616 束(つか)の間の休息
「・・・ファビアナ、大丈夫か?」
肩で息をするファビアナを見て、前を行くレイチェルは足を止めて声をかける。
上の階を目指し、レイチェル達は機関室を進んでいた。
「ハァ・・・ハァ・・・だ・・・だ、大丈夫、で、す・・・」
言葉とは裏腹に、両手で杖を支えにして歩く姿は、見るからに疲労根倍だった。
「それは大丈夫じゃないね。みんな、少し休もう。ファビアナはこれを飲んでくれ」
腰のベルトに下げた革のバックから小瓶を取り出すと、ファビアナに向けて差し出す。
「だ、大丈夫、で、す・・・い、急がないと、み、水が・・・」
首を振り、まだ前に進む意志を見せるファビアナを、レイチェルは肩を掴んで押さえた。
「ファビアナ、下の階は水没したが、この階はまだ大丈夫だ。先は長い、休めるうちに休んでおくんだ。いくらヒールで治したと言っても、あちこちぶつけて体の芯にダメージが残っているはずだ。これはレイジェスで売ってる回復薬で、効き目は良いんだぞ。飲んでおけ」
「・・・はい・・・すみま、せん。ほ、本当に、あの時、レイチェルさんが護って、くれなかったら・・・わ、私・・・」
腰を下ろし、倒れている計器台を背もたれにして、ファビアナは座り込んだ。
船が転覆した時、幸いにもレイチェル達は離れる事なく、同じ空間にいる事ができた。
そして転覆の衝撃から魔法使いのファビアナとシャノンを護ったのは、体力型のレイチェルとリンジーだった。
「気にする事じゃないよ。私だってファビアナのヒールがなけりゃ大変だったんだ。お互い様って事だね」
船が大きく揺れたあの時、眠らせた国王を背負っていたにも関わらず、レイチェルは更にファビアナを掴み寄せると、驚異的な身体能力で落下物を躱し、傾いていく足場は飛び跳ねて対応し、切り抜けていったのだ。
リンジーもレイチェルと同様に、シャノンを前から抱きかかえると、同じように落下してくるイスやら花瓶、ブロンズ像などの調度品をレイチェルと同じく躱し続けた。
しかし、人を抱えた状態では限界がある。まして船はどんどん傾いていくのだ。
レイチェルもリンジーも、最後は足が持たなくなり、流れてきた机や照明などの家具類に押しつぶされてしまった。
しかし、レイチェルが身を挺してかばったおかげで、比較的軽傷だったファビアナは、意識を取り戻すとすぐに全員にヒールをかけて治癒し、犠牲者を出さずにここまでこれたのだった。
ファビアナはレイチェルから受け取った回復薬を、一息に飲み干す。
「あ・・・美味しい」
「そうだろ?ユーリは口に入るものは美味しくないと駄目だって言ってね。フルーツ味の回復薬を作ってるんだよ。費用がかかるから、普通は回復薬は味無しだろ?おかげでレイジェスのは少し高めなんだよ」
「へぇ、確かにアラルコン商会でも味は考えた事なかったね。レイチェル、それで売れてるのかい?」
ファビアナの向かいに座ったシャノンが、味に驚いているファビアナと、レイチェルの説明を聞いて問いかけた。
「まぁね、他店の味無しがどれくれい売れてるか分からないけど、リピーターは多いし、採算とれてるし、白魔法部門の主力商品だよ。あまりよくないけど、ジュース感覚で飲んでるお客さんもいるしね。アラルコン商会でも作ってみたら?あ、でもフルーツ味はうちとかぶるからやめてね」
「あはは、そうだね。ここから生きて帰れたら作ってみようかな・・・」
少しだけ笑うと、シャノンは顔を上げて、考えごとでもするように天井を見つめた。
「・・・なんとかなるわよ」
「リンジー・・・」
表情には出さないが、シャノンの不安な胸中を察したリンジーが、そっと肩に手を置いた。
くったくのない笑顔向けるリンジーを見て、シャノンは抱えていた心の重し心が解れていく事を感じた。
「お兄さんの言う通りだなぁ・・・」
「お兄さん?アラタ君の事?」
「うん・・・お兄さんさ、リンジーの笑顔は和むとか言ってたんだけど、本当だね。なんかうまく言えないけど・・・癒される」
「えー、なにそれ?よく分からないけど、褒められてるなら嬉しいわね」
クスクス笑うリンジーに、シャノンも釣られて笑顔になった。
穏やかな空気が流れ、束の間だが今が沈みゆく船の中だという事を忘れられる。
「・・・ねぇ、レイチェル、国王様の様子はどう?」
会話が途切れた頃、リンジーが正面に座るレイチェルに言葉を向けた。そのレイチェルの隣では、ロンズデール国王リゴベルト・カークランドが、力無く横たわっている。
「うん、まだ眠ってるね。船がひっくり返っても起きないんだから、当分このままだろう。精神操作の魔法をかけられていたのに、自我を呼び戻したんだ・・・国王の良くない話しは聞いてたけど、心の底には強い意思を持ってる人なんじゃないかな?起きた時は魔法が解けている事を期待したいね」
「・・・えぇ、本当にね」
レイチェルの言葉に頷いて、リンジーはファビアナに目を向けた。
国王の話しが出て、ファビアナは下を向いて口を閉ざしてしまった。
ファビアナは国王の娘だが、妾との間に産まれて子供であり、国王からも母親からも、愛情らしいものを受けて育ってはいない。
そのため、どう接していいか分からないのだ。
「・・・ファビアナ、大丈夫?」
「あ、は、はい・・・」
リンジーはファビアナの前に腰を下ろすと、ぎゅっとファビアナを抱きしめた。
「ファビアナと一緒にいるようになって、もう10年も経つのね・・・・・ねぇ、一人で悩まないでね?私がいるわ。レイチェルもシャノンも、みんなファビアナの事、大切に想ってるんだからね」
「・・・リンジーさん」
リンジーの思いやりの心に、ファビアナは胸が温かくなった。
目元に涙を浮かべ、リンジーを抱きしめ返す。
「・・・落ち着いた?」
「はい・・・もう大丈夫です」
ファビアナの手を取りながら、リンジーも立ち上がる。
こわばっていた表情が幾分柔らかくなったのを見て、もう大丈夫だと安心する。
「ファビアナ、国王が目を覚ましたら、自分の気持ちを話してみるといいよ。親子なんだから、きっと分かり合えるさ」
レイチェルは眠っている国王を背負うと、ファビアナに顔を向けて優しく微笑んだ。
「は、はい・・・が、頑張り・・・ます」
「そうそう、アタシもそうした方がいいと思うよ。大丈夫だよ。あんまり緊張しないでさ」
シャノンもファビアナの背中をポンポンと軽く叩いて、笑って見せた。
「は、はい・・・そ、そうです、よね」
「・・・さて、じゃあそろそろ行こうか」
レイチェルの一言に、それぞれが頷いて返す。
立ち上がった四人は、再び上を目指して歩き出す。
この時、レイチェル達が休憩を入れなければ、少し先を歩くフランク達、生き残った乗客達と鉢合わせをしていた。
その中には魔道剣士四人衆、ラクエル・エンリケスもいるため、面識のあるレイチェルの姿を認めれば、戦闘になっていた事は避けられないだろう。
その意味では、浸水から逃れるために行動している両者にとって、このスレ違いは幸運だったと言えるだろう。




