友の死
朝倉との決戦は二刻もせぬ内に終了した。
朝倉の後方から甲賀衆が騒ぎを起こし、混乱を始める兵を朝倉の将達が収める前に六角軍が前面から押し出す形で激突。混戦の中では鉄砲は使えず、数での勝負となる。数の勝負であれば、疲労はあれども倍近くの兵数を持つ六角が圧倒的優位であり、徐々に朝倉勢が押されて行った。
最終的に、金山の砦を落とした永原太郎左衛門率いる五百が朝倉の横腹を強襲した事によって決着する事になる。金山の砦にはこの状況でやはり兵はほとんどおらず、軽い小競り合いで降伏した為、早急な行動がとれたという事だ。
「太郎左衛門、よう来てくれた」
「御屋形様のご無事が確認出来て安堵致しました」
朝倉勢五千は、負傷や死亡を含め、逃散兵が多く出て、そのまま金ヶ崎方面へ引いて行った。本来であれば、これを好機と取り、金ヶ崎城まで攻め込んで敦賀郡全てを六角領とするべきなのだろうが、今は鳥越城の救援が先だ。
目賀田摂津守に指示を出し、陣取っていた宮山に簡易な砦を築かせ、そこを護らせるように動く。兵糧や資材の多くを摂津守に任せ、兵も四千を任せた。そのまま俺を大将とした四千の兵が鳥越城を目指して笙の川沿いに上って行く。
兵達の疲労もかなり深刻である。俺達に付いて来た者達の中には、なんて人使いの荒い殿様だと不平や不満を口にする人間も出て来ているだろう。それでも今だけは我慢してもらうしかない。
「御屋形様、朝倉勢の物見を数名捕えましてございます」
「斬って捨てよ」
この状況で物見からの情報は必要ない。鳥越城に張り付く兵数など先程まで交戦をしていた朝倉軍の兵数から読み取る事が出来る。鳥越城の状況を知りたいのであれば、現場に急ぐだけだ。
甲賀者達が下がり、俺は馬を走らせる。足軽の兵達も疲れが頂点に達しているであろうに、懸命に付き従ってくれている。この戦の後、末端の兵達にまでしっかりと報酬が届くようにしよう。
「鳥越城、見えて参りました」
「鳥越城を包囲せよ!朝倉の将兵一人たりとも逃すな!」
既に日も傾き始め、空が赤く染まるまで一刻もないだろう。だが、鳥越城を攻めている将兵達には敦賀での朝倉軍敗退の報はまだ届いていないと見える。ここに辿り着くまでに居た物見の者達は甲賀衆によって悉く潰している為、斥候からの情報もない筈だ。
その状況で背後から突然『隅立て四ツ目』の紋を靡かせた軍が現れれば、恐慌状態に陥る。
千から二千弱の朝倉軍は次々に討たれて行き、更には鳥越城の本丸からその家紋を見た兵達が打ち出して来た事で完全に混乱状態に陥って行った。
「太郎左衛門、二千を率いて疋檀城へ迎え!守兵は多くない筈だ」
「承知致しました!」
鳥越城の朝倉兵はすぐに殲滅出来るだろう。この機に疋檀城も再び落とさねばならない。今回の出兵で若狭一国だけではなく、越前国への足掛かりを作っておかなければ骨折り損になってしまうだろう。永原太郎左衛門重虎に二千の兵を分けて疋檀城に向かわせる。日が落ちる前には落城するだろう。
鳥越城内に入り込んでいた朝倉勢も既に大半が討ち取られている。ようやく危機を脱した。
「御屋形様、鳥越城内の殲滅が終わりました」
「百姓兵は逃がしてやれ。将達の首は刎ね、首桶に入れて金ヶ崎城へ送り届けよ。胴体は一か所に集めて焼き、そのまま埋めるのだ」
この時代の朝倉家の兵は半農半士が多い。農民兵が兵士の八割近くを占めていると言っても過言ではないだろう。北の京と謳われた一乗谷であっても、兵農分離を進められる程の銭はない。今の六角ですら兵農分離を完全に進められる程の蓄えはないのだ。
鳥越城を攻めていた農民兵の大半は敦賀郡の土地を耕している百姓達だろう。その百姓達の恨みを余計に買えば、今後の敦賀郡統治に支障が出る事は間違いないのだ。
「御屋形様、中務大夫殿がお待ちです」
「わかった」
甲賀衆に先導されて鳥越城へと歩を進める。既に破られた城門は痛々しく、そこら中に六角兵と朝倉兵の死体が転がっていた。戦が終わり、全てを整えてから当主が城へ入城するのが普通だが、今は真っ先に皆の安否を確認したい。
城門を潜り、本丸へ続く細い道へ入る前の武者溜まりに平伏している男の姿を発見する。六角中務大夫賢永である。
「中務大夫、面を上げよ」
「此度の不始末、この中務大夫、お詫びのしようもございませぬ。叶いますれば、この場で腹を切ってお詫びしとうございます」
総大将として疋檀城攻めを任されていた武将にとって、朝倉の計略に掛かり、八千余の軍勢を壊滅間際まで追い込まれた責任を感じているのだろう。『勝敗は兵家の常』と言えども、この敗戦は六角にとってもかなりの痛手だ。
しかし、今は中務大夫の責を論じている暇はない。
「まずは、負傷兵の治療と死者の確認が先だ!下野守はまだ生きておるのか!?」
誰が生きていて、誰が死んだのかも今の俺には分からない。将の中にも戦死者はいるだろう。全ての旧浅井家臣が朝倉側へ寝返った訳ではない。ならば、その中でも戦死者もいれば、負傷者もいるだろう。
「此度の戦の責は全て俺にある!其の方が責を感じて腹を切るなど、百年早いわ!」
俺の怒号を聞いて、中務大夫が土に額を付ける程に平伏した。
周囲の者達もまた、慌てたように平伏をするのだが、俺の問いに答える者は誰もいない。それにまた苛立ちが募る。
「志摩守!」
「ははっ!」
平伏している者の一人に声を荒げる。蒲生志摩守賢秀は声を上げて顔を上げる。俺の意思を感じ取ったのか、そのまま立ち上がり、俺を先導するように本丸への細道を歩み始める。それに続く俺の後方を全ての将達が続いた。
激戦だったのだろう。城門を破られて尚、本丸を落とされてなるものかと一丸となって朝倉勢と数日間を戦い続けた証が残っている。八千余で出立した軍勢は、今や千を超えるか否かの人数にまでなっていた。城門が開いた機に逃げ出した者は数多くいただろう。討ち取られた者達も多かった筈だ。
板と土で作られた塀には多くの矢が刺さり、所々崩れている。夥しい程の血痕が残る土塀にもたれ掛かるように倒れている兵の死体もある。この時代に来る前であれば、卒倒してしまいかねない光景に強く目を瞑ってしまった。
「下野守は存命なのか?」
「はい。今朝までは辛うじて。ですが、今はどうか…」
前を歩く志摩守へ問えば、悲痛の声が返って来る。主戦場である外に出て来る事が出来ないほどに蒲生下野守定秀の状態が悪いのだという事だけは解った。
しかし、下野守は元宿老であり、現在は俺の相談役を担っている。この戦でも戦目付の役割として同道しており、前線に出る筈の男ではないのだ。それが何故重体にまで陥っているのかが分からない。
「志摩守、何故下野守が倒れる事となった?まさか、其の方らは下野守を前線に立たせたのか?」
「まさか、そのような事致しませぬ。父下野守も戦目付としての役割に終始しておりました。ですが、伊賀衆への諫言や中務大夫殿の命に対しての反発などを口にする江北衆に対して我慢が出来なかったのでしょう。この鳥越城に入ってから江北衆に向かい厳しい叱責をしておりました。その為なのか、江北衆共の裏切りの際に後ろから斬りつけられ…。その際に父を護るように阿閉淡路守殿が前に出られました。江北衆はそのまま阿閉殿を斬り殺し、開いた城門より朝倉と合流を果たしましてございます」
「…そうか、万五郎がか」
阿閉淡路守貞征。北近江の山本山城城主として六角家に降った将である。後世の評価は余り良くはなく、不平不満を口にする事の多い男として、浅井家、織田家で重宝される事はなく、本能寺の変後に秀吉の本拠である長浜城を奪った事で後に磔刑になった武将であった。
そのような男である為に今回の朝倉への合力及び、六角からの離反の話は回って来なかったのかもしれない。もし、回って来て尚、それを断り、六角に忠を尽くしたのであれば、報いてやらねばならない。
彼もまた『淡路守』の官位を自称しているが、それは朝廷からの正式な任官ではなく、自称の物であり、新たに任官を受けた目賀田淡路守貞政とはその官位の正統性が異なる。故に俺は彼の通称である万五郎という名で呼んだのだ。
「万五郎には嫡男はおるのか?」
「…数えで十二となる男子がおりまする」
「元服させよ。烏帽子親は其の方だ。名は万五郎貞大と名乗らせよ。父よりも大きな男となれと伝えるのだ。山本山城は嫡男への継承を許す。志摩守、しかと面倒を見てやれ」
「承知致しました」
本能寺の変後に父親と共に磔刑となった子がいたが、それがこの子供なのかもしれない。史実とは異なる道を歩む形になるとは思うが、蒲生家が後ろ盾となれば武将として独り立ちも可能だろう。蒲生家としても先代当主である下野守定秀を庇って死んだ阿閉貞征の息子であれば大事に扱う筈だ。
将来的には有名な蒲生氏郷の兄貴分のような存在になってくれれば良いと思う。
「こちらでございます」
本丸の屋敷の中に入る。死体こそ転がってはいないが、屋敷内は異様な臭いが充満していた。勿論、人間の汗や垢、糞尿の臭いが不快感を増幅させるが、それにも増した死臭が漂っている。
度重なる戦闘によって負傷し、動けない者達が奥の一室に纏められているのだろう。一介の農民兵を屋敷内に入れる事はなく、外に敷いた茣蓙の上で寝かせられているのだが、将やその子息となるとやはり屋敷内で治療を含めて寝かされており、その内の半数は既に死を間近にしている者なのだろう。
「父上、御屋形様がお見えにございます」
「…お、おやかた…さま」
俺は言葉を失った。阿閉貞征が身を挺して庇ったと聞かされていた為、最初の一太刀を浴びたのだろうと考えていたが、横になっている下野守の右腕は二の腕から先が無く、巻かれているとても清潔とは言えない布はどす黒い血で真っ黒に染まっていた。頭部にも裂傷を受けたのか、そこも黒く染まった布が巻かれており、目はしっかりとこちらを向いているのも拘わらず、それが本当に俺を捉えているのか分からないほどに虚ろな光しかない。
思わず俺は膝から崩れ落ちてしまった。
「下野守…すまぬ。すまぬ。全ては俺の慢心が原因だ」
残っている左腕を握り、声を掛けた俺は、自然と涙が溢れて来た。鬱陶しいとさえ思っていた宿老の一人。しかも六人いる宿老の中でも最も狡猾で、最も知的で、最も油断出来ぬ武将。それが今や虫の息で横たわっている。それの全てが俺の慢心が生んだ事の結果だと思うと、悔しさで涙が止まらなくなっていた。
六角家臣の中でも最も大きく、恐ろしかった人間は、既に俺の手を握り返す力さえもない程に弱々しい。いつしか、俺が成そうとする事に共感し、俺の杜撰な夢を具現化するための助言、忠告、叱責を与えるようになって行き、それが実現されると、俺の横でその光景を見て柔らかな笑みを浮かべていた老人。
蒲生下野守定秀は、この世界で俺が目覚めてからでも僅か五年の間で、共に夢を見る友のような存在にまで昇華し始めていた。
「俺の目指す近江を…俺が夢見る日ノ本を共に見ると言うてたではないか。死んでくれるな。俺を『友を殺した愚王』にしてくれるな」
「お…おやか…たさま。有難き…おことば。この…おいぼ…れを、友とお呼び…くだされた…こと、冥土へ…の…土産と致し…まする」
既に光を失い、俺の顔など見えないのかもしれない。それでも懸命に口を動かし、かすれた声で言葉を紡ぐ。俺の手を掴む力は更に弱くなっていき、彼はこの世から去ろうとしている。それが何よりも許せない。
人の死を見るのはこの世界に来てから初めてではない。寧ろ俺自ら差配して多くの人間を死に追いやって来た。それでも目の前で横たわる老人の旅立ちが許容できないのだ。
「…中野…城は…おや…かた様…にご献上致し…ます。蒲生…を…おたのみ…申し上げます」
「蒲生は六角の柱だ。志摩守も其方の孫の鶴千代も六角の支柱となる男だ。いずれ一国、二国を任せるつもりぞ」
下野守の子は多くいるが、蒲生を継いだのは志摩守賢秀、そしてその嫡男こそが後の蒲生氏郷なのだ。良くも悪くも多くの逸話の残る男ではあるが、あの織田信長がその才能を見出した程の逸材だ。いずれは何カ国かの大名となる日が来るだろう。
俺の返答に目を細めて顔に皺を作る下野守の手から完全に力が抜けた。傷だらけなのに穏やかな表情のまま眠るようにその灯が消えて行く。戦国の武将たちはこういう状況を何度も経験し、何度も乗り越えて来たのだろう。この時代の武将達が仇を恨み、その家を族滅させようという気持ちがよく解る。
織田信長が浅井親子の頭蓋骨にした残酷な仕打ちも、浅井家の裏切りによって死んで行った多くの子飼い武将達の死に様が彼の中に残り続けたからなのかもしれない。
「父は御屋形様が必ず来られると信じておりました。御屋形様が来られるまでは死ぬ訳には行かぬと…。昏睡に陥りながらも、何度も黄泉より生還致しました。それがどれ程の苦痛であったか、死の方がどれ程に楽であったか。昨日は一度も目を覚ます事はなかったのですが、御屋形様が来られた事で最後の余力を使い切ったのでしょう」
「下野…守、真に大儀であった」
隣で父親の死に顔を見つめる志摩守賢秀の表情に悲しみはない。この数日間で何度も後悔し、何度も苦しんで来たのだろう。父親には見えない場所で何度も涙を流して来たのかもしれない。志摩守にとっても下野守は厳しい父親であった筈だ。六角六宿老の中でも最筆頭と言っても過言ではない程の力を持ち、老いて尚、その権力と発言力は家中でも強かった筈。いつまで経っても隠居をしない父親は目の上の瘤のような存在であり、自身が前に出る事の出来ないもどかしさは、俺の中に残る六角義治の精神が強く憶えている。
今回の江北衆の越前入りに下野守を軍目付としたのは、隠居し、俺の相談役となってから息子である志摩守が城代となっている小谷城へ入る事もなかった下野守と志摩守のわだかまりのような物が無くなればと思っていたというのも理由の一つでもある。
隠居して相談役に就いた下野守は、今までが嘘のように己の権力や地位への欲が薄くなっていた。口うるさい事は変わりなかったが、そこに腹の一物となる黒い欲望がない分、素直に聞く事の出来る忠告となっていたのだ。今ならば、立派に城代を務めている志摩守と話す事が出来るのではないかと思ったのだが、それもまた俺の独りよがりだったのかもしれない。
「下野守の遺言だ。志摩守、其の方に小谷城を与える。此度離反した江北衆の内、国友以外は其の方の所領に組み込め。山本山城は阿閉の遺児に与えるが、其の方の旗下として組み込む事を許す」
「有難き幸せに存じます。父の遺言通り、中野城周辺の蒲生家譜代の領地は、御屋形様へ献上致し、速やかに一族妻子を小谷へ移動させまする」
「蒲生下野守定秀、阿閉万五郎貞征の葬儀は其の方が差配せよ。六角からも費用は出す」
「はっ」
泣いてばかりはいられない。強引に顔を拭い、一度下野守の遺体に向けて手を合わせた。そのまま今後の方針を志摩守へ指示として話し出す。
今回多くの旧浅井家臣が離反した。だが、残った者達も多くいる。既に観音寺城にて政務にも組み込まれている石田家や安養寺家、宮部家や徳永家など、文官寄りの者達の多くは甘言に乗る事無く、この鳥越城で抗っていたようだ。
その者達には報い、朝倉へ寝返った者達の家は取り潰す。一族郎党皆殺しというのもしたくはない故に、六角領内所払いとし追放処分でいいだろう。朝倉へ逃げればいずれ六角によって滅ぼされ、西に逃げれば将軍家の争いによって荒廃した場所で生きる場所はない。正直、この時代の武家の追放処分は余程の反骨精神が無ければ生き残る事は不可能に近いのだ。
「一晩休む。動ける兵達には食事を与え、ゆっくりと休ませよ。この機を逃さず、金ヶ崎城まで落とす」
「承知致しました」
ここで万全を期して一度近江に戻るのもありだろう。だが、ここで戻れば朝倉には実質そこまで大きな被害はない。近江や若狭からの入り口の城を取られた事にはなるが、敦賀の平野は朝倉の勢力内のままであり、金ヶ崎城が健在である限り、取り戻す事もそこまで難しい事ではないだろう。
ならば、今はまだ加賀一向宗の対応に朝倉が追われている内に敦賀郡そのものを六角領にしなければならない。金ヶ崎城に籠っている兵数も今ならば二千程だろう。朝倉本隊の援軍が来る前に金ヶ崎を落とし、朝倉家の南下を抑える拠点をしっかりと築く必要がある。
朝倉家としても、一向宗に国を荒らされる事の危惧は強いだろう。一向宗に呑み込まれれば、それは賊に国を荒らされるに等しい状況になる事は明白。この時代の武家の乱取りも凄まじいが、一向一揆の乱暴狼藉は更に酷い。下手をすれば、朝倉の栄華百年が一向宗によって崩壊する可能性も否定は出来ないのだ。
「対馬守、父上の元には使いを送ったな?」
「はい。御屋形様のご指示通り、疋檀城へ物資補給を大殿に願い出ております。走らせた者はまだ戻ってはおりませぬが、二、三日で届きましょう」
疋檀城の空城の計によって、六角の物資は大幅に削られている。しかも江北衆の裏切り時に鳥越城の物資も持ち出され、残っていた物にも火を点けられている。早急な鎮火によって全焼は免れたが、それでも千人以上が生活するには心許ない量であっただろう。
我ら本隊の物資もそこまで残っている訳ではない。しかも兵達の疲労も限界に近いだろう。希望を言うのであれば、木ノ芽峠付近まで攻め上り、あの周辺の砦を取れれば最高だが、それは望み過ぎだろう。今回は金ヶ崎城と天筒山城を取れれば良い。あの二つの城があれば、朝倉軍も容易に敦賀には入ることは出来ないだろう。後に深山にでも砦を築けば良いのだ。
「兵達には一杯だけではあるが酒も振舞え。戦勝祝いとでも言って振舞うのだ」
「ははっ」
そのまま俺は下野守の遺体から逃げるように別室に入り、泥のような眠りに就いた。余程疲労していたのだろう。横になった途端に意識を失うように心は闇の中に吸い込まれて行ったのだ。
翌朝、朝餉を取り、出陣の準備をしている俺の元に、六角中務大夫賢永と骨壺を抱いた蒲生志摩守賢秀が現れた。昨晩の内に下野守の遺体を焼き、骨にした物を壺に入れたのだろう。遺体は持ち帰ることは出来ないが、このような越前の土地に埋める事も心情的に出来なかったのだと推測出来る。
「御屋形様、父の遺骨ではございますが、日野の蒲生先祖代々の墓に埋めてやりとうございます。某の代からの蒲生の本拠は小谷と定めますが、父は日野を愛し、中野城から日ノ本を見ておりました。御屋形様にご献上致す土地ではございますが、何卒お願い申し上げます」
「許す」
遥か未来の日本のように、墓移しは難しいものではない。未来であれば寺にとって檀家というのは収入源であり、墓移しは寺と寺の諍いの種になってしまう。だが、この時代の武士であれば別段本人の意思次第だろう。
「中務大夫、疋檀城と鳥越城の留守居の選別は任せる。疋檀城には父上からの追加物資が届く筈だ。荷駄隊を率いて俺に合流する将も決めよ。其の方は俺と共に金ヶ崎へ向かうぞ。其の方が望んだ名誉挽回の機会だ。気張れ」
「御屋形様のご温情、忝く存じます。疋檀城、鳥越城の留守居役及び、荷駄隊の指揮については概ね決まっております。この中務大夫賢永、御屋形様の元、必ず金ヶ崎城を落として見せまする」
この疋檀城攻略軍を率いていた大将はこの六角中務大夫賢永である。だが、まだまだ江北衆全てを黙らせる程の実績はなく、一門衆としても立場が弱かった。そんな人物に任せた俺の責ではあるが、本人としては己の力量不足と悩んだのだろう。
俺に言わせれば、伊賀衆達の使い方、伊賀衆達の守り方、そして相談役であり元六角宿老である蒲生下野守定秀の使い方が悪い。横暴である必要はないが、家臣に気を遣い過ぎる必要もない。伊賀衆の事など騒ぐ江北衆を一喝すれば済む話であり、その為に元宿老筆頭も居たのだ。
その辺りの機微を掴む事が出来ない内は、中務大夫を一門衆筆頭などには出来ないし、大将を任せる事も出来ない。もしかすると今であれば次郎の方が良き大将になるかもしれない。だからと言って、中務大夫を北近江の惣領の座から降ろす訳に行かない。今回の事で蒲生志摩守の所領も増え、中務大夫の所領の石高と同等の物となるだろう。それでも北近江を束ねているのは六角一門であるという事を替えることは出来ないのだ。
何とか中務大夫にここで踏ん張って貰わねばならない。
結局、疋檀城での物資の受け取り及び、荷駄隊の指揮は蒲生志摩守が請け負う事となった。父の仇である江北衆は先の戦いでほぼ全滅しており、金ヶ崎城の中にはいないだろう。父親の死という事もあり、後方支援に回す事が妥当だと考えたのだ。
鳥越城の救援に来た俺が率いる本体の兵数は約四千。鳥越城に残っていた兵を加えても五千弱程しかいない。目賀田摂津守に任せ、宮山に砦を築かせている兵も四千。合計でも一万に満たない。疋檀城に残る志摩守の兵千を置いて行かねばならず、約八千の兵で金ヶ崎城を落とさねばならない。かなりギリギリの戦いになるだろうが、それでもここを逃せば、今後六角は敦賀に手を出せなくなる。それ程の好機なのだ。
「御屋形様…」
「対馬守か、まさかまた凶報か?」
いざ出立という時に、馬へ跨ろうとする俺に三雲対馬守賢持が音もなく近寄って来た。最近は対馬守から朗報を聞く事がなく、何か嫌な報告ではないかと勘繰ってしまう。本来の大将の行動ではないが、露骨に顔に出てしまった。
そんな俺に対して一度頭を下げる対馬守の姿に、内容が良い物ではないと理解が出来た。
「三好修理大夫長慶、身罷られましてございます」
「…そうか」
最悪の報告だ。三好筑前守義興に続いて、修理大夫長慶もこの世を去った。この1500年中期に栄華を誇った三好家の陽が完全に沈んでしまったのだ。
ただ、史実であれば晩年の三好長慶は心を病み、思慮を失っていたと云われており、実の弟の一人である安宅摂津守冬康を謀殺してしまう。松永久秀の讒言が原因だと伝えられているが、定かではない。ただ、これが三好家滅亡を決定付けたと言っても過言ではないだろう。三好長慶の兄弟達は全員が優秀な者達であり、長男である長慶を筆頭に、次男の三好実休、三男の安宅冬康、四男の十河一存と一人一人が一国を束ねるに十分な器量を有していた。
その全員が死去した事で、三好長慶の跡を継いで三好家の舵を取る事が出来る人間が居なくなったのだ。史実では長慶が生きている内に十河一存の息子である重存を養子に迎えて家督相続を行っている。
だが、史実と異なり、嫡男三好義興が無くなると同時に起こった足利家の挙兵が長引いている事により、十河重存を養子に迎える事も家督を継がせる事も出来ていなかった。
「未だ事実は隠されており、室町には伝わっておらぬようにございますが、このままだと泥沼となりましょう」
三雲対馬守の言う通りだろう。現状の戦力で言えば、幕府に三好を滅ぼす力はない。例え尾州畠山家の合力を得ても、畿内からの排除が関の山であり、おそらくそれさえも叶わないだろう。だが、足利義輝の気性を考えると三好長慶の死を知れば、これ幸いにと戦を続ける筈だ。
しかし、戦となれ莫大な銭と米が必要となり、足利義輝にはそれが理解出来ない。『自分が命令をしているのだから、戦を続けられるようにしろ』というだけで、必要な銭と米の算段を付ける事はしない。しかも、幕臣達もその算段が出来る者はおらず、基本的に諸大名頼みなのだ。
「今までと異なり、此度の戦は六角の後ろ盾はない。そう長引く事はあるまい」
今までは近江守護の六角家が後ろ盾となり、戦に必要な銭も米も用意して来た。だが、現在はそれもなく、若狭武田も六角に吸収された今、足利へ援助をする大名もないだろう。今の山城国は荒れ、米の収穫などはほとんどないだろう。そして戦になれば商人達は利を出すが、それを税として徴収する事が出来ず、結局は銭も底を突く。
「室町からは朽木谷へも銭の無心の使者を送った模様」
「なに?それで、まさか受けたのか?」
「はっ、朽木民部少輔殿、銭五百貫を出されました」
「…たわけが」
やはりか。
朽木は長い間独立領主であった。僅か八千石にも届かない小さな領土ではあるが、何処にも属さぬ領主であり、足利の直臣の扱いを受けて来ている。一時、六角の庇護に入った事は有っても、六角という盟主に集う一豪族の立ち位置だった。
それ故に、まだどこかで独立領主の意識が消えないのだろう。朽木家の財は朽木家の財であり、六角家臣となっても使用方法の自由はあると考えているのかもしれない。この辺りの意識の改革は非常に難しく、江戸時代に入って完全な封建社会の理が落ち着くまでは無理であろう。
「まぁ、たかが五百貫だ。足利が戦を続けるには焼け石に水だろう」
一貫の目安としては様々だ。江戸時代であれば銭一貫は未来の感覚で約12000円と云われてはいるが、この戦国末期であれば、銭500文で米一石(約150㎏)が買えたとも云われている。江戸時代の感覚であれば五百貫は現代の価値で約600万円ぐらいだが、戦国末期であれば、1000文が一貫と考えると米が150トン買える程の金額となる。
現代の米の価格で換算すれば、7500万円程度の価値という事になるのだろうか。それでも戦を続けるには心許ない金額である事に違いはない。
「朽木に関しては追々だな。予想をしていなかった事態ではない。ただ、民部少輔へ使者を送り、此度の件を俺が知っている事、くれぐれも足利義輝を匿う事など無きように釘を刺しておくべきだな」
「船木城の平井壱岐守殿へお伝え致します」
高島党の元締めは平井家に任せている。現在の当主は宿老の平井加賀守定武であるが、既に宿老達の世代交代も進んで来ており、加賀守も嫡男である壱岐守への家督相続の為の準備を進めている。現在の船木城は実質嫡男壱岐守の城と言っても良いだろう。
「余り追い詰めるような物言いは控えるようにも伝えておけ。事実だけを伝えれば良い。足利への献金について俺が知っている事、将軍を受け入れるのではないかと俺が危惧している事だけを伝えれば良い」
「しかと」
追い詰めれば、今、この越前で気張っている弥五郎が不憫だ。六角の為にと必死になって学び、領地を豊かにしているにも拘らず、豊かになってようやく出来た蓄えを無断で祖父が幕府に贈ってしまったと知れば、祖父と孫の関係が悪くなるだろう。それは望んではいない。
これが明確な六角からの離反を意味しているのであれば別だが、単純な意識の違いであれば、その意識が間違っているのだと教えてやれば良いだけだ。
「対馬守、西の監視をこれまで以上に強めよ」
「畏まりました」
「皆の者、出陣だ!」
「おおおおおおお」
西は荒れる。三好家はこれ以降勢力を盛り返す事は出来ないだろう。史実通りに義輝を殺すのか、そうでないのかは分からないが、一つの時代が終わった事だけは確かだ。
正に『盛者必衰の理』だろう。世界中のどこの国においても、必ず統治者は移り変わる。特にこの時代の日本は小さな島国を何十と分けており、その勢力は何度も移り変わって来た。江戸時代に入るまで完全に日ノ本全土を手中に収めたという者はいなかったし、江戸時代であっても各藩が独立採算制で各地を統治していた。
そんな江戸時代も二百五十年で崩壊する。武家の仕組みでは限界があるのかもしれない。
だが、俺は今出来る事をするしかない。
まずは敦賀郡の掌握。敦賀を手に入れ、若狭も手に入れれば、北からの船も西からの船も停泊する港が手に入るのだ。近江の特産を日本全国で売ることも出来れば、日本全土の名産を手に入れることも出来る。そうなれば、益々六角領は潤い、周辺諸国は寂れて行く。
銭を持つ者へ銭は集まる仕組みなのだ。その内、戦など馬鹿らしくて出来ないようになれば良いのだが、そうもいかないだろう。
越前に敦賀郡以上の旨味は余りない為、朝倉はこれ以上追い込まず、加賀一向宗の盾にでもなって貰おう。浅井を六角の盾として長年使って来たのだ。今度は朝倉が盾になる番が来ただけの話。精々不死身の一向門徒相手に気張って貰うとしようか。




