書状も残っていた。俺が居なければ、判断は留守居役である承禎入道に任される。何度も将軍家の要請を受けて出陣していた承禎入道であれば、強気に出れば兵を動かすとでも考えたのかもしれない。だが、父は全く動じず、動きもしなかった。
そして俺が帰路に着いた辺りから、室町からの使者はぱたりと無くなったようだ。諦めたのか、それとも余裕がなくなったのか。今や足利将軍家は風前の灯火だ。大和国は息を吹き返した松永弾正に抑えられ、頼みの綱の筒井家は流浪の身。六角に比類する大家であった尾州畠山氏も高屋城を獲ってからは良い話を聞かない。
三好修理大夫、三好筑前守の死去によって波に乗れると思っていたのだろう。実際に三好親子の死の直後に、六角家が二万程で京へ兵を動かせば、間違いなく三好勢は四国へ逃げただろう。尾州畠山家と競合して飯盛山城を落とす事も出来るし、本拠である芥川山城を落とすことも出来た筈だ。
三好勢が畿内から離れ始めれば、摂津国の国人達が離反し独立しようとするだろう。荒木、池田、茨木、伊丹など摂津には三好に対して完全に臣従していない国人領主が多くいる。今でこそ三好に対して従ってはいるが、旗色が悪くなれば日和見もしくは寝返りを平然と行うだろう。それがこの時代で国人領主が生き残る術なのだ。
「父上、私は足利家と足並みを揃える事は今後ありませぬ。かと言って、三好と共闘する事もありませぬ。三好筑前守の遺児が生きておれば六角で保護し、成人すれば三好家を継がせるつもりではありますが、それは六角の臣下としてであり、三好家自体を乗っとるようなものではありませぬ。そして、今の三好であれば、六角は単独でも互角以上の戦いが出来るでしょう。ですが、それもまだ今ではありませぬ」
「あの三好と互角以上の戦いが六角家単独で出来るというのか?」
「出来ます。正直に言えば、戦いにもならぬかもしれませぬ。今の六角は銭と物があります。物の動きを抑える事も可能。まぁ、南蛮由来の物となれば堺を抑えている三好に軍配は上がるかもしれませぬが、それも三好修理大夫、筑前守が生きていればこそ。安宅摂津守(冬康)、三好日向守(長逸)、三好右衛門大輔(長康)では堺衆を従える事は難しかろうと存じます。莫大の銭を取られて僅かな商品を渡されるか、僅かな矢銭だけの献上で済ませられるかのどちらかでしょう。既に堺衆達の貸し渋り、貸し剥がしが起こっているとも言われておりますからな」
この時代の商人は武家に金を貸す。戦の為、開発の為、武家は商人から借財するのだ。年貢である米を担保にする事もあれば、他領の資源を担保にする事もある。戦に勝てば利子を付けて返す事も出来るが、戦に負ければ商人達の泣き寝入りとなる事も多かった。
そしてこの戦国の時代ではまだ『徳政令』という禁じ手を使う大名も少なくはなかったのだ。そうなれば商人達も大損となる。だが、それも含めて先を見通す目が商人の必須の才として扱われていたのも事実。大きくなるだろう武家に先行投資をして御用商人としての地位を得て、自身も同様に大きくなって行く。商いだけでは生み出せない莫大な財を築く為、商人達も命懸けなのだ。
「堺衆は自治権を放棄する事はない。となれば、三好も物資を手に入れる為に何かと譲歩するしかない訳か。かと言って、堺を軍事的に攻めるような事になれば、今後三好と商いをしようとする商人も居なくなる。八方塞がりよのぉ」
「兵による戦になる前に勝敗は決していましょう。あとは三好に足利を滅ぼしてもらうだけですが…」
将軍家を滅ぼさせるという俺の言葉に、承禎入道の目が大きく見開かれた。二百年続いた幕府を滅ぼさせるというのは流石に衝撃が強過ぎたのかもしれない。ただ、現状機能していない幕府という機関は何度も言うように無用の長物なのだ。
他の大名とは異なり、そこに存在するだけで迷惑な存在でありながら、それを除去することは出来ないという何とも邪魔な存在である。時代の流れを受け入れて、将軍職を返還などし、一名門武家として生きて行くのであれば重宝もされるだろうが、今のままでは腫物のような存在のままであろう。
「修理大夫、筑前守が居た三好家であれば、足利将軍家や幕臣共がどれだけ策謀を巡らせようとも、それを鼻で笑う余裕がありましたが、これからの三好にその余裕はないでしょう。内部分裂する恐れもあり、共通の敵でも作らぬ限りは一つに纏まる事もない」
「公方様を敵と見做すのか?」
「誰しも主君殺し、将軍殺しの汚名は被りたくはありませぬ。故に三好家内部で嗾け合うでしょうな。そして今の三好家にそれを制する事の出来る者はおりませぬ」
安宅摂津守冬康という人物の器量がないという事ではない。ただ三好修理大夫という男が偉大過ぎるのだ。その偉大な父の跡を受け継ぐ事を周囲にも認めさせた三好筑前守という人物も非凡な男なのだ。だが、安宅摂津守は三好修理大夫の実弟ではあるが、他家に養子に出ており、安宅家を継いでいる。謂わば他の家臣達よりは上位に居ても三好日向守や三好右衛門大輔達からすれば同列の者となる。そんな同列の同僚が突然当主面をすれば反発もするだろう。統制など取れる訳がない。
「戦で命を落とされるか、暗殺の類で不名誉な死を賜るかは分かりませぬが、時間の問題かと存じます」
「…そうか」
父の顔には戸惑いと憐憫の感情が見える。六角義賢という男の生涯の大半は足利将軍家の呪いが懸けられていた。偉大な父、六角定頼が賜った『管領代』という役職に恥じぬようにと懸命に足利幕府の為に財も労力も提供し続けたのだ。
そんな義賢に幕府は何一つ報いる事はなかった。六角定頼が賜った『管領代』という職を義賢に与える事はなく、都合の良いときだけその銭と兵を要求し続けた。新たな土地を与えるでもなく、新たな職を与える訳でもなく、与えた物と言えば、この時代では全国の大名にばら撒いている『義』という通字のみ。
それでも足利義輝という公方に対して哀れと思う心を持っている父に頭が下がる。それだけこの時代の足利家という家が特殊なのだろう。
「三好家が足利家を打倒し、京を占拠した時のみ、六角は山城国へ進軍致します。将軍を誅すような狼藉者から主上をお守りする為にございます」
「将軍家に取って代わるつもりか?」
「新たな将軍になるつもりも、新たな将軍を擁立するつもりもございませぬ」
新たな征夷大将軍に足利家以外の者が着くには時代が早すぎる。ある程度の力を持った者が一度武力で天下を制しない限り、全国各地で討伐隊が蜂起するだろう。史実でも、織田信長が日本の中央を制した者の力が如何に強大かを全国の諸大名達に見せつけ、その跡を継いだ羽柴秀吉が武力で完全に全国を下して一度天下を統一した事で、各地の支配者が様変わりしている。遠く九州、東北に至るまで秀吉を知る者達を配備したのだ。
そこまでして初めて、徳川家康という男の非凡さを知る者達が全国に散らばり、そして徳川家が征夷大将軍を得ても皆が納得させる事が出来た。実に五十年以上の時間を掛けてようやく新たな家が征夷大将軍という官職を得たのだ。
「今の公方様が良い例です。征夷大将軍が居てもこの戦乱の世は収まらず、むしろ居る事で起こる争いの方が多い。京は戦火に覆われ、荒廃して行くばかり。主上が望むのであれば征夷大将軍を置く必要もあるかもしれませぬが、今上はそれを望まれますまい」
「ふむ。今上様の即位の礼も、六角と毛利の献金により実現出来ておるのだからな」
史実では正親町天皇の即位の礼は毛利元就、隆元親子の献金により実現が出来た事になっているが、俺の目覚めが間に合い、そこに六角も噛ませて貰った。献金を一手に引き受けると室町が五月蠅い為、毎月献金を継続的に行い、朝廷の財政を少しずつ回復させたのだ。それは今現在も続いている。その効果もあり、今では朝廷と公家衆の六角家への印象は良い物へと変化している。
前までは朝廷を蔑ろにする足利将軍家の小間使いのような立ち位置だったからな。
「公家衆の家領である全国の荘園を取り戻す事は難しいですが、二条御所周辺の年貢を御所へ献上する事は可能でしょう。今の二条御所は廃棄し、禁裏から離れた場所に城を築くのも手ですな。我ら六角家は朝廷に対して圧力を加えたい訳ではございませぬ故」
「ふぅ…。其方と話をしていると、数十も歳をとった気になる。六角家当主は其方である。六角の繁栄も衰退も其方の行動で決まるだろう。だが、どのような道になったとしても、この父は最後まで共に歩もう。思う通りに致せ」
「ふふふ。これまでの父上の鬱憤を晴らすような道になりますぞ?しかし、この不肖の息子が誤った道へ踏み出したとお考えになられた時は遠慮なくお叱り下され。私は父上の言葉だけは必ず一度飲み込んで、深く考えます。祖父雲光寺様に誓いましょう」
今の六角家の所領は若狭、近江、伊賀の三カ国と伊勢の半国、そして越前敦賀郡を加えれば、四カ国に匹敵する。石高で言えば百万石を越えた。六角家単独で三万の農民兵を動かす事が出来る。それに加え、伊勢の白子、若狭の小浜、高浜、越前敦賀から上がる銭を加味すれば、四万から五万の兵を揃える事も可能だ。
ここまで来れば、足利義輝が死んだとしても、その後の傀儡として足利義昭を担ぎ上げる大名に対抗する事は可能だろう。
これまでは六角弼頼の第一章。足場作りは終えた。ここからは覇道を進むのか、正道をすすむのか、それよりも王道を進むのかは、歴史の変わりつつあるこの時代の動きによって変えて行けば良い。
「そうか、ならば一つだけ言わせて貰おう。其方、鶴翼山城へ移り住むつもりか?」
「…はて」
「惚けるでないわ!この観音寺を出るつもりか!?」
そういえば、鶴翼山城についての相談はしていなかったな。萩の出産の際に、穢れ云々を口にした承禎入道と出て行く出て行かないの口論をした後、その話をしていなかった。
この観音寺城からでも、八幡山は良く見える。いつの間にか縄張りを始めている姿に、承手入道は焦って家臣達へ尋ね回ったのだろう。別に口止めなどはしていないが、何かを勝手に察した家臣達は口を濁すばかりで、はっきりとは答えなかったようだ。
その後は、鶴翼山城下で医療所を作る事、それを日本の最新技術の研究場所にするつもりである事などを話し、その場所を護るのは自分であるべきだという事と今後は京を舎に入れる為にも、八幡山へ拠点を移し、中心である観音寺山を父上にお任せしたい旨を話し続け、何とか説得を続ける事になった。




